反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

第一回。「高齢者向け宅配弁当」の必要に迫らたので事情を調べてみた。大別し<冷凍>配達と<冷蔵>配達の2種類の業態。前者は産直冷凍パック、運輸業者まとめ個人宅配。後者は新聞全国末端配達店網のような超労働集約物流業態。故に収益を確保しようとすれば調理工場を全国一か所にまとめ<冷蔵>長距離輸送の店舗分配の必要があり、当然味と鮮度は落ちる。

 今は関係していないがある団体の会員になっていた頃、中心人物の一人が高齢者向けの宅配弁当を配っていると知って事情を聴いてみると、最低賃金を少し下回る時給しか出ていないという。配達時間は1時間をオーバーすると思われるので、冗談で労基法違反ちがうの?といっておいた。

 しばらくして、その弁当を見守りケアの相手にとってみることにした。手間を取らせてはいけないので配達順路で待ち構えていて、受け取り早速夕食に出してみた、ところ、即座に「コレは食べられない」と拒絶された。その日のメニューはとんかつがメインだった。見た目も貧弱なとんかつと脇にはキャベツのみじん切り、その他はあったのかなかったのか忘れるほど、申し訳程度の品だった。内心、これでは日ごろの食習慣から食えないだろうと思っていたが、今日は偶々、こういうメニューだったが以降はいいメニューが揃っているよと一々読み上げて説明したが聴いてもらえなかった。

 

 高齢者向け宅配弁当に拘るのも多少、訳があった。

2000年初頭、ある車いすのヒトはデイサービスで昼食を済ませるが、夕食は宅配弁当を取っていた。木製の勉強机のような机に車いすを寄せて机上に四角の大きな宅配弁当、足元には地方の銘酒の一升瓶。マグカップになみなみとうまい酒を注いで宅配弁当を酒の肴にやるのが一日の楽しみにしていた。その宅配弁当はなかなか豪勢だった。「すごいものくっているねぇ~」。「少し高いものを注文しているんだよ」と本人は云った。バラエティーに富んだ品は酒の肴にはもってこいだ。メインもがっつりしている。残りのおかずでご飯も食べられる。家庭料理でこういうモノを用意しようとすれば相当な手間とカネがかかる。

 以来、高齢者宅配弁当といえば、少し奮発すればいいものが食えると想いが刷り込まれた。

所があれは一時代も二時代も昔のこと。新規参入しヒトモノカネを全国規模で集中投下する収益追求型の企業が短期間に市場占有率を高め、ビジネスモデルを確立すると従来の地域企業の経営は成り立たなくなった(ワタミの宅配は熊本県の宅配業者を買収し立ち上げられた)。

先に紹介したある団体関連の配食弁当システムも顧客がすくなく広範囲で分散しているので新規参入した企業のサービス内容や労働条件に見劣る結果になった。

酒の肴の豪勢な宅配弁当も今は前の価格帯では手に入らない、とおもう。

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     余談、書き記しておくこと。

 ちなみに、車いす一升瓶の彼は脳出血で倒れたとき、偶々救急搬送された病院がその道では全国有数の手術数を誇る有名病院だったせいか、一命をとりとめたが本人曰く、後遺症で頭痛するといっては、飲酒と鎮痛剤を両用してよくらりっては、周囲をやきもきさせていたが不思議な魅力のある人だった。

術後視力が極端に落ちてTVをつけていたも画面が見えないといっていた。

座頭市のような雰囲気のある人だった。頭が良くて感がさえていた。顔を背けてジッと空間を見つめながら、相手のことを推し量っているような気配を漂わせていた。身体障碍者になって特別な感性が立ち上がる人もいるのだ。

車いす生活をおくっていても向こう意気の強さは堅持していた。それでも憎めないところがあった。妙にしおらしいときもある。「ありがとう」とはっきり口にできた。

 このヒトは目がよく見えないので机上の灰皿で煙草を消せないのが度重なってある時ぼやを起こし、アパートを追いだされ、今度は施設に入った。

一度だけ訪ねていった入所先は中規模の新築分譲マンション一角に設けられたグループホームだった。広いテーブルとキッチン、周囲に7~8部屋の個室が設置され、半分ほどしか埋まっていなかった。料理を作るという世話役の女性は元小料理屋の経営者で癖のない性格のヒトでまさにピッタリはまり役だと思った。介護責任者がどういうコネを使って入所させたのか知らないが、15年ほど前にはそういう最終の処遇ができた。

 

 知っているアルコール依存で死んだヒトは違った。

向こう意気の強さだけのまま死を迎えた。ある程度根回しの結果入った病院を飛び出して自宅に帰り、しばらくした日に部屋を出て階下の喫茶店の前に座り込んでいた。顔は末期肝臓疾患で黒ずみ、眼は黄ばんでいた。一種の狂気、むき出しのまま搬送先の病院で死んだ。一つの死にざまとして記憶に残っている。価値判断の入り込む余地のない、人間的事実だった。「酒に人生をかける」といっていたが何がそう言わしめるのか今でも想像できないが、どう生きようと何をしようと人性に意味はない。だから自由なのだ。

 今から思うとあの頃は周りが動けば、制度側にも動きがあった。今はやり過ごされるか、押し出される。

 

 横道、それ序に書き記しておくと、「座頭市」の介護責任者の死を最近知った。

事業所は規模を縮小し奥に引っ込んだ。

助けてもらいたくて電話したところ、去年死にました、と簡単に言われた。

「ガンか何かですか?」「複雑な病気で死にました」それ以上問う立場になかったのでやめたが今でもその死の事情を知りたい。

介護の世界で(知っている限り)最後まで責任を負うしごとをしていた。そういう仕事ぶりのヒトは希少だ。負荷がかかっていたのだと思う。もっとも介護の世界で仕事をするヒトではなかったが。   付録終了

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それもあって、知り合いの宅配弁当の蓋を開けたときは、愕然とした。いったいこれはなんだ、と。たぶん、見守りケアの相手よりも自分の方がびっくりしたのではないか

 それからしばらくして、高齢者宅配弁当へのこだわりが捨て切れなくて、自分でほかの業者のものを取ってみることにした。

その名を「まごころ弁当」という。近所でネームいりの特性荷物箱を取り付けたバイクにたまにお目にかかる。

 試食だけだったのか、1週間ぐらい取ったのか忘れた。

あきれ果てた。猫のエサ程度のしろものだ。それしか感想は浮かばなかった。味がどうこう言う以前にとにかく量が少なすぎる。病院食の方がワンランク上だ。

こんなものをくっていたら気分が落ち込んでくる

もっとも自分の食習慣とかけ離れていることが最大の忌避感の原因だ。

食いたいものを充分に食う。バラエティーにも気を配る。ご飯はあまり食べない。

それがなんだ、このめしは。自由の束縛である。

空っぽの弁当箱の上に張り紙で、中止してください、と張り付けた。

 

 それからかなりして、見守りケアのヒトから古い近所の友達がワタミの宅配弁当」を採っているという話がでた瞬間、ピンときた。これを糸口に偏食気味のこのヒトのために「ワタミ弁当」を取ってもらおう。そのころ、ワタミの過労死などの労働問題が噴出した後だったので、その方面からも「ワタミべんとう」に引き寄せられた。いったいどういったものが来るのだろうか。「一緒に取ろう!」

という訳で、まごころ弁当に懲りずに、怖いもの見たさも手伝ってワタミ弁当を取ることにした。

 配達の初日、配達人は「イロイロと問題を起こしていますが」などと当方が何も聞かないのに唐突にその方面の話を切り出したが、その話をこれ以上深入りさせないつもりで「そうみたいですねぇ~」と興味なさそうに返答した。

というのも、配達人の風情は、その方面の問題点に関して、何となく自分と意見が一致しているように思えたから、それ以上何を話せばいいのだという感じたった。

見守りケアのヒトとは何度か、配達人について話題が出た。いわゆるジェントルマンなのである。いろんなことをよく知っている人という感じがどことなくにじみ出ていた。ヘルパーの講習会に通っているといっていた。請求書と領収書を区別できないボケている人の対応も控えめでキチンとしている。

 ただ一つ配達に難点がある。朝が早すぎる。7時過ぎに弁当を持ってくる。戸外に置くことができるが、集金もこの時間帯になる。

今、高齢者宅配弁当について調べ切ったので、その事情は解る。

早朝配達後、自分の本業に就いている。

あるいは、あまりにも請負配達箇所が多すぎて、早朝から配らなければならない事情がある。

 肝心のワタミ弁当の中身。

まごころ弁当がネコのエサならば、ワタミ弁当は完全に人間の食い物の領域

上手いまずい、など諸々の評価基準の対象になり得る

しかし慣れてしまえば、同じ調理、素材パターンの繰り返しだとわかる。

味が食材にしゅみていない。濃い味のごまかしがきかないので決定的な欠陥である。

大きな調理容器で大量の食材を短い時間で処理すればこういうことになる。どのような手練手管を駆使しようとも所詮、調理の法則には逆らえない。食材の量と調理容器の大きさのマッチングは味を食材に行渡らせる決め手になる。

ただし、長距離<冷蔵>配食弁当配送の手順を踏まなければならない、宅配弁当業態長距離郵送途中の味の浸透具合は調節できない調理した時点で味が食材にしみ込んでしまうと、食する時点でぐちゃぐちゃになるから、中途半端な状態でやめているのではないか。

<冷凍>配食弁当の業態では上記の欠陥がいくらか回避できる

味が良いといわれているのは冷凍配食弁当の手法を取っている会社である。6食分ぐらい一編に宅配業者が送ってきて、解凍して食べていく。クレカ決済も効く。<冷蔵>業者は口座引き落としなので手続きの手間と日数がかかる。安否確認兼用などとしているが、商品手渡し、まとめて代金現金支払い、や口座引き落としがフランチャイズ各加盟店舗?(法人ではない)の独立採算制、対人密着方式に基本的に都合が良いのでその派生事項として謳っているだけじゃないのか。

 だったら、冷蔵弁当の業者は近場で食材調理をしたほうがよさそうなものだが、そうはいかない。

この業種は基本的に労働集約産業であり、労働力商品の経費節減には限界がある。調理品種は多種に及び、大量生産できる生産設備にも限界がある。

以上の条件下では、一か所に大きな調理工場を集中し各食材調理に対応力のある生産設備を開発し生産性を高め、収益をアップするしかない

例えば、まごころ弁当。群馬県の工場以外に工場を持っているという情報はない

多分ここから、冷蔵された商品が全国配送拠点に輸送され、そこから各地域の配送所に転送されているフランチャイズ制の地域末端配送所(コンビニ各店舗よりも超単純作業)は段ボール箱に入った商品を容器(使い捨てではない)に分配するだけだ

どちらかといえば、新聞配達店舗とよく似ている業態である

そもそも、普通にやっていれば、大きな利益の出ない業態である何事かの荒業が必要になるが、堅実に儲かる業態であるのは、複数の会社の報告で確認できる

 ワタミ弁当を止めたのは、自分の取っては元々その必要は全くなかったということ。正直に言えば、割に合わない。2か月取ってやめた。見守りケアのヒトにはその必要性を説き続けたが、かわいそうになってきて止めようといった。わざわざ窮屈な思いをすることはない。食いたいものが食える人はその幸せを満喫すべきである。

それに1食だけだと、物足りないので結局、今までとあまり大きく変わらないほど外に買いに行くので、不経済。食料の供給源がスーパーと配食の二つに分かれているのは輸送費が掛かっている分だけ結局不経済ということだ。

 

 ところがいま、再び高齢者宅配弁当の必要に迫れれてきた。

理屈はさて置き、もう一度、宅配弁当を取ってもらった方が、見守りケアをやり易くなると考えた。

そして徹底的に調べた。

ベテランのヘルパーさんに「どこがいいですか」と聞いたのは、簡単に言えば、クチコミみたいな調子で教えてほしかっただけだった。

「ケアマネさんに聴いたら」という。

クチコミレベルの情報でよいのだ。

とりあえず、話をする前に調べてみると、もうほとんどこの業界の全貌が解ってしまった感がする。

>調べていた当初、まごころ弁当配食ふれ愛を立ち入って調べていると、こんがらかってきた。会社の概略を筆記メモするとすぐわかった

>両者は同じシルバーライフという運営会社が二手に分かれて運営するフランチャイズシステムだった

>その理由は代表者自ら語っている。要するに市場占有率を高めるために二手に分かれて、市場新参者の参入障壁を高め、同じ業態で先行しビジネスモデルを確立した同格他社を蹴落として、経営の管制高地を獲得し、収益率を高めたいのだ。

>ネットのコメントを見ると、この事実さえ知らないものが多数ある。つまり二つのフランチャイズの運営元の思う壺にはまっているのだ。

事実を重んじるWは近在の一方に何度電話しても繋がらなかった。前まで出向いて外景を確認した。配車バイク1台の荷台ネーム無し。とりあえず場所だけ確保しているといった状況丸出しだった。もう一方の方も航空写真ではうらぶれた駐車場に多くの配車が並んでいる。

要するに両者とも日々の仕事に追われ、安否確認などと云うきめ細かいレベルに配達員が対応できる状況にないと見て取れる。新聞配達店の方がもっと小奇麗だ。もっとも大きくは伝統的な制度の規制に守られた新聞業界と新しい制度の業界の差はあるが。

