反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

金融財政膨張政策の焦点が軍事費大増強になってしまうのは歴史に学ぶ、よりも先に理の当然であった。政府の経済統制が長期に渡って効く。日本経済における国家政策の役割は増大し、それが金融寡頭制支配強化に集約される。

 

W。マーケと関係者を含めてポジティブな評価

   時事通信社JIJI COM転載。3月21日yahoo news

news.yahoo.co.jp

    ↓日銀マイナス金利解除

3/21(木) 19:30~ プレミア配信(尾形聡彦のDB)【金子勝「マイナス金利解除」の大本営報道/本質語らぬ大手メディア】

W。マイナス金利解除にもかかわらず、ドル/円 為替市場円安(円高に振れない)

W。政府、赤字国債大量発行⇔日銀<直接買入れ>

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引用 

「新型コロナウクライナ危機の影響財政出動圧力は高まっており、

>政府が財源として国債を増発し、日銀が買い支える構図は続きそうだ。ただ、日銀の保有が増え続ければ、財政規律がさらに緩む懸念がある。将来、緩和縮小へ動く場合も、日銀の財務が悪化するなどの副作用のリスクも膨らんでいる。⇒W。

国債の日銀引き受けにつて https://www5.cao.go.jp/keizai2/keizai-syakai/k-s-kouzou/shiryou/wg1-1kai/pdf/4.pdf

要点引用

議論の出発点として:通貨発行益

政府債務での国債と貨幣の違い
国債は利子を払い,償還しなければいけない(安定的な財源ではな
い)
貨幣は利子を払わず,償還する必要はない
このため,貨幣発行は財源として使える利益と認識される。

***

「利益」の認識の仕方は以下の2つがある。
1. 貨幣が増加したときに利益を計上
– 逆に,減少したときには損失を計上
>この点は,現状の量的緩和では重要
2. 短期金利×貨幣
– つまり,政府債務が国債ではなく,貨幣であることの利子節約分。
国債金利でないことに注意。

「家に帰るまでが遠足」⇒W。0金利解除は日銀の赤字国債大量買入れとほぼ無関係なので家に帰れない~遠足?帰る家の無い彷徨の旅路か!日本バブル崩壊後の日本政府の基本経済政策を順を追ってみると、ついにここまで来たか<投資立国>。~民間から金融寡頭層への所得移転に結果する。上層支配層の食い逃げ。

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長期的には,通貨が名目経済成長に沿って増えることで,通貨発行益が継続的に得られる。
1995年以降(政策金利が0.5%以下となっている時期),マネタリーベースと名目所得との関係が崩れている⇒W.(ココに注目)供給されたはずのマネーはどこに消えた?。海外に上層に、駐留分解=相対的貧困化、ということ。
早期にデフレ脱却できれば

>早晩ゼロ金利が解除(W.日銀の赤字国債多量買い入れ続行!止められない!)され,金利も上昇する。このとき,マネタリーベースは現在よりも相当に縮小することが予想される
• このため,ゼロ金利解除時に,引き受け時の国債保有高を維持できない

長期債を日銀が引き受けた場合,通貨発行益があるかのように見えるが,金利が上昇すると国債価値が下がり,日銀に含み損が生じて,帳消しになる。⇒W。日本銀行金利政策を選択できない。0金利解除は量的金融緩和続行=赤字国債の日銀直接引き受け、保有率52%なので話題程度の影響しか及ぼさない。0金利解除しても円安進行は外部の厳しい目の証。

      通常の財政・金融政策のレジー
中央銀行物価安定の目的を与え,金融政策を委ねる
通貨発行益金融政策の結果として決まる。
• 財政当局は,通貨発行益を所与として,政府債務の安定化を図る

      ジームが崩れるとき
• 政府債務の安定化を図るため,通貨発行益を得ようとする。
通貨発行が財政の都合で決められると,中央銀行は自律的に金融政策を決定できなくなる。
• 政府が安易に通貨発行益に財源を求めると,通貨発行高が際限なく膨張してしまう。財政法第5条は,こうした事態に進むことを避けるための安全装置。

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日本銀行が国債の引受けを行わないのはなぜですか? : 日本銀行 Bank of Japan

日本銀行における国債の引受けは、財政法第5条により、原則として禁止されています(これを「国債の市中消化の原則」と言います)。これは、中央銀行がいったん国債の引受けによって政府への資金供与を始めると、その国の政府の財政節度を失わせ、ひいては中央銀行通貨の増発に歯止めが掛からなくなり悪性のインフレーションを引き起こすおそれがあるからです。そうなると、その国の通貨や経済運営そのものに対する国内外からの信頼も失われてしまいます。これは長い歴史から得られた貴重な経験であり、わが国だけでなく先進各国で中央銀行による国債引受けが制度的に禁止されているのもこのためです。」

         (過去の経験1)
「高橋財政」での日銀引き受け(満州事変の戦費調達)は,高橋蔵相は一時的なものとして早期に終わらせるつもりであった。
• しかし,高橋蔵相の当初の意図(後の警鐘)に反して,戦費調達のための日銀引き受けは続く

>実際は戦地で貨幣発行されるスキームのため,戦地でのハイパーインフレを招いた。日本へのインフレ波及は終戦後になった(W。12年戦争の間、物価は上昇し続けていた。高橋金融財政膨張政策による好景気~~金融財政膨張政策と中国戦線拡大に人手は取られ労働力商品不足で高賃金、好景気の時期があったのは歴史的事実だが、1930年代半ばまで。戦線が拡大すると物資不足、労働力不足、物価上昇=慢性的不景気が到来し、36年の2,26事態のころは不景気、物価上昇、天候不順による凶作で社会経済矛盾が一気に増大し右左の天皇主義政治勢力が台頭しイデオロギーに目がくらんだ世界戦争の火ぶたを切った。~~1930年代の小説などにリアルに当時の巷の好景気の様子が活写されている~歴史家や学者の解説も当てにならないこともある。)。
         (過去の経験2)
1975年,赤字国債を発行するとき,大平蔵相は「10年で耳をそろえて返す」と発言。
その後に何が起こったのかは言うまでもない。

⇒W.確かに、日本バブルまでの道のりは、こういう説明もあって、複眼的にわかる

当時の大蔵省は財政拡大政策をとった。経済界は濡れた雑巾を絞る合理化、生産工程への制御装置の導入を世界に先駆けて取り組んだ。結果、日本経済の地位は停滞する欧米をしり目に急上昇。プラザ合意⇒そしてバブル崩壊。その反動が表向きの緊縮財政の今の財務省にはある。今から想えば、経済界と足並みをそろえて赤字財政を慎むべきだったが、戦前の統制経済の精神を引き継ぐ、自民党政権に先見の明が無かった。

国内の過剰資本、過剰生産を赤字公共投資でカバーしてきた。大蔵省のタガはこのときから緩み、ジャパンアズナンバーワン⇒プラザ合意受諾⇒金利国内需要活性化の裏では70年代からの一貫した赤字財政の出動が底流にあった。田中角栄日本列島改造オイルショックもその前哨戦であったが、日本の識者はこの時代を総括しきれていない。外圧のせいにしている。

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「(適度な)インフレで名目税収増,名目歳出一定財政収支改善」のようにはいかない。

インフレ下で名目歳出一定は実質歳出削減

デフレではなかった。賃金は横ばい状態だったが、物価は緩やかに上昇していた。

>この項は消費税の税収の動向を指しているのか?。解り辛い!

実質税収・歳出にインフレがあまり反応しなければ,実質財政収支には影響は出ないと考えられる。⇒W.長期経済停滞の時期。日本経済停滞期、経済成長する世界経済との関係で有効需要があった。

   インフレが生じたときの政府債務の実質価値への影響
実質金利一定で,債務がすべて短期債であれば,債務の実質価値に影響はない
実質金利が一時的に変動すれば,それにより財政収支が変動して債務残高に影響する。⇒W当たり前。投資立国=小型「バブル」になれば、反動は避けられない。
長期債があれば,それにかかる事後的な実質金利が一時的に低下することで,実質債務は軽減される(意図せざる(W?)インフレによる債権者から債務者(W.政府!金融寡頭層。への所得移転)。⇒W。政権が視野に入れ開き直っているのはコレ。インフレ税!貯金の購買力が目減りする。浮足立って投資の構図。」

                       引用終わり

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 W。日経平均株価上昇の背景には中国の不動産バブル崩壊による当地の株式市場の低迷も影響している。米国の株式市場も活況を呈している。

 要するに世界の過剰なマネー(流動性の高いマネーはタックスヘイブンに)が投機の隙を伺って一斉に反応するが実体経済の動向との乖離は大きい。

@日本政府の投資立国政策はざっくりといえば、

経済面では民間<企業も含む>の停滞する膨大な貯蓄を金融寡頭層(世界の)に移転し、

政治軍事面では金融寡頭制の上部構造の支配、コントロール(米国流民主政導入、持続可能な成長など耳触りの良い政策流布~若者中年層向け~)を強靭化する画策である。

www.bloomberg.co.j

2023年に苦戦した中国株は今年も下げ止まる兆しが見えず下落幅を広げている。上海総合指数(W.日経平均株価~~優良銘柄225社~~~よりも正直)は16年以降で最悪の年初の滑り出しとなった。」⇒上層庶民の将来設計モデルケース(持ち家、車。そのための学歴取得の教育)が立ち行かなくなった。高成長経済のけん引力が見当たらない。持続的経済成長のためには国家の経済過程への介入による分配が必要になる。それが不可能な場合は内外矛盾は拡大する。「民主化」すればロシアのような混乱を経て現ロシアのような国になる。

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 「日銀の国債保有割合が高まったきっかけはアベノミクスだ。

2012年末は保有割合が約11%だったが、13年春に黒田東彦(はるひこ)総裁の下で大規模な金融緩和を打ち出して以降、この10年で一気に割合が高まった。⇒W。当時のリフレ派の政策を実行した。

 この間、日本の国債残高も右肩上がりで膨らみ続け、2021年度末は約1千兆円。地方自治体も合わせた長期債務残高は国内総生産GDP)比250%超で世界最悪水準にある。」⇒W20世紀以降の金融資本主義の経済史上、今の日本政府の政策パッケージはインフレと戦争の道(戦争は相手の出方にもよるのでとりあえず強権支配と言い換えても良い)だった。そもそも、1930年代は迫害されたものを除けば暗黒の時代と一括りにすることはできない。

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W.金融財政膨張政策の焦点が軍事費大増強になってしまうのは歴史に学ぶ、よりも先に理の当然であった。政府の経済統制が長期に渡って効く日本経済における国家政策の役割は増大し、それが金融寡頭制支配強化に集約される。

アベノミクスから10年、膨らむリスク 日銀の国債保有が5割目前に:朝日新聞デジタル

                          時間不足で中断

 

日経平均株価。一番大事なポイントは現状の円の実質実効為替レート。1ドル⇔290円程度って本当か?大谷恭平選手10年契約額1000億円は実効為替レートではいくらになる?

