反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

マスコミは奈落の階段を一歩一歩降りている。国民を道連れに。

 新聞テレビは相手にせず、こんな人間にマスコミ批判の資格があるのかとは思う。連日記事を更新していると政治関係の話題に事欠き侮蔑無視の対象にまで遂に言及することになったのか、と。
 
 一般紙を最後に読んだのは図書館に出向いた時か。テレビは今使っているPCの画面を操作すればいつでも絵が出てくるが関心ないな。昨日、久しぶりに愛川欣也さんの「パックイン、ジャーナル」を拝見したが出演者は通り一遍の事しか語っていなかった。どうも攻めの状態の時は溌剌とした意見が出てくるが、民主党が政権についてなんだかんだ言って守りの立場になると生彩を欠くようだ。
 土曜は忙しいし、録画して見るようなものでもない。

 
 この前、久しぶりの「朝まで生テレビ」が地検特捜と小沢関連捜査を取り上げると言うのでネット上では話題になっていたが、正直言って今の「朝生」のコンセプトでは発言の広がり深みは期待できない。
 出演者の顔触れを見ただけで長々と「討論」してもちっとも面白くない、と想像でいるのでわざわざ見る気は全くしなかった。やっぱりあの番組は始まった頃が一番良かった。みんなが注目しだしてつまらなくなった。大島渚さんや野坂昭如さんが論陣を張っていた頃はどんな発言が飛び出すかわからない、ハラハラ、ドキドキ感があった。
 
 政治家が出演しだすともういけない。彼らは自分のテリトリーでしか語れない人たちだから。テリトリーとテリトリーの奪い合いなんてどこが面白い。
 それに彼らはよくも悪くも自分の経験を政治的に収斂させてきた政治的人間でその意味で限定仕様の人間だから、個人的にそういう人間とはウマが合わない。私はもっとアナーキーで「文学」的混沌に向かう体質の人間だから。

 自分で言うのもなんだが元々趣味や嗜好には敏感な人間。生きて行く上で妥協の連続は仕方ないと完全割り切れるが、こういう分野の自分はそんな世界と切り離して大切に守ってきた。そこまで売ってしまうと自分がなくなる。ある種、サンクチュアリ

 テレビ新聞もこういう目で接しているせいかダメと思ったら徹底排除する。時間がもったいない。
 他にやることはいっぱいある。病院のベッドで横たわっていればこんなモノにでも時間を費やすこともあるだろうが幸いその状態にはまだないし、アウトドアに費やす時間を大切にしている。この時間だけは純粋アナログ時間で簡単に短縮できない。手間も時間もかかる。

 とここまで書いてやっぱり自分にはマスコミ批判はできないと感じる。存在も認めず、無視侮蔑しているモノは批判の対象にすらならない。
 出演者にはよくやるよな~、あんなバカやってて結構なカネが懐に入ってくる事情があれば三日やったらやめられないよな、としか思わない。

 もうこの辺でおくことにするが

 最後に確認を。

 マスコミが大事な局面で様々な意見を取り上げず、一方向だけの土石流の様な情報を垂れ流すのはハッキリした原因がある、と思う。

 もう今のマスコミは以前のマスコミの様な不偏不党だとかの自己規制はかなぐり捨てているということだ。
 あの3K新聞の記者は民主党政権が誕生したのを受けてすぐさまネット上に記名で「残念、今に見ておれ」と感情露わに書き込んで非難されると「これからも不偏不党の立場で云々」の訂正をしたらしいがこれはネットウヨ同人誌と揶揄される3Kだけの話ではなくてマスコミ各社も上に行けばいくほどこういう輩が取り仕切っているということだ。

 要するに戦後民主主義の中で良くも悪くも形成されてきたマスコミ特有の企業風土、業態が市場原理主義の世界的跋扈、その日本社会への移植によって変態してしまった。
 マスコミも営利企業である限り、規制緩和に順応して生きて行くしかなかった。
 これらの業界は企業からの広告費で経営の根幹が成り立っている。

 新聞なんて毎日あんな分厚いモノを発行し、しかも正社員には破格の給料を配っている割には公称の発行部数と実際の発行部数に大幅な違いがある。また販売の方法は宅配だから、宅配店が自己資本を回転させていると言っても指導援助は必要でこの面でも本社のコスト負担は必要となる。
 
 実数の発行部数では資本回転の半分ぐらいしか賄えない。となれば当然企業からの広告受注が企業存続の生命線にならざる得ない。ところが大きな発注元の大手企業の広告を取り仕切っているのは電通に代表される巨大広告代理会社である。従って新聞資本の回転には大手広告代理店を通じた企業の普段の資金供給がいるので新聞社はこの方面の意向には逆らえない。
 首根っこを押さえられている。

 テレビなんてもっと事情はあからさまだろう。
広告代理店を仲介とした広告=CMで余命をつないでいるという危ない橋を渡っている。1時間番組で実際の番組内容は45分ぐらいではないか一遍ストップウオッチで測ってみれば面白い。CM時間帯に限って何やら急に音声が大きくなっているようだし、やっと我慢したCMが終わったら何とCM前映像がリピートされている。
 視聴する主な対象が前の映像の記憶がたった数分間で途切れてしまうような記憶力の持ち主と侮っているのか、政策経費の節減を意図的にやっているのか、何か不当な扱いを受けているように感じる。
 