                時間不足で今回を第一回とする

>次回は調べ上げた事項を具体的に並べていく。

2020-03-25反俗日記の編集再録。日本及び日本人の国家「共同幻想」は構成員に自己犠牲を強いる構造。ケガレを、 人間と自然のそれなりに均衡のとれた状態に欠損が生じたり、均衡が崩れたりしたとき、それによって人間社会の内部におこる畏れ、不安と結びついていると定義すると、それは現実に対する動物的忌避感に。2021年五輪固執はケガレに対する禊、ハレ願望。

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反俗日記wacwac。

 下記をハレとケ、ケガレを探究する目的で4本の記事を去年メモしたが、アップせず、自己学習にとどめた。

>下記のダワーの文脈が異常に気になり、そのままやり過ごすことができなかった。

         ~ジョンダワー本より

この本の全体像は歴史家として特記すべき細部のディテールをきちんと押さえ、その積み重ねによる叙述という実証主義の基本スタンスがはっきりしているが、文脈から受ける印象は日本の原住民性を逆なでするところ。

「敗北を抱きしめて」とかいう岩波書店の邦題も本の中身にディテール、文脈を反映していない。原典のタイトル、「第二次世界大戦における日本の目覚め」に添うようにすべきだった。そうすれば当時のアメリカと日本の立ち位置がはっきりし、ダワーも批判する占領軍とアメリカの欠陥も読者は想起できる。

 

   ダワー本。引用開始
外国人が『従順な家畜』の心理と嘲笑った大勢順応主義は、日本人の間ではもっと当たり障りのない言葉で表現されるのが常だった。
@世の中の上下関係に敏感で身の程をよくわきまえるという感覚が、この順応主義を生み出すうえで欠くことのできない要素であったが

W。日本人の深層心理における戦前と戦後の継承性はどういう具体的な事例によって遂行されていくのか、すりこみの具体例。丸山真男の論法をまねている。

@同時に、それは、人々にとってなじみ深い価値や行動や象徴といった要素を含んでいた。
 占領時代にはGHQによって禁じられていた日の丸や国歌「美俗」の一部と意識されていたし、
 ①W。習俗。村祭り、みこし、盆踊り、伝統的な結婚式や葬式、感傷的な流行歌、茶道、武道、親孝行、勤勉さ、年長者に対する尊敬の念、女性の美徳の数々、『義理』と『人情』の葛藤を美化する感覚外見やメンツを気にする態度、そして和の尊重といったものも『美俗』の一部であった。
 ②天皇に対して感傷的になったり、卑屈な態度をとることも、民衆意識の一部であった。
 ③W。当時の雰囲気を再録しなければならない⇒このことはマッカーサー元帥個人に対して、また一般的にGHQに対して日本人が見せた態度の中に劇的な形で現れた。
>あらゆる階層の日本人が、それまで天皇にしか抱かなかった熱狂をもって、この最高司令官を受け入れ、ごく最近まで日本軍の指導者に示してきた経緯と服従を、GHQに向けるようになったのである。

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W。

 >もちろん、①新型コロナウィルスの現状と、

福一原発事故のザ、シュチュエーション イズ アンダーコントロールという2020年東京五輪誘致に向けた発言と誘致運動

を重ね合わせ、その根底に何かを読み取りたいという意図もある。

 

@<OMOTENASI>とかいういけシャーシャーシャーとした恥知らずな発言に今の日本の一部のリアル動態が集約されている。

@そこには外国人観光客頼みの極一部日本の現状がある。

@にもかかわらず、日本の観光客誘致は世界的に見て大した位置にない。

各国・地域への外国人訪問者数ランキング|統計・データ|日本政府観光局(JNTO)

W.リピーター数が少ない!

 

さらには、感染当初、検査数増加を求める当たり前民主政の要求に対する、湧き上がる反対の声

>事態は新型コロナ以後を見通す視座が必要なのであって当初の段階で検査数の増加を求める民主政として王道を行く要求をスルーする政府や当局の行為、およびそれにピッタリ寄り添って民主政の要求を攻撃する政治構図は後に、庶民レベルに災いとなって降って来る。

民主政は最初から予定調和できず、ジグザグは織り込み済みでなければ機能しない検査数増加の要求に答える政策は長い目で見ると間違いではない!

 以上が日本の政治を動かしている顕在的潜在的動因の一部なのだ。

 

>もちろん、ダワーはハレとケ、ケガレを探究する研究書を踏まえたうえで日本人の「美俗」を列記しているのであり、この分野について探求しておく必要があると感じて、公開することに決めた。

 さらにCVID-19を取り上げた前々回の記事を書きながら浮かび上がった問題意識と根深い疑念なぜ日本の当局は当初の段階において、検査数を増やすという民主政の常套手段を踏まないで、多数の市中感染者の検査ハードルを高く設けて放置できるのか。への探求という意味もある。

>この対応は世界に類を見ないものであり、その根底には日本独特の何かが潜んでいると考え過去のハレとケ、ケガレメモを公開する。

 結論的に言えば、

日本及び日本人の「歴史」、文化伝統的国家「共同幻想」はその構成員の内輪の自己犠牲を強いる構造を持っている古事記日本書紀平安時代藤原氏系の朝廷内権勢の正当化、と言われている)。

そして階級差が顕著になれば物質的生物的家族的弱者の犠牲に結果する

@もっともこの傾向は日本だけではないが日本当局だけが最初からその道を選択している。

      

wacwac。①は何となく感覚的にわかるが

    >②とは何か?①との関連は?

ほんとうにこのような事態があったのか!

民衆意識の根深さ=根深い軽薄さ=根深い衣装性、を感じる。

 このような心情はGHQアメリカが天皇を自らの占領支配や以降の日米関係に利用する強固な意図がなくても、眼前にリアル欧米強者が提示されると反抗する契機は予め喪失している、とみる。

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         ハレとケのはざまで http://apolohal.jp/st2-15.htm

 >W。このURLには今は別な記事が記載されている。
 <柳田 国男>
日本人の生活を「ハレ」と「ケ」に分類し、「ハレ」の生活を年中行事、
神祭り、盆、正月、冠婚葬祭など非日常の生活
それ以外の日常の生活を「ケ」と定義した

 

>しかし、1970年ごろから「ケガレ」という概念が、日本人の生活に影響を与えたという説が提起された
桜井 徳太郎氏は「ケ」とはを成長させる力を意味し、

それが無くなる状態を「ケガレ」といい、

それを回復する状態を「ハレ」といい、
日本人の日常生活

「ケ」から「ケガレ」「ケガレ」から「ハレ」「ハレから「ケ」へと循環すると主張した。←W。日常性に無常を抱え込んでいるのだな!それでは、大地に根を張った思考形態は生まれない。やろうと思えば隠者になるか、修行者になるしかない。
 
>「ケガレ」という観念が日常生活に影響力を持ち出したのは、平安時代の貴族社会が始まりである。

  

  <網野 善彦>は「日本の歴史を読み直す」で

「ケガレ」を、
人間自然のそれなりに均衡のとれた状態欠損が生じたり、均衡が崩れたりしたとき、それによって人間社会の内部におこる畏れ不安と結びついていると定義している。←W。

        ↓

東日本大震災福島第一原発事故(ケガレ)⇒東京オリンピック開催追及(ケガレ感の否定としての魂の清浄化~禊~⇒こじ付け無理やりのハレの大イベントの執拗な追求⇒「神」は見捨てた(第二次世界戦争東京五輪中止に引き続く、コロナ渦の2度目の五輪中止の大難事)⇒この文脈で森喜朗の首相在任中の日本は神の国発言を踏まえ、今もなお2021年に延期された東京五輪に執着する姿勢の深層心理を読み解くことができる。

 なお、Wはその手の思想信条を、あまりにもかけ離れた対抗軸にあるものと認識しているが、ヒトは十人十色、自由、という意味で認めるが、いわゆる右翼が政権を担当しその政策を実行するとロクなことがなかった、と総括している。

 戦前は云うまでもなく、高度経済成長を引き継ぎ先進諸国の中で持続的経済成長を維持していた時期の中曽根政権の時期の基本政策が後の日本の災厄を決定づけたとみている。

先進諸国は行き詰まりの中から家族制度や経済の構造改革をせざる得なかったが、中曽根は逆向きのことをやり、プラザ合意受諾から日本バブルとその崩壊、長期経済停滞に至る。その長い道すがら、改革は検討違いのモノばかりだった。もっともこの長期経済停滞は戦前戦後をトータルした世界経済史の視点から見ると歴史的な必然事項だった、反俗日記において根拠を繰り返し提示している。

 

新型コロナウィルス発生(発生当初から検査数を増やせば医療崩壊=人間と自然のそれなりの均衡状態の大欠損⇒現実直視を避けたいという忌避感に突き動かされる根底には<ケガレ意識>が潜んでいる。
W。集団ノイローゼ発症。それなりに必死の思い。TV報道はそれにつけこんでサブミナル効果を狙って独特の恐怖感を煽るアナウンスをする。

     死亡は死穢

誕生は産穢火事は焼亡穢というふうに日常生活のあらゆるバランスの変化ケガレと結びつくと、←W.道理ではなく皮膚感覚の類!ただしそれが純日本産のものかどうかまで疑ってかかる必要がある!
 それを清める人や行事が必要になってくるそれが「ハレ」の行事である。W.丸裸にふんどしの大相撲もハレの行事に相当
その代表行事が祭りであるが、←W.ナルホド!原始宗教レベルだ

人間のほうでも「ケガレ」を清める専門家の「清目」が出現する。
かれらは神仏に直属する神人や寄人として位置 付られ、差別を受ける存在ではなかった。
>しかし、神仏の権威が凋落するにつれ、いつしか賎民視されるに至る。

       ↑

W.網野史観。間違っていないが、網野史観はこの構図で日本史を説明しようとしているところがあるので、賛同できない。

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 LIFESTYLE https://w-sc.jp/haretoke/ ~WOMEN'S SHOWCASE~

日本人の世界観「ハレとケ」を見直す―SNSに惑わされているあなたへ
SNSや雑誌のモデルどうしてあんなにキラキラしてるの?~

W.以下は民俗学的な概念規定からすれば通俗極まりない ハレとケの解釈である。この解釈では、<ケガレ>という稲作、古代天皇制以降に発出し社会化した日本人独特の忌避感は説明できない。

 

  引用

「「ハレとケ」について 

「晴れ着」「晴れ姿」「晴れ舞台」「晴れの日」「晴れの門出」 


日本人は農耕文化で非常につましい生活を余儀なくされてきました。その中で日常と非日常を上手に使い分けて生活を楽しむことをしてきました。⇒W?ムラ掟、違反者への過酷な暴力制裁、間引きなど裏面はどうなんだ、ということ。

  「ハレ」は「晴れ」と言い換えることができます。
「晴れ着」「晴れ姿」「晴れ舞台」「晴れの日」「晴れの門出」といえばイメージしやすいでしょうか?
結婚式や成長に伴う行事の日やその時にお召しになる衣装の事ですよね。とにかくそういう日にできるだけ着飾って行事を楽しんでいました。
  「ケ」は日常
ハレは特別な日ですが、そんな日は1年に数日…で後はあまり変化のない「日常」が大半です。それを「ケ」と呼びます。
毎日が面白おかしく暮らせるわけではない、
>「ケ」があってこそ「ハレ」にはじける思想は今も感じますが昔から日本人にある習慣なのですね。


    「ハレとケ」の思想は柳田國男から
この思想を明確化したのは日本の民俗学の父とも呼べる柳田國男さんです。
日本人はハレの日にはそのための食器さえ特別なものを用意し、お食事も豪華にしていました。
宗教的な行事ごとに特別感を出していた諸外国とは違う日本独特の生活の時間観、世界観なのです。
>しかしこの世界観を伴った対の言葉である「ハレとケ」の「ハレ」という言葉は今も使われていますが、

「ケ」は明治時代以降あまり使われなくなっています。
>そのことについて柳田國男さんはハレとケの区別の曖昧化が進行していることを昭和初期に指摘をしています。

       ↓   ↓
    <現代は「ハレ」ばかり>⇒W。だったら、人間自然のそれなりに均衡のとれた状態欠損が生じたり、均衡が崩れたりしたとき、それによって人間社会の内部におこる畏れ不安

が社会の根底部で一気に噴出する。

 

現実に対する忌避感が動物的感覚で沸き起こってくる。

@それが政権党の政策に反映する。あるいは反映してきた、という歴史視座から日本史を総括すればどういう絵柄になるのか?

@右翼が政権と取るとロクなことはない。戦前の皇国史観の自他ともに認める第一人追放された平泉教授は日本会議の創立メンバーだった。

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>冒頭の雑誌の特集の例もそうですが

>現在の時間の切り取り方は「ハレ」の部分のみです。
>それはそれで構わないのですが、だからといって彼女らが「常にそんなゴージャスな暮らしをしているのか」は別だと思いませんか?
>一部のセレブはそうかもしれません。
>でも、彼女らも仕事の中でも家庭においても地味で堅実な案外「人間臭い」暮らしをしているのではないでしょうか?

