反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

小沢捜査は謀略的要素の匂いがする。1949年の下山、三鷹、松川事件に学ぶ。

 本日は時間不足のため論旨が十分に展開できない。後日この観点を検討してみたい、とあらかじめ断わっておきます。

 
 目の前で起こっている事の表面上をマスコミ報道の論調で追っていくと全体のからくりが見えなくなってしまうことがある。

 大抵の歴史的転換期に発生する事件はその当時はマスコミ報道でこうだったが、後から検証するとおかしい事だらけでやっぱり当時の評価は間違っていたで済まされている。

 古くは戦前の盧溝橋事件。「満州国」駐屯の関東軍が中国戦線で戦闘拡大の暴走をするきっかけとなった。当時のマスコミ、政府の論調は中国軍側が日本兵を殺害したものであるとして、懲罰として対中戦争突入やむなしだったが、現在の歴史的評価関東軍が自らの暴走を正当化するため事件を利用したモノとなっている。

 ところが今頃になってこんな定説化しても遅いのである。

 当時、どのような対応をとるのかが問題だった。
仕方がなかった、では歴史低評価にならない。事実の羅列で何の評価もしない、教科書にみられる立場で日和見主義を通り越している。

 <1949年。下山、三鷹松川事件国鉄を舞台とした連続謀略事件>

 1949年、新年早々、中国内戦が紅軍の北京入場、国民党軍敗走で決着を見つつあった。
翌年には朝鮮戦争が勃発した。1949年はいわゆるドッジラインのGHQの方針の下、戦後の混乱期に余剰人員を抱えていた国鉄や基幹産業で吉田内閣によって大量解雇合理化が目論まれていた。
その年の総選挙では共産党が4人から36人の大躍進を遂げていた。
 
 国鉄や基幹産業では首切り反対の労働組合の闘争体制が組まれようとしていた。
戦後の労働運動の指導権を握っていたのは共産党系の産別会議であった。後に総評の母体となる民主化同盟に指導権はなかった。産別会議が主導権を失って民主化同盟が総評結成の母体となる。反共を掲げた民同が左転換するのである。俗にいう鶏がアヒルになったと評される。

 物情騒然たる社会情勢の中でまず、1949年、7月6日、国鉄総裁下山の足立区の国鉄線路上の列車轢死下山事件発生。
 
 続く、7月17日には国鉄三鷹駅構内で停車中の無人列車が突然暴走し、構内にいた乗客6名が死亡した三鷹事件。さらには8月17日には福島県内において東北本線走行中の列車がカーブを曲がり切れず脱線転覆。枕木を固定していた釘が抜かれており、多数の犠牲者が出た。

 これらの事件は今ではGHQの絡んだ大掛かりな謀略である、と定説化されている。
極東アジア情勢が風雲急を告げており、国内も激動していた非常時に非公然、非合法活動が上から発動されるのは当然と言わなくてはならない。

 ここに坂口安吾による当時の生々しい記述がある。
三鷹事件の真相がどうあろうとも、惨事の起こった直後、血まみれの現場に立ってアジ演説に利用した共産党員の品性の低さの低さ~。そんな時に主義主張もあるものか。傷者を助け、死者を反所つするため精魂傾けるのが当然の人道ではないか」

 このエッセイは全編共産党批判に費やされているが何か現在の文春殺法に相通じる論法で問題点のすり替えが行われている。しかもそれが当時の反共的世論には有効に機能したであろうと想像できる。

 「真相はどうあろうとも」で三鷹事件を片付けていることによって事件の真相を社会的な激動情勢とつなげて解釈していく道を閉ざしていくばかりか、事件への国民的疑問が沸き起こってくる道を共産党批判で閉ざしている。
 
 人情や一般常識に訴え、社会的視点を封殺する巧妙な論法である。
元々が共産党の躍進に腹が据えかねていた。こういう観点から事件が反労働運動、反共産党の方向に利用されていく必然性があるのを十分知っての意図的な作為である。

 たたしこんな的確な指摘は鋭い。
「本家ソビエト共産主義政府が壊滅しても、中共だけは栄えるかもしれない。なぜなら、中国の国民がそれを求め、其れを選ぶかの知れないから」
 なかなかのものである。どうしてこんな先見の明が単なる流行作家にあったのか。「文学」にも恐るべきところがある。
 
 当時の共産党の活動実態に対する批判的作家が書いたものだから逆にリアルに実態を浮かび上がらせている面も大いにある。
  
 一言で言ったら、共産党も当時の日本人一般の「レベル」を超えられなかった、ということだ。日本人のレベルとは戦争に積極的に動員されていった国民は戦後になっても本質的には変われないということである。これは赤旗に転じても変わらない。
 
 本物の活動家はごく一部で大抵は時流に竿差して旗を振っていたにすぎない。当然それに反発するインテリも出てくる。 

 作家の視点も大切。人を本源的にみるしマスでとらえない。


 今回の小沢捜査は金融寡頭支配=利権癒着構造、アメリカからの自民党がやっていたような路線での政策遂行をせよ!との強要である。謀によって民主党の政治的影響力を削ぐ、そのためにその中核である小沢氏の些細な法的陥穽をえぐり出し徹底的に叩くこと、この明確な政治的意図がまず前提としてある。

 先に記事で書いたように謀略的意図が一貫してなければ、昨年からの事態はあり得ない。
坂口安吾三鷹事件への描写は事件を全体の構図から遮断し、人情や常識にすり替える。
これは今度の小沢捜査におけるマスコミ報道の姿勢と瓜二つである。