ライブ配信 18時頃~】岩上安身による エコノミスト 田代秀敏氏インタビュー

【ライブ配信 18時頃~】岩上安身による エコノミスト 田代秀敏氏インタビュー - YouTube

 反俗日記。上記の動画で提示されたグラフを転写。インタビュー中で語られていることの大筋は既知のものだった。インタビューは話題が横道の逸れたりして冗漫な時間が多すぎたが、提出されたグラフなどは再確認しておく必要があったので転写した。  >一番大事なポイントは現状の円の実質実効為替レート

 円の主要経済大国、現地の購買力、その国の通貨の日本での購買力の格差である。

実質実効為替レートが現状、1ドル⇔290円程度になっている(インタビューの末尾で披露されている)BS国際決済銀行の図表は2010年を100として指数で表記しているのでリアルなドル⇔円の実行為替レートは表していない。。

 この円の実効力から日本現地では、イロイロ、勘違い、錯覚、不可解な事態が発生している。報道するマスコミは報道するときに注釈がいるので単純に為替市場の相場で報じていることも多い。そして実態を真正面から見ない誤解や勘違い、が生まれる。

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 1 アメリカ合衆国ドル は151.45 円3月20日 7:06。

ドルと円の為替市場の相場だが、コレと実質実効為替レートは大きく乖離している。ここ数十年、経済が長期停滞してきた日本(一般的なデフレとは違う、と思う。この動画の最後の方に日本の一貫して低い潜在成長率~日本経済の成長のファンダメンタルズと翻訳できる~~という用語を使用して財政膨張政策~~赤字国債大発行のアベノミクスは苦肉の策だったが、財政膨張は出来なかった。~~が必然的に高インフレを呼ぶことを証明している)よりも好調でインフレ基調が続いてきた米国、中国との通貨の購買力の格差が生まれている。

  一般的な解説は次の通りだ。よく解らない解説であるが。

円の対米ドル・レートだけを見ていても、円が本当に円安か円高かは分からない(Wこの箇所だけがなんとなくわかるが以下の解説は難しい)。

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 引用 

「すなわち、ドルに対して円とは別にレートが変動している欧州のユーロや韓国ウォン、中国元などとの貿易取引も多くなっているからである。

 ①そこで様々な国との為替レートを貿易取引のウエイトで総合した為替の指数が作られている。これを実効為替レートと呼ぶ。

 さらに、②相手国とのインフレ度の違いが、名目の為替レートでは測れない通貨の実力の違いを生む。

>W。以下は購買力平価のことをいっている。ただし米国はインフレ率も大きいが経済成長率も日本よりもはるかに大きかったことを指摘していない(長期間のトータルとしてみた場合、という意味)

 米国以外の経済成長国についても下の理屈は成立する。

例えば中国。軍事的脅威の喧伝と強くなった元による爆買いも身近な感覚的脅威と映ってしまう。

   ↓W.以下の説明は物価上昇率だけを取り上げているので基本的に間違い!

例えば、同じく1ドル=100円で不変であったとしても、日本ではインフレが進んでおらず米国ではインフレによってドルの価値が半分になったとしたら日本円で半分の米国商品しか買えないのだから円の通貨価値はドルに対して実質半分になったと考えるべきであろう。」

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 BIS(国際決済銀行)の提示する数値が信頼できるが、最も卑近な例がある。

大谷恭平選手のドジャースとの10年契約の総額1000億円と日本マスコミはことあるごとに喧伝していたが、反俗日記は実質実効為替レートに換算すると1000億円×0,7程度=上限700億円/10y。年棒60億円程度と指摘してきた。もちろん大谷選手がドル建ての年棒を円に交換すればマスコミの報じる通りの金額になる(物価上昇分を除く)。

超一流の日本プロ野球選手でなくともMLB入りに賭ける選手が出てきてもおかしくないドル>円の実行力の格差が生まれている。

そういう選手が今年も複数出現している。日ハムのローテーション投手はマイナー契約を選択し渡米している。阪神タイガース藤浪晋太郎投手は昨年、アスレチックスと単年度5億円で契約し、今年はメッツと約5億円で契約した。合計10億円。脚光を浴びていた時期から突然長期大不調に陥ち1軍と2軍を行ったり来たりの藤浪投手はNPBでは到底稼げない金額を結果いかんにかかわらず手に入れた。

>大谷恭平選手の超高額契約も含めて、こういう現象が発生しているのは単にMLBチームの資金力がNPBと段違いにあると、いうことだけではなく、ドル>円の実行力の格差が1ドル290円にも広がっていることにもよる。日本買い、ともいうべき状況が生まれている、といっても過言ではない。

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投資立国などという現政権のスローガンの中身は知らないが、あからさまに言えば、日本に外国資金を呼び込み(株などの架空資本市場の活性化、不動産、企業の誘致と資本参加、観光、ギャンブル国内経済活性化+日本企業の海外投資の促進(国際収支における資本収支の向上)~この経済の大筋の流れの恩恵に預かれないその他は、野となれ山となれ。⇒W。能登半島地震への政府の対策を冷静に見ると本意が透けて見える。過疎地放置、棄民政策なのか?。地方も含めて都市部ヒトモノカネを集中しその他の地域は外国資本を含めたグローバル資本の草刈り場にする。日本のシンガポール化~あべ元首相の著書「美しい国日本」には少子高齢化スルー、シンガポールに忠告すべきというフレーズがあった。

  引用 図録▽実効為替レートの推移(日本・米国・ユーロ圏・中国)

「2000年に日経平均株価の30銘柄の入れ替えがあった。日経平均株価はダウ平均株価を真似た日米だけの指標。リアルに株を売ったり買ったりするものは日経平均株価を素直に評価していない。株投資の大原則、安値で買って高値で売る。下がった時に儲かるような手筈と整えておく。そもそも小金しか動かせないものは株で儲けることができない、というのが大原則。やろうとすれば泥棒に追い銭状態を覚悟。

出典。図録▽実効為替レートの推移(日本・米国・ユーロ圏・中国)

W.円高バブル時代の株の高値と実効為替レート1ドル⇔290円の今とは同じ日経平均株価4万円でも中身が全く違う。もちろん2000年の255日経平均構成銘柄の内、株価低調の30社の「退場」と京セラなどの入れ替えがあって、日経平均株価4万円である。

>最終的な問題は、株価高騰による利益確定をした大きな架空余剰資金が資本の生産過程に投下された場合、生きた労働への支配力に転化することだ。格差拡大、消費減退から生産設備への投資が手控えられる日本の経済状況では、必然的にとりあえず追加資本投下ー生産ー消費の循環の破綻を免れる軍需産業への資本投下(米国兵器依存進化の特殊性ゆえに雇用促進は微々たるもの)や不動産価格高騰(ジェントリーフィケイション、家賃高騰⇒生活苦⇒下からの戦争願望、排外主義)になる。軍需が栄えると民需が蔑ろにされ、近隣に準戦時常態の演出が必要になる。ロシアのウクライナ侵攻もロシア国内の市場の歪さに遠い要因がある。もとよりウクライナEU帝国主義の一員となって発展する道を暴力的に選択していた。

 W。時間不足のために、引く続き画像作成をしていく。

W。前回の記事のあと、チリの過去現在の問題に引っかかって、自分の現在の立ち位置を改めて問い直す結果となり記事が書けなくなった。各々の国には各々の歴史があり現在がある。一つの制度、価値観で世界と国、地域は判断できない。

ヘルベルト、マルクーゼ「ユートピアの終焉」~過剰、抑圧、暴力~。マルクーゼの日本版ウィキにあまりの短さに唖然。英語版は写真4枚、長文解説。当時も今も社会状況の違いの大ききさは今様、葛藤の米国民主政中身乏しき様々な意匠の一種としての受容で確認。トランプをどう受容するのかみもの。

W。本を読むのは良い。ネット情報は結局のところ、その情報に対し自分に今まで備わってきた価値観によって、即座に、情緒的に●×の判断を下しているだけで、その時点に立ち止まり自ら進んで現実と照らし合わせたり、想像を膨らませ、アレコレ自分独自の想いを巡らせる機会は極めて少なくなる。その判断材料の情報を得た時点から、ネット上の関連情報がクッキーで寄ってくる仕組みもあり、ソレに飛び付けば、ベルトコンベアーのように次々に関連情報に接することができる。また同分野のもっと込み入った情報をやや時間をかけて探し、取捨選択もできる。

 この場合は前記の同種情報伝導ベルトに頼るよりも情報を得る時点での地力度が高いが

いずれにしても本を読みながら考えることよりも他力本願度が高い。自分の持ってきた価値観による●×判断の世界から認識範囲を広げることにはならない。

もっとも読書の対象にもよるが。

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 マルクーゼは1960年代後半から70年代前半にかけて、先行西側諸国の青年学生叛乱が盛り上がっていた時代にその運動内部や周辺の者にとってその名は知れ渡っていた。そして運動の退潮と共に取り上げられることのない思想家になったが、今現在の日本と欧米ではマルクーゼの思想の影響力に大きな違いがある(ようだ、としか言えないが)。

 自分の知る限り当時の日本では著作を読んだというヒトにお目にかかったことがなかったが、大衆運動の退潮期に思想誌にマルクーゼの紹介記事が頻繁に載っていたと記憶する。このタイムラグが日本の運動と思想状況の特徴である。

 フランクフルト学派研究者の清水多吉さんの名もよく見かけたが、当時その世界ではかなり名を知られいた人のウィキペディアはネット上で今やその気配さえなく現在の消息も不明。ユートピアの終焉」の前説の最後に記された 2016年、3月上旬 冷雨降る洗足池の茅屋にて~~W日本の3月上旬は寒い雨の多い季節なのだ、とあらためて思う~~と記されている。1933年生まれ(昭和8年かな?)だから90歳になられるはずなのだがネットで調べようのない程、今現在の情報がない。日本におけるマルクーゼの忘却振りも特徴的だが代表的な研究者に至っては~~しかし「ユートピアの終焉」の長い前説は久々にナルホドとおもうものがあった。

 逆にマルクーゼじゃ欧米の大衆運動では「教祖」的存在だったようだ(ようだ、としか書けないほどマルクーゼやフランクフルト学派は日本の大衆運動には影響力を与えなかった。)

   ↓          ↓

   日本版ウィキ  

経歴紹介は日本語12行。すぐ主な著作を年代順羅列し簡単解説。マルクーゼ思想の重要性はなんとなく分っていたつもりのWはこれを見たとき呆気にとられた。

>同じ世界の若者の叛乱に立ち会いながらも当時の日本の社会経済と欧米は違っていた(大衆運動の基盤、形態は社会状況と経済状況、歴史状況に限定される)。さらに言えば、思想政治の在り方にも影響される。

英語版の極々一部の転用であるにしても紹介記事はお粗末すぎる。

ja.wikipedia.org

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    英語版ウィキ Wの予想通り、長文、写真4枚。

本文⇒Early years。Institute for Social Research(W。フランクフルト学派の発祥、大学の社会研究所時代)⇒Emigration to the United States(アメリカ移民)。⇒第二次世界大戦期の活動⇒戦後の経歴⇒

Herbert Marcuse giving a lecture in Berlin, 1967.(W.この時の討論集会の内容が「ユートピアの終焉

Marriages⇒Children⇒Death

Marcuse's early "Heideggerian Marxism"(Wハイデガリアンマルクシズム~こういうとらえ方は知らなかった。)

      自動翻訳アプリ使用

フライブルク滞在中にマルクーゼは、マルクス主義ハイデガーの著作『存在と時間』(W.哲学嫌いのためだけではなく難しすぎて投げだした過去がある)(1927) で始まったハイデッガーの基本的な存在論を統合する可能性を探る一連のエッセイを書きました(W。フランクフルト学派マルクス主義存在論に突き刺さる問題意識を共有している。ロシアマルクス主義レーニン「経験論批判」⇒フランクフルト学派の理論は日本にも輸入され一世を風靡したが瞬く間にコミンテルンの批判にあって異端とされた。しかし、レーニン存在論ボルシェビキ党の指導と責任の分散の活動に集約される。徹底的な政治主導の党への自己犠牲的活動。人民の意思党の伝統もあった。近代的自我を個々人が持つ欧米でそれが成り立っていくのかどうか。ローザルクセンブルグボリシェビキ批判と社民党支持の軍隊による虐殺~マルクーゼはルクセンブルグとリープクネヒトを支持する社民党員であり兵士評議会に属して戦った。) ハイデッガーに対するこの初期の関心は、マルクーゼの「具体的な哲学」の要求に続いたものであり、マルクーゼは1928年に「同時代の人間存在の真実に関わるものである」と宣言した[23]。これらの言葉は、主流の新カント主義に向けられたものであり、 個人の主観がほとんど役割を果たさなかった修正主義者と正統的マルクス主義の代替案の両方に反対した[24]~正統派はマルクーゼを青年ヘーゲル派に模す。 ハイデガーがナチズムを支持した後、マルクーゼはすぐにハイデガーから距離を置いたが、ユルゲン・ハーバーマスなどの思想家は、マルクーゼの後期の思想を理解するには初期のハイデガー的影響を評価する必要があると示唆している。」

Marcuse and capitalism

W。欧米のマルクーゼ受容の基本テーゼ。

W.以下ウィキペデアの解説の引用。平板な文脈が続く。マルクーゼが欧米で受容された要因はその開放的批判の文脈も手伝っている。

『一次元の男』の冒頭でマルクーゼは、

「人々は自分たちの商品の中に自分自身を認識する。彼らは自動車、ハイファイセット、二階建ての家、厨房機器の中に自分の魂を見出す」と書いている[27]。これは資本主義の下ではそれを意味する( 消費社会では、人間は購入する商品の延長となり、したがって商品は人々の心と体の延長となります。