    <SNSの友人も特別感の演出かもね>
「雑誌の中の芸能人は特別ってことは分かるけどFacebook,Twitter,Brogの友人も自分よりいい暮らししてる!うらやましい」って思っていませんか?
>どの媒体を使うにしても、どうしても「見られる」ことを意識します。
>だったら「日常」よりもちょっと離れた場面をどうしても切り取ってアップしますよね。
自撮り写真1枚にしたって何度も撮りなおす若い女性のなんと多い事か!これはすでに非日常「ハレ」に近いんです。


  「うらやましい」はより自分を良くして行こう!という活力につながります
>でも人っていつも「非日常」の中にいては疲れますし、

>非日常を日常と勘違いすることでより刺激的なものを追って自分の足元が見えなくなってしまいます

W.政治の常套手段は民衆に非日常を開示し、自らの政治意図に巻き込むこと。

W.戦争は他の手段をもってする政治の延長である。クライゼビッツ。

W.諸君砲撃したまえ、さらば国民は団結せん。ヨーロッパの君主。

W.東日本大震災福島原発事故、長期経済停滞→ここは一発、東京五輪で起死回生。石原慎太郎。~~真面目な保守ではない。こういう蠢動に天は見捨てた。
>それが行き過ぎると自分の収入以上の暮らしを求めて家計を顧みなくなったりW、国家レベルに置き換えても的外れではない!その手の重厚長大有効需要創出は時代遅れ!)またSNSのやりすぎ投稿などの一因にもなりかねません。


      <日常こそ大切に>
生活(日常)って平凡でつまらないものです。その「ケ」の部分を大切にするから「ハレ」の日を喜びを持って迎えられるのです

W.優先順位は五輪開催よりも天変地異への備え。

W.来年に延期すると、現状改革や政治的自覚は先延ばしにされ遅れる。
>今こそ日本人の世界観を「ハレとケ」を見直してあふれかえった「非日常」めいた情報に振り回されないでほしい。そう思います。

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      ハレとケとケガレ

http://www9.wind.ne.jp/fujin/rekisi/onryo/onryo05.htm

W。全面的に引用する。丁寧な研究記事である。

上記にあげた記事をもっと踏み込み死生観、宗教世界観の領域まで論じている

参考になる!

 

  引用開始

「人は誰であれ、生きていれば何回かは親族の死に立会い、あるいはまた、他の誰かの葬儀に参列することになりますね。
自分の親族の葬儀なら、喪主は葬儀の後に飲食会を開きます。

いわゆる『お清め』です
お清め(お清め塩)がいつごろから行われるようになったのかはわかりませんが、これをお清めということは、逆に葬儀はお清めの正反対にあると言えるでしょう。
と言うことは、葬儀は清らかなことではない、ということになります。
なぜかと言えば、

葬儀を執り行なう、あるいは葬儀に参列することによって目に見えないが極めて抽象的なものが身についてしまうので
その『身についたもの』を取り除く行為をしなければならない、ということです。←W.今の葬儀社は葬儀の後の飲食会などは省略する傾向があるので葬儀=清め。この筆者も後段でそういう論理を展開している。

それがお清めです
 

 では一体何が身についてしまうのか。
 それは『ケガレ』と言われます。

お清めとは清らかにすることであり

ケガレとはその対極にあって不浄とされるものです。
抽象的であり精神的な感覚上のものですから、どんな科学技術の最先端を行く精密な分析装置であってもこれを検出測定することはできません。
洗濯なら衣服についた汚れを、入浴なら汗や埃を洗い流すという具合に、洗い流す対象ははっきりしていますし、その効果も実感できるのですが、
     ケガレとはあくまでイメージなのです。

     ケガレの反対語、つまり清浄な状態を一言で表す言葉→『ハレ』
>我々の祖先は葬儀、いや、人の死をケガレとしてとらえていたし、それに接するとケガレが身に付くと考えました。
>ではケガレの反対語、つまり清浄な状態を一言で表す言葉があるのか、と言えばあるのです。
>それを『ハレといいます。
晴れ姿、晴れ着、晴れ舞台、晴れの日(入学式、卒業式、結婚式などの日)・・・ハレとはこのようなことをいいます。
     
     日常のことは『ケ』=食事に関係するもの
>ハレもケガレも特別なことであって、日常のことではありません。
>日常のことは『ケ』といいますが、結論から先にいいますと、ケとは食事に関係するものなのです。
普通の国語辞典には載っていないかもしれませんが、

大辞泉小学館)にはこのように載っています。

    『ケ』と発音するもの

<毛 作物。特に稲の穂の実り>
食 食物、食事
笥 食物を盛る器

>褻 正式でないこと。また日常的なこと

一毛作二毛作朝餉(あさげ)・夕餉(ゆうげ)と言うのはおなじみかと思いますし、
ケ時ケどき・・・食事時のこと)
ケツケまいり(田植えが済んだことを神に報告し、豊作を祈願すこと)という言葉もあるようです。
   ↓
もう少し具体的に書きましょう。

ケガレは四季の移り変わりで自然に発生
< 刈り取><田は枯れた状態>ケ=(稲の穂の実り)ガレ 
稲は夏に田植えをして秋には刈り取ります。

< 刈り取るということは、田は枯れた状態>と同じです。これがケガレです。
稲を刈り取った後に行われるのは豊穣祭です。五穀豊穣を神様に感謝するお祭りです。このお祭りがハレなのです。

結婚も入学・卒業も日常のことではありません。

それを日常に軌道修正(?)するのが結婚式であり、入学式、卒業式ということになります。その日に着る服は、もちろん晴れ着です。
   
人為的に発生するケガレ=罪<天津罪(あまつつみ)と

国津罪(くにつつみ)>(神話時代)
>このようにケガレは四季の移り変わりで自然に発生するものですが

>人為的に発生するものもあります

それが罪(つみ)で、古代(神話時代)考えられた罪は天津罪(あまつつみ)と国津罪(くにつつみ)です。


●天津罪

畔放(あなはち) 田の畔を壊すこと
溝埋(みぞうめ) 田に水を引く溝を埋めること
樋放(ひはなち) 田に水を引く樋を壊すこと
頻播(しきまき) 他の田畑で作物の生長を妨げること
串刺(くしさし) 他人の田畑に杭を立てて、収穫物を自分の物だと主張すること
生剥(いきはぎ) 生きている馬の皮を剥ぐこと
逆剥(さかはぎ) 馬の皮を尻の方から剥ぐこと
屎戸(くそへ)  祭場を糞尿などの汚物で汚すこと

●国津罪

生膚断(いきはだたち) 人に傷をつけること
死膚断(しにはだたち) 人を殺すこと
白人(しろひと)    肌の色が白くなる病気
胡久美(こくみ)    瘤ができること
おのが母犯せる罪    近親相姦
おのが子犯す罪     近親相姦
母と子と犯せる罪    他人の女とその娘を犯すこと
子と母と犯せる罪    他人の女とその母を犯すこと
畜犯せる罪 獣姦
昆虫の災 昆虫やムカデ、蛇などによる災難
>高津神の災 雷など天災地変による災難
高津鳥の災 空を飛ぶ鳥による災難
畜仆し(けものたおし) 家畜を呪い殺すこと
蠱物(まじもの) 他人を呪い殺すこと

これに対し国津罪は近親相姦のタブーや、自然現象としか思えないようなものもあります。
近親相姦がタブーなのは、それを続けると一族の滅亡につながるからで、これは古今東西を問わずどこの世界でも共通のものです。
また昆虫や鳥の害を罪というのは、古代にあっては災害は自然現象という考えがなかったことによります。

天津罪に生剥というのがあります。

>動物の皮(毛皮)を剥ぐとは、そこに生えている毛が枯れることです。
>つまりこれもケガレの一つなのです。

ここから転じてケガレとは、人や動物の死を意味するのです。

>ですから死、葬儀はケガレなのです。W?

こうしたケガレを浄化するハレは定期的に行われるものがあります。たとえば大祓です。
月のそれを年越の祓(としこしのはらえ)といいます。

 

また定期的ではなく臨時に、罪が発生した時に行うものもあります
>それが禊(みそぎ)です。

W.禊ならば簡単にやめられない。2021年延期された五輪は。切羽詰まっているのだ。


 <古代人は、罪を物質的なものと考えていた。>

               W。本質的な思い
そして、罪を犯した本人が刑罰を受けたのちもなお、罪に宿る災気は去らず、天地に浮遊し、人びとの生を脅かすと考えていた。
>だから罪を犯したものに刑法上の制裁を課したあとでも、

*なお「祓い」という呪術宗教的儀式を必要としたのである。(日本の歴史1 神話から歴史へ /

ja.wikipedia.org

 引用

「後年は、『日本書紀』や律令等の古典籍の注釈を専らとし、特に律令の注釈は石母田正らと編集した『日本思想大系 3 律令』(岩波書店)に詳しい。

井上の歴史学の方向は、恩師坂本太郎が、構築した実証主義的アカデミズム歴史学を継承したもので、日本史学史上、坂本の後継者と位置づけられている。またマックス・ヴェーバーの理論や、津田左右吉記紀批判を継承して、律令制以前の政治社会組織研究の基礎を形成した。

大学院に進学すると「奈良遷都以前の社会と仏教」を研究課題に選び、仏教思想史の研究を志す。その際の指導教官には、国史学科で中世思想史を担当していた平泉澄

コトバンク引用

「1895‐1984(明治28‐昭和59)
歴史学者福井県生れ。1919年東京帝国大学文学部国史学科を卒業し,講師,助教授を経て,35年教授となった。日本中世史の研究者であったが教授就任の前後から熱烈な皇国史観の主唱者となり,戦時下の国史学界をリードするとともに,軍部との関係を深め,社会的にも大きな影響力をもった。

>太平洋戦争降伏阻止のため皇居を占拠するクーデタ計画(宮城事件)を立てた陸軍将校たちもその信奉者であった。←W.未調査。調べてみる!敗戦後東大を辞して,郷里の福井県平泉寺の白山神社に引きこもったが,思想的立場を変えず,皇学館大学学事顧問,日本を守る国民会議発起人などとして活動した。」

「1926年に『中世に於ける精神生活』『中世に於ける社寺と社会との関係』を刊行、文学博士、助教授となる。学位論文「中世に於ける社寺と社会との関係」は、アジール論の展開で学界の注目を集めた。1930年(昭和5)渡欧、ドイツ、フランス、イギリスなどを歴訪して翌年帰国。国史学の骨髄』(1932年)、建武(けんむ)中興の本義』(1934年)、『万物流転』(1936年)などで国粋主義的立場を鮮明にし、皇国史観を主張し、青年将校などに影響を与えた。1945年8月、敗戦直後に大学を辞し、郷里に隠棲した。[佐藤和彦]W.学問的業績は加工されて引き継がれているとみるが、意識が存在を規定するのではなくて存在が意識を規定する!

井上光貞、引用に戻る 

倫理学教室の主任であった和辻哲郎を選ぶ。これについて井上は、平泉の学問的業績は認めつつ右翼的臭味」を帯びたその歴史観(実証する時と場所と現状分析の区別と関連はどうなっていたのだろうか?ハマれば時代の寵児。)を敬遠したためと、西洋趣味の家風に育ったため、少々野暮に過ぎる国史学科の日本趣味が合わなかったと自伝に記している。

さらに、日本史を世界史的視野で捉えようとする井上の歴史観の形成に、後年のインド・アメリカ訪問の際の経験も大きな影響を与えた(W。本当にこんなことができたのか?)。以上のような多彩かつ多角的視野に立脚した学問的素養の上に、井上は確実な論証を以て史学研究をすすめていった。

研究や古典籍の注釈の他に、教科書や概説書の執筆も数多く手掛けた。」

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  元の引用に戻る

「*禊をするのは、罪に宿る災気を洗い流すためです。

    もちろん災気はケガレなのです。

>この中でケとケガレはある程度密接(?)な関係がありますが、
*ハレはこの二つから離れて上位に属するように思えますがどんなものでしょう。

>さてケガレとされるものは前記のように人や動物の死をはじめとして、
*出産、女性の生理、火災、などがあります。
中でも死のケガレ(死穢)は最大のものです。

*出産や生理に伴う出血は死を連想させるため、ケガレと考えられるようになったのでしょう。
>死をケガレとする理由は大体見当がつきます。

死体は腐乱し、腐臭を放ち蛆がわきます。
放っておいては周囲の人は耐えられませんし、疫病の原因にもなります。

 

*古代の人は疫病は悪霊・怨霊の仕業と考えましたが、

>それは死のケガレと関係すると経験的に考え<死者を隔離>するようにしたのでしょう。
*隔離する場所はもちろん墓です。
*死というケガレに対す<ハレは葬式>であることはいうまでもありません。
>こうなると葬式の元々の目的は故人を偲ぶことより、ケガレの浄化だったことになります。

W。この論文の冒頭の文脈とは違うようだ!

