反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

米占領軍政当局の肝いりで設立された地検特捜は役割を終えた組織

  今獄中にある石川知裕議員や小沢事務所の二名の方と連帯するため毎日応援の記事を書いています。

 連日、10時間に及ぶあれこれの手練手管を駆使した精神的拷問の日々が続くと冷え冷えとした獄中に帰っても眠れない夜になります。こうして肉体的精神的消耗の中で検事は筋書きどうりの自白をさせ署名捺印させるのである。冤罪は異常環境が意図的に演出される中でこれまで生み出されてきた。
 
 今回の事態。冷静によ~く距離を置いて見つめてみると大した事案ではないことが分かる。
前日に記事でも書いた。国政を担う政治家に庶民の常識を安易に当てはめる論理は一見分かり易いが次元の違う問題を混同し、ひいては国政全体を委縮させ、結果的に官僚の力を強めることにしかならない、と。 
 
 繰り返しいなるが今やちょっとしたボランティア団体でも複数の専従をおき、20万ぐらいの給料が支払われている時代である。ボランティア団体でもキチンと仕事をこなさなければ団体として社会の要請に答えられないのだ。仕事ができなければ資金援助は先細っていく。アメリカなんかはこういう状況がもっとシビィァーに展開されている。日本はそこまで行っていないが仕事は専門能力が要求される場合が多い。そいいう方が団体を取り仕切るなかで一般のボランティアが参加するという構図になっている。
 
 しかしこんな事がある。
 専従者の青年の嫁さんに子供ができて、彼女は生まれてきた子供の将来や家族のこれからを考えて夫にもう活動家ら手を引いて就職して欲しいと願った。当然の要求でボランティア活動では給料は上がらないし身分保証もない。結局そのまじめな青年は活動から身を引いた。
 
 我々の若いころは手弁当でしゃにむに活動してきた。しかし実態は食うものも食わない娯楽を放棄した青白い顔をした活動家が自分の将来を犠牲にし家族に迷惑をかけ、活動といえば悲壮感、独善、一種のエリート意識を底流に結局、長い目で見たらいい結末を迎えなかった。やっていることの内容に比べて活動の物的基盤がなんら保障されなかったことに一つの誤りがあった。
 またそうした個々人の活動家の犠牲の集積で存在する組織は組織そのものが丸ごと大きな落とし穴に陥り易い。
 こういう経験があるから今のボランティア団体の活動の一部に賃金が支払われているのを見た時世の中は進歩したと感じたものである。
 
 まして国会議員の世界でバリバリ仕事をこなそうとすると大勢の私設秘書が必要になる。議員個人の能力には限界がある。手足、目になって働く専門的な労力が多く必要になるのは言うまでもなく、この労力に見合った賃金が支払わなければ、労力を動かすことはできない。
 
 国民の多くにこうした問題に個人的経験がないことがマスコミの報じる政治とカネの薄っぺらな理屈に迎合してしまう要因となっている。国民の多くは実際に活動の深くまで体験していないから仕事やに日常生活で得られた感覚でこうした別領域の言わば特殊社会の現実を判断しがちだが、この庶民の生活常識にマスコミの報道がぴったり寄り添って結果として金権腐敗、悪徳政治家像が多くの国民意識の中に定着する。
 
 地検特捜はマスコミの流す情報で国民意識が形成されたところで異常な万能権力を行使して執念深くつけ狙った政治家の法的陥穽を利用しあらかじめ用意した筋書きに沿って自白を巧みに個々人に強要し、多くの国民が支持する政治家を失脚させるのである。
 
 取り調べの実態は事実上の転向強要である。
 政治家の政治生命を断つことが取り調べの最大の眼目である。政治生命を保持しようとすれば検事のシナリオなんかに同調するはずがない。

 今回の事態の根底は一つの政治路線を特捜検事が無きものにしようとしていること以外の何物でもない。そのための事件化である。
 
 地検特捜は戦後の不正隠匿物資摘発を目的にGHQの肝いりで設立された組織である。
だから公安警察の様な機動的な捜査権限が与えられている。一般の検事が警察を飛び越えて強制捜査に乗り出したり、個人を逮捕しているのなんか今まで見た記憶がないだろう。警察と権限の分担をしているからである。
 よ~く感がてみると戦後の混乱期において物資の隠匿を摘発しようとすれば訴追権のある検事が迅速に事態に対応するほかないことが分かる。段階的手続きをすっ飛ばしているのである。

 ところがこうした万能の国家権力の暴力性の真髄のような組織が現在まで生き残り、事実上検察官の頂点に君臨するようになっている。これを官僚政治の典型といわず何というのか。

 アメリカではよく知らないがこうした役割を担う検事は住民の選挙の洗礼を受けているはずである。当然のことで住民の選択という担保がなければ万能権力の制限は不可能である。検事自らの正義や思惑に権力行使を委ねている現状の日本は北朝鮮や中国の権力実態と同質のものを国民が許していることになる。