反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

特殊国家暴力組織である地検特捜のあり方を批判しない国民は天に唾している

 一連の逮捕された方たちの応援記事では繰り返し特捜の小沢捜査を広い視野から見るように訴えてきたが筆力、知識が足りず、理解は十分得られている、とは思わない。そこで今回は論点を変えてみる。

   <国家論、国家権力論の観点から民主党政権の性格を明らかにする>        
 
「国家とは一つの階級が他の階級を支配する暴力装置であり、共同幻想性も付与する」
 
 国家権力とは階級的支配の暴力装置のことだ。共同幻想性とは国家への住民の国民としての意識の上での統合である。
 
 国家の支配機関は国民が選挙で選んだり、実質的に拒否権を行使できない暴力機関と統治機関で構成されている。前者。裁判官、検察官、警察官、自衛官。 後者。官僚、役人、国会議員、地方議員。
 国民が実質的にコントロールできるのは国会議員と地方議員の統治機構一部分だけである。

 これが民主主義の実態である。しかし一党独裁国家では国会議員や地方議員の国民による選抜権さえも空洞化させている。ここでの手間。選挙活動、意見対立による政策、制度設計の中和、調整という国民的合意の形成を省いている。国家の暴力装置統治機構を握った党がトップダウンで政策実行、制度設計、変更を行える。
 
 1)資本制は自由社会と呼ばれ国民主権が国家基本法憲法でうたわれているが国民が実質的な国家運営に関われるのは選挙権を行使できる国会議員や地方議員に投票できるときだけである。
 
 国政への参加は事実上、選挙期間中の一瞬にすぎない。選挙で選ばれた議員集団は国民の意見を無視して政治を行える政治的条件が与えられている。
 
 小沢一郎氏はこの事実を冷徹に認めているから選挙の重要性を露骨に剥き出しで言う。
リアリストである。 
 あんたらは僅かに与えられた権利を有効に行使しないと国家運営にまるで影響を及ぼすことのできない存在なんですよ、この社会の実質的仕組みはそうなってますよ、と。
 こんな正直な政治家がどこにいようか。自分の立場をわきまえて投票行動をしなさい、と諭してくれているのである。

 2)自民党の戦後一貫した政権担当はこの党を国家権力と合体させた。
よく政官業の癒着といわれる。この言葉に自民党を政権担当とする支配者の国民支配のむき出しの様子が提示されている。
 自民党の戦後長期にわたる政権担当は暴力装置を含む官僚機構に支えられ相互浸透し、利害構造の一致を形成してきた。
 
 野党第一党は一貫して自民党政権にとって代わるだけの候補者数を選挙区で擁立してこなかったのだから、事実上自民党政権打倒はスローガンだけの世界であった。この政治に多くの国民の願いや行動は消失されてきた。この想い、反省があるからキレイごとを言う連中は好きでない。

 自民党はまた経団連を筆頭とする業界団体の利害を代表し癒着、相互浸透してきた政党でもある。
 さらに戦後日本の政治経済軍事の大枠をコントロールしてきたアメリカの利害を代表する政党でもあった。
 
 3)今回の政権交代民主党がこれまでの野党とは違って衆院選政権交代を単独でできる候補者を擁立できたことから始まった。
 しかし新政権は自民党の様な政権基盤を持っていない。国家権力機構、統治機構としての官僚機構を掌握しきれていない。この状態の中で選挙戦で掲げた国民との約束の内容を実行しようとすれば戦後一貫して国民を支配してきた自民党、官僚、業界団体、アメリカの癒着利権構造の利害を浸食する。この夏の参議院選挙勝利があれば利権癒着勢力と十分闘える管制高地を得たことになる。
 
 なお指揮権発動に言及する意見が多数見受けられたが、勇ましいだけで民主党のおかれた実態を無視する意見であり、空論である。
 
 4)政権基盤が弱い政権に官僚機構、自民党、業界団体、マスコミ、アメリカが自分たちの戦後をかけて形成してきた利権が侵されそうになっているから反撃している。
今の事態の解釈はこれしかない。
 
 国民はもともと憲法上からも国家運営に影響力を持てる機会は選挙を通じてしかないのに国民多数の選択さえも国家権力の実質的実行者によって否定されようとしている。
これらの勢力にとって民主党が選挙期間中、国民に約束した諸政策を実行されたら利権が浸食される。この一点で同一歩調をとって民主党の政策実行を阻み、民主党の政治的影響力を弱めようとしているのである。

 5)故に事態の政治的対立は一種の革命に対する反革命の密集した決起と位置づけられる。
小沢氏への地検特捜の一貫した攻撃はその最先端の攻防である。
中途半端な立場や狭い政治とカネ論議への埋没は密集して攻撃を仕掛けてきている者たちを援護する結果しか果たさない。
 
 激動期の政治が純粋にキレイごとで進行するはずがない。これを求めているものは傍観者として利権癒着勢力の攻撃を容認するものである。

 6)国民の多くは自分が社会のどの位置にいるのか冷静に見つめてみる必要がある。
自分の位置にあった等身大の政治的意見にこだわることが大切であり、そのためにはマスコミの垂れ流している情報を疑ってみる必要がある。
 今のマスコミはかつてのマスコミとは違う。不偏不党やらの建前がかつてはあったがこの分野でも規制緩和が完了している。利権癒着勢力の報道機関としてスッキリ再編されている。

 7)世界的な市場原理主義の実行によって富が社会の頂点に偏在するようになってきている。世界中で金融寡頭支配が強まっている。先進国ではそれとともに民主主義が空洞化、後退する趨勢にある。
 日本の鳩山政権やアメリカのオバマ政権はこういう事態に対する国民多数の苛立ちによって選択されたものだが、金融寡頭支配の抵抗にあっている。彼らはこの間に得てきた果実と権益を手放したくない。
 民主党鳩山政権が挫折すれば日本の暗黒の時代が幕を開けよう。

 地検特捜が最終的に小沢氏を葬り去るようなことがあれば、地検特捜に代表される国家の暴力装置の「自由」が広がり、結果的に国民の自由は狭められる。そこまで考えない人は政治に対して無知である、と断言しておこう。
 特捜の様な特殊な暴力装置には国民の監視権が担保されなくてはならない。