W。今風の葬式風景に置き換えると、葬式=ケガレの浄化とショートカットされる。

人間的である。

引用する

「自分の親族の葬儀なら、喪主は葬儀の後に飲食会を開きます。
いわゆる『お清めです。
お清め(お清め塩)がいつごろから行われるようになったのかはわかりませんが、これをお清めということは、逆に葬儀はお清めの正反対にあると言えるでしょう
と言うことは、葬儀は清らかなことではない、ということになります。
なぜかと言えば、
>葬儀を執り行なう、あるいは葬儀に参列することによって、目に見えないが極めて抽象的なものが身についてしまうので、
その『身についたもの』を取り除く行為をしなければならない、ということです。」

                            引用終わり

>古今を問わず死は人間にとって最も忌み嫌うものですから←W?古今?果たしてそんな簡単に言い切って良いのだろうか?死ねば楽になれる場合もある!一神教の世界ではどうなのだろうか?Wは死を平常心で受け入れたい。大きな手術をしたが手術室に向かうまでの道中、ヤッホーとさけびたかった。全身麻酔が取れたとき、死んでいればよかったと実感した。自己総括はできている。新型コロナウィルス?恐れも楽観視も一切ない。ほんとうのことが知りたい。ただそれだけだ。

>それに携わる穢多・非人等、動物の皮を剥ぐことを生業とする人々が古代より差別されてきた理由の一つがこれなのです。

W。?古代より差別?どの「歴史書」によって実証できるのか?
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>死を忌み嫌うのは人類共通としても←W?死を忌み嫌うのが人類共通ではないというのがリアルだから、ケガレとする民族が際立つのだ。

>タダシ、ケガレ感は日本古来からあったのかどうか、が歴史を考えるうえでキーポイントになる。

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>「それをケガレと考える民族は日本人くらいなものでしょう。
(穢多も非人も現代では差別用語ですが、歴史上そのような言葉が存在したのは事実ですからあえて使っています。)
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では日本人は、いつごろから死をケガレと考えるようになったのでしょう。

      イザナギイザナミ夫婦の話>
>*ケガレが前記したように稲作文化とともに伝わった*とすれば、
*伝わる以前はそのような考えはなかったことになります。
ここで思いつくのが、日本神話にある<イザナギイザナミ夫婦の話>です。この話の詳細を書く必要はないでしょうから、要点だけ書くことにします。


妻のイザナミに死なれたイザナギは嘆き悲しんで、その遺体を出雲と伯耆の国境にある比婆山に埋めた。
しかし妻を忘れられないイザナギは、黄泉比良坂を抜けて黄泉国に行き、イザナミに会う

ところがイザナギは、腐乱した妻の変わり果てた姿に驚き逃げ出してしまう
>怒ったイザナミ黄泉国の女と一緒にイザナギを追いかけるが、
*黄泉比良坂の坂本まで逃げてきたイザナギは、そこに大きな石を置いてそこからイザナミが出られないようにした。

>坂本(さかもと) :坂を降りきったところ。つまり黄泉国を下ったところに現世はあることになる

余談ですが、イザナギが置いた石は、いわば<結界の証>です。
イザナギの場合は、そこよりこちら側は現世だから入ってくるな、という意味ですが、神社などでは神域(清浄域)を指します
神社では注連縄(しめなわ)が結界の意味になりますし、地方へ行くと道端に<道祖神>と刻まれた石をしばしば見かけます。
道祖神は村のはずれに置かれましたが、これは村に外部からケガレが侵入してくることを防ぐ意味があるのです。
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さてこの神話で私が注目するのは、

<妻に会いたいというイザナギの願いが叶うというところです。>

死んだイザナミは黄泉国に隔離されますが、黄泉比良坂を登ってそこに行きさえすれば、会えることに変わりはありません。

     これは何を意味するのでしょう?
>が結論からいって、<死は生の延長線上にある。生と死は連続性を持つということではないでしょうか?

>私達は、死は生が断絶したものと捉えています。もう二度と会えないから家族や親しい人の死を悲しむのです。
>しかし神話の時代には生と死は断絶ではなく、住む世界が違うだけで、連続したものと考えられていたのではないでしょうか?←W。吉本隆明共同幻想論」を読みたくなった!

 *死が、いつから生の断絶と考えられるようになったのかといえば、
 *それは稲作文化と共に大陸から伝わったのではないでしょうか。
     
 *そして仏教の輪廻転生の理論によれば、人は死ねば別のものに生まれ変わるので、
 *その意味では生まれ変わる核(阿頼耶識)になるものには連続性があるかもしれませんが、
 >>体は朽ち果てるので死は連続ではなく断絶になる、と考えられるようになったのではないでしょうか?←W.仏教は精神と肉体の素朴な二元論なのかどうか?

 *死が生の延長線上にあるなら、<<神話時代>>の人にとって死は恐怖ではなく、ましてケガレでもなんでもなかったのではないでしょうか。
イザナギは大岩を結界として坂本に置くことで、イザナミが追って来られないようにしました。この岩がなければ、彼女は黄泉国(死の国)から葦原中津国(現世)に戻ることができたのです。
*かつて日本人にとっては生と死の境界線は不明瞭だった*、というほかありません

W.今だけカネだけ自分だけの世界では死への恐怖心は募る。

W.現代版ケガレ感が蔓延るのも止む無し。見たくないものは見ないように蓋をする。

W.ラジオの鴨長明特集番組で仏教の不浄修行ということを知って、魅かれるものがあった。「方丈記」は災害直視読み物でもある。

 当時の鴨長明批判者は長明は不浄直視せず、文献引用が多いと批判している。リアル鴨長明は悟りの境地と現実世界の諸々との間に煩悶を自覚しながら生涯をおくったヒトだった。だからWは訳知りの古典の中で長明に魅かれる。

W。圧倒的な修行達成者(庶民レベルだ)は無告のまま死んでいったが歴史は書かれなければならぬ至上の境地に至ったものは、文を捨てる。行為はある。

W.要するに、中世初期から最大のケガレ=惨たらしい死に様リアル直視の問題意識は仏教者の間にあった。

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   しかし、だったらなぜ、黄泉国から逃げ帰ったイザナギは川で禊(みそぎ)したのか、といわれるかもしれませんが、
>屁理屈を承知で言えば、イザナギ<妻の腐乱した姿をケガレ>←W.即自的動物次元の感覚と考えたのであって、<彼女の死>んだ姿←W。共同政治幻想、ここは感覚だけの世界の問題ではない。かつて日本人にとっては生と死の境界線は不明瞭だった*ケガレとは考えていないと思うのです
黄泉国から逃げ帰ったイザナギは、ケガレを流すため日向国の阿波岐原というところで禊(みそぎ)をしました。
水の中に入るのですが、この最中に次々に神々が生まれます。
最後に左目を洗った時天照大神、右目を洗った時に月読命、そして鼻を洗った時に素戔嗚尊が生まれています。
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>川の水でケガレを洗い流すという考えは古代中国にもあります。(というか、こういう話が日本にも伝わったのかも)

>私は死が生の断絶として捉えられるようになって、はじめて人は死を恐れるようになったし、
ケガレ意識も生まれるようになったと思います。
その意味で、  

<稲作文化の伝来から仏教伝来にかけての時代は、日本人の死生観の転換期>にあたるのでしょう。
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<古墳などの陵墓には、死穢を封じ込め、外部に出さないための結界としての機能>があったと思われます。
>死穢の大きさは被埋葬者の身分、権力に比例すると考えられ、
>身分が高ければ高いほどまた権力が大きければ大きいほど死穢も強力になるので、
>それを封じ込める陵墓は必然的に巨大化せざるを得なかった・・・単なる想像ですが、私はそんなことを思っています。
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 自然に浄化させるより、火の力で浄化させる方法=火は清浄なもの 巨大な古墳や、長期間の殯 禁止したのが大化の薄葬令(646年)
しかし仏教が広まると、時間をかけて自然に浄化させるより、火の力で浄化させる方法がとられるようになりました。
いうまでもなくこれが火葬です。火は清浄なものなのです。

巨大な古墳や、長期間の殯は周囲の人にかなりの経済的、精神的負担を与えます。それを法で禁止したのが大化の薄葬令(646年)で、
これは簡単にいえば葬儀の簡素化を指示・通達するものです。経済的負担を減らすと共に殉死、殉葬、副葬などが禁止されています。

   

 怨霊とは生が断絶したにもかかわらず、生の断絶を破って生の延長線上に現れるものです。
死んだはずの人が現れれば誰でも驚き、恐れるのは当然でしょう。(驚くこと自体、死は生の断絶である何よりの証拠です)
>わかりやすくいえば怨霊とは、日本人の死生観における掟破り(?)なのです。だから怨霊は恐れられたのでしょう。
************************************

      怨霊と死穢には密接な関係があると思います。
怨霊は恨む相手がどこにいようと、追いかけて来てとりつきます。それは歩き回り、走り回り、空中を飛来する攻撃的な死穢なのです。

 平安時代には怨霊への恐怖はピークに達しました。

天照大神の子孫を称することを王権の根拠とする天皇は、自らを最も清浄
天皇をはじめとする宮廷の貴族達が、怨霊を恐れる様子は尋常ではありません←W。カースト的清浄性=政治暴力が伴っていないから、政治局面においてみずからの殿上人的清浄性を押し出すしかない。政治儀式の重要性、位階制。

天照大神の子孫を称することを王権の根拠とする天皇は、自らを最も清浄なものと位置づけ(何しろ神の子孫ですから)たため、W。中国の王権神授説と同じ手法天が王権を見放せば、という但し書きがないだけ。君が代は千代に八千代に~~云々

明治維新後の神輿を担いだ側の自作自演の匂いが強烈。

wacwacは純粋右翼からもあきれられるほど根っから興味なく遠く離れた世界。どういう思想を持とうが自由である。否定しない。思想的な根拠も認めるが(つまらん線引きをするのは間違い)、素朴な感想として、客観世界の実在を軽く考える思考形態を避けることができないので、政治の中枢でかじ取りをしだすと、肝心なところでミスリードするとおもう東京オリンピック開催などかなり前から発生している事態の思想的根拠はこれだ。

 なぜ今オリンピック開催などという余計なことを背負う羽目に陥っているのか、想いを致す必要がある。もっともその根本的な回答も記事の中にあるように思うが。

  引用に戻る

「その対極に位置する死穢に犯されることを極端に恐れるようになったのではないかと想像します。この場合死穢は怨霊と置き換えてもいいでしょう。

     古代の天皇は例外なく軍団の総司令官でした。
神話ですが神武天皇はそうでした。壬申の乱を指揮した天武天皇もそうでした。
天皇ではないにしろ聖徳太子朝鮮出兵を計画し、実弟を将軍に任命しています。
**************************************

日本以外の国では、王を含めて貴族は危険に対しては率先して戦うのですだから特権階級として認められている)、
>日本では天皇が死穢(怨霊)を恐れるようになった時、

天皇は軍団の総司令官としての益荒男(ますらお)から、戦えない手弱女(たおやめ)に変わって行ったのです。
天皇の臣下である貴族達がそれに影響されたのは当然でした。」←W。軍団の総司令官としての益荒男(ますらお)をやっておれば、その後の権門体制や室町応仁の乱戦国時代、近世の天皇京都蟄居状態による「権威」の維持はなかった(この件に対する回答は地歴、地政学の中にしかない。コロナが市中にある程度しか蔓延していな状況<世界から最も遠い列島、歴史と伝統あるあなた任せ、自粛していればなんとかなる>もそこにある)。

 なお、平泉氏の「建武の中興」などという論文は、どの程度、イデオロギー偏重なのか知るために今こそ再刊すべきものと考える。

               引用終わり 

新型コロナ最前線のアメリカの臨床現場、日本人医師の声を聴く。~当地の臨床現場の実態と医学的治験から発せられた声は明瞭、科学的。⇒要点を掴んで日本の新型コロナ観と日常を糺す。


空気感染する?空気感染と飛沫感染の違いと対策は?新型コロナウイルス。米国内科専門医が解説

W。資料

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W。引用

独立時の13州の1つである。全米50州の中で面積最小の州であり、日本における滋賀県と同程度の面積である(滋賀県の面積の大きさは日本国内の47都道府県中38番目と小さい⇒W琵琶湖の古城面積が含まれている、と推断するので陸地面積や山間部面積を考慮すると滋賀県よりもかなり広い。

人口密度はニュージャージー州に次いで第2位である(W。コロナ感染率は2位。①位ニュージャージー州新型コロナは都市型感染症である3密密集、密接、密閉)回避日本政策を高評価している。「新しい生活様式相手と身体的距離を確保すること~人間ジンカン50年下天のうちに比べれば夢幻の如くなり~」「マスクの着用」手洗いや咳エチケット」

④Wうがい~~コロナゲームはロシアンルーレットのようなものそれでも感染する。

引用 反俗日記

「哲学的唯物論が認めなければならない<物質の唯一の 性質は客観的実在>であるという性質、我々の意識の外に存在するという性質だからである」

あらゆる意識の外に、また意識とは独立に存在する客観的な実在としての物質。それがすべてだ。

矛盾というモノは単にあちこちに現れる一つの異常とみるべきではなく

それはその本質的な規定のうちにある否定的なもの、あらゆる自己運動の原理であり、

あらゆる自己運動は矛盾の現に他ならない。

外的な感性運動そのものがすでに矛盾の直接的な存在である。

あらゆるものが運動するのは

この今においてはここにあり、そして他の今においてはそこにあるからではなく

同一の今においてここにあり、かつここになく

同一のここにおいてあると同時にないからである。」

抽象的な自己同一はまだなんら生動性ではない。

肯定的なものがそれ自身否定的であること

このことによって肯定的なものは自己の外に出

変化のうちに自分を置くのである

だから或るものは、

自分のうちに矛盾を含んでいる限りにおいてのみ

しかも矛盾を自分のうちに入れ

持ちこたえる力である限りにおいてのみ生動的である

 

認識とは

思考が客観へ絶えず、限りなく近づいていくことである。

人間の思考のうち自然を反映する活動は「生気のない」「抽象的な」運動のない、矛盾のないものとして理解されてはならず、

運動の不断の過程、矛盾の発生とその解決の不断のうちにあるものとして理解されなければならない。」

~~西はコネチカット州に、北と東はマサチューセッツ州に接しており、南西のニューヨーク州ロングアイランドとは海上の州境がある。」ロードアイランド州イタリア系フランス系カナダ人アイルランド系ポルトガル系プエルトリコ系、及びカーボベルデ系の構成比が高いことにより、50州の中でもカトリック系の比率が高い[85]カトリックという単一の宗派が人口の過半数を占めているのはロードアイランド州ユタ州モルモン教)のみである。