裕福な大衆技術社会は管理され、操作されている、と彼は主張する。 大量生産と大量流通に基づいた社会では、個々の労働者は単に商品と商品化された生活様式全体の消費者になっています。 現代の資本主義は、商品の消費に向けた誤ったニーズと誤った意識を生み出しました。それは、人々が商品の中で自分自身を認識する必要性を生み出した一次元の社会に一次元の人間を閉じ込めています。[28]

個人を社会に結び付けるメカニズム自体が変化し、社会の制御はそれが生み出す新たなニーズに根付いています。 最も重要なことは、消費主義の圧力が労働者階級の資本主義システムへの完全な統合をもたらしたことです。 その政党と労働組合は徹底的に官僚化されており、否定的な思考や批判的考察の力は急速に衰退している[29]。 労働者階級はもはや、革命的な変化をもたらすことができる潜在的な破壊勢力ではありません。

マルクーゼは、現代のテクノロジーは自然に抑圧的であると主張する理論を長年にわたって展開しました。 彼は、資本主義社会でも共産主義社会でも、テクノロジーの進歩が抑圧されるカニズムにより、労働者は自分たちの生き方に疑問を持たないと信じていた。 テクノロジーの使用により、人々は自分たちの周囲で何が起こっているのか、たとえば、これらのテクノロジー同じ仕事をより迅速かつ安価に実行できるため、すぐに仕事を失う可能性があるという事実に気づかなくなるようになりました。 彼は、現代の労働者はカール・マルクス時代(19世紀)ほど反抗的ではないと主張した。 彼らは、自分たちのニーズを満たし、生き残るために、自分たちが置かれているシステムに自由に従っただけです。 彼らが従順だったため、マルクーゼが必要だと感じた人民革命は決して起こらなかった。

その結果、マルクーゼは労働者を革命の前衛として期待するのではなく急進的な知識人と、まだ一次元の社会に統合されていないグループ、つまり社会的に疎外されている人々、追放者やアウトサイダーの基層、 他の民族や肌の色、失業者や失業者から搾取され、迫害されています。 これらの人々は、その生活水準が耐え難い状況や制度の終焉を要求しており、一次元的な社会に対する抵抗が体制によってそらされることを望まない人々でした。 たとえ彼らの意識がそうでなかったとしても、彼らの反対は革命的であった。

The New Left and radical politics 新左翼と急進政治

W。第1次大戦中ドイツ社民党に入党。1918年のドイツ革命のとき、兵士評議会の一員として闘争に直接参加。SPDと弱小諸政党の連立政権のワイマール共和国時代のナチスの台頭を目の当たりにしたヒトの民主政治下の民主主義の<行動する>政治の総括である。

    丸山真男 引用。

じゆうは置物のようにそこにあるのではなく、現実の行使によってのみ守られる

いいかえれば日々自由になろうとすることによって、はじめて自由になる。

民主主義というものは人民が本来制度の自己目的化物神化を不断に警戒しW。注 制度の現実の働き方を絶えず監視し批判する姿勢によってはじめて生きたものとなりうる。それは民主主義という名の制度全体について何よりも当てはまる

つまり自由と同じように民主主義も、不断の民主化によって辛うじて民主主義であり得るよう性格を本質的に持っている民主主義的思考とは、定義や結論よりもプロセス重視することだといわれて事の、最も内奥の意味がそこにある。」

                               引用終わり

   ウィキ、マルクーゼ引用 

①マルクーゼの1965年のエッセイ抑圧的寛容」は、資本主義民主主義には全体主義的側面があり得る主張し、保守派から批判された。

②マルクーゼは、真の寛容は「抑圧」への支持を許さないと主張する、なぜならそうすることで疎外された声が聞かれないままになるからである。彼は抑圧的な言論に対する寛容を「本物ではない」と特徴付けている。代わりに、彼は抑圧的な(つまり右翼)政治運動に対して不寛容な寛容の形を提唱しています。 

 以下マルクーゼの引用文 

W.バイデンVSトランプ。赤字の強調の部分トランプが復活すれば、と読み取ることもできる

②したがって、寛容を解放するということは、右派からの動きに対する不寛容と左派からの動きの容認を意味することになる。確かに、どの政府も自らの転覆を促進することは期待できませんが、民主主義ではそのような権利は国民(つまり国民の大多数)に与えられています。これは、破壊的多数派が発展する可能性のある道は遮断されるべきではなく、組織的な弾圧と教化によって遮断された場合、その再開には明らかに非民主的な手段が必要になる可能性があることを意味しますそれには、攻撃的な政策、軍備、排外主義、人種や宗教を理由とした差別を推進する団体や運動、あるいは公共サービス、社会保障、医療などの拡充に反対する団体や運動からの言論や集会の容認を撤回することが含まれる

        ↓                     ↓

歴史が常に否定に力で動くものであり、その否定の力によってもたらされた高次の次元といえども、決して肯定されるものではない

***************************************

W。注

W。民主主義制度の自己目的化=物神化の例読めば読むほど吐き気を催すような理屈であり偽善である。

spaceshipearth.jp

グローバル資本の搾取機構への新たな人材動員の魂胆が根底にある(イノベーションとの位置づけ)。

>そこに大学しか政治根拠地を見だせない米国政治社会では永遠の少数派に甘んじる米国的急進<リベラル派>の丸山の云う民主主義の不断の闘争が重なって

産業構造の超サービス化によって捨てられた労働階層、富裕層、レイシストなどを排外で取り込んだトランプ支持ブロックとの疑似階層対立を引き起こしている。

  • なぜポリコレが求められるようになった?
  • ポリコレに関する問題も
    •  言葉狩り
    • 表現の自由
    • やりすぎ・つまらなくなると感じる人も
    • davitrice.hatenadiary.jp

    • W。ネット情報化社会の影響は全く考慮されていない論考である。もちろん反俗日記の前期の指摘も考慮されず、米国の新左翼とかいう政治潮流とマルクーゼの抑圧的寛容の文脈の影響力が若者世代の不寛容の理由とされている。コレは現下の政治対立を情緒的に見る見解である。さらに嘆かわしいことに日本政治はポリコレ風潮を米国現地の生々しい対立など起こりようが無いので鵜呑みにした結果、もともと火種の小さなところに煙を立てている。今様、米国ポリコレ的民主政とは大きく距離を置くべきだ。SDGSなどと云うのも日本に渡来すると怪しげなものになるのだが社会風潮のごとく受け入れている。
    •  
    •  なにがNSN(ソーシャル、ネットワークサービス)なのか!負の側面も大きい。ほとんど人工的仮想現実の開陳に過ぎない。短い文面、写真などの情報を不特定多数に提供するように仕組まれた企業ツールは基本的にやればやるほど人的物的時間的資源不足が前提にあるので生身の人間から離れた個々人の世界の開陳に偏重するしかない(情報提供するものと視聴者、個々人の物象化である)所詮私小説的世界に収れんする。底が浅いから飽きてくる。***************************************************************************************************    
    •   清水多吉、前説で注目すべき論考
    • マルクーゼはかつて「理性と革命」(1941年)において
    • ヘーゲル弁証法あるいは歴史観に対する後継者たちの解釈に、大いに異議を申し立てたものである。後継者の多くは、ヘーゲル弁証法あるいは歴史法則を次のように理解した。
    •  つまりある現状(テーゼ)を否定する運動(アンチテーゼ)が、結局、ある高次の状況(ジンテーゼ)をもたらすものと単純に理解したのである。
    • コレに対してフランクフルト学派の面々は、歴史が常に否定に力で動くものであり、その否定の力によってもたらされた高次の次元といえども、決して肯定されるものではない、と理解した。この学派のこのような思考性はナチズム体制のみならず、スターリン体制下の社会主義体制に対しても鋭い批判を投げかけることになる。
    • ****
    •  エーリッヒ、フロム「自由からの逃走」(1941年)~マルクスフロイトの結合の試み~
    • この著作の中で、現代人が疎外感や無力感から逃れるためマゾヒズム的」に権威や画一性にひたすら同調し、この社会の弱者や同調不能に対してはサディズム的」に対応すると分析した。おそらくこの著作は、現代人の性格分析としてなおも古典的名著たる資格を失わないだろう。
    • ⇒W.米国のトランプブロックにこの傾向が顕著にみられる。そして日本社会の場合、戦前(明治維新以降か?)から引き継ぐ社会の病理傾向にまでなっている。
    • ****
    •    マルクーゼ W.体験的な真理である。高木のメタセコイア切り込み作業とその後の騒動を経験して真理を突いている、と解った。手間のかかる作業だったがやっている途中はそう快感があった。普段やらない大きな動きは心にもそう快感を与える。木の伐採は古来日本人がやってきた破壊と再生行為なのでそう快感が出てきたのかもしれない。そして手続き不足、批判、不快感を周囲に与えたの承知していたが、やるしかなかった。その機会に恵まれた、今やるしかない、と自覚していた。
    • 遊ぶとは、
    • 単に理論としてばかりでなく、人間の在り方としても新しい人間学の理念であり、自由を求めてのヴァイタリティーにあふれた要求の成立であり、展開である。
    • いかなる自由を求めてか?
    • それはもはや疎外された労働という必然性と辛気臭さに基礎づけられたり、制約されたりすることのない自由である。」
    • ⇒W。マルクーゼの使う文脈は上記のように読者の体験を理論的に昇華させ、自信を植え付ける作用が働いている。この点に批判者は目をつむっている。
    • ************************************************付録
    •  
    • news.yahoo.co.jp

    • 西側諸国の民主主義は、機能不全どころか、消滅しつつあります。
    • ヨーロッパの共同体(EU)に関しては、もはや完全に寡頭制(W.EU帝国主義そのもの、という歴史認識必要。広域経済圏と準統治権が重なれば拡張を本質とする帝国になる必然)
    • ウクライナ戦争も同様です。ヨーロッパは民主主義の価値のために戦っているふりをしているだけで、これは完全な妄想
    • 西洋以外の人々はそれを見抜いています。彼らは、私たちをありのままを見ているのです。西洋は、何か違うものに変わりつつあり、もはや十分な生産ができなくなっています。⇒W。世界の歴史によるタイプに違う金融寡頭制の高度技術、資源を巡る争闘戦が三度、ヨーロッパで勃発!
    • また先ほど言ったように、グローバル化とは、第二の植民地時代、つまり「グローバルな植民地時代」であることが判明⇒W.だったら、ウクライナ戦争はウクライナというグローバル時代特有(戦後世界体制の崩壊=冷戦の終結以降の政治軍事経済的所属未定地域が東ヨーロッパとロシアとの端境に出現)の植民地を巡る再分割戦。
    •  
    • 私たちのシステムは、もはやダイナミックな民主主義ではなく、消えゆく民主主義なのです⇒W.バイデンVSトランプの前哨戦があり結末の政治力学はさらなる戦争と階級格差を世界中にばらまく。
    • そして、戦争によって、この状態に誰もが適応する必要が出てきました
    • 戦争とは結局のところ、私たちにとって、現実を確かめる究極の試金石
    • しかし、「以前のような民主主義に戻れるかもしれない」「戻せるかもしれない」という考えは、妄想です。  つまり、私たちは、新しいことに備えなければなりません。戦争とは関係なく、私たちはもっと悪い事態に備える必要があるでしょう。⇒Wウクライナ戦争、イスラエルパレスチナ戦争による階層格差を覆い隠す国民統合。その一方の後発国の経済発展は資本投下の渇望。こういう状態は世界的過剰資本にとって、ぼろ儲けのちょうどいい塩梅。

3月9日(土)。メタセコイア、切り込み枝廃棄処分完成。3月10日(月)集合住宅住民からの投書で①「許可を得て切っているのか」②「ビッグモーターと同じだ」③「緑の美しい美観を損ねる」など批判。

 早朝、自治会長より、いきなり投書を見せられ、自分の意見を前面開陳し即座に自分が対処するというと、「自分が出ていく」と自治会長が前面に出てくれることになり二人で対処した。自治会長は現場と事務、数字に強く仕事ができるヒト。交渉も冷静にできる。けっか、事を当面上手くまとめてしまった(名乗らない投書のヒトはスルーしているが)。

