反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

特捜の小沢弾圧を擁護する日本共産党、及び「左翼」を批判する。

 石川議員小沢事務所秘書2名の獄中の戦いを応援するため記事を毎日更新しています。
日本共産党は地検特捜の現在の行動を何ら批判することなく小沢批判、民主党批判を繰り返している。また「左翼」にも独りよがりな鳩山政権打倒だの安易な小沢金権批判が見受けられる。今あえてこうした大して政治的影響力のない輩を取り上げることには躊躇はあるが踏み込んでみる。
 
 今改めてとらえ返すと昨年の衆院選自公政権に反対した国民の大半が意識するかしないかにかかわらず、「国民革命」であった。国民の多数が戦後一貫して形成されてきた利権癒着勢力に反対しそれに代わる政権を選択した。自民党の失陥は投票行動をした有権者よりも戦後の自民党支配を大きな政治的柱としてきた利権癒着勢力にとって大きな衝撃となったのではないか。

 官僚は明治以来、一貫して政治的上部構造の中心として日本を支配してきた。基本的に政党政治は官僚の大きな支え無くして成立しないものであった。
 
 敗戦によってもGHQは「戦犯」官僚の一部を除き、天皇とともに日本占領支配の道具として温存してきた。

 戦後の日本経済の発展過程においても官僚は政治分野における政策立案、経済分野における法制的コントロール、通達、指導、天下りなどによって大きな指導力を発揮してきた。

 日本資本主義は政治的上部構造における官僚と自民党の支配によって発展してきた。
自民党の役割の多くは資本蓄積で生じた富を生産性が低い分野に分配することで特定の企業業界団体を育成し自民党、官僚の政治的支配体制を安定的に維持することであった。

 ところが、自民党、官僚、業界団体のそれまでの富の「分配システム」による安定的政治支配が揺らぎだした。
 
 日本資本主義の国内的発展に限界が来た。資本は国内展開するだけでは儲からなくなって海外に出て行くようになり、国内経済の発展を税収の根拠とする分配システムは頭打ちになる。

 だが自民党や官僚は支配体制を維持していくために今までどうりの傾向で分配を維持していかなくてはならない。そこで日本資本主義の国内発展の停滞から来る税収不足を補うため赤字国債が乱発されるようになった。日本資本主義の成熟が国内経済の低成長の連続を招き、それまでの国内投資に向かっていたカネが海外投資に展開するようになって、慢性的な税収不足が顕著になった。

 バブル経済の破たん以後、自民党、官僚はそれまでの「分配システム」を改め資本の強蓄積を保証する方向に大きく政策転換することで事態の打開を図ったが、これは同時にそれまでの分配システムに回っていたカネを制限することになった。
 様々な戦後的規制から解き放たれた大資本は強蓄積を謳歌したが富が分配されない生産性の低い分野は半ば切り捨ての様な形になった。
 
 問題はこうした分野が日本社会に広範に広がっていったことで当然、その政治責任自民党が問われることになったが、小泉のデマ宣伝政治でなおもこの方向で突き進もうとした。
 小沢一郎氏がこのまま小泉にやらしておくと日本は潰れてしまう、と語ったのは真理を突いている。

 それは改革なんてものではなく一部の者だけに富が集中し多数が取り残される経済社会の日本であった。この過程でマスコミは自らを明確に支配者の宣伝機関と位置付け出した。
不偏不党などという手前勝手な戦後的自己規制がかなぐり捨てられた。個々でも規制緩和があった。
  
 日本は戦後発展したが自民党の分配システムは特定の自分たちを支持基盤にカネを流すものであり、社会保障制度の確立も十分ではなかった。ここに小泉政治市場原理主義を持ち込み、なおかつ対米追従の経済政策を持ち込んだから破壊はカネ、モノの世界だけではなく人心にまで及んだ。

 このような状況で小沢一郎氏が主導して自民党を政権から引きずりおろしたのである。
国民もようやく起こっている事態に気付き戦後の自民党と官僚支配にNOを突きつけた。

 一種の革命的事態だが自民党の失陥で危機意識を抱いた利権癒着勢力は現在特捜とマスコミが一体化し失地回復をかけてなりふり構わず攻撃を仕掛けている。
これが事の真相であり、金権批判など敵の反革命行為を覆い隠すの表向きの口実にすぎない。
今目の前にあるのは革命と反革命の攻防であり、各党、各個人の立ち位置は自ずからはっきりする。
 
 敵の敵は味方である。この局面で金権批判と称して小沢攻撃や民主党攻撃をする一方で特捜の反民主主義的反国民的攻撃に一切言及しない日本共産党は利権癒着勢力の見方である。
 しかしこんな行動は今に始まったことではなく昔から、この党は支配者の危機に際して支配者擁護に回ってきた。  