新型コロナウイルスで重症化するとは。最前線の集中治療医にきく【南太郎先生 ブラウン大学医学部・内科准教授】

動画で綴るカシアスクレイからモハメッドアリへ。


Little Richard - Good Golly Miss Molly (Muhammad Ali's 50th

50歳の誕生日、コンサートイベント。多くの出演者のバージョンもあるが、Wの知っているものはコレだけだった。リトルリチャード。後は省略。多分見たくない映像も含まれている。

wacwac (@wacwac05690282) | Twitter

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ほら吹きクレイといわれ、ローマオリンピックジュニアヘビー級チャンピオン、アシアス、クレイのヘビー級初チャレンジの一戦だった。戦前の予想ではほら吹きクレイはリストンにリング上で殺されるといわれていた。リストンは刑務所でボクシングを学んだ、という。

 オリンピックゴールドメダルの名誉を手にケンタッキー州ルイビルの地元帰ったクレイは黒人差別に遭遇しゴールドメダルを川に投げ捨てた。後のチャンピオンベルトを保持したまま徴兵拒否、懲役刑に服した伏線をココにみる。

 「ベトコンはオレをニガーとは呼ばない」「そのベトコンをなぜ俺が殺さなければならないのか

~ヘビー級ボクシングというプロスポーツの頂点に達した者の心と身体を張った経験がチャンピオンベルト獲得後の人生の歩みに大きく影響している~

  

  カシアスクレイ、ソニーリストン初戦タイトルマッチ

W。スピード、フットワーク、パンチ放つテクニックキレすべて当時の世界最強と言われたリストンを凌駕している。190センチ長いリーチから的確に繰り出される左のジャブが凄い。力強いパンチでも急所に当たらなけば、効き目がない。リストンもそれなりにスピードのあるボクサーだった、とわかる(後にキンシャサの奇跡でアリに敗れるジョージファマンよりも上だったかもしれない)。もちろんパンチの破壊力は言うまでもない。

同じボクサータイプならクレイの方が1枚も2枚も上だった、ということで、リストンは何回やってもクレイに勝てない。コレが戦評である。だが当時はほら吹きクレイの圧倒的な不利。

>この試合は記憶にない。

>第2戦のリターンマッチは記憶している。

蝶のように舞いハチのように刺すという表現が陳腐に聴こえる。あっという間の出来事だった。1Rコーナーよりから、少し回り込んでのカウンター気味の、右ショートフックは目にもとまらぬ速さだった。一発はこめかみに的中した。リストンは脳震盪を起こしたのだと思う。普通の殴り合いでもココとか目、鼻をまともにやられると、とにかく戦意を喪失する。

www.youtube.com


カシアス・クレイ VS ソニー・リストン 第2戦


George Foreman vs Muhammad Ali - Oct. 30, 1974 - Entire fight - Rounds 1 - 8 & Interview

news.yahoo.co.jp


Muhammad Ali -"This is your Life"

>W。モハメッドアリ物語の節目に登場する人物はほぼゲストに呼んでいる。

ローマオリンピックの対戦相手ポーランドのひと。愛用の赤い自転車を盗まれた少年カシアスクレイにボクシングを勧めた地元の警官などなど。妙に毅然とした存在感のある人だった。

 

2014年反俗日記で取り上げたフィルスペクター、2021年1月15日服役中のカリフォルニア州の医療刑務所でコロナ感染から移送先の病院で死す。~カリフォルニア州の刑務所は新型コロナウイルスの感染拡大が深刻で、60人の囚人が死亡、スペクターが服役していた刑務医療施設でも582人の囚人の陽性が判明し、少なくとも10人が死亡~日本の刑務所の現実に迫る

 

news.yahoo.co.jp

引用

15日(現地時間)に禁錮刑で服役中に亡くなった、米国の世界的な音楽プロデューサーのフィル・スペクター受刑者の死因は、新型コロナウイルスだったと17日、米国の各メディアが相次いで報じた。

ニューヨーク・タイムズ電子版は、スペクター受刑者の娘ニコールさんが、死因は新型コロナウイルスによる合併症で20年12月31日に、殺人罪で服役していた米カリフォルニア州の刑務医療施設から病院に移送され、新春早々、挿管の処置を受けていたと明かした。

またロサンゼルス・タイムスの電子版

~~正確な死因は発表されていないものの、カリフォルニア州の刑務所は新型コロナウイルスの感染拡大が深刻で、60人の囚人が亡くなっていると報じ、スペクター受刑者が服役していた刑務医療施設でも582人の囚人の陽性が判明し、少なくとも10人が死亡したとした。

2003年には女優のラナ・クラークソンの頭部を拳銃で撃ち、殺害した殺人容疑で逮捕された。ロサンゼルス郡地裁で行われた07年の裁判では、陪審団から評決不能とされ審議が打ち切られたが09年の2回目の裁判で第2級殺人罪禁錮19年の判決が言い渡され、カリフォルニア州立刑務所の薬物中毒施設に収監された。その後、14年に刑務所内で倒れ、健康状態の悪化から刑務医療施設に移送されていた。

ザ・ロネッツのメンバーで、68年にスペクター受刑者の2番目の妻となり、74年に離婚したロニー・ベネット(スペクター)は、ロサンゼルス・タイムスの取材に「音楽と私にとって、悲しい日。私たちが一緒に作った魔法の音楽は、私たちの愛にインスパイアーされたもの、私は彼に心と魂をささげた」と語った。一方で「不幸なことに、彼はレコーディングスタジオの外では普通の生活が営めなかった。深い闇に落ちていき、多くの生命が傷ついた」とも語った。 13年3月には、スペクター受刑者の伝記ドラマ「フィル・スペクター」が全米で放送された。同受刑者を米俳優アル・パチーノ、弁護士のリンダ・ケニー・ベイデンを英女優ヘレン・ミレンと、アカデミー賞でオスカーを獲得した俳優が演じたこと、殺人罪の裁判まで描いたことが話題となった。」

news.yahoo.co.jp

                    引用終わり

反俗日記

redtigerkun.hatenablog.jp

ウィキペディア引用

ニューヨーク市ブロンクスにてロシア系 アシュケナジムの家庭に生まれた。父の死後にロサンゼルスに移住。十代の頃から音楽活動を始め、テディ・ベアーズを結成

「会ったとたんに一目惚れTo Know Him Is To Love Him)」が全米1位のヒットとなった。
しかし彼はすぐにバンド活動よりも音楽制作の方へと興味が移り、音楽プロデューサーとしての活動を始める。
1961年にフィレス・レコードを設立。1963年ザ・ロネッツの『ビー・マイ・ベイビー』がヒット。
A)ビー・マイ・ベイビー
>wacwac。2021年1月18日記。
「ウォール・オブ・サウンド音の壁オーバーダビング、を何度も繰り返して作られた重厚な音。
原点であり最高傑作はコレ。⇒カラオケでしかやれない。ライブ無理。
 
B)Ronettes Be my Baby Shingdig 1965
C)The Ronettes - Be My Baby 1965 Live TV Footage
W。口パクだな。
 
 多人数のスタジオ・ミュージシャンを起用し複数のテイクを録音しそれらを重ねていく作業オーバーダビング、オーバーダブ)を何度も繰り返して作られた重厚な音は、当時としては非常に斬新なものであった。
 
この「ウォール・オブ・サウンド音の壁)」と呼ばれたスペクターの音作りは音楽制作者やミュージシャンに大きな影響を与えた。
当時はまだ録音技術が発展途上だったゆえ、この手法での録音作業は完成までかなりの時間と労力を要したが、スペクターは偏執的なまでに理想とするサウンド作りにこだわった。
またステレオ録音が主流となってもモノラルにこだわり続けたところに、彼の偏執ぶりがよく現れている。
 1960年代後半に音圧を上げるための音楽制作手法(またはそれによる音楽作品)で、多くのスタジオミュージシャンを起用し、長時間をかけて複数のテイクを録音。その音を重ね、エコーをかけて分厚い壁のような音を作る”ウォール・オブ・サウンド(Wall of Sound音の壁)”を開発。
 1970年発表のアルバムレット・イット・ビー』のプロデュースを手がけた
ビートルズ解散寸前の散漫なセッション録音集を一作品として短期間のうちにまとめ上げた彼の手腕にジョン・レノンジョージ・ハリスンは感銘を受け、それぞれのソロ・アルバムでスペクターをプロデューサーとして起用している。
 しかしポール・マッカートニーはスペクターの制作をオーヴァー・プロデュースとして非常に不満を持っていた(特にザ・ロング・アンド・ワインディング・ロードにストリングスやコーラスをオーバー・ダブし、楽曲の印象を一変させたことに対し憤慨したと言われる)とされる。⇒W。酷すぎたな。ロックの一線を大きく外した駄作。聴くに堪えない。

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下の動画もフィルスペクターの”ウォール・オブ・サウンド(Wall of Sound音の壁)⇒W。何やっているんだろうね。駄作だ。


You've Lost That Loving Feeling Righteous Brothers Stereo HiQ Hybrid JARichardsFilm

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W。<獄産複合体>にコロナ感染進行。

W.受刑者人口230万人、

W。アメリカ合衆国における産獄複合体
(Prison IndustrialComplex)の歴史的起源
―南部の囚人貸出制・チェインギャング制のメカニズム ―

http://hokuga.hgu.jp/dspace/bitstream/123456789/1830/1/UESUGI.pdf

「今日のアメリカの刑務所人口の異常な肥大化をもたらし
ている監獄制度の起源を,南北戦争後の囚人貸出制度と,第二次世界大戦
後まで続いていたチェインギャング(囚人を鎖でつないで道路工事や石切
り場,農場などで働かせる)制度に見出し,その人種差別的性格を明らか
にし,そこから,その南部的人種差別の伝統が,今日,新自由主義の下で
全米に広がる「産獄複合体」に引き継がれ,深く根を張っていること,し
かし,それにも拘らず財政難の下で刑務所の肥大化にブレーキがかかりつ
つあることを読み取ろうと試みた。」

「@執行猶予及び保護観察下にある者は合計 720万,

W。受刑者人口と合計すると約1000万人刑事罰処分済みの者。総人口3億3000万人

 

>こういう社会では先の議事堂騒乱は今まで発生しなかったことのほうが不思議であり、ここにおける正義の在り方も日本とは異なっていると想像できる。

>なお、1980年以降の受刑者の急増は対麻薬戦争による逮捕者急増、刑期長期化故らしいが、鶏が先か卵が先かの例えで、麻薬との戦争をやらなくてはならない社会経済構造が根底にあるということだ。

 

@犯罪経歴を根拠にして参政権をはく奪されている者が 500万人

@全地球上の人口の4%を占めるにすぎないアメリカ合衆国の刑務所に
は,

全世界刑務所人口の4分の1が収監されている。

収監人口比は,2006
年,10万人当たり,世界1位のアメリカは 750人,

2位はロシアで 600人強。

W。3位南アフリカ340人 4位オーストラリア130人 5位カナダ120人

ヨーロッパ110人 日本60人

W。ブラジルなど中南米諸国の統計が採れていない。

新大陸移民国家に刑事罰済みの人は多い。理由ははっきりしている。共同体の秩序意識の歴史的成熟度が低いコレは良いところも悪いところもある。家族類型を基礎にいくつかのパターンに分類できる。

 

www.afpbb.com

引用

「全米の拘置所や刑務所で新型コロナウイルスによる死者が増加傾向にある中、過密状態の監房内では十分な対人距離を取らせることは不可能で、当局はほぼ手詰まりになっている上に、医療に携わる人員や個人防護具などの不足に直面している。

 また、刑務所は衛生状態が比較的低い水準で運営されている上に、持病がある被収容者が大勢いる。

 米国の刑務所収容人口230万人にとっての脅威

全米で被収容者1万3436人と看守5312人が新型コロナウイルス検査で陽性反応を示しているという。

 だが、多くの州と連邦刑務所当局は、これまでに少数の検査しか実施していない。

 米連邦刑務所局(BOP)のマイケル・カルバハル(Michael Carvajal)局長は「われわれには受け入れをやめる選択権もなければ、誰をいつ収容するかを選ぶ権利もない」と述べている。」

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   W参考資料

ポスト・ケインズ主義の刑務所  高齢社会の裏側

http://file:///C:/Users/sasaki/Downloads/%E3%83%9D%E3%82%B9%E3%83%88%E3%83%BB%E3%82%B1%E3%82%A4%E3%83%B3%E3%82%BA%E4%B8%BB%E7%BE%A9%E3%81%AE%E5%88%91%E5%8B%99%E6%89%80.pdf

引用

ネオリベラリズムに傾倒する日本の福祉社会は、市民社会への「参加」を市場への〈参加〉と置換可能なものに定義し直し高額納税に頭を悩ますマジョリティの不満を回避しつつ、社会包摂するにたる貧困層の選別に専念している。

このようにみると、新たな理想モデルとして登場した活力ある福祉社会、その実、参加・自立できない者を貧困という「檻」の中に隠蔽する「排除型社会」(Young1999 = 2007)と表裏をなしていると考えられないだろうか。

刑務所当局による感染予防の不十分さと対応の遅さをめぐり、米ワシントン州カンザス州の刑務所ではすでに暴動が発生している。

近代から後期近代への移行は、包摂型社会から排除型社会への移としてある。
すなわち、同化と結合を基調とする社会から、

分離と排除を基調とする社会への移行である。

…その包摂型の世界は二つの過程によって侵蝕されていった

すなわち、

コミュニティが解体される過程(個人主義の台頭)と、

既存の労働秩序が崩壊する過程(労働市場の変容)である。 (Young 1999 = 2007:30)

 

