反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

テレビ、新聞の拒否が特高検察やマスコミを国民が包囲する事に繋がる。。

 この腐敗は民主党政権の成立によって暴き出されたものである。今、目の前でのたうちまわって腐臭とオゾマシイ醜態をさらけ出している利権癒着の自民党、官僚、業界団体、アメリカ、マスコミに国民は感謝しなければならない。奴らがこうした姿をさらけ出し今までの世の中の支配構造をその悪あがきによって身を持って教えてくれることに。
 奴らはむき出しの姿をさらけ出している。

様々な機会をとらえての言説はあるだろうが煎じつめれば、こういう事ではないか!

 多数の働き蜂の上に自分たちが君臨し、せっせと働き蜂が集めた蜜を遠心分離器にかけて一気に絞りだし自分たちだけがいい思いをし、働き蜂は死ぬまで働かせておけばいい。もちろん巣箱の中では働き蜂の世代交代は進むが、女王蜂がいて、遠心分離器にかけおいしい蜜を吸いあげていい思いをするモノがいる構造は変わらない。

 自民党やマスコミはこの構造を永遠のモノにするために存在し、その他の政治的付属物もこの構造を補完するために存在する。

 今の特高検察やマスコミの一連の小沢捜査、鳩山偽装献金疑惑などは以上の様な搾取、ピンはねぼったくり構造を維持したいための策動である。

 冷静に周囲を見渡してみるとこういう動きを煽動する奴らはごく一部の存在でしかない。

ほとんどが日常生活からして蜜を搾り取られる側の存在でしかない。

 この事実を気付かせないことがマスコミの最大の存在理由であり、あらゆる手練手管において、この技術に優れたモノには巨額の報酬が与えられる。
 
 これらのインチキ野郎と闘う指針をお教えしよう!

 まず、新聞の定期購読を止めることである。

仕事がらこういう側面からの情報収拾が必要な方は絶対お勧めできない方策ではあるが。

 次にテレビ。ほとんどの番組が見ても印象にないものである。ネットの方が、速報性、相互交換性、受け手の主体性の発揮、選択肢の幅の広さ、優れている。
 断乎、テレビを排除した生活を送ろう。
 
 テレビは習慣的に見てしまうものである。何の「努力」をしなくても映像と音声が合体して流れてくる。受けては居ながらにしてテレビに映し出される架空の現実を居ながらに追体験できる。

 ところがテレビで映し出される現実がそのままの現実かというと、大きく本当の現実とかい離
してしまう場合があることに気をつけなくてはならない。いくらでも撮影してきた映像は編集できる。もうこの時点で撮影現場の全体像は編集者の事実に対する主観的判断に転化されている。

 こうしたモノを見て世の中を見たことになるのか。

あり得ないけど人間には見て同時聞いたものには絶対的信頼感を置く動物的本能がある。

 裁判を例にとると聞いただけの証拠能力は低く取り扱われる。いわゆる伝聞というやつである。
見たことは重い証言となる。決定的といえる証言である。さらには見て音で確認した事実が複数集められると絶対とも言える証言になる。

 こうした絶対的要素で情報を与えるテレビを拒むのは困難でる。しかし、次元の違う生活をすればこんなものは面倒なだけの媒体になる。ラジオのように音だけでは成り立たない媒体であるから見るという時間的損失が人生においてどれだけみ意味であるか計り知れない。
 この無益な時間を消滅させたら人は自分の時間をかなり自由にできる。