 次に立ち入って日本共産党を批判しておく。

 ロシア革命の指導者レーニンはロマノフ君主打倒の臨時革命政府樹立の報を受けて亡命地のスイスから封印列車に乗って交戦国のドイツ領土を通ってロシアに帰ってきた。ドイツにとってレーニンら革命家たちをロシアに送り込むことが国内政治混乱を助長し戦局に有利に作用すると判断したから、列車での革命家たちの領土通過を許した。
 
 一方レーニンケレンスキーを首班とする臨時革命政府と蜂起した労働者評議会との間で二重権力状態が現出しているとの情勢分析をして「全ての権力を労働者評議会へ!」の確たる路線をペテルブルグ駅に到着次第明らかにした。この政治路線を提起し革命に参加することが何よりも重要としていたからたとえ敵対勢力からスパイと呼ばれようが封印列車に乗ることに躊躇はなかった。
 
 国家権力は掌握する者は帝国主義戦争を継続する臨時革命政府ではなく戦争を終結し平和をもたらし国民にパンが行き渡ることをスローガンとした労働者評議会であるべきだとした。スローガンは「平和とパンを!」だった。これが有名なレーニンの4月テーゼであり、これで闘う民衆は大きな闘うべき目標が与えられた。

 以上。何が言いたいか。政治には泥沼の中を這いつくばってでも、汚名を着せられても大きな目的のためには邁進しなくてはならない局面があるということである。情勢が緊迫度を増した時、こういう執念が局面を大きく打開するものである。権力をめぐって情勢が緊迫度を増している時にキレイごとは通用しない。

 共産党の現在の政治はキレイごとに終始している。それで大方の国民の眼を覚まそうというのであるが大間違いである。党の中央が政治認識を独占し、これを中心点として同心円的に共産党的認識を拡大していくことで日本が変わるという政治路線である。
 
 このような同心円的認識拡大運動のパターンは公明=創価学会も同じである。ともに組織政党であるが後者の方が核心点に新興宗教を置いているので共産党よりは徹底している。

 ところが国民は共産党公明党よりしたたかである。そのような組織的渦に巻き込まれるよりもそこから離れてた自立的存在に自分を置いた方が得だと本能的に理解している。かくして彼らはいつまでたっても国民から見たら拒否政党であり続ける。
 他方、そんな政党の幹部は国民から拒否されても自分たちの党勢の及ぶ範囲では大変な実力を発揮する存在であり続ける。

 その他の左翼を僭称する者たちもそのミニチュア版である。
 
 これらの組織の幹部は党勢の及ぶ限りにおいて大変な実力者であり続ける。このままではの延長線上では多くの国民に政治的影響力を与えることができなくてもぬるま湯からは出ることはない。基本的に保守的構造をもった政党である。

 この党の国政における大きな政治目的はハッキリしない。大きな政治目的のない党は小さな政治として倫理問題のような事をことさら強調するしかない。
 先に挙げたレーニンの様な大きな目的のために執念を持って行動するダイナミズムはかけらもない。

 それだったら小沢一郎たった一人の方が共産党一党の力より遥かに強大であるし、革命的でさえある。逆説ではなく本当にそう思う。特捜と一緒になり小沢攻撃をする党よりも特捜から終始つけ狙われ事務所の4人が拘束されてなお闘っている小沢一郎が余っ程革命家らしい。
  
 小沢一郎共産党の様な組織拡大の延長線上に社会変革を展望したりせず、民衆のところに降りて行き民衆を社会変革に動員するすべを知っている。この人たちに投票所に足を運び自分たちの名前を書いてもらい多数を獲得しなければならない、と心底知っている。

 故にその大きな目的のため自分を捨てて泥にまみれることを躊躇しない。これを徹底できる事、とその術を小沢一郎は持っている。誰にでもできることでなく真に勇気ある変革家の姿がそこにある。共産党や「左翼」には民衆の中で泥まみれになりながら勝利を手にする勇気がそもそもかけている。 

時代が変わればこういう逆転現象が起こるのも歴史の皮肉ではある。
 
 共産党らがいう変革を嫌う人が増えるのも納得がいく。
 共産主義者というよりも一種の宗教家である。
 共産党や「左翼」は支持者の膨大な犠牲の上に存在してきた。
 一方、小沢一郎は秘書たちの労働にはきちんとした対価を支払っている。そちらが近代的なのか人間の行為としてまっとうなのか。共産党や「左翼」に小沢金権を追及する資格はない。