反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

副島隆彦さんの発言を初めて画像で拝見。なかなかの人物である。

 ヘンリー、オーツさんのブログの画像で副島さんの長時間インタビューを拝見した。なかなかの能弁家である。話が理路整然と進められていく。なにか一つの論理的世界を構築されている感じがする。
本音に近い部分を独白されており、そこまで語ったのはのはインタビュアー岩上安身氏への信頼度だろう。
 自身の過去の政治経験、人生経験、人生観も思わずポロリと述べておられる。
 人物が普通の学者さんの枠を大きく超えている、感じがする。
小室直樹さんの過去のテレビでの言動、恩、現在の消息を述べられた部分なんか自分の思想のルーツを語ると同時に在野の学者として生きる決意をした者の反骨精神を吐露しているし、人を見る目の温かさが感じられる。

 副島さんは苦労人でもあった。高校は中退したという。中退は早熟な政治青年にありがちな願望だが、実行するのは極一部の先鋭な人に限られる。
 彼は才能のある人である。
中退してから、「社会復帰」し、大学に入り、また政治活動で苦労された様である。そこから東大の小室教室に通われて学問の道に精進されたようだ。
 
 この道程ではエリート研究者にない苦難、志があったと思う。
田中角栄氏を語っている部分なんかにも彼の研究者の枠を超えた人生の本音で事に向き合う姿勢がよくあらわれている。
 こういう観点を学者さんが語るのは大いに賛成である。マスコミなんかの論調は世間の一般常識で行われていることの上澄み部分で丁々発止している事が大いにある。
 
 縁故採用、真っ盛りのマスコミはキレイごとをいっているし、会社の営業はどうしているのか。人にものを頼んだり、ありがとうの意を伝える場合、どうするのか。ここらあたりの現実を踏まえないでキレイごとばかりで押し通していくと、管理社会の息苦しさ、非創造性ばかりが人々に降りかかってくる。

 日本が上り竜であったころはこんなことはなかった。何か日本が収縮していく過程を目の当たりにしているような感がする。
 
 角栄氏の政治的な立ち位置をキチンと歴史的に総括し、世にいわれる「金権政治家」の側面も世間の実際の感覚から判断されている。ここまでいう学者さんはいない。
 
 後世の歴史的立場に立てば問題はトータルでどのように評価するかということであり、それ以上はない。主要な要素を副次的な要素が覆い隠してはならないということである。
 
  <木を見て森を見ない>日本人の現状認識、歴史認識にいつも付きまとう欠点といえよう。
だから、一人歩きが必要となった時に躓いてしまう。戦前も大きくいってこの範疇にはいるだろう。
第一次大戦ではドイツと反対側の側の陣営にいたが、第二次大戦では同じ陣営に立っていた。
 これを必然で説明することはたやすいが、それでは後代の我々が得るものは少ない。其れを学問というのは間違っていると思う。
 
 確かに社会科学は必然性を解き明かす科学的な目を持たなくては成立しない。これは客観性が担保されなくてはならないが、社会は主体的営為によって変えられる、変えなくてはならないという決意をおろそかにできないと考える。
 
 私には戦前の日本はアメリカに反対して一敗地にまみれたが戦後、現在の日本が取るべき道は何なのかというテーマがいつも木霊する。
 状況分析を客観的にやらなくてはならないと考えている。与えられている条件が戦前と戦後はガラリ地違う側面がある。
 
 例えば戦前は朝鮮、中国へ侵略し、資本の蓄積を果たし、過剰を処理してきた日本資本主義だったが
今までもこれkらも戦前の様な行動は絶対不可能なことである。
インドやブラジル、ロシア、中国の潜在的巨大市場を持つ国々が世界市場の競争者として浮上してきた意味はとてつもなく大きいと考える。
 
 それを前提として日本のとるべき道は今のままでよいはずはない。この日本の当然ともいえるモガキの過程でアメリカとの距離感が当然浮上してくる。
 アメリカとしては日本をこれまでの様に貢物をささげる位置に留め置きたい願望が絶えずある。これと中国や朝鮮の極東アジア情勢の展開も考慮しなければならないし、もっと大きな世界の経済政治情勢の中で総合的な判断は委ねられるべきだ。
 
 今の日本は自身がどう考えようが客観的にはアジアで孤立し、戦略的展望の乏しい国とみなされている。
 
 新政権と民主党を支持者のかなりの部分にはこういった認識がある。早急にどうこうなる問題ではないが少しづつ手をつけて行ってほしいとの願いもある。
 
 帝国主義国が同盟する場合、一方的な貢ぐ関係はあり得ない。利害は対立する必然性が経済的にある。
これを解決し続け、バランスをとっていくのはのは政治と軍事の力しかない。
 これ以上、言及しないが、以上の様な問題意識は今後ますます必要となってくるのではないか。


 副島さんは東大流の学者さんにありがちなエリートの高みから人や社会を裁断するところの馬鹿馬鹿しさを十分承知されている。
 人文科学は人と社会を分析の対象とする学問である以上、その学問の客観性が保障されなければならないが、根本的には結論は実際の政治や社会生活で実行に移されて検証されるという側面が大きい。
だから、間口として支持者を引きつけなければならない。しかる後にきっ先鋭い議論を展開し納得させなければならない。
 もちろん、議論が先鋭化すれば強固な反対者が出てくるのは当然のことであるが、むしろ、強固な反対者の出てこないような政治論は議論は灰色、現実は豊饒の海ということで何も語ららないために何かを語る類のモノである。



 副島さんは苦労されている方だから視線は意外と暖かし学者さんによくある世間知らずや政治音痴でもなく柔軟思考ができる方でもある。グズグズしておらず、メリハリがきいている。
 
 いっては悪いが天木直人さんより優しいお人だと思う。方や日本最強の平和主義者を自称しても、中身なく空疎で平和を語っても人間実が伝わってこない。現在の立ち位置も泥をかぶらなくてよい、何でも反対のマスコミのような立場である。

 多分彼の様な立場は彼だけのもので他者と共有できるモノでないと思う。
 退任後、実際の活動をしてみたが、どことも相容れなかったのではないか。よって孤立した現在である。

  9条ネットの活動家の世界にも社民党にも相いれないから最強の平和主義を自称するしかない。
今日、彼のブログを見ていたら朝日新聞の財政記事を前面肯定するような論調を載せていた。
今の朝日に根本的な疑いを持っているのがネットの「常識」なのになぜか、彼の記事には一貫してマスコミ批判は出てこなかった。
 
 その点副島氏は徹底している。天木氏の様な意見は毒にも薬にもならず、重病人は死に絶えるだけだが、副島氏の論理は毒がある点で重病人を「奮い立たせる」かもしれない。
 
 副島さんは大胆仮説を立てることによって責任を取ろうとしているし、この情勢の中でどこに政治的な軸足を置くかハッキリしている。活動の方向性も明らかにしている。
 
 要するに政治を論評しているのだから、抽象的な立場は一見も尤もらしいが、厳しい見方をするものにとっては不満足この上ないのである。
 
 アメリカに偏らず、中国とも距離を置いて日本の立場を確立しなければならないとする主張に納得できる。そうしなければこれからは国益、国民益は守っていけないだろう。世界経済の情勢分析をまともにやればその結論に達するほかない。