石川議員は地元、帯広での記者会見で今後とも民主党議員として活動していくと表明した。
石川議員を国会に送ったのは地元の支持者並びに彼の選出には反対したが結果的に地域の代表者として選んだ有権者だ。そこでの様々な意見を踏まえて政治家が主体的に政治決断をする、これは筋道の通ったやり方である。
本来逮捕容疑にあるような事案の処置はこれまでの慣行として修正要請があって再提出すればすんだもの。
ところが、通常国会を3日後に迫った国会議員、しかも連日に渡って事情を事情聴取をしており、翌日もその日程が組まれていたにも拘らず、逮捕したのは二つの事情がある。
その一。この突然の逮捕は用意周到に仕組まれたものではなく法的判断において明らかな暴走行為が見受けられることである。
特捜は承知のように昨年の衆院選での自民党の劣勢が避けられない情勢で、戦いの先頭を一貫して引き受け陣頭指揮をしていた小沢氏の政治的失陥を狙い、民主党に打撃を与え、自公政権に有利な政治状況を作り出そうとして西松建設違法献金で小沢秘書を逮捕した。
もちろんその動機は戦後営々として形成してきた自民党を政治中核とし官僚、企業団体を統治的経済的実行力とする利権癒着構造の利害が新政権誕生において侵されるとの強い危機感を抱いたからである。その種の危機感や行動は本来政権交代がその都度、行われている国ではあり得ないものである。
ところが大久保秘書を逮捕しても裁判維持さえ困難なような事実しか出てこず、事案は当初検察が描いた筋書きどうりの小沢氏までたどり着くようなものでは全くなく裁判自体の推移も無罪の方向さえ示唆するものとなっている。
そして今年の石川議員逮捕がある。
特捜が逮捕まで踏み込まざる得なかったのは自らが描いていた構図を完成すべき証拠が事情聴取の段階で得られそうになく、事案自体が大久保秘書の案件と同じく尻すぼみに終わる可能性が高くなったからである。
そのまま事情聴取を継続していると、国会開催にずれ込んで捜査に制約が出てくる。また開かれた国会で与野党問わずこの問題を政治的焦点化し政治的流動化の果てに民主党政権に打撃を与えることができない。
そこで逮捕=身柄拘束へと突然の方向転換が決断された。今までの捜査事情聴取の行き詰りからして逮捕しても事実上、自白強要で強引に案件を作り上げていくしか展望はなかったのである。しかも相手は与党の国会議員である。
故にこの判断は高度な政治判断であり、法制的判断の枠を超えたものだから、検察トップの判断だけでなく、外部からの意見も参考に断が下されたものといえよう。
法務大臣には一時間前に報告したというが、もっと前に別のルートにかなり早い段階で相談したと理解する。もちろんこう行為自体が完全な違法行為の対象となる。
だから正確にいえば特捜の暴走というよりも外部の後押しで決断され実行された新政権への反乱である。このような特殊任務を合法を装って遂行きるのは東京地検特捜部しかない。
官僚の抵抗はしょせん順法的サボータジュの範囲を出るものでない。特捜こそが利権癒着勢力の新政権で侵されそうになっている利害を守り、合法的を装って暴力反乱ができる。
第二。以上を踏まえるならば、言うまでもなく石川議員逮捕は特捜の描いた筋書きである小沢氏失陥を目的とした別件逮捕である。
些細な事案を口実に逮捕し、肉体的精神的圧迫の下、筋書きに沿った自白を強要するのは公安警察や地検特捜などの常道手段である。
自白は裁判官の裁定を大きく左右する。裁判の進行も検察側の証拠、承認が優先的に採用され弁護側のそれらは却下され、かくして99%の有罪率が維持される。この事実から取り調べにおいて自白に意味が大きくなり、自白強要の環境が用意周到に作られる。精神的肉体的に追い込んでいく技術を生涯をかけて磨いているのが彼らの仕事としての宿命である。ならばこんな狭い仕事環境の出口は基本的に二つしかない。止めること。出世の階段をひたすら登っていくこと。
また、とにかくこれと狙った対象に逮捕、取り調べ、起訴、裁判を持って時間、金銭、行動、精神的ダメージを与えられることを彼らは熟知している。適法を装っているが本質的に国家暴力の発動による個人や団体への政治的圧迫が本来的目的である。
今回の石川議員や2名の逮捕起訴によって特捜は小沢氏まで手を及ぼすことはできなかったが、圧迫によって大きな打撃を与えることができた。
最後に。最近の地検や特捜の暴虐ぶりを挙げておく。
<三井環元大阪高検公安部長>
検察の裏金を追及しテレビの対談に出演しようとした直前に公正証書不実記載なる名目で逮捕されている。
マンション購入の際、記入した住所と現実に住んでいる住所の相違を検察の順法感覚に照らし合わせるとこういう罪名になるらしい。
しかも三井氏は裁判の果てに控訴空しく有罪が確定し、静岡刑務所に服役し、つい最近出所したという。
どうしてこんな微罪で懲役になるのか頭が混乱して今でも理解できない。
キチンとこうした人権への冒涜に目を向けなかったからである。
マスコミが報道しなかったこともある。
そんなマスコミ報道を今回の小沢氏を巡る事態で鵜呑みにしている方が検察による政界浄化に拍手する。
国家暴力の発動で政界浄化を期待するのは筋違いである。国家権力、検察の正義と庶民の正義感は市民社会の国家からの独立を守るためにも市民が一貫して別モノと意識しなければならないものである。
我々はテレビ映画の遠山さんや大岡越前の正義に拍手する江戸庶民ではない。
ましてあの時代は瓦版の時代、今はマスコミの時代。一層気をつけなければ江戸庶民よりもお上の活躍に同化し易い環境にある。
西部劇の町の大集リンチの様な心理状態がマスコミ報道によって生まれやすいことも自省する必要がある。
<次に厚労省を舞台とした障害者団体証明書偽造事件>
審理が大阪地裁で進んでいるが、とんでもないことになっている。
偽造を部下に指示したとされる村木厚子元課長は取り調べ段階で一貫して否認していたが、裁判において村木氏関与を供述した偽造の本人である係長が自白を翻し、関与を否定しているばかりか上司も検察側の事実認定を証言台で村木関与否定している。
衆院選を前にして石井一参議院議員を厚労省側に口利きしたということで事件を大々的に拡大しマスコミの話題にして政治的ダメージを与えることを目的に大阪地検特捜が事件を利用しようとしたものと思われる。
事案を政治的に膨らませるためには一係長と悪質団体の範囲で諌めてはならなかったのであるが余りにもお粗末な筋書き故特捜の物語は裁判が始まるや否や破綻の憂き目にあっている。それでも被害者は6カ月も拘束され、挙句この先長い裁判闘争をしていかなければならない。
起訴した側は職務を果たしたということだけで済まされる。
だから我々はこういった権力行使に自分の事として敏感に反応する必要がある。こうした人がたくさんいる社会が民主主義社会である、と断定しておこう。