反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

最強の平和主義者、日米同盟反対論者を自称する元外務省レバノン領事館公使天木直弘氏を批判する。

 いつもブログを拝見しております。上記の表題はスペースが足りず、現政治評論家とすべきところを割愛させていただきました。つまり天木氏を元高級官僚としてのキャリアでなく評論家として批判の対象にするものです。もちろん、公使をおやめになった経過やその後の戦いを踏まえて敬意を表し思考の対象にするものです。基本的に天木氏は尊敬すべき方です。ただし評論家としての存在がある限り批判の対象にもなると考えます。
 
 個々の御意見に敬服する時もあるましが最近、どうかなという事態が多くあります。日米同盟反対論者はともかく最強の平和主義者を自称されるに至ってこれは批判しなければならない、としました。

 レーニン曰く。「党派闘争こそ党を鍛える」私は個人ですが民主党を支持する一平凡な市民として自分を鍛える意味も込めて批判させていただく。

 最近、天木さんの立場と私の立場の相違が大きく異なってきたのは天木さんが昨年の連立政権成立、普天間基地問題の大騒ぎ、そして何よりも小沢氏への特捜の捜査など一連の事態を受けて、その政治的立場として淡い期待が裏切られ、元の憲法原理主義の砦に回帰されたことに原因があると考えます。
 
 ところが私の立場は最初の段階から何ら変化がない。どのような事態があっても民主党を支持する観点は微動だにしない。いやむしろ小沢捜査を受けて国家権力への怒りに火がついてしまった感があり、一層の支持の方向性が強くなった、というべきでしょう。

 私は政治的に支持を固めるのは時間がかかるが、いったん支持すると簡単に変わらないという傾向があります。民主党を支持しだしたのは遅いがそれなりに自分で考えた末です。越えなければなならないハードルもありました。しかしこれを乗り越えてしまうとゆるぎない領域に突入し、あれこれの事象に惑わされず、長続きするという傾向がそのままに出ただけです。

 ただし、最初からの違いがあります。                                            
    <憲法観の違いがあります>
天木さんは現憲法平和憲法だと位置付けておれれるが私はそうは必ずしも理解していない。
憲法は有名な前文があって、1~8条が天皇条項となっています。そしてこの憲法の最大の特色である9条になります。

 私が憲法を読んだのは遅い時期でした。自由のない生活の中でたまたまそこにあったから読んだだけです。しかし直観的に巷で伝聞されている内容と実際は違っていると感じました。
社会党や現社民党憲法解釈はいいとこどりで悪いところはワザと無視していると感じました。

 憲法象徴天皇制が1~8条で謳われていますが、事実ここから天皇は日本国の元首であるとする考え方も生み出されています。実際そういう考え方も可能とも受けとれます。
 1~8条は天皇制の権利と義務をを規定しているようです。これは占領軍が天皇制への戦前的全国民的帰依を占領統治の道具に位置付けていた、と考えられます。戦前の支配機構の存続を占領軍は否定せず、利用してしようとしたのです。だから当然、ここに寄り添って戦前的な残存物が生き延び勢力を拡大していく可能性が温存されたのです。

 この政治的傾向を否定する反対物として9条の戦争放棄の急進主義が楚定されたと考えます。
この9条は国家論の原点からいってあり得ないモノです。
 国家は武装力と国民国家共同幻想からなっていますが9条は国家の武装を放棄していますが、GHQの武力が存在する限り、日本は武装しなくても良いが、この蓋が取れたらさっそく、警察予備隊という形で国家の武装力が成立せざるえません。
 
 それが今や25万人の兵力と軍事費が世界でも屈指の軍隊に成長している現実は余りにも憲法の指摘とかけ離れています。

 天木氏はこの事実を社民党の福島党首の政府側の答弁として、こう言ったらいいと言い放ちます。
「今の自衛隊違憲状態にある」と答えたたらいいと。
天木氏によれば党首福島氏は3月1日の予算員会で「今の自衛隊は意見か合憲か社民党は結論を出していない」と答弁したとのことです。天木氏の架空のアドバイスは連立政権の混乱の火種をマスコミに提供することを想定してのモノですから私からすれば現時点の政治情勢を勘案すれば非常識です。