犯罪社会学者のジョック・ヤングは包摂型社会から排除型社会への移行を語るなかで、
とりわけ労働市場の解体こそがこのような社会変容をもたらしたことを強調している。
労働市場から排除された人びとが大量生産されると

「自立」とはおよそかけ離れた世界に滞留していくことは、喧伝される格差社会の物語として流通している。

 

 1980年代末から進行する都市空間の二極化によって浮き彫りになった衰退地区(=貧困が集中する地区)は、まさにそうした社会的排除の犠牲者たち
の溜まり場となっている。

①たとえば、衰退地区を代表する老朽化した営団

高齢化と貧困化が進み、「孤独死」のリスクが高まり、都市内部の限界集落と化している

②また、日雇い労働者が集住する簡易宿泊所街(いわゆる「ドヤ街」)もいまでは「福祉の街」に変貌している。

③そして、次節で検証する刑務所も
また、老齢と貧困が堆積する空間として位置づけられる。

 

 これらの根拠を並べてみるなら、現代日本の高齢社会では、「活力ある社会」の成員資
格を得られる高齢者と

「排除型社会」の下層定住を余儀なくされる高齢者が、

「二つの国民、二つの階級」(ディズレーリ)を構成していることが確認できる。

こうした高齢者の分極化は再配分によって解消されるどころか拡大の途をたどっている。

 

 後期高齢者医療制度や長期入院者の療養病床の削減といった医療改

施設型から自宅居住型へとシフトする介護政策などの一連の改革は、

貧困から抜け出せない高齢者を「脱施設化」された難民(医療難民、介護難民として次々に排除の空間へと送り込む役割を果たしているのだ。
福祉社会が「社会的なもの」から撤退するにつれて、衰退地区にある公営団地や簡易宿
泊施設が、「福祉の受け皿」として機能し始めている。

それは福祉が公的領域において
益々価値のないものとなり、周縁化された場所へと囲い込まれていることの証左となろう。
次節からは、「福祉の最後の砦」とまでいわれるようになった日本の刑務所の現実に迫ることで、

ケインズ主義的福祉国家の目標であった完全雇用社会保障を、はからずも矯正施設である刑務所が遺産として受け継いでいることを示したい。

    3──「福祉国家」としての刑務所

このように昨今の横浜刑務所では過剰収容の常態化とその要因の一つである高齢者の増がみられるが、これは横浜刑務所に限られた現象ではなく全国的な傾向といえる。

 また新受刑者2)に占める60歳以上の高齢者の割合は

一般社会の高齢化を遙かに上回るスピードで進行しており、

それにともない刑務所内で作業上支障をきたす受刑者や死亡する高齢受刑者が全国でも急増している。

高齢受刑者以外の死亡者数が実際にはほとんど増加していない事実を踏まえれば、
「受刑が原因で死亡しているのではなく、社会で死亡していたはずの人が、刑務所で死亡するようになった」(浜井 2006 :17)といえる。
このように、いわば刑務所が高齢受刑者の「終の棲家」と化す背景について、浜井浩一はつぎのように指摘する。

     4── 高齢受刑者の相貌

高齢受刑者の多くを占めるのは、若いころから犯罪を繰り返してきた多数回入所者である。

彼らの特徴は、刑事施設への入所度数が増加するにつれ、罪名が窃盗及び詐欺に集約されていく傾向が見られること、再犯期間が次第に短くなっていくことである。入所度数が20度以上の者では、窃盗と詐欺の合計の割合が約8割を占め、出所後3か月未満で刑務所に再入所した者が約半数を占めた
一般の高齢者と比較しても、高齢受刑者は無職であった割合が高く、配偶関係
でも、「未婚」及び「離別」の割合がかなり高い。職業生活や家庭生活を築き、維持していく力が乏しいまま、犯罪を繰り返し、高齢期に入ってきた者が多いことが推察される。

ここからうかがえるのは、家族関係が薄く不安定就労ゆえに貧困に苦しむ累犯高齢受刑者の姿である。

彼らは社会復帰もままならず、出所しては万引きなどの窃盗を犯して入所を繰り返しているのである。

 

 ところで、

>こうした高齢犯罪者・高齢受刑者の動向は先進諸国のなかでも日本特有のものだろうか。

>また、高齢社会と格差社会の同時進行により最近になって現れた傾向なのだろうか

>成人受刑者の年齢構成比をみると、日本とそれ以外の3カ国は異なる割合を示している。相対的にみて、他の3カ国が20~29歳の若年受刑者の割合が高いのに対し、

@日本は若年受刑者の割合フランスや英国の約半(19.7%)で、

しかも60歳以上の高齢受刑者の割合が11.0%と4カ国中で最も高い

>つまり、若年犯罪者の問題と闘っている他国とは対照的に、日本は高齢犯罪者の問題に直面しているのである

 

 つぎに、前述した高齢犯罪者の存在は、近年になって顕在化したものなのかどうかを時点間比較によって確かめてみたい。

結論から言えば、高齢受刑者の存在は量的にみるとその増加傾向は著しく

また刑務所過剰収容問題との絡みで近年、知識人のみならずマスコミからも新たな現象として注目されている。

 

 ただし、そこで析出される高齢犯罪者や高齢受刑者の〈像は、上記の資料をもって比較検討するかぎり、

>少なくとも1980年以降は大きな変化がみられない

つまり、高齢犯罪者は以前から、再犯率が高く、軽微な窃盗で検挙されるケースが多く、刑務所内では老衰などを理由に特別な処遇が必要とされ、出所の際は家族から見放されているために更生保護施設以外の帰住先がなく、一般社会に戻っても結局は入所回数を重ねてしまう、という現在と同じような質的な側面をもっていたのである。

    5── 危険な社会、安全な刑務所

刑務所に舞い戻る余剰人口とみなされた刑余者たちは、ただ社会から廃棄されているだけなのだろうか。危険な社会から非難して、自身の受入れを決して拒まない刑務所にあえて再入所する高齢犯罪者たちの主観的世界を考えたとき

その世界はバウマンの廃棄物処理場」の概念ではうまく捉えられない。

「刑罰から福祉へ」というケインズ主義的福祉国家の受刑者処遇のあり方は、いまや大きく変容している。

仮に釈放されても社会復帰に繋がらない枯渇した福祉が待っているだけならば、誰でも受け入れてくれる刑務所はあたかも安全な福祉施設のように高齢受刑者の眼には映っていることだろう。

それは、現代日本の高齢社会における刑罰と福祉が、機能的に等価な関係にあることを指し示している。

ポスト・ケインズ主義時代の刑務所は、意図せずして受刑者の全員雇用と生活保障を
担う「擬似福祉国家」の役回りを演じているのだ。

               引用終わり W.結論はシニカルすぎる

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哲学における物質の概念は、

物質の構造についての、歴史的な変化を余儀なくされる、物理学の様々な理論によっては影響を受けないのだ、としてこう定義した。

「哲学的唯物論が認めなければならない<物質の唯一の 性質は客観的実在>であるという性質、我々の意識の外に存在するという性質だからである」

あらゆる意識の外に、また意識とは独立に存在する客観的な実在としての物質。それがすべてだ。

   

 「矛盾というモノは単にあちこちに現れる一つの異常とみるべきではなく

それは、その本質的な規定のうちにある否定的なもの、あらゆる自己運動の原理であり、

あらゆる自己運動は矛盾の現に他ならない。

外的な感性運動そのものがすでに矛盾の直接的な存在である。

あらゆるものが運動するのは

この今においてはここにあり、そして他の今においてはそこにあるからではなく

同一の今においてここにあり、かつここになく

同一のここにおいてあると同時にないからである。」

 

 「抽象的な自己同一はまだなんら生動性ではない。

肯定的なものがそれ自身否定的であること

このことによって肯定的なものは自己の外に出

変化のうちに自分を置くのである

だから或るものは、

自分のうちに矛盾を含んでいる限りにおいてのみ

しかも矛盾を自分のうちに入れ

持ちこたえる力である限りにおいてのみ生動的である

 

認識とは

思考が客観へ絶えず、限りなく近づいていくことである。

人間の思考のうち自然を反映する活動は「生気のない」「抽象的な」運動のない、矛盾のないものとして理解されてはならず、

運動の不断の過程、矛盾の発生とその解決の不断のうちにあるものとして理解されなければならない。」

 

懐かしいテレビドラマ「逃亡者 」の動画について探求すれば~~。作者はカ大ロサンジェルス校時代共産党員、赤狩り旋風で議会証言、複雑骨折のヒトだった。1000万ドル財産の富豪は本物の英国貴族~道理で演技が自然体~。~屈折率の低い正義は否応なしに兵士や政治家などの職業の属性~、という意味でこの逃亡者の存在そのものが庶民の腑に落ちる存在。

W。アベ前首相のいう「目詰まり」の本体、厚労大臣の発言

W。税と社会保障の一体改革=医療介護福祉デフレ路線が底流にあってのこの発言。

W。もちろん感染症~医系技官(事務次官級の017年より新設された<医系技監>がトップ~医政局長も今は医系技官が占める。医師免許を持っているのにわざわざ給料の安い事務職国家公務員試験を受験する?理由は二つしかない。権力志向、医者として無能。)、感染症学会、保健所機構、臨床検査技師協会12万人の利権構造もある。

 

「PCR検査は費用対効果がよくない」…医療逼迫で田村憲久厚労相「法改正で厳しい措置にご理解を」(FNNプライムオンライン) - Yahoo!ニュース

 

news.yahoo.co.jp

wacwac (@wacwac05690282) | Twitter

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W。最近、懐かしいテレビドラマ「逃亡者 」の動画にはまっている。

どのドラマも一筋縄ではいかないきめ細かな配慮がストーリー展開、セリフ、画面に置き届いている。

出演者の演技もレベルが高い。当時のアメリカの雰囲気がよく出ており見ていて興味津々だ。低予算のB級優れもの映画並みに仕上がっているのもB級映画大好き、軽チャー好みとしてはありがたい。

ま、「逃亡者」、主人公の設定からしてドラマチックに<複雑骨折>している。

インディアナ州スタッフォード~架空の街~のリベラル風のインテリ医者が妻殺しの容疑で冤罪の死刑判決を受け、護送途中の列車転覆事故で奇跡的に逃亡し、自分だけが目撃した真犯人片腕の男を探して底辺労働に携わりながら全国転々としその行き先でドラマが生まれる

~行く先々のコミュニティーでは常によそ者、その社会を客観視できる立場、ロードムービーでもある。⇒見せ場は医術の知識や技術、やリベラル風のメンタリティーが肝心なところで発揮されること。

 

>逃亡者は屈折した正義を体現する人である~屈折率の低い正義は否応なしに兵士や政治家などの職業の属性~、という意味でこの逃亡者の存在そのものが庶民の腑に落ちる存在。

 

総括的に言えばこういうドラマを作ったヒトのメンタルティーは<複雑骨折>している、とみた。

 

調べた結果がコレだ。日本語翻訳機能が使える

>なお、このサイトはものすごい数の映画関係者インタビューを視聴、閲覧できて、利用価値がある。

>この手の記念碑的アーカイブを残しておくことが、行進にも役に立つ。文化の厚みも増す。

interviews.televisionacademy.

引用

「このインタビューについて
ロイ・ハギンズ(1914-2002)は、5時間のアーカイブインタビューで、小説家および共産党員としての初期の頃について語っています。彼は、「ハングマンズノット」のような映画でコロンビア映画の脚本を始め、その後ブラックリストに載せられたことを思い出します。彼は下院非米活動委員会の前で証言し、そこで彼は数人の疑わしい共産主義者の名前を確認したと述べています。彼はワーナーブラザーステレビジョンでの初期の頃を語り、キングスロウやシャイアンなどの番組に出演したほか、 ジェームズガーナーとジャックケリーが主演する大ヒットの西部劇シリーズマーベリックを作成しました。ハギンズが77サンセットストリップの作成について話し合うワーナー・ブラザーズのために彼が書いたと生産ユニバーサル・テレビに向けて出発する前に、バージニアをし、大ヒット作成した逃亡者を。彼は、彼から盗まれたと主張する今週の映画のコンセプトを作成することについて話し、トーマ、ロックフォードの事件メモ、バレッタなど、70年代のヒット番組の作成に携わったことを概説しています。彼は彼のショーの多くのテレビや長編映画の復活について話し、彼のキャリアで一緒に働いた何人かの人々を思い出して締めくくります。Lee Goldbergは、1998年7月21日にカリフォルニア州ブレントウッドでインタビューを実施しました。」

W。ロイ、ハギンズの経歴を概括するとTV界という限定はあるもののやはり評価は低すぎる。ハリウッド方面では赤狩りのころ、仲間を売ったものは嫌われる。ハンフリーボガードが好かれたのはこの時の旋風に抗したこともあった。

エリアカザンも作品の質から言えばアメリカの映画監督の中では抜きんでたものを持っていたと思うがよくこの時代の迎合振りが取り上げられる。もっと評価されてよい監督だ。

W。さらに気になるところがあるので引用する。

私は広く模倣されたいくつかのことをしました。彼らは模倣がお世辞の誠実な形であると言います。それは私にとってお世辞でした。⇒皮肉もここまで込み入っている!