 しかし、例えて言えば。

冬眠中の北極の白熊さんにバリカンを当てて体毛を切ってしまった結果、春の眼ざめにもかかわらず、寒すぎて冬眠中の穴倉から出てこれず、そのまま、引きこもり栄養失調で~~~、徹底的に枝を刈り込んだ結果、そうなってしまう可能性もある。

残酷を承知で作業途中から、徹底的にやることに腹を決めた。批判も作業中にある程度、感知していた。しかし、今はやる時期だと。だから投書を見せられ時、周囲の批判の眼は承知に上だったのでびっくりしなかった。

 ①許可なしに切っていた。

ただし昔も許可なしに切らざる得なかった過去があり叱られた。切り込み中に当人はやってきて当時の話を聞いたとき、俄然徹底的にやろうと思った。

当初からWは他人を巻き込みたくなかったし、一人作業は慣れている。

>ただし手続きを踏まなかったのは間違いだった。自治会長にはやらせてほしい、と自分から頼み、途中でそれぐらいで止めておいて、と言われたが再度、最後までやらせてほしい、と頼んだ。

結局、当初の下枝だけ刈り込んで済ますやり方では、上昇志向の激烈な樹々の重心が上に移り、強風で切り込まれていない上の枝が揺らいでるのを見て、上まで刈り込まないと歩道を通るヒトに危ないと実感した。個人の裁量でやってきたしごと習慣が抜けきれずすべて自己判断だった。もちろん責任は取るつもりだった。この集合住宅に転居しての万感の想い、込めて作業に臨んだ。住宅のシンボルツリー紛いになっている樹の枝を切ることによる業を引き受ける覚悟もあった。最後に樹のてっぺんの大人のふくらはぎぐらいの幹に鋸を引くときは唯物論者らしくなく思わず合掌したよ。

 

 高木メタセコイア並木と大きな道路、と歩道沿い、深い溝、北のビル風の立地環境は最悪で清掃する住民は長年苦労してきた。集合住宅の住民の転居も日程に上っており、③の役割も果たし終えた。もういいだろうと。

 ②はテレビニュースの一知半解である。

ビッグモーターの伐採したのは公道の並木。当方は庭木として植えられた高木落葉樹、メタセコイア

マスコミ報道の風評被害者を見る想いがした。悪を叩くにに何でもかんでも一緒くたにして情緒的反応を引き起こすように仕組んでいる。

余計な話かもしれないがTVマスコミのニュース報道は、ビッグモーターの商法上の違反と一緒に公道の落ち葉処理を当事者に任せている問題を一括りで法的違反問題として取り上げ悪をことさら印象付ける、勇み足を仕出かしている。

もちろん許可をとらなければならないが(自分なら公道の枝は無許可で掃らわない。メタセコイアの向かい側の樹々も成長の早い樹々だが手出しできないのは解りきったこと~~ふざけたことに道路清掃車が低く垂れ下がった枝をよけて通るので自分たちが清掃している)、昔の風習で植えた成長の速い街路樹のメンテナンスの負担は路面前の所有地に任せられてきた。当方から周囲に飛散した落ち葉はナント、当方が雇っているシルバー人材のおじさんが出向いて清掃している有様。

 当方の住宅前のかなり大きな製造工場は街路樹を自治体に伐採させた。

当たり前の措置であった。ビル風の強風で製造現場に落ち葉や落葉が舞い込んできては製造過程に悪影響を及しその除去に人員を配置できない。あの街路樹の引き抜き作業を当時、なんとなく眺めていた自分は緑が取り払われれいることに軽い怒りを覚えた。

同じことが当方の作業を見つめる住民の眼にあったことも承知していた。全般的な緑保全の感性は社会感覚(時代感覚)として養われてきたが、それと個別状況の違いの区別が問われてこなかった。

 昭和、平成、令和と時代と社会状況、人口構成により都市の美観に対する感覚も違ってきて当然である。

③は昔の野放図な都市計画の付が回ってきている。

成長速い落葉高木メタセコイアは集合住宅の庭木に今は絶対に選択しない。

昔はそれでもOKだったがメンテナンスする人たちが余りに高齢化しすぎている。今は庭木に適切な樹は様変わりし限定されている。

>大都市の緑環境の維持にはコスト(実際問題としてのヒト<モノ~~道具大事~~カネ)がかかる。

それを踏まえての緑環境の維持の問題である。

樹は本来、山林や山里、神社、寺、家々の屋敷の生い茂っていた。昔の都市の並木道もその維持がそれなりに大変だ、という基本認識は環境保全を云うときに、勘案した方が良い。大きな公園を適度に作って、緑を一か所に集めて、という都市計画がなされてこなかった。その上でどうしたらいいのか、という問題の建て方だ。ゴミ処理に気を使いカネがかかるように大都市の緑保全も漠然とした景観保全では済まされない。

>今、都市の当局はメンテナンスに手間のかからない樹々を選択するのに精いっぱいのようで都市計画らしきものはない。そればかりか~~~埋立地に~~。

未完記事。高木メタセコイア剪定の最終段階。何とかやりきろう。 redwood ってセコイアの樹だったのか。愛国主義を素通りした労働者の国境を越えた連帯は先進地域では元々成立していない、という原型、パリコミューン。

   質問 YAHOO 知恵袋

@恐竜時代、植物も巨大だったと聞きましたが、何メートル(高さ)程の植物が存在したのでしょうか?

>現代の科学では、なぜ恐竜のような巨大な生物が陸上を闊歩できたのかは謎とされていますが、

恐竜以外の全ての生物が相対的に巨大なのであれば、自ずと答えが導かれるように思います。ただ、恐竜時代の植物の大きさを調べてみたのですが、中々情報が得られなかったので、こちらで質問してみました。よろしくお願いします。

******回答。

 W。下の地図。調べてみると、セコイアの樹とレッドウッドは別科目の勘違い、判明!

レッドウッド - Wikipedia

  • ヒノキ科
    • セコイア (coast redwood, California redwood)⇒レッドウッド国立公園。
    • セコイアデンドロン (Sierra redwood)⇒W。ヨセミテの巨樹はこの亜属。
    • メタセコイア (dawn redwood)⇒Wが今、切込み中の高木。枝を切るのは簡単。ごみ処分用の処理に10倍ぐらい手間がかかる。薪のようにまとめ紐でくくる、小枝はゴミ袋。高木の高所作業は勝手が違うので余分に警戒心が働く。足場が信頼できないことがまず第一。一人作業で最後までやりきる。こんな機会はない。高所作業でも刃渡り30cm弱、ピッチ300の手鋸でできるだけ刃渡りの長さを利用してキレイに引くとズバズバ切れる。一握り程の枝ならあまり力は入れないで5回ぐらい引けば切断できる。
    •  それでもやっている最通に思うな。全て手前引きの日本の鋸より欧米の押引きのほうが体が合理的に使えるようだ。高所作業では弾き切った時に体の重心が外に振れアブナイ。押し引きは体を幹に預けることができる。上半身の強さが無ければ足で踏ん張って引くしなかい、ということか。今の鋸はよく切れるので上半身の強さは関係ない。それに機械化されて鋸を引く機会は少ない。
    • あまり力は入れないで最上位に伸び切った枝を伐採するとき十字路の歩道に面しているので異常に緊張する
    • 切り込み口と追口は実行しているけれど<コレやると一機にすっ飛ぶように切った幹が落下する普通に片方切りにするとたいてい落下しないで垂れ下がるので下を見渡し落下させる時間ができる。この辺の事情は専門家は指摘しない>その他の技はまだ利用していない。
    • 素人は仕事を難しく考えすぎる
    • 頭の中で伐採方法を想像し考え込むと想念が空回りする、雨の日の朝、現場から見あげると想像しているよりも最上の枝の実寸は短かった。しかし登って身近に見ると枝は太く片方だけでは鋸が詰まって引けなくなる。
    • しかし、一方で道路面にせり出して真上に伸びる太い枝はやっぱり吊るし切りが必要かな、と。他にも方法はあるが余分な手間をかけずにやれると判断すれば一気にやる。素人は考えすぎる。
    • う~ん!最後に残した1本の樹の高所作業(最上枝は4本ぐらい)は手ごわい。
    • メタセコイアの樹は軟弱だが粘り気があり、脂分が少なく、かまどの薪に利用するのに最高の樹。中国雲南省の有名You Tuberのうちのかまどで利用しているのはこの種の樹だ。一気の燃やして火力を出し大きな中華鍋で料理する。薪もこの種の高木から調達している様子が動画で出ている。
    • ゴミとして処分にするのがもったいない。土地と畑があれば燃やして畑にまくのだが。都会は不経済だな。
    • セコイアとの違いは落葉する。枝は幹から対生アサガオ状に幹の周囲に枝が生えて居るので上る際に身体を入れる隙間がない。下から枝落としをしながら導線を作って上に登っていく。セコイアは互生。
    • スギ (Japanese redwood)
    • ****

  勘違いの原因は

magictrain.biz

This land is your land,
This land is my land,
From California
To the New York Island,
From the redwood forest,
To the Gulf stream waters,
This land was made for you and me.

以下はレコーディングでは割愛された歌詞ですが、この部分の歌詞を読むとウデイ・ガスリーがこの歌に込めた想いがよく分かると思います。)

******

⇒W。オバマ大統領就任祝賀集会ホワイトハウス前だったか、動画アップ~1月の寒い屋外~)でピート・シーガー - Wikipedia常、謳われていない以下の歌詞を歌った

*******

⇒歌詞の世界は実際にあった光景、をウディ・ガスリー - Wikipediaが歌にしている。(ホーボー大行進、作家ジャックロンドンは実際に参加した経験をもとに小説にしている⇒「怒りのブドウ」原作スタインベック。映画はジョンフォード監督、ヘンリーフォンダ)。基本的に前者、ホーボー達の大行進を歌っている、地元の人たちは大行進するホーボー達に食料を提供したりけがの手当て、衣服のカンパ等々の救援をしている。幹部はパーティに招かれる場合もある。米国社会運動、労働運動の原点である。  

 後者はオクラホマの記録的砂嵐に襲われ離農しカルフォルニアを目指した小作農(オーキー、アーキ―)たち一家の物語。行く先々で地元住民や当局の規制を受ける

*****

 第1次世界大戦後の米国好景気によって市民社会は底上げされ豊かになり変容し世界恐慌によって突然、大失業の時代を迎えたが、昔の素朴な市民社会(わが町)の連帯感は喪失していた。

日本現代史に当てはめると高度経済成長⇒日本バブル崩壊⇒東西冷戦終結=グロ資本制⇒長期経済停滞=米世界戦略との一体化。

>以上の歴史過程は一種のエントロピー理論で表象される。

>バラバラ複雑化した個々を政治統合する内容がいつの政治経済危機の歴史過程にも問題になってきた。

@社会にも適用されるエントロピー法則を受け入れ利用する立場は必要な時代状況になってきた。加速主義なんていうのよりよっぽどまともな立場だ。

  引用

エントロピー増大の法則はざっくりいうと「物事は放っておくと乱雑・無秩序・複雑な方向に向かい自発的に元に戻ることはない」という法則ですが、この考え方は経験則として私たちの思考にもあてはまります。」

⇒その個々バラバラ、複層する意思は国家主義による共同政治幻想によって集合意思として国民~~国民意識はその時々場所、機会によってイロイロ変化する。~~に統合され第二次世界大戦参戦へ!ということか。

******

 トマ、ピケティー階級闘争にスポットライトを当てるべきだ、という見解を示している。ところが階層的政治共同性を作り上げる実体は労働組合しかないのは明白だが、

EU統合の国民投票で反対意思を露にしたフランス労働階層社会民主主義中道左派の推し進めたEU統合政策に失望し、国民戦線の支持ブロックに移行し統合された。フランスの労働組合の組織率は低く、政党や社会運動団体が政治統合の代行をしている(反俗日記過去記事)

米国北部工業地帯の製造業で働いていた人たちが民主党支持層からトランプ支持の回った原理と同じ。トランプが再び大統領候補戦をリードしているのは米国の産業構造、社会構造の変化を物的基盤としているからだ。このブロックは根強い。

 EUシステムが本格化すれば中央部の生産的資本は安い労働力を目当てに周辺部に移転する、逆にヒトは高賃金を求めて中心部に移民として移動する。このヒトモノカネの流れに割を食うのはEU中心部の下位中間層と労働階層であることは誰でも肌身で感じる理屈。