 もちろん彼はそれでもいいというのですから、究極の憲法原理主義の開陳です。政局ができてもいいとするモノです。無責任極まりない立場です。
 
 ところが彼の後生大事にする憲法には!~8条の天皇条項があります。彼は論理的必然としてこの部分も肯定することになるますが。ここには最近問題になっている天皇による特定官僚の認証制度がハッキリと明記されています。もちろんこの認証官には検察幹部も含まれており、彼らはわれわれ国民が選んで存在ではなく天皇が認証した存在といて権威ずけられ、昨今の様の異常捜査を国家のため平気ででやっているわけです。これはもちろん戦前の官僚制の今日展開に他なりません。

 天木氏は憲法のこうした側面に事実上肯定しているのではないでしょうか。いいとこどりをしない限りそうなります。

 また彼の社会党自滅の持論もあったていません。要するに自社さ連立政権の時、非武装中立をかなぐり捨て日米安保を容認したから、護憲派が離れ、統制が衰退し、3分解していった、と。

 果たして社会党消滅の過程はそんなイデオロギー的な側面に単純化できるのでしょうか。
護憲派国民の支持なるものがあったから社会党が野党第1党だったのでしょうか。だったらこの膨大な国民層は現在どこにいるのでしょうか。

社会党消滅の根底にはソ連東欧の「社会主義」崩壊があります。
社会党の戦闘的活動家は基本的にソ連派ですし、社会党非武装中立論も冷戦構造の中で選択され日本の道でした。
 国内的には一方の自民党と他方の社会党という政治体制がソ連崩壊という外的要因によって成り立たなくなったのです。社会党の最大に支持基盤総評はその前に民社党系の同盟と合体し連合となっていましたから社会党も分解する運命だったのです。憲法原理主義を掲げる部分、民主党に合流する部分、社会主義路線を堅持する部分に分解するのは避けられなかったのです。

 天木氏はこのことを無視し非武装中立をかなぐり捨てたから護憲派の国民が去って行ったとの得手勝手な解釈をしています。多くの国民の社会党支持派護憲から来たものではなく、淡い平和への願い、分配への願望です。また社会党自民党に代わる政党として政権交代への構えがなかったのです。これは政権交代によってしか本格的に実現するはずのない社会福祉などの充実を遅らせる犯罪的役割を果たしました。その癖、労働官僚はそれなりの地位を獲得していました。もちろんその見返りで潤った国民はいましたが労働市場の2重構造は解消されず低賃金過重労働の上正規労働層がいる構造に何ら変更は合いませんでした。
 
 天木氏は過去を美化しノスタルジーに浸っているだけで生産的な立場ではありません。
言いたくないがこれは彼が官僚生活の中で世間の実際とはかけ離れたいたことと無関係ではありません。自己反省を少しはすべきです。でないと評論家としていつまでも野郎時代的な大層な言い回しいに終始する昨今から抜けられません。最近の彼は内容が余りないのに言いまわしだけがもったいぶったところが目立ちます。
 

 次に問題にしなければならないのは政治弾圧に対する不感症です。
普通闘うモノは弾圧をかけられたものに本能的に同情し、一層支持するようになるモノですが天木氏は小沢捜査がひと段落ついた時点で頂点で権力者同士が握手し不利益を受けるのは国民と分析します。

 もちろん駆け引きはありますがこういう見解で済ませることのできる能天気振りに呆れます。
要するに何でも反対の立場に立っているほど政治的に気楽なモノはありません。
無理をしてでも擁護しなければならないのが政治のつらいところですが、これがなくなれば庶民にとってこんな楽な立場はありません。獲得物だけおいしくいただき後は批判ざんまい。

 これまでの日本国民の大半はこれできました。マスコミもこんな国民の生態をしっているからバカにした洗脳報道を繰り返しているわけです。しかしこれからの世界で国民がこんなモノに身を委ねていいでしょうか。
 天木氏の立場は古い国民の立場です。

 現実に25万人もの兵力の軍隊を違憲の一言で済ますことはできません。それは平和の立場ではありません。思考停止です。