 

マーベリック (テレビドラマ) - Wikipedia

は模倣されました。

>主人公たちの設定の屈折率高い。独創的だ。ジェームスガーナーもなかなかだが、役を地でいくディーンマーティンがやれば最高のもができた。

逃亡者 (1963年のテレビドラマ) - Wikipedia

は模倣されました。

私は大丈夫でした。私は素晴らしい時間を過ごしました。」

 

上記以外に日本では

サンセット77 - Wikipedia

が短期間放送された。主題歌のノリが特徴的だった。

コレはレイモンドチャンドラーのフィリップマーロー

ダシール・ハメット - Wikipedia

のサムスペードのハードボイルド派の巨匠たちの描いたストイックで行動的な私立探偵のアレンジだろう。


TV 1958 (1960日本) サンセット77

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@下段に記した白いドレスの女ロイ・ハギンズ(1914-2002)★第52話・ある愛の終末★のストーリー展開の模倣作品だったのだ。

白いドレスの女」はテレビ界出身の映画監督デビュー作だった。ストーリー展開はホラー映画の要素を加えて単純な悪女モノに仕立て上げているが流石に映画出演者の演技はうまく、単純なストーリーを盛り上げている。

 

今まで見た中で悪女モノのの極めつけは白いドレスの女 - Wikipedia

だった。

興行収入NO1だが、B級映画だ。それもあって好きな映画である。

冒頭に熱気でムンムンする小さな町の野外音楽会に登場する白いドレスの女の後ろ姿と

それに魅せられ誘惑され女の夫殺しの犯罪に手を染める弁護士のシーンは素晴らしい。

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 ところが、このTVドラマ逃亡者の★第52話・ある愛の終末★のストーリー展開はもっと込み入っていてリアル。

逃亡者は10本以上は視聴したが、この回に引き付けられた

悪女に翻弄され殺人を企画する男の方も大した悪党だったという、オチがついている⇒「白いドレスの女」の悪女振り満開のオチをもう一ひねりして、男の方がその上を行く悪だった、と演じる俳優の演技がいまいちなのがもったいない。第三の男のオーソンウェルズ的演技が求められた。一番難しい役どころである

>そこまで持っていく伏線が事前の何気ないセリフなどに配置されている

豪邸の居間に飾られているトロフィーの数々を見た逃亡者が自動車事故で半身不随の車いす生活をおくる夫人にご主人のものでしすかと尋ねると「いいえ。わたしがゴルフで獲得したものです」。

このセリフ元プロゴルファーの男の素性が何気なく提示されている。女にタカって生きてきた

 悪女の方も男の妻殺しに走る背景が何気ないセリフの中に描かれている。100万枚のレコード売り上げを記録したが一発屋に終わって、自分の能力の限界を認め今は富裕層の会員制ゴルフクラブでピアノの弾き語りをしている。

フランクシナトラのストレンジャー イン ザナイト」の弾き語りをしているシーンにでくわすとこのドラマはあの頃のモノだったのだ、という想いがする。

>このドラマの最高の演技は車いすの1000万ドル資産の夫人役登場シーンからクライマックスの豪邸に閉じ込められて殺されるピンチの場面まで、トーンを押さえた演技が光る。大げさ演技に走るとホラードラマに堕する


逃亡者 ★第52話・ある愛の終末★

        パトリシアスミスについて調べてみた・

wiki2.org

W。ナルホド本物のイングランド貴族の出だったのか。道理で雰囲気が違う、普通に演じている、と感じた。

引用

若いころ

 

彼女はの長子だったレジナルド・ハーバート、PEM-破ったの15アールと彼の妻、ベアトリス。[1]彼女はウィルトシャーのウィルトンハウスで育ちました⇒Wイングランドの城屋敷。彼女の父親はキャサリン・ヴォロンツォフ伯爵夫人の子孫でした。[2]

1919年、彼女はホンの結婚式で花嫁介添人でしたオリーブセシリアパジェット、第1男爵クイーンズボローの娘。彼女はまた、1922年に今年のデビュタントでした。[3]

 

W参考資料 ストレンジャーインザナイトについて

ベルト・ケンプフェルトが作曲し、チャールズ・シングルトン英語版エディー・スナイダー英語版英語の歌詞を付けた楽曲[2]1966年フランク・シナトラが歌って有名になった。

      逃亡者

アメリABC系列で、1963年から1967年まで放送され[1]、高視聴率を記録したテレビドラマ。」⇒W。ということは★第52話・ある愛の終末★は末期の作品である

ロイ・ハギンズ、52歳の作品。

@ちなみにロイ、ハギンズの日本語版Wikipediaはいまだにない。

日本語翻訳機能が使える

Roy Huggins - Wikipedia

Roy Huggins, Creator of Hits In TV's First Years, Dies at 87 - The New York Times

@アメリカのTV界の歴史に刻まれた人だった。

引用 W。原語と見比べて直訳を修正する時間がなくそのまま載せた

W.ニューヨークタイムは、「逃亡者」よりもその源流のような作品に注目した

 

ロイ・ハギンズは、その機知に富んだ長期にわたるテレビシリーズが1950年代と60年代にメディアの成長を助けたプロデューサー兼ライターであり、彼が住んでいたカリフォルニア州サンタモニカで水曜日に亡くなりました。彼は87歳でした。

40年以上にわたるテレビのキャリアの中で、彼のヒット曲には「マーベリック」(1957-62)、「逃亡者」(1963-67)、「ロックフォードの事件メモ」(1974-80)が含まれていました。

ハギンズ氏は、テレビと映画のために約350の脚本を書きました。その多くは、ジョン・トーマス・ジェームスという仮名で、3人の息子の名前から取ったものです。

テレビの歴史家であるクリストファー・アンダーソンの言葉を借りれば、テレビの優れたストーリーテラーの1人」であるハギンズ氏は、シリーズの制作をやめた後も長く続くキャラクターを発明しました。「マーベリック」や「逃亡者」などの彼の番組のいくつかは、映画のスクリーンで2度目の成功を収めました。」

「マーベリック」は、50年代後半にホパロング・キャシディや「ロイ・ロジャース・ショー」などの子供向けの西部劇に取って代わっ「ハイ・ヌーン」などの映画をモデルにしたいわゆる大人の西部劇の1つでした「マーベリック」の脚本はすぐにコメディーを掘り下げ、ガンスモーク」と「ボナンザ」、より冷静な競争相手をパロディー化し始めました。

ロイ・ハギンズは、1914年7月18日にワシントン州リテレで生まれました。彼は、カリフォルニア大学ロサンゼルス校を優等で卒業し、博士号を取得しました。政治学では、しかし彼の研究は第二次世界大戦によって中断されました。戦時中の政府の民間人として⇒W従軍しない代わりにニューディール政府の民間保険、人事、物資を管理する役所勤め、ニューディル派としてその方面にコネがあった、想われる。複雑骨折メンタリティーの一要因。

彼はレイモンド・チャンドラーの「さらば愛しきよ」⇒W。ロンググッドバイ~男はタフでなくては生きられない、優しくなければ生きる価値がない~~をコピーして、魅力的で読み書きのできるドラマを書くことを独学しました。

彼をスタイルと商業的魅力の作家として確立した彼の最初の小説「ダブルテイク」(1946年)は、サタデー・イブニング・ポストに連載されました。

退院後、ハギンズ氏は長編映画の脚本家兼監督としてコロンビア映画に雇われました。彼は1952年に、ランドルフ・スコットドナ・リードが主演する西部劇の脚本「ハングマンズノット」を監督しました。

テレビの台頭に伴い、ハギンズ氏はワーナーブラザースに加わ「シャイアン」を含む新しいメディアでの同社の初期の取り組みに参加しました。

彼はまた、数々の成功した探偵シリーズを作りました。彼は、例えば、エフレム・ジンバリスト・ジュニアをクールなカリフォルニアのガムシューとして主演させた「77サンセットストリップ」を作成しました。

1962年、ハギンズ氏はユニバーサルテレビに移り、その後15年間滞在しました。

彼は、2年以内に名前のない病気で死ぬ運命にある男としてベン・ギャザラを主演させた「Run for Your Life」を含む、より多くのシリーズの背後にある創造的な力でした。キャラクターは、週から週へ、そして町から町へと人生の意味を探して去った時間を過ごします。恐らく悲観的な前提は、1965年から1968年にかけてヒットをもたらし⇒W逃亡者のこと原文に照らし合わせて確認する必要がある。元の死刑判決よりも長く続いた。

1961年、20世紀フォックスのために執筆したハギンズ氏は論争に巻き込まれました。彼は、ウィリアム・インジの同じタイトルのブロードウェイのヒットをモデルにした「バスストップ」と呼ばれるゴールデンタイムのテレビシリーズを作成しました。

W。映画「バスストップ」マリリンモンロー主演は舞台劇バスストップのバス停でくり広げられる様々な人間模様の一つを一本の映画にしたものだろうか。もっともそのストーリーも若い男女間になんだか変な行き違い。

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W参考資料

ウィリアム・インジ - Wikipedia

「インジは、『愛しのシバよ帰れ』⇒Wバートランカスターがアルコール依存症に陥った良き家庭の夫を演じる、善人たちの悲劇。流石舞台出身の俳優、名演技だった。『バス停留所』、The Dark at the Top of the Stairs『ピクニック』の著者である⇒W。傑作、舞台はアメリカの保守的な田舎町、流れ者に魅かれる女ごころ。キムノバック、ウィリアムホールデン主演。

1953年に『ピクニック』でピューリッツァー賞 戯曲部門を受賞した。

また、1961年に草原の輝きの脚本でアカデミー脚本賞を獲得した。

草原の輝き (映画) - Wikipedia

W.アメリカ映画トップテンに入る作品だと思う。エリアカザン監督、ナタリーウッド、ウォーレンベイティー主演。

W。インジのストーリー全編の底流にあるのは人生の挫折、悲しさ、重みを通じた庶民の小さな日常性への回帰。無常観に通じるところがある。家庭ドラマ向きではない。

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ニューヨークタイムズ記事引用に戻る。

「シリーズでは、バス停が、さまざまな乗り継ぎのキャラクターが主に発育不全の生活について語る道の駅として機能しました。あるエピソード「ライオンは私たちの間を歩く」は、ポップスターのファビアンが演じる精神病質の殺人者を扱った

当時、連邦通信委員会ニュートン・ミノフ委員長は、テレビが「広大な荒れ地」になったことを訴え、彼の言葉は全国の説教壇や新聞から響き渡った。「バスストップ」のエピソードは特別な批判のためにやって来ました、そしてハギンズ氏はフォックスによってすぐに傍観されました。

彼はTelevisionQuarterlyに出演したMinow氏に反論を書いた。ミノー氏はエリート主義者だったと彼は書いた。

パブリックアート」とハギンズ氏は、「大勢の聴衆と利益のために作られています。それが彼らの本質です。しかし、彼らは時々真実と美しさを達成することができ、自由を与えられれば彼らはますますそれを達成するでしょう」  W引用終わり

 

PCR検査について⇒厚労省。PCR検査は民間、対策は地方自治体丸投げ、行政検査と情報収集の旧来業態に立てこもりの根拠。⇒PCR検査に医療保険を適用することとしました(3月6日~)。これにより、保健所を経由することなく、医療機関が民間の検査機関等に直接依頼を行うことが可能となり、民間検査会社等の検査能力の更なる活用が図られることになります。W。しかし、PCR検査の際に保健所スルーでも医者が絡まなければ陽性者無届でもOk。結局、感染者の仕分け作業は保健所の認定必要。

新型コロナウイルス感染症に関する 国内外の研究開発動向について

www.jiji.com

2020年11月19日07時14分

厚生労働省の集計によると、PCR検査の最大能力(15日時点)は1日約8万4400件。最多は民間会社の約5万3200件で、約70社が検査を担う。以下、医療機関約1万1600件、地方衛生研究所など1万700件が続く。

>これらの件数には、医療機関や保健所からの受託分に加え

@経済活動の再開に伴い健康な人が「陰性証明」をもらうために受けた例が含まれる。

>ただ、医師が関与しない場合、結果を保健所に届け出る義務がない

このため届け出のない隠れ陽性者が増えている可能性があり厚労省は民間会社に対し、利用者が陽性だった際は医療機関への相談を促すことを決めた。
 厚労省の担当者は「民間会社の能力にはまだ余裕がある。感染拡大に伴い、検査件数はさらに増えるだろう」と話している。」

感染拡大防止と医療提供体制の整備|厚生労働省

引用

新型コロナウイルス感染症に関する検査について

感染症に基づく医師の届出により疑似症患者を把握し、医師が診断上必要と認める場合PCR検査を実施し、患者を把握しています

患者が確認された場合には、感染症法に基づき、積極的疫学調査を実施し、濃厚接触者を把握します。

濃厚接触者に対しては、感染症法に基づく健康観察や外出自粛等により感染拡大防止を図っています。」

W。行政検査上記の規定によるPCR検査体制⇒保険適応される)と民間検査会社(陽性者の届け出義務は規定されていない)のうち、地域保健所に報告の上がってきた感染者の①全国情報収集と地域各保健所による②感染者仕分け(放置、自宅待機、病院手配)及び検体の衛生研への輸送作業を監督し行政指導をするのが厚労省当局である。

②の作業が感染拡大に伴って困難になっているので、3波事態に対して、今まで以上に行政検査体制に閉じこもり、医師会病院などの民間医療機関のコロナ対策に依存するしか、方途が無くなってきたが、権限行使の法的整備ができてない。

                ↓

上記、厚労省引用

「(W。行政検査により)

患者が確認された場合には、感染症に基づき積極的疫学調査を実施し濃厚接触者を把握します。⇒W。感染経路不明者の大拡大によって、濃厚接触者の特定と、感染症法に基づく仕分け作業が保健所の手に余る状況になってきた。そこで当然にも医師会の地域検査センターや信頼に足りる民間検査会社の検査機能の動員が不可欠になってきているが、今までよりも前に踏み込んだ厚労省指導力は発揮されていない。要因は前回の記事に挙げた少子高齢化社会の進行に対する税と社会保障の一体改革路線(財務省厚労省の一体化路線)。異常事態に対してアレかコレかの二者択一しかない民主政による危機管理能力もない。生の政治力が枯渇している。