EU統合が労働階層過半の利益にならないと察知した物的根拠がある反対なので議会左派系からの向こう側への移行は政治ブロックの形成なので根強いものがある。

 資本主義グローバリズムや、中道左派社会民主主義の世界の労働者の連帯の空文句と国民国家に統合される労働階層の共同政治幻想の間には大きな利害対立がある。

 愛国主義を素通りした労働者の国境を越えた連帯は元々成立していない、という原型がココにある。

パリ=コミューン

  W。ざっくりとまとめると

1871年3月、普仏戦争講和に反対したパリ市民が蜂起して成立させた世界最初の労働者政権。

パリに労働者による政権を樹立したが、ブルジョワの支持を受けた臨時政府の軍隊によって攻撃され、激しい市街戦の結果、5月に崩壊した。」⇒w。ブルジョアジー貴族はインターナショナリズムであった。労働階層は愛国主義に固まりやすい。

W.立ち入ってみると

普仏戦争は1870年9月のスダンの戦いで皇帝ナポレオン3世が捕虜となり、プロイセンは余勢を駆って翌71年正月にヴェルサイユに入り、ドイツ帝国の皇帝戴冠式を挙行した

2月26日、フランス臨時政府の行政長官ティエールは、賠償金支払いとアルザス・ロレーヌの割譲を提示して講和し、プロイセンは3月1日、パリに入城した。

労働者政権の成立

 3月18日、臨時政府側が国民軍の武装解除に当たろうとしたことに激高したパリ市民が蜂起。臨時政府のティエールはパリを放棄しヴェルサイユに逃走し、パリは革命派の市民が権力を握った。

クールベ

クールベは1870年に普仏戦争が始まると国防政府軍に加わって戦い、ナポレオン3世が退位してパリ=コミューンが成立するとそれにも参加した。コミューンが崩壊した後、クールベヴァンドーム広場の記念円柱を破壊した責任を問われ、罰金刑を科せられたため、スイスに亡命し、その地で58歳で亡くなった。

W.マルクスのこの時代の政論は全くピンとこなかった。ドイツ社会民主党路線である。

レーニンが「何をなすべきか」「帝国主義論」「国家と革命」でマルクスを換骨奪胎した。Wはマルクス資本論しか認めないことにしていた。マルクスに埋没すればカウツキーやローザルクセンブルにしかならない。

労働者政権の構成

 しかし、コミューン内部には、ブランキ(彼自身はヴェルサイユ政府に捕らえられていた)の影響を受けた急進派や、プルードンの影響を受けた無政府主義者などを含み、

マルクス派は少数派であった。

(W。このような歴史に見方は戦いの現場に即していない結果から解釈したもの

だったらマルクス派がコミューン多数派であれば勝利していたのか、と。

もしかして戦わずして武装解除に応じていたかもしれない。もっともマルクスのパリコンミューンへの言及を読むとそれはなかった。)またパリ以外の都市でもコミューン運動が起こったが、保守的な農村部の中で連絡が取れず、パリは孤立していた。

******************************

 下の歌詞はこの辺のギリギリの労働階層の心情を歌いこんでいる。政治経済状況の厳しいときは国家と政権の問題が最終的に最重要課題になる。観念的民主主義の信奉者はウクライナ戦争への評価と立場(構造論がない。EU帝国主義の範疇にぴったり当てはまる。民主主義は隠れ蓑!ロシア、プチン政権の表の顔のようなモノ。本質的に似た者同士だから獲物狙って争う。第二次大戦と同じ構図。プーチンロシアが侵略したのならEUウクライナという市場を目指して侵略してきた。米国は世界覇権の拡張は目当て)を見ても激化するしかない対中戦争状に決然とした反対行動を越せない。なぜなら判断基準は民主主義なのだから。

「不法侵入禁止」

そうさあの場所だってあなたとわたしのために創られたんだよ!

>W。ソ連邦崩壊後のロシアで起こったことだ。現代日本にも自治体がカネを払った経営設備が民営化され私的資本に転化する、似たような例はある。

****

ある者はぶつぶつ不平をつぶやき
ある者は訳が分からず困っている
この国はまだあなたとわたしのために創られたものなのかな

誰もわたしが生きてゆくことを止められないし
そんなふうにわたしは歩き続ける

誰もわたしの生きざまを捲き戻すことはできない
この国はあなたとわたしのために創られたんだから

>W。上記の意思は真珠湾攻撃を契機に日独伊反対、世界戦争参戦に統合される、というカラクリ。世界政治の視点からいえば、善と悪、主義主張の原則は各々の立場によってくるくると変っていく。構造主義の観点が大事になる

 マルクスを今更いう人がいるが、マルクス時代の分析方法では20世紀初頭以降の世界資本主義の構造(英国に対抗するドイツ、アメリカ資本主義の登場の世界市場の再分割)を明らかにできなかった。イギリス一国が世界の工場の産業資本主義段階⇒よって資本論分析はイギルスを重点的にやればよかった。古すぎる。それでも1960年代の大学では経済学にマルクスを使っていた。一方、入学する前の学生はマルクスでは古すぎると知っていた。このギャップも大学闘争の火種の一つ。

 今、マルクスを持ち出す学者さんにレーニンが一次世界大戦前に発表した「帝国主義論」の構造主義の徹し、帝国主義戦争を内乱に転化せよ!と言い切った精神と分析力を持つ人は日本には皆無。これはレーニン一人が無し切ったことではなく当時、世界資本主義の構造分析をした人はいた。参考文献や資料が揃っていたからできた。

*******イデオロギー偏重で戦争政治を行ったものが敗北した**コレが教訓**

 引用

1941 年 12 月 7 日の日本軍による真珠湾への攻撃を契機、米国は第二次世界大戦に参戦することとなりました。

(W。日本側の暗号や対米開戦を決意した日本軍の動向の大枠を米側は事前に察知。敵基地奇襲攻撃をさせて国民の世界大戦への参戦意思を撃ち固めた。先にやらせて<謀略、デマもある>参戦への意思を国民統合し打って出る。米国の長期戦に対する戦争政治の基本スタイル

>戦争発動に手間がかかるということは国民の沸点が高くなるということで、間違いが生まれにくくなる。ただしそれだけではない。

~=アメリ合<州>国という政治構造による。モンロー主義も政治選択肢にできる世界の紛争地から超絶した地政学的位置のある北アメリカ大陸海洋国家

エントロピー状態の個々人を体現したアメリカの憲法を読めば解る。中央議会に州、個人単位を統合するためにはセンセーショナルな事件の演出が不可欠。)

日本国憲法もそれなりの戦争政治発動への歯止めになってきた。

******W。ナチスドイツはナポレオンのような両面戦略と取った。イデオロギーに拘った世界戦争戦略であった。日本も同様。*****

W.この年表をみても米国の二次大戦参加の遅さが浮き彫りになる。他社にやらせておっとり刀で駆け付け一番おいしいところを持って行って、世界覇権を確立した。他方スターリン主義は一時の歴史の歪みの中で一時的対抗軸になったに過ぎなかった。原理的に社会主義経済というものがあると措定して、欲望無限拡大がシステム化した世界資本主義がある限り長期の対抗軸にはならない。

*****ナチズム、ファシズム軍国主義は軍事資本主義の一国主義的財政金融膨張の必然的形態。米国のニューディルもその亜流。

 以下記す内容は今とこれからの世界経済の実態分析を前提とする。世界がどのような方向に動いているのかという大状況に認識が前提。

 財政金融膨張政策は一時的な景気浮揚はあっても超インフレから経済停滞し脱出口に戦争政治を実行するしかなくなる(歴史の教訓)。

カネを刷っても通貨安で外国からモノを買えるモノが値上げりすれば日本経済は八方ふさがりになる(国内物価も高騰する)国債の利回りが上がる=財政が苦しくなる⇒さらにから銭を刷る。

 日本のような経済圏のない従属国は自ら通貨安を呼び込む経済政策を選択すべきではない。

かつてのリフレ派=アベの国債大量発行、日銀購入や市中消化。

www.asahi.com

引用

日銀によると9月末時点で、国債の発行残高1066兆円のうち日銀が536兆円を保有保有割合は50・26%で、2012年末の第2次安倍内閣発足後に大規模緩和が始まる前の11・48%と比べて4倍超になっている。

保有割合が膨らむ主因は海外の金利上昇だ欧米では中央銀行が今春以降、物価高を抑えるため相次いで利上げを進め金利が上昇

日本でも金利が上昇したが、金融緩和策で長期金利の上限を「0・25%程度」とする日銀は、国債を大量に買い金利を抑え込んだ買い入れ額は6月に月間で過去最多の16兆円、9月も12兆円近くにのぼった。」⇒W。政府⇔日銀の間での帳簿上の記号物の記帳になるが、その一部は大企業や資本家への資金供給になる。他方経済状態の悪い家計はより一層の安価な労働力商品の提供者のなるだけ。したがって前者はこの政策によって両得。しかも円安で輸出企業はドル円為替交換すれば円を多くつかむことができる。

政府が予算をまかなうため国債の発行残高を増やし

市場では日銀が政府の資金調達を事実上支える「財政ファイナンス引用終わり

デフレ傾向改善せず、世界的なインフレ傾向によって日本経済のインフレ実現目標達成。そもそもこの政策はフィッシャーの法則からきておりインフレによって増殖する借りて資本が身軽になり儲かり、労働力商品が安くなる仕組み。

 それでうまくいかないので今度はかつての日銀の代わりに財務省が攻撃の標的になっている。

 かつての日銀、今度は財務省が悪い、というのは 八方ふさがりの現状、将来に何か抜け道の妙案があるかのごとく言うのは日本経済の現状、将来の姿を隠す役割を果たしている。戦前日本にもこの種の政策を掲げた右翼社会民主主義者がいた。

 云うような財政出動をすれば今以上にインフレになる。外国からの資材原材料を依存しているので。また生産労働人口の減少も労賃コストプッシュインフレに安易に連動する。そうすると景気はずっと冷え込んだままを背景に結局は株式がまじ切った市場での高騰で済むように、軍需産業の需要増と増産がこれまたその中での循環になり、コレは政府の財政金融その他の政策でコントロールし易い一種の社会主義経済の誕生となる。

>世界経済が同種の傾向に向かっているのであれば、この政策もそれなりに機能するが、他方で経済成長する国々や地域があれば、自らが歴史的な経済地位の低下の道を選択していることになる。

@今とこれからの日本はもう自由主義経済の道は歩めない(ここまで国債中央銀行買入れ額が大きくなると政府の財政金融政策の選択肢は超せまくなり、経済外的規制に頼るしかなくなる)と漠然と思う。

@預金を円だけで持っていると物凄く自動的に目減りする。だったら株式投資日経平均の企業200社の株は高くて買えない。いずれにしてもっ実体経済の企業間、個人間の格差は拡大する要因。

*********

1939年9月1日にドイツ軍ポーランドに侵攻したことを受けて9月3日、フランスイギリスとともにドイツ宣戦布告

1940年5月10日、ドイツ軍はオランダベルギールクセンブルクベネルクス三国に侵攻を開始。フランス軍の防御が手薄となっていたアルデンヌの森から装甲部隊を進撃させた。

6月14日、ドイツ軍は無防備都市宣言されていたパリに無血入城し、6月16日、フランスのポール・レノー内閣は総辞職し、後継のフィリップ・ペタン元帥はドイツへの休戦を申し入れた。6月22日、コンピエーニュの森において休戦条約が調印された(独仏休戦協定

フランス軍の大半は武装解除され、アルザス=ロレーヌ、サヴォワニースはそれぞれドイツ、イタリアに割譲されたものの、フランスは主権国家として存続することとなった。しかしパリを含む北部フランスはドイツ軍の占領下におかれ、ペタンを首班とするヴィシー政権の影響力は南部に限定された上に内政外政ともにドイツの影響下に置かれることとなった。

1941 年 6 月ナチスドイツはソ連への攻撃の一環として、ソ連の占領下にあったポーランド東部に侵攻

 米国は(1941年12月7日の真珠湾攻撃)翌日の 12 月 8 日に日本に対し宣戦布告しました。

12 月 11 日、枢軸国として日本と同盟関係にあったナチスドイツが、米国に対して宣戦布告しました。」         引用終わり

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As I was walkin’
I saw a sign there
And that sign said no trespassin’
But on the other side
It didn’t say nothin!
Now that side was made for you and me!