 画像の中のタレントもよくやるよな~と呆れる。しかも本気でその気になってハシャイデいる。
 
 各番組のメインを張るような人物には不当な日当が供給されている。作る側も編集し放題でいく
らでも作為できる。

 これらの企業は典型的な規制に守られた寡占企業である。しかも各社の競争の基準となっている視聴率調査の唯一の会社ビデオリサーチは電通の子会社である。以前はもう一社あったらしいが不透明な形でビデオ社だけになっている。
 
 ここでも新聞社の押し紙問題と同じようなウソがあるのではないか。
 視聴率を作為してお互いが潤うようなことができるし、かなりの家庭でもうテレビが無視されている現実を公にしないこともできる。作為しなければ自分たちのCMの広告費としての値打ちが下がり企業が出し渋りをする。

 今回のマスコミによる小沢土石流攻撃の裏側ではネット世論の一部が一貫して異論反論を伝え続け、これがかなり大きな世論となってマスコミ報道に批判的な方々の拠り所となった。
 
 また週刊朝日上杉隆氏への地検特捜部の出頭要請による恫喝もいち早くネット上に配信され、ネット世論の反撃も多少はあって抗議文の提出のレベルにトーンダウンされた。
  
 ネット世論はまだまだ未成熟であり、質のよい書き手は探さないと見つからない現状がある。この世界にまだ資本が大きく投下されていない現状からかもしれないが、ここは迅速性、即応性、相互交流性がある。旨く運営すれば一方向ではなく多面的で交流性も担保されたインディペンデントな世論として発展していく可能性がある。
 ただしいずれは資本投下が始まれば悪い方に代わっていくと思うが。
 
 最後の最後にこれだけか書いておかねば。

 昔の哲学者は言った。
 意識が存在を規定するのではなく存在が意識を規定する。

資本主義の原理は等価交換である。日本の単純労働に労働力の再生産さえ覚束ない賃金しか支払われない原因の一つは日本の単純労働者が中国などの低賃金労働と競争させられているからである。自由貿易体制を前提とすると単純労働はコスト削減のため海外へ工場移転しなければ競争に打ち勝てない。従って日本の単純労働市場は後進地域からの下方圧力を受けて低賃金化する趨勢は避けられない。

 ところが寡占独占企業ではこんな市場の原理がブロックされている。ここで働く者は労働貴族となる。資本主義の等価交換の原則が通用しない世界で労働貴族はその職制、地位で本来自分が生み出している価値より途方もなく大きな対価を受け散る。マスコミ業界はカネ持ちタレントと労働貴族を主人公とした普通に働く人間とは違った別世界である。

 彼らの得ている報酬の源は日本の資本が内外から引っ張ってきた超過利潤で埋め合わされている。

 この現実を直視すれば国民全体の生命や生活に直結する重要な案件について我々と彼らとでは存在形態が違うのだから意見が真っ向から対立するのは理の当然である。

 彼らの見解に引っ張られていけば我々は自分の足元を見ず、生活基盤を掘り崩し、天に唾していることになる。

 今回の小沢氏への土石流攻撃も結局は国民を特捜やマスコミの立場に立たせる、これで首尾一貫している。 しかしそれでよいのかという意見も社会には存在する。それらは土石流の様な報道期間中一切無視された。それでいいのか。

 マスコミはつい最近でも小泉郵政選挙を事実上演出し、あの時一番問題なっていておかしくなかった、年金、医療介護、福祉、労働、税金、財政の根本問題を覆い隠した。小泉のいう郵政改革など本来国民にとって部分的な問題であった。それをあたかも改革の本丸と称して国民を欺き、格差社会の進行、企業間格差、地方の疲弊、医療年金崩壊を隠ぺいしてきた。今民主党新政権が苦しんでいる大きな原因は小泉の目暗ましによってもっと早く手をつけなければならなかった問題をこの不況下の財政不足の中でやらなければならないという歴史的なタイムロス故である。

 マスコミは従って小泉郵政報道において国益や国民益を取り返しのつかないほど毀損したのだ!
そんな反省などひとかけらもなく同じく時流を演出している。

 いままたマスコミの大々的にやってるのは同じことではないか!小沢という部分に国民の意識を煽って大切な日本の現在と将来をないがしろにしている。
 
 思うに民主党新政権は力はなし、小沢氏にマスコミがいうほどの力はない。幻想を立ち上げておいてそれと闘う、こんな楽なことはない。新政権は国家の実行力である国家権力、統治機構もいまだ掌握しきれていない段階で小沢一郎氏にマスコミが伝えるおどの力がある訳がない。

 マスコミは先の小泉にのっかった宣伝扇動に続いて小沢氏への土石流攻撃でまた階段を下りて行った。国民を道ずれにして。行先には奈落が待っているとしか言いようがない。
 
 いま日本人で日本の未来を明るいという方は少ない。ほとんどの方が危機感を持っておられるが今のマスコミの姿勢は明るい日本を作る方向に向かっているのか!彼らが判断するのではなく我々が自分の事として判断しなければならない。マスコミには毅然とした態度を持つ必要があるのではないか!