濃厚接触者に対しては、感染症法に基づく健康観察や外出自粛等により感染拡大防止を図っています。」

PCR検査について 厚労省ホームページより

PCR検査に医療保険を適用することとしました(3月6日~)。これにより保健所を経由することなく医療機関が民間の検査機関等に直接依頼を行うことが可能となり、民間検査会社等の検査能力の更なる活用が図られることになります。

新型コロナウイルス感染症の診断における鼻咽頭ぬぐい液及び唾液の有用性について、発症から9日以内であれば、両者で良好な一致率⇒W9日以内であれば?ココ、知らないない人が多い。ウィルスの発出量が少なくなる可能性が高くなる。が認められるとの研究結果が示されました。
この結果をもとに、6月2日、「症状発症から9日以内の者については唾液PCR検査を可能」とすることとしました。
 

sbcvic.jp

W。法人向けの検査であり、この情報を見る限り個人は受け付けていない。

流石、巨大企業、個々人は相手にせず。団体相手だと検査数は着実に増える小さなトラブル回避もできる仕組みだ。

商売がうまい。

 

W。民間医療機関が当該検査会社に依頼できるが、その費用は本人の保険適応になり診療報酬の中に含まれる、と推測する。20人分、30人分、大人数しか受け付けないが一人換算約300円/回コレだと充分に診療現場でもペイできる。ただし、具体的に調べてみる必要がある。

  引用

SB新型コロナウイルス検査センター株式会社は、
新型コロナウイルス感染症拡大防止および経済活動の早期正常化を目指す、
ソフトバンクグループ株式会社の子会社です。
唾液PCR検査を低価格・高頻度で提供することで、
安心して暮らせる環境づくりに貢献していきます。」

※当検査センターは、登録衛生検査所です

※1 当社のPCR検査はプール法ではなく、1検体ずつ検査をする方法で行っています。
※2 公的医療保険制度の適用外です。
※3 唾液PCR検査は、厚生労働科学研究においても鼻咽頭ぬぐい液とほぼ同じ精度で検査が可能という事が実証されており、安心してご利用いただけます(厚生労働省ウェブサイト)。
※4 不活化とは、微生物などの病原体(この場合は新型コロナウイルス)を 熱、紫外線、薬剤などで死滅させる(感染性を失わせる)ことをいいます。
※5 国立感染症研究所の検体輸送マニュアルに準拠しています。

 W.。「※1 当社のPCR検査はプール法ではなく、1検体ずつ検査をする方法で行っています。」⇒検査技師が1検体ずつ検査するのであれば、1検体300円で検査することは不可能。であれば、日本国内のアルバイトの検査スキルのあるものが検査しているか、日本以外の中国、韓国、台湾などに検体を輸送し(国立衛生研のマニュアル通りに検体輸送~空輸~)労働力の安い外国で検査し、その結果の報告を受け取っているのではないか。新型コロナ検体の検査は検査技師がやらなければならないという法的規定はない。検査技師は12万人、検査技師協会に所属しているという。検査技師協会は自民党の支持母体。国会議員1名をおくっている。

ソフトバンク子会社の検査会社の検体体制が広がれば、感染研、厚労省感染症学会の感染症村、検査技師協会の利権構造のごく一部に風穴があく。

 先日、政府は今年の3月から繁華街でPCR検査をすると発表しているらしいが、そのような検査能力は民間検査会社のスキルを動員してやるはずはなく厚労省の身内(医師会、人的に余裕のある病院)が実行部隊となるとしか考えられない。

だったら、今よりもずっと感染ルートの特定できた昨年の早い段階で実行していれば、効力を発揮できたのに、あまりにも遅すぎた。もっともこの情報の正否は確認していないが。

>いずれにしてもPCR検査を拡充しない日本独特の方途の根底に横たわっているのは感染症村の利権構造もあるが、もっと大きくは少子高齢化と日本経済の直機停滞の下、表面の幻の経済成長固執路線と裏面の財務省厚労省の税と社会保障一体改革=医療介護福祉のデフレ路線がある。政府当局がコロナ感染にもかかわらず、医療介護福祉にカネを使いたくないのは補正予算の内容を見るとよくわかる。医療崩壊を喧伝するのも崩壊すればカネがかかる、という懸念によるもので命と健康は二の次だ。

 

検査の位置づけ

新型コロナウイルス感染症の感染防止および経済活動の早期正常化を目指し、スクリーニング検査として、唾液PCR検査を提供しています。無症状・無自覚の感染者を検査することで、適切に隔離をし、感染拡大を防止することができます。検査後陽性の疑いがある場合は、受診相談センターまたは医療機関に相談いただくことを推奨します。

申し込みについて

  • ※ 法人のお客様のみの受付とさせていただいております。

検査料金
1回の検査料:2,000円(税別)

W。検体20個約6000円。1検体300円。 

https://sbcvic.jp/system/files/cvic/pdf/inspection_fee.pdf

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木下直哉 - Wikipedia

木下グループ - Wikipedia

W.1956年創業の木下工務店不良債権を抱え、米投資ファンドへの身売り、紆余曲折を経て最終的には創業家木下と同姓の福岡出身の若手起業家木下直哉の下に病院介護施設、エンターテイメントなど多方面の事業を展開するに至る。

新橋駅前にPCR検査センター 2900円、唾液採取、翌日に結果

www.sankeibiz.jp

新型コロナウイルス感染症の検査を受けるために並ぶ人たち=2020年12月28日、東京都港区

引用

「 同店は、建設業や介護施設などを展開する「木下グループ」(東京)が20年12月に開設した。1店舗で1日約1300人の検査が可能だが、予約が取れない日もあるという。感染拡大が続く首都圏でのニーズを見込み、今後、店舗数を増やしていく方針だ。

 同社担当者は「検査を受けた人の1~1.5%程度で陽性の疑いが出ている

新型コロナの発生や流行を探知するため、診断した医師に保健所への届け出を義務付けている。だが、こうした施設は医療機関ではないため、検査を受けた人に結果を通知するだけで、保健所に報告する義務はない。

 厚生労働省に対策を助言する専門家組織の委員の前田秀雄・東京都北区保健所長は「若い人は無症状や症状が軽い人が多い。陽性となっても、医療機関を受診しないケースが多発すれば、感染が見えないところで広がる可能性がある」と指摘する。

     W。厚労省、民間検査機関、本人との関係

~~~行政検査体制に立てこもって、それ以外の拡大していく検査需要や感染対策要望は各々の地方自治体の政策、政治力や民間の努力に丸投げだな。

 厚労省民間検査機関に対し陽性時には本人の同意を得た上で提携する医療機関へ検査結果を報告し、利用者に受診を勧めるよう呼び掛けている。提携する医療機関がない場合には、利用者が自ら、受診・相談センターや身近にある医療機関へ相談するよう促している。⇒W.結局、陽性確認者の仕分け差配は保健所の認定が絡む仕組みになっている。医療崩壊だけではなく、保健所の崩壊も予測される中で、無症状感染者発見処理はスルーされ(検査会社、本人届け出義務なし)軽症者も自主的な自宅待機一辺倒になる。

 W,PCR検査は病院、出演予定の明治座の2か所。結局、保健所が当人の仕分け。


【ご報告】今回の新型コロナ感染について【松村邦洋】

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www.city.ota.tokyo.jp

大田区では、区内3か所の医師会(大森医師会、田園調布医師会、蒲田医師会)と連携協力し、大田区地域外来・検査センターを区内3か所で開設しています。
かかりつけ医が検査を必要と認めた方が保健所を介さず、検査が受けられるようになることで、従来の保健所を介した検査に加え、検査体制の強化につながるとともに、陽性の方の対応はもちろん、陰性の方も通常の治療が速やかに始めることが可能になりました。
新型コロナウイルス感染症対策には、今後も区と医師会が一丸となって取り組んでまいります。」

PCR検査センターで検査するまでの主な流れ

1 新型コロナウイルス感染症が疑われる症状がある方が、かかりつけ医に相談。
2 かかりつけ医の診療の結果、「PCR検査が必要」と判断
3 かかりつけ医がPCR検査センターに予約。
4 指定日にPCR検査センターで検査を実施。

W.保健所が従来やっていた流れのなかで、保健所の役割を省略しているだけに過ぎないが、それでも臨床経験なく医療のスキルも限界ある保健所の介在をスルーするだけでも合理的だ。

W.ただし、コロナ対策の指揮系統責任体制がはっきりしていない。

W,判明した感染者は保健所に報告され、結局、その仕分け差配は保健所の認定がいる。

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ブラジルからの帰国者から検出された新型コロナウイルスの新規変異株について

                                                       国立感染症研究所        2021年1月10日

 W。理解不能で省略。

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山中伸弥による新型コロナウイルス情報発信

 

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W。記事の流れからし感染症Ⅱ類を外せとの主張に勘違いされやすいのはじかくしているが、Wの探究不足である。パンデミックを前にして情報と治療機能の調整センターは絶対に必要。Ⅱ類指定を外せばそれができなくなるし、仮に今以上の異常な感染状況になると統一した手が打てなくなる。

 税と社会保障の一体改革を推し進める財務省の出城化した厚労省出先機関、保健所はにリストラの絶好のターゲットになってきた。組織として脆弱なところにパンデミックが直撃した。

列島住民は規律をもって対処したが、手狭な保健所が相談窓口とOCR検査、病院手配の仕分けを行うことで日本のコロナ対策は迷走し多くの犠牲者を出した。

>どうしてこのようなお粗末なコロナ対策しかできないのか、多くの人は疑問に思っている。これだけ組織的に行動できる住民にしては犠牲者が多すぎるのは為政者の責任である。

そこで要因を探ってみた。

社会の大事象に対して過大な経済的な打撃を受けるのは、人口当たりの公務員数が少なすぎて社会経済の安定的な土台(公共部門の人的資源)が弱くなっていることに大きな要因がある。

リーマンショックのころ、いちばんGDPの落ち込んだのは日本だった。反俗日記でもこの点についていろいろな資料に当たってきたが腑に落ちる回答に出会えなかった。

 もともと高度経済成長期以来、日本の公務員数は少なかった。さらに遡れば、都市と農村に停滞的潜在的な巨大過労働人口を抱えた資本制経済の未成熟性ゆえに戦前の軍部を除けば労働人口に占める公務員の割合は少なかった

こういう社会経済構造にたいして世界恐慌が直撃すれば、必然として金融超緩和財政膨張の行き先は民需喚起ではなく軍拡需要の創出になり、東アジア軍事膨張に至った。

 敗戦直後、荒廃した資本の脆弱性ゆえの民間の過少雇用に替わって多くの低賃金公務員を抱えることになったが、朝鮮戦争に至る半島内の緊迫した政治状況を目前にGHQは占領下の城内平和(兵站日本)を目指すために大量の首切り合理化を勧告し日本政府は従った。このころ、国鉄を舞台に次々と謀略事故発生しゼネストは中止された。

 日本において福祉元年が宣言されたのは1971年田中内閣の列島改造の頃でそれまでの日本の経済成長は人口ボーナスと政府財政投資に誘導された民間資本の膨張を起動力としたものだった。東西冷戦体制の発火点朝鮮半島と東南アジアの環境下、商品販売市場と兵站の特典を得た日本資本主義と日本国民は最大の受益者となった。

 プラザ合意バブル崩壊を経て東西冷戦体制崩壊以降、最大の受益者の環境が取り外された日本ではムード的な政治と経済の構造改革が最大の政治課題になったが、金融寡頭制は強化される一方で新しい産業構造への移行は滞り、経済改革の中心点は公務員リストラにすり替えられ、それをやることが何か経済発展の礎を築くことであるかのような勘違いの社会的コンセンサスが出来上がってしまった。

コレは政治的な意味合いもあった。いわゆる55年体制の一方の旗頭、社会党-民同の組織基盤は公務員組合であることから、体制側ここへの組織的切り崩しに集中した。

経済の長期停滞と少子高齢化社会の到来の下で財務省の意をくんで税と社会保障の一体改革の先兵として、大リストラの実務を遂行する厚労省配下の暇な役所、パンデミック有事の中心環の保健所システムのスキルと人的資源を極端に縮小した。

 日本は中国のような権力の中央集中の道は幸いにして免れた。前提の歴史条件がないのだからこれからやれば金融寡頭支配下で格差拡大し、圧倒的多数の国民が苦しむ。

台湾や韓国のような分断国家でもない。当然にも緊急事態に対する法的備え人心の在り方も大いに違っている。

>コロナ対策で問われれているのは、東アジア諸国と違った日本の道の如何だ。

既にリストラされた保健所の規模では対応力に大きな限界がある一方で医療、介護の資源も有効活用できていない部分がある。コロナ渦の下、社会を回すための不可欠な労働への援助も必要。それらに代替え組織はない。

 

アドバルーン的なスポット需要の喚起と身を削ることが身に染みている行政と政治はコロナパンデミックにもかかわらず従来路線の外に出ることはできない。柔軟、積極的な戦略的な対処法は生まれてこない。

 コロナ渦に乗じるかのように民間検査会社が大した設備投資もしないで金儲けをしている様は政治の責任である。住民は従順で規律正しい。

上に挙げた木下工務店の検査センター店頭に検査希望者が並ぶ風景は寒々としている。