わたしが歩いていたとき
わたしはそこである警告を見た
その看板が云うには「不法侵入禁止」
でも他のところでは
そんなこと言ってなかった
そうさあの場所だってあなたとわたしのために創られたんだよ!

In the squares of the city
In the shadow of the steeple
Near the relief office
I see my people
And some are grumblin’
And some are wonderin’
If this land’s still made for you and me.

街の広場で
尖塔の陰で
救援オフィスの近くで
わたしはわたしの同胞たちを見る
ある者はぶつぶつ不平をつぶやき
ある者は訳が分からず困っている
この国はまだあなたとわたしのために創られたものなのかな

Nobody living can ever stop me
As I go walking
That freedom highway
Nobody living can make me turn back
This land was made for you and me

誰もわたしが生きてゆくことを止められない
そんなふうにわたしは歩き続ける
あの自由のハイウェイを
誰もわたしの生きざまを捲き戻すことはできない
この国はあなたとわたしのために創られたんだから

「西洋の敗北」をフランスで出版した(未邦訳)エマニュエルトッドの最新発言。トマ、ピケティのEU結成以降の歴史を振り返って~域内資本の移動自由と税率格差はEU帝国中央から周辺への製造業の移転促進、儲かったカネは税の抜け穴(タックスヘイブンへ⇒投機市場に緊急動員)。階層格差拡大の政治経済は戦争事態の恒常化。

なぜウクライナ戦争は起こったのか?


──トッドさんは米国についてどうお考えですか。

トッド 欧州の指導者階級は、米国と足並みをそろえようと躍起になっています。しかし、いまの米国社会を見ると、歴史上類例のない退行の真っ只中にあります。

米国が欧州にやって来たのは1944年のことですが、あの頃の米国は、世界の工業生産の45%を占める国でした。生活水準を見ても、米国は欧州の1〜2世代先を行っていました。そんな米国がNATOを作り、私たちをスターリンから守ったのです。

ところが、いまの米国はどうでしょうか。死亡率が上昇し、平均寿命が短くなっています。

フランスと米国を比較すると、米国の平均寿命は6年も短いのです。米国は極端な不平等社会になっています。自由の国だと言っているわりには収監率が世界一であり、これは黒人に対する人種差別と関わっています。米国の政治は金銭で動いています。

こんな状況の米国を、いったい誰が標準的なリベラル・デモクラシーの国家だと言えるでしょうか。リベラルな寡頭制国家と言ったほうが的確だと思えるくらいです。

歴史家として見たとき、これまで欧州主義だった欧州のエリートがことごとく自分たちの務めを放棄して、まるで魚群を形成するかのように米国を支持したのには唖然としました。米国は自国の支配力を維持するために、戦争に次ぐ戦争をするような暴力的な国です。米国による経済封鎖で約40万人のイラク人が死にました。これは米国がイラクに侵攻する前の話です。

私には、欧州の価値観がどこにあるのか、見当たらなくなったように思えます。そもそも欧州統合は、平和をもたらすものだと謳われていたのです。ところが、その欧州がロシアを挑発し、ウクライナでの戦争に関わっています。

昨今はロシアの脅威が語られがちです。たしかにウクライナにとってロシアは脅威です。しかし、軍事の専門家から見れば、西欧にとってロシアはどう考えても脅威ではありません。ロシアも認めているように、NATOとロシアの通常戦力を比較したら、NATOのほうが圧倒的なのです。

私たちは米国に守ってもらっていると言っていますが、実際は脅威にさらされているわけでもありません。米国がウクライナに兵器を供給し、ウクライナを事実上、NATOに加盟させたから、欧州に戦争が戻ってくることになったのです。

経済制裁を科せば、ロシアは破壊されるという触れ込みでしたが、あの経済制裁が実際にもたらしたのは、欧州内の物価の高騰、とりわけ食料品価格の高騰であり、それが欧州の人々の生活水準を低下させたのです。しかもその間、米国は自国を利する保護貿易の政策を実施し、欧州はその割を食っています。そんな状況なのに、欧州主義の信奉者たちはNATOに感謝しているのだから呆れてしまいます。

奇妙に思えるのは、欧州内でこうしたことに関して、まったく討論がなされていないことです。私は最近の発言で、親ロシア派だと批判されていますが、私はフランスに討論が許される民主主義を維持したくて闘っているのです。なぜならリベラル・デモクラシーとは、多元主義のことであり、複数の見方の間で討議することにほかならないからです。

これからの欧州が進むべき道


──ウクライナでの戦争以外では、EUは充分に民主的だといえますか。

トッド あるシステムが複数の国家と複数の言語で成り立っているとき、そこでは民主制は機能しません。歴史をひもとくと、民主制とは討論のことなのだとわかります。討論は、同じ言語を話す人の間でしか成り立たないのです。それゆえ、欧州という制度は民主的にはなりえません。私は別にそのことに憤っているわけではありません。ただ、実態を指摘しているだけです。

  • 2

    「欧州はもはやプロジェクトとして破綻している。だから戦争をし出したのではないか」

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トマ・ピケティ「新しい“眼”で世界を見よう」
EUのルールが租税ダンピングを助長し、タックス・ヘイヴンを発展させたT 

                    ext by Thomas Piketty From Le Monde

2023年末のジャック・ドロールの死去とともに欧州の歴史がまた1ページめくられた観がある。ドロールは1985〜1995年まで欧州委員会の委員長を務めた。欧州議会選挙が数ヵ月後に迫るいま、EUにとって決定的だったあのドロール委員会時代を批判的に振り返り、将来のための教訓を引き出しておくべきである。

1986年には単一欧州議定書(モノとサービスの移動の自由)が調印された。1988年の欧州経済共同体指令では、資本移動の自由が実現した。1992年にはマーストリヒト条約の調印もあった。いまのEUがドロール委員会時代に形作られたといっても過言ではない。

なかんずくマーストリヒト条約は、1957年のローマ条約で設立された「欧州経済共同体(EEC)」を「欧州連合EU)」に変えたほか、単一通貨「ユーロ」も創設するものだった。フランスでは1992年9月に国民投票が実施され、この条約がかろうじて批准された(賛成51%)。1992年に定められたとおり、単一通貨ユーロは1999年に企業に対して導入され、2002年に個人にも導入された

フランスは、2005年の欧州憲法条約を国民投票で否決した(反対55%)。だが、2007年、欧州憲法条約に微修正を施したリスボン条約の批准を(国民投票ではなく)議会で承認した。

このリスボン条約は、1986〜1992年のあいだに下された重要な決定を補強し、自由競争と自由流通の原理を憲法に組み込もうとするものにすぎず、とくに大きな変化をもたらすものではなかった。2012年の財政協約も、1992年にマーストリヒト条約で定めた債務と財政赤字の基準を厳格化するものであり、ここにも大きなイノベーションはなかった。


     「ユーロ」というイノベーションの効果

1985〜1995年までの欧州に関する決定的な交渉は、どのように進められたのか。それを理解するうえで参考になる本がある。2007年に刊行されたラウィ・アブデラル著『資本ルール──グローバル金融の建設』(未邦訳)だ。

ジャック・ドロールやパスカル・ラミーなど、当時の欧州にける主要な政治家や高級官僚への含蓄のあるインタビューが数十本掲載されている。著者のアブデラルは、それをもとにそれぞれの政治家や高級官僚が持つ未来のビジョンや交渉材料を丁寧に分析している。

 簡単にいってしまえば、フランスの社会党は賭けをしたといえる。

欧州中央銀行」という多数決で決定を下せる強力な連邦機関を作り、単一通貨のユーロを導入すれば、やがて経済の力を上手に統御できる公権力を欧州規模で実現できると踏んだのだ。

それは1981年にフランスで発足した社共連合政権よりも、上手に経済の力を統御できると見込まれていた。

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ドイツの中道右派政党「キリスト教民主同盟が、何よりも求めていた資本移動の自由の絶対化を受け入れたのは、そのためだった。

キリスト教民主同盟が求めたのは、

>資本移動に公的規制を一切設けず、

>とりわけ共通の税を設定しないことだった

ここは重要な争点でありえたのに、

フランスのミッテラン大統領とジャック・ドロールは、交渉の際にこれを大きく取り上げなかった。それは歩み寄りの基盤を確保するためだった。

 

 それから30年経ったいま、欧州中央銀行とユーロという思い切ったイノベーションがその後どうなったかを振り返ると、当然ながら、そこには毀誉褒貶(きよほうへん)が相半ばしている。

もちろん欧州中央銀行が2008年の金融危機や新型コロナ危機の対応で中心的な役割を果たしたからこそ、欧州経済全体の崩壊を避けられたという見方もできなくはない。

欧州中央銀行ギリシャ債務危機の初期に何度かミスを繰り返したり、2012~13年に余計な緊縮政策を実施したりすることがあったものの、多数決で決定を下せる仕組みがあったので、特定の国(たとえばドイツ)が拒否権を発動するのを回避できた

>それで多額のお金を迅速かつ効率的に動かして、ヨーロッパの経済を安定させ、ユーロ圏内の国債利回りの差を縮められた。

*****

  「欧州総会」の設置を目指すべき

ユーロという単一通貨がなかったら、どうなっていたのか。それは誰にもわからない。ただ、ユーロに加わらなかった北欧諸国は、ことさら悪い状況になっているわけではない(ことさらいい状況になっているわけでもない)。とはいえ、フランスの信頼できる政治家でフランを戻すべきだと論じる者はいない。

 別の見方をするなら、

中央銀行信用創造だけで、すべての問題が解決できるわけではないことを、みんな承知しているということだ。

とくにセントラル・バンカーは、銀行と銀行家の救済には積極的なのに、職業訓練や医療、そして気候変動対策への投資にはそうでもないということも示された

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その意味では、中央銀行のせいで資産家に資産が集中する度合いがさらに高まってしまったともいえる。

財政出動中央銀行による資産の買い入れによって

>超富裕層が保有する株式や不動産の価値が上昇したからだ。

>一方、貧困層の貯蓄は、現在進行中のインフレで目減りしてしまった。

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 1992年に定められた欧州の資本移動の自由に関するルールは、

>あまりにも極端であり、安定性を損ねかねないものだった。

あのIMFでさえ、1997年のアジア通貨危機と2008年の金融危機のあとに反省し、短期の資本移動には、ある種の制限を導入している。

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 また欧州のルールは、租税ダンピングを助長するところもあった。法人税の税率が延々と下げられただけでない。

タックス・ヘイヴンがいまだかつてなく発展することになった。ビリオネアやマルチミリオネアへの課税が不充分になってしまう仕組みができてしまったのだ。

******

W。⇒

キリスト教民主同盟が求めたのは、

>資本移動に公的規制を一切設けず、

@とりわけ共通の税を設定しないこと

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政治に関しては、フランスで1992年

W。注釈。

1992年にはマーストリヒト条約の調印。

1992年9月に国民投票が実施され、この条約がかろうじて批准された(賛成51%)

2005年に実施した国民投票の結果、

W注釈

2005年の欧州憲法条約を国民投票で否決した(反対55%)

>だが、2007年、欧州憲法条約に微修正を施したリスボン条約の批准を(国民投票ではなく)議会で承認

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庶民階級の一部が投票所に行かなくなり、庶民階級の左派政党離れが進んだ。

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 2005年の欧州憲法をめぐる国民投票で「反対」票を投じた有権者は、

       ↓       ↓

 2022年に(極右政党の)「国民連合」に投票した有権者とかなり重なり合う。

>とりわけ産業空洞化が進行した中規模都市では、その傾向が著しい

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クリントン政権(在任: 1993年1月20日 - 2001年1月20日

  Rust Belt、銹錆地帯

  

1992年にはマーストリヒト条約の調印。

1992年9月国民投票が実施(フランス)

G.W.ブッシュ(子)政権⇒ 2001年911日事態。2期。

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2005年欧州憲法条約を国民投票で否決した(反対55%)

>だが、2007年、欧州憲法条約に微修正を施したリスボン条約の批准を(国民投票ではなく)議会で承認

******

オバマ政権
(在任:2009年1月20日 - 2017年1月20日

  ↓

トランプ政権へ

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     この複雑なレガシーには、どう対処するのがいいか。

まずはEU加盟国に呼びかけてEUの中核に財政、租税、環境対策に関して多数決で意思決定が下せる機関を設置することを目指すべきだ。

私はこの機関を「欧州総会」と呼んでいるが、この機関がすぐに日の目を見る可能性はあまりないかもしれない。だが、これを中心的な目標に据え続けるべきだ。

その目標のために歩み寄れる国が出てくるのを待ちながら、フランス一国だけででも、EU内外の租税ダンピング、ソーシャル・ダンピング、環境ダンピングなどに大規模な対策を実施することがおそらく必要だ。

W.ドイツにの経済的優位を保証した資本の移動自由、と租税率の各国決定権。⇒EU帝国中央から周辺に安い労働力商品を求めて製造業が工場移転(当然受け入れ側の周辺国の法人税は安い⇔EU中央の法人税率に下方圧力。儲かった過剰流動資金はタックスヘイブン(税の抜け穴国家、地域~スイス、ルクセンブルグ。ロンドンシティーへ。さらに地球規模のタックスヘイブン=株式市場、先物取引、金取引、ピットコインそのた金融投機市場の隆盛⇒それらの市場で高騰した資本による現物経済における格差創造。以上の世界的流れ。排外主義政治の台頭から戦争経済へ!)

