長い旅路に出ていた間にすっかり小沢一郎批判者になっていまった。小沢本人、支持者に余りに理不尽を感じる事が度重なり、遂にその思いは一線を越えた。
この男は国家権力と戦うといいながら、手を組む輩である。
政権交代の実質的立役者の政治的本質に甘くなってしまった。
この交代は小泉市場原理主義に対する様々な分野での現出した格差から、あるいわ対米屈従的な現実を前にして、政治の本流であった元自民党の小沢という政治家に尤もこの事態に有効な政治技術を駆使する機会を与えられたという側面を無視していた。小沢は耳触りのいい事を時節柄掲げて国民を虜にする技術に最も長けていた。
小沢がこの事態に対する尤も有効なアジテーションを行う事ができ、選挙に代表される組織的活動ができ、政治的結集軸を持つ事ができた=小沢には今後とも大きな政治過程を主導する力と能力があると短絡していた。ここが誤りの最大ポイントである。言わば期間限定仕様の小沢の消費期限を誤って長期使用可能としてしまったのだ。
気づくには遅くなる理由があった。ちょうど小沢には特捜検察の重なる弾圧が掛けられていた。これが言い訳になって小沢側の政局への無対応状態を合理化していた。
尤もど自分自身過去に小沢にほとんど関心がなかった。民主党の政治とは無縁なところに生きてきたという現実から、素朴な意味での判断材料が欠如していた。言い訳になるが。
小沢と特捜検察の間に起こった手打ちは小沢が自民党のゴリゴリ議員であったことから、当たり前の事が起こったにすぎない。
特に庶民生活に直結する部分は中身のないお題目にすぎない。国民の生活が第一は完全なまやかしである。マニュフェストは小沢責任下で作られた。
しかしその一方、普天間問題や様々な政府の問題に関係を持たなかった。
やろうとしても、党内の政敵らに阻まれたできなかったという便利な言い訳ができているがそれだけでもなかろう。
小沢の特徴はこういう四方八方に目配りのできない単線的政治行動にある。これがうまくいけばこの間、2回のの国政選挙の様なスカットとしたホームランを放つが大抵は無様な結果に終わる。
小沢一派は度重なる本人の失敗のいいわけから、こういう時に小沢に都合のいいデマ宣伝が巧みである。
しかし、このウソが度重なった時、小沢の政治能力に疑問を持ち、賞味期限の限定を取り違えた自分の誤りに気づく。
やはり小沢は世間がいうように壊し屋だけであった。政権をとって防御を固めこれから事をなしていこうとする政治には全く必要でなかった。
それでもなお、政権獲得時の目覚ましい活躍や一定のあ熱い支持者の存在に小沢一郎幻想が保たれているが、この幻想は小沢個人や小沢派への個人的忠誠を帯び、小沢の持っている個人政治的傾向への盲目的追従となり、ここに至って追い詰められ政治保身する小沢は日本の政治を悪くする方向に邁進するしかない。
ー 続くー