たしかにそれをすれば、複雑な危機をいくつも引き起こしてしまいかねない。だが、国際協調主義という針路からぶれなければ、これらの危機は乗り越えていけるはずだ。現在の閉塞状況を抜け出す道は、おそらくこれしかない

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               5min2024.2.22
西側諸国は「何も見えていない」
エマニュエル・トッド「いま私たちは西洋の敗北を目の当たりにしている」

                   Text by Alexandre Devcchio フィガロ

フランスで新著『西洋の敗北』(未邦訳)が刊行~W。邦訳されないかも知らない~~された歴史家・人類学者のエマニュエル・トッドに仏紙「フィガロ」がインタビューした。

トッドは1976年の著書『最後の転落』でソ連崩壊を的確に予見したことで知られる。新著でトッドは「西洋の敗北」を予言し、その証明となる3つの要因を提示する──。

     西洋の凋落を証明する「3つの要因」

──2023年に弊紙から受けたインタビュー「第三次世界大戦はもう始まっている」が、今回の新著を書くきっかけになったと伺っています。すでに西洋は敗北を喫したとのことですが、まだ戦争は終わっていませんよね

戦争は終わっていません。ただ、ウクライナの勝利もありえるといった類の幻想を抱く西側諸国はなくなりました。この本の執筆中は、それがまだそこまではっきり認識されていなかったのです。

昨年の夏の反転攻勢が失敗に終わり、米国をはじめとしたNATO諸国がウクライナに充分な量の兵器を供給できていなかった事態が露呈しました。いまでは米国防総省の見方も、私の見方と同じはずです。

西洋の敗北という現実に私の目が開かれたのは、次の三つの要因によるものでした。

第一の要因は

米国の産業力が劣弱だということです。

米国のGDPにはでっちあげの部分があることが露わになりました。

私は今回の本で、膨らまされた米国のGDPを本来のサイズに戻し、米国の産業力の衰退の真因を示しました。

1965年以降の米国ではエンジニアの数を充分に育成できていないのです。

さらに言うと、

>米国では全般的に教育水準の低下が起きています。

W。東北の高校生野球選手がスタンフォード大学に入学したと騒いでるが、スポーツ推薦奨(野球枠かな?)学金審査に合格しただけであり、昔から名門大学は野球奨学金を出し野球部のある数少ない大学。大昔、阪神の外国人投手でスタンフォード大出身者がいた。ブッシュJRもイェール大時代野球選手だった。横浜のバウアーさんもUCLA、しかも工学部。アメリカの大学で学力が高いのは極一部の研究者だけ、しかも外国人が多い。
*****
西洋を没落させた第二の要因として、

米国でのプロテスタント文化の消失が挙げられます。

>今回の本は、言ってみれば、ドイツの社会学マックス・ヴェーバーが著した『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』の続編です

ヴェーバーは、1914年の第一次世界大戦勃発の前夜、西洋勃興の中核は、プロテスタント世界の発展だと的確に見抜きました(Wワイマール憲法の執筆者の一人であったヒットラー台頭の法的根拠となる大統領権限強化を社民党資本経営参加条項の対抗措置<いわゆる社会主義条項>として加えた~~~)プロテスタント世界とは、この場合、英国、米国、プロイセンによって統一されたドイツ、北欧諸国を指します。

>フランスがラッキーだったのは、これらの先頭集団を走る国々に地理的に近かったから、くっ付いていけたところです。⇒W。トッドらしい皮肉。

 

 以下、唯物論者としてはトッドの教育の視点からの社会経済分析には違和感を覚えるが参考にはなる。

 

プロテスタントの国々では、教育水準が人類史上類例のないほど高くなり、識字率もきわめて高くなりましたが、それは全信徒が聖書を一人で読めなければならないとされたからでした。

また、地獄落ちの不安があるゆえに、自分は神に選ばれているのだと実感したくなり(W,天国に行ける人は予め決まっているらしい!)、それが勤勉に労働する意欲につながり、個人も集団も強い道徳規範を持つようになりました。

もちろんプロテスタント文化には負の側面もあります。

米国の黒人差別やドイツのユダヤ人差別など、最悪の人種差別はプロテスタント文化に端を発しています

プロテスタントの思想には、人を地獄落ちの者と神に選ばれた者に分けるところがあり、そのせいでカトリック式の人類みな平等の考え方が放棄されたのです。

いずれにせよ、教育水準の向上と勤勉な労働意欲は、プロテスタントの国々の経済と産業力を大きく発展させました。いまはその正反対です。

*****エマニュエルトッド、独特の皮肉を込めたフレーズ。

近時はプロテスタント文化が崩れ、それによって知的水準が下がり、勤勉な労働意欲が消え、大衆が欲深さを露わにしています(この事象の正式名称はネオリベラリズムと言います)。その結果、西洋は発展せずに、没落に向かっているのです。

もっとも私は過ぎ去った時代を懐かしみ、いまの社会が道徳的観点から嘆かわしいというお説教がしたくて、この種の宗教的要素の分析をしているのではありません。私は歴史の事実を指摘しているだけです。
         W.以下のフレーズもトッドの真骨頂!
>それにプロテスタント文化が消えたので、

>それにつきものだった人種差別も消えたわけです。

>米国にオバマという初の黒人大統領が選出されたのも、そういった背景があります。

その点においては、プロテスタント文化の消失は、このうえなく喜ばしいものなのです。

 

誕生から40年…苦難乗り越え美景路へ「メタセコイア並木」知られざる歴史 - YouTube。手作業で2,4kmのメタセコイアの並木道と両側に並走する遊歩道計約10kmの落ち葉の掃除なのか。どこまで機械を導入しているのか。労働力の調達方法などの疑問に報道は沈黙。

誕生から40年…苦難乗り越え美景路へ「メタセコイア並木」知られざる歴史 - YouTube

 誕生から40年…苦難乗り越え美景路へ「メタセコイア並木」知られざる歴史

16,941 回視聴  2021/12/20  #四季 #冬のソナタ #ten
四季折々の表情が訪れる人々を魅了する、滋賀県高島市マキノ町メタセコイア並木。約2.4kmに渡り幻想的な光景が広がる、滋賀県の観光名所です。

 W.下図の情報とは2024年現在をカバーしていないようだ。

>東電柏崎刈谷原発、7基合計、世界最大の原発、とは知らなかった。住民は「忍耐」強い。どの程度の見返りがあるのだろうか?

地球は所詮、<猿の惑星>。最後は巨大化した太陽に焼き尽くされ宇宙の藻屑と消える運命。

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 引用再開

「しかし実は40年前、苗木から成木へと成長していく過程では、住民から苦情の声が相次いでいました。絶景が誕生するまでの知られざる歴史と、”名所”となるきっかけになった思わぬ出来事、その歩みを紐解きます。」
(かんさい情報ネットten. 2021年12月17日放送)

⇒W。疑問あり。

 下図、2,4km」の並木道、両サイドの遊歩道は雪に埋もれている。琵琶湖西岸最北のこの地は大津から60km離れた関西圏と北陸の混じった風土、気候。言葉は完全な関西弁。JR北陸線を石川県から徐々に南下すると地元の人の話す言葉も徐々に関西弁になるのが面白い。近代以前の歴史によって形成されてきた文化圏による言葉の変化。

W。メタセコイアの樹皮の薄さ、頼りなさに注目。

同じセコイア属(今では亜種の位置づけ、と記事アップ中に判明)のセコイアは樹皮が厚く(ナント厚さ30cmにもなる)、繁殖地であるカリフォルニアの森林火災では防火の役割を果たすという。あと、セコイアは常緑樹メタセコイアは壮大な落葉樹木材用途に不向き。

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 W。メタセコイア - Wikipedia

 上の画像は春先の新芽が芽吹いてきた時期のメタ(新)セコイア。最盛期は鬱蒼とした葉陰を作る生育が超早く、真っすぐ上に伸びて樹形が美しい、毎年の剪定作業は必要なし。最大の難点は針葉樹にも拘わらず、大量の落葉落下した葉っぱ、小枝の掃除は困難を極める苗木が40年でこんな巨木になる。

もっともセコイアの樹はもっと大きくなる。

セコイア - Wikipedia

南洋材もどきの樹皮の形。樹皮は赤褐色、厚さ35センチメートル (cm) に達し、縦に深く裂け~~。さすが世界最高の樹高の樹(110m。植物学では枝が互生か対性かの違いは属の判断材料。セコイアの樹の枝は互生メタセコイアの枝は対性(高木剪定作業にに伴う木登りの際の足場確保が難しい。体を反転しながら上に進む。)

前者、常緑、後者落葉針葉樹(珍しいのではないかな?)進化と衰退過程はほぼメタセコイアと同じ。恐竜死滅後の中生代を生き延びたが寒冷化と共に繁殖地帯が狭隘化⇒衰退。カリフォルニア北西部に野生種が群生しているのは樹を熱源とした人類の北米大陸の発見が遅れたため、と北米にはレッドウッドなど用材があったためであろう。

メタセコイアの幹は軟弱で枝と葉は燃えやすく,熱源にするにはもってこいの樹である。落葉した樹と枝、葉を剪定中にこの樹は燃やすのに最適、思わずゴミとして捨てるのはもったいない、とおもった。

 

「セコイアは裸子植物マツ綱ヒノキ科セコイア属~~メタセコイア裸子植物マツ綱ヒノキ科セコイア属⇒W。セコイアとメタセコイアは同属!

間違い!今では亜種になっている。植物の分類は微妙なところがある。

セコイアの方がヒノキによく似ている。

メタセコイアの樹皮は薄くて弱い。小枝と葉先はヒノキ系で同じ。最大の違いはセコイア常緑樹、メタセコイア落葉樹。枝が互生に幹から生えて居るのがセコイア。幹の同位置から生えて居るのがメタセコイア(植物の分類上、枝の生え具合は重要な分岐点⇒反俗日記、過去記事、道端の雑草特集で学んだ。)

 メタは有用樹ではないので生命力は強いが人間が保護しなければ断種していたと思う!

中国湖北省の田舎(標高800m~1200m)で神の木(水杉)としていたのは中国では伝統的に天と雲の思想があり、メタセコイアは真っすぐ天」に向けて伸びる高木だったからかもしれない。

メタセコイアの枝は互生ではなく対性⇒今、剪定中のWは高木のメタセコイアに下から上に這い上がるときに枝の間隙を潜るのに苦労した。この樹をよじ登るときは足場の確保に苦労する。体を捩じって上に押し上げていくことが必要になる。樹高が高いからアブナイだけではなかった。

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セコイア属(イチイモドキ属)は、現生種としてはセコイアのみを含むW??メタセコイアは何属?⇒W植物学会ではメタセコイアは認知されていないのか?⇒恐竜の絶滅した新生代も生き残ったが、北半球の中緯度の寒冷化と共に生き残り日本列島で生きた木の化石が発見された。日本列島のユーラシア分離によりメタセコイアは生き残っていたものと思われる(中央よりも末端、辺境に古いものが残る法則)。

     発見の経緯

メタセコイア類の化石北半球第三紀地層からしばしば見つかっていたが、

>当初はセコイア属などに分類されていた

>しかしセコイア属とは異なり、枝や葉、球果の鱗片が互生ではなく対生すること、また常緑性ではなく落葉性と考えられることなどから、1941年に古植物学者の三木茂によって新属 Metaseqouia が提唱されたが(W.だからメタ、セコイアと命名した)今は亜種になっている

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太平洋戦争の影響でこの論文はほとんどの国外の研究者の目には触れなかったが、中国北京静生生物(W。化石生物)研究所胡先驌はこの論文を読んでいた

ちょうど同じ頃、中国四川省磨刀渓村現在は湖北省利川市)で神木とされていた木(「水杉(スイサン)」とよばれていた)の試料が王戦によって採集された

W.昔の中国では四川省の領域は広大だった。今の四川省は内陸部中国最南端の雲南省の上。湖北省利川市は最西部,現、四川省より。中国の気候風土、文化の区分け南船北馬湖北省は典型的な南船地帯。中国の諸王朝盛衰の舞台、中原に含まれる。

湖北省の位置

これを元に研究した胡先驌と鄭萬鈞はこの植物が三木が記載したメタセコイア属に属すると考え、1948年にメタセコイア属の新種として記載した。

  上位分類

「>中国四川省磨刀渓村(現在は湖北省利川市)で神木とされていた木(「水杉(スイサン)」とよばれていた)の試料が王戦によって採集された

@系統的にはセコイア属セコイアデンドロン属近縁であると考えられており、これらは合わせてセコイア亜科(Sequoioideae)に分類されている。⇒w。ということだった!

     人間との関わり

     メタセコイア大きな物語のある樹だ。

1948年米国の植物学者であるチェイニー(Ralph W. Chaney)が発見直後のメタセコイア種子を持ち帰って播種育成し、

1949年昭和天皇に送るとともに、1950年には化石植物としてのメタセコイア属の提唱者である三木茂が結成したメタセコイア保存会に100本の苗が送られ、保存会から日本国内の研究機関や自治体の植物園に配布された」⇒W.動画によれば種からも接ぎ木からも簡単に苗木が生育できる。種を保存する生命力の強い雌雄同株の樹だった。イチョウも同じだ。

*****

   セコイア

「高115メートルに達するものが報告されており、現生の生物の中では地球上で最も背が高いといわれる。山火事に強い厚い樹皮を持ち~~メタセコイアの樹皮は薄く弱い~~(W知らなかった!カリフォルニアの山火事に強い樹だった)

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W。雨に濡れた路面上のメタセコイアの落ち葉、小枝を手作業で掃除している。2,4kmのメタセコイアの並木道。本当にこんな作業を繰り返してきたのだろうか?物凄い労働量が必要だったはずだが~~~~。

 

w。幹から枝が対生に生えている様子が解る画像。隙間なく枝が生い茂っているので落葉した葉っぱ、小枝はばらけ易く処理に苦労する。特に雨に濡れた歩道にぴったりとくっついてほうきで履いてもなかなか剥がれない。

休日のドライブで訪れるのかな。近畿圏でなかなかこういうまっ平らな壮大な並木道の景色は見られない。北大のポプラ並木の記憶は薄れた。あそこでテントは張って一晩過ごした。8月上旬だというのに薄ら寒い秋の気配がした。オーソンウェルズ主演のデビットリーン監督の「第三の男」のアニタバリが遠ざかっていく並木道はメタセコイア並木道よりもロマンチックだった。ポプラ並木だった。落葉広葉樹、花を咲かせる雌雄異株。メタセコイアは小粒の丸い種が成る。

campingcarboy.hatenablog.com

ウィーンに着くと、まったく別の世界にさまよい込んだような気分になった。にぎやかながらも、健全で、清潔な西ドイツの諸都市に比べ、ウィーンはアジア的なエキゾチシズムに満ちているように思えた。
  
 「アジア的」という表現が誤解を生みそうだから、言葉を変えていうと、写真や映画でしか見たことのなかった “東欧” をそこに感じた。」⇒W。ウイーンはハプスブルグ王家の首都だった。下の画像。枯葉が散っている並木道をジョセフコトンから遠ざかっていくハリーライムの恋人アニタバリ。日本映画黄金時代の日活映画にほぼ同じストリー展開の映画がある。赤木圭一郎芦川いづみ主演。赤木に歌う主題歌が良い。反俗日記の過去記事は背景の貨物船に注目しながら特集した。

赤木圭一郎 霧笛が俺を呼んでいる🎈2曲🎈 CD音源 昭和35(1960年) 歌詞付き - YouTube

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W.美醜は個人によるがメタセコイアの枯れた並木。松や杉、ヒノキが枯れて死ぬとあんな色に染まる。それは紅葉とは言えない、単に樹が枯れているだけ。

W.下の画像は舗装道路上の大量の落ち葉、小枝。落ち葉の季節にこんな手作業を繰り返してきたのか、あるいは道路清掃車を利用しているのか?

>普段メタセコイアの落ち葉を清掃してきたWからすると、2,4kmの並木道(車両道路と両脇の遊歩道計4本=10km近くの手作業清掃はあり得ない)を普通のトラックに落ち葉の荷積み清掃をやっているとは考え難い。

手作業の雨中作業は道路に細かい葉っぱ、小枝がくっ付いて困難を極める。

 人手の大量動員とそれなりの日当が不可欠。

シルバー人材センターに登録している高齢者はそもそも仕事好きな人が多い。仕事効率とか不合理な手間はほとんど気にしない人もいる。仕事をきちんとやり遂げることだけが目的。同じ仕事をしていると迷惑する面もある。そういう仕事振りにオンブ、抱っこではそもそも現状の日本経済のために良いのか、という問題もある。

W.画像の上に広がるのは琵琶湖の最北。背後に里山、前に湖(うみ)古代中世日本の原風景(荘園?)のようなところだ。

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  反俗日記は動画コメントしようとしたが記事にした。そのときの長すぎるコメント。

 

日本人の有名植物学者が戦前、化石からセコイアの新種発見(メタ、セコイア)。戦後(中国国共内戦中)、アメリカ人によって中国四川省の奥地から現生種の存命が確認された⇒勘違い!アメリカで生育され日本の皇室に奉納。その後、主として大学、地方自治体関連で全国各地に伝播(この順序は以前ウィキに記載されていた)朝鮮戦争後の韓国では日本よりも植栽された樹だと思う。だから冬のソナタのシーンに登場。

生育が超早くて、あまり剪定しなくても上にまっすぐ伸びる樹形は目立つ。針葉樹にもかかわらず大量に落葉した葉小枝は細かく分散し易く濡れた道路の掃除は手動ではほぼ無理

マキノ町は動画で見る限り道路清掃車が使えるような環境が整っているようで、多分それもあって今まで伐採を免れた来たのではないかな?

清掃車を使っていないとすればその労力に頭が下がる思いがするが問題も含まれている

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 私の住む集合住宅にはメタセコイアの樹列がある、しかも真下に深い側溝。

自治会の人たちは営々と40数年渡りほぼボランティアで落ち葉を手作業で掃除してきた。

昔気質のヒトは前例踏襲、忍耐強い、総意としてNOにはならない。

高度経済成長期の基底層は結局周回遅れだった。意匠を変えただけで中身は経済成長程、変えられなかった。その後に続く日本バブルも変身を妨げたばかりか政策的にも保守に逆戻りした。東西冷戦終結後、グローバル資本制の外圧により社会全体として変わらざる得なくなった時代とグローバル資本制の制度的浸透が重なったので日本の社会経済は先進国の中でもうまく回らなくなっている(基底層にとってはダブルショック!若者は観念化不適応)。準備ができていなかった。

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枝を切るのは簡単だがゴミ収集車に載るように後処理するのに体力を使う。小枝をゴミ袋用に刻んで、大きな枝を薪のように束ねるので異様に手間がかかる。

 新しく清掃係になって1年半、最近、一人でこの高木に登って剪定中。1年おきの剪定は今年は無しなので物凄い量の落ち葉を予想し剪定しかないと覚悟を決め一人でやることに決めた。自分のペース、自分のやり方、自分の自由な時間でやっている、というかやらせてもらっている。ま、朝のウォーキングは雑草観察は枯れてしまってできないし、この方が実のある行為、他人がどう見ようとまったく気にしない。

強剪定で枯らしても良いつもりで作業に臨んでいる。人に寿命があるように樹にも寿命がある。住民が移転すればこの高木は伐採され廃棄物の運命だ。役割は終えた

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 メタセコイアの植生には場所を選ぶべきだった。集合住宅の庭に植えたのは大間違いだった。

マキノ町は上手くはまったが街路樹にメタセコイアは賛成できない。公園にもどうかな不向きだろう。上に伸びて木陰を作る樹ではないし、メンテナンスは大変。紅葉もただ枯れているだけにしか見えず紅葉とは無縁の風情。マキノ町の並木道はメタセコイアの作る日本には珍しい一斉感が素晴らしく見える。地面を覆い尽くす落ち葉は薄汚い風情でどうしようもない。

こういう立場と読売の報じるマキノ町の総意とのすり合わせが必要だ。そのためには正確な情報がいる。一方的にロマンでを語ってはどうかと思う。

少なくともWは事実をありのままに書いているつもりだが、そもそも日本独特の文化様式である<様々な意匠>ってそういう錯覚の齟齬から成り立っているのかもしれない。

一方に事実があり、他方に事実の意図的な編集がある。だとすれば編集情報の方を矯正してもらえば、<様々な意匠>のとっかえひっかえは少なくなり真実が一般に見えやすくなる。

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溝の中に落ちたメタセコイアの落ち葉をさらうのが大変だったと歴代の掃除係のひとはいう

 ではなぜ事態を改良しなかったのだろうか?

機械の導入、掃除用具の工夫、無しで只黙々と時間超過のサービス労働をしてきた。

ソレに費やした時間の総計はどのくらいになるのだろうか?途方もない時間である。

私はその事態に日本人の性根は年貢ムラ請負の江戸時代から変わっていないのじゃないかと疑う政治や社会がどうこう以前の問題と思ってしまう。

     マキノ町のケースはたまたま、条件が嵌った感がする。

街路樹に成長が早く、メンテナンスに過大な手間がかかる樹を植える時代ではなくなった(特に人手の足りない日本では)。緑豊かな樹々や見どころのある植栽は公園に集中すべきだった。都市計画無きところで通用しない見解だが。最近ようやく街路樹や公園の樹に気配りするようになってきたが色々不便な要素が多く開花期の短い桜の樹が多すぎる。ソメイヨシノってそんなにきれいな花を咲かせる樹は決まった場所の決まった樹。大半は集を頼んで咲いているだけの駄樹。そういう樹下で飲んで騒いでは下卑たものを曝け出しているだけじゃないのか、恥ずかしくないのか。

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それに報道意図に沿った一部情報を編集し、視聴者になんとなく納得感を醸し出すのは止めてもらいたい。

どこからどこまでが手作業清掃なのか機械化作業なのか、はっきりさせない報道姿勢は報道者の目的のために編集加工されたものである。一端でも軽く全貌を紹介しないと勘違いする人が出てくる。そういう記憶脳が積み重なることの弊害がある。そういうのって仮想現実に埋もれるっていう。

 仮に機械化しないでシルバー人材センター的労働力を動員しているのであれば、巨視的経済観でいえばそれなりに問題がある。

シルバー人材のヒトは作業の効率化など全く眼中になく、ただ黙々と仕事に励む人が多く、昔気質の管理者はそれを良しとする。社会の基底において未だにそういう労働環境が下支えしているとすれば、マキノ町のような「観光地」を訪れててもゆったりした心で楽しむことができなくなる。ただ訪れて周囲を散策しないで終わり。地元にカネは落ちない。スマホ写真と撮ってハイ終わりの観光地確認作業になってしまう。飯食う前のスマホ写真と同じだよ。

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一方で勝ち誇ったような顔で語る地元のヒトに田舎の独りよがりを見てしまう。

都会から田舎に移住して落胆するケースは田舎の独りよがりの環境に馴染めないせいもある。

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@silentjoker0203
8 か月前
大津市から昨日行ったわ~チャリで。往復120km。

⇒W。ナルホド、そういう楽しみ方もあったのか!朝出発して帰宅したころは夕暮れ。琵琶湖西岸、一日の楽しみ方としては最高。

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明日からメタセコイアの剪定がまた始まる。よじ登って枝カットしてゴミ出し用に処分する。引っ越してきてからいろいろなことがあった。自らへのエポックメイキングのつもりで最後までやる。ココに至れば****以外に本質的な意味はない。