反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

小沢一郎嫌いになった理由。この男は政治を混乱させるだけ。

 民主党代表就任から昨年の秋ごろまで小沢を支持していた。小沢一郎論も書いたことあった。いい加減なほら話だった。カラオケボックスで歌っているようなものだったが、流石、欠点も指摘してかなくてはまずいので指摘しておいたが、その一つに内部闘争に弱いというモノがあった。 今それが一挙に現実化しているようだ。
 
 昨年の秋ごろからある有名なサイトに時々投稿するようになったが、そこでまず、小沢一郎に躓いた。
小沢熱烈支持者の論調に強烈な違和感を覚えた。
とにかく尻が軽い。腰が据わってない。まだ新政権が発足間もないのにさっそく、不平不満を並べ立てている。それも党内の小沢批判者と目される大臣に系統的な悪態をついていた。もちろんその一方では小沢礼賛ばかりだった。
 民主党はいろいろな傾向の人が集まっている政党である。また公明や共産の様な組織政党でもないので意見や行動の自由は保障されてしかるべきと考えていたが、小沢支持者は小沢の枠に収まらないモノには殊のほか厳しくする。党員でも何でもないモノがそういう偏狭な態度に出ているのが異様に思えた。
 
この傾向は政府が諸問題に直面する度に強まっていった。こいつらオカシイのではないか、と思い始めると過去の経験でこういう奴らがいた、とはた気づいた。
 
 某政治党派とそっくりなんじゃないかと。
自分は絶対、他は全部だめで監視か解体の対象。他人の悪口が情勢分析の代わりになっている。政治の幅が狭くて偏狭。宗派的結集軸は強いが、敵対者が多い。とにかく政治傾向の違う者と共同行動のできる政治体質が備わっていない。
 どうして敵対者が多いかと言えば、一つには自分たちが他より優れているという絶対性が他者から見たら根拠の乏しい唯我独尊になっているからだ。宗派というのも自分と他者とのわけ隔てに厳しいし、組織的拡大に熱心である。
 小沢派はこれにぴったりなんじゃないかと。
 小沢一郎はそんなにみんながいうほどの政治家なのか疑問符が付く。そこまでの政治家と思わないモノを高く持ち上げれば持ち上げるほど、それは違うんじゃないかという反対者が出てくる。その反対者に系統的に辛く当たるようになると絶対反対者がいとも簡単に生まれる。小沢には政敵が余りにも多すぎる。自分も完全な小沢嫌いにいつしかなっていまった。
 
特捜検察との戦いを応援するためブログを毎日更新していたが、途中でこの様子じゃ検事調書署名は避けられないな、と解った。案の定だった。小沢身内の者ならもう少ししっかりしていると思った。
戦いの体制が最初からなかった。
 
 よく考えてみると、小沢の様な不動産投機に政治家が手を出していると、いつかどこかで検察に付け込まれる
気をつけていても、政治弾圧のためなら奴らはどんな手も打ってくる。
ここらあたりの判断とケジメは小沢自身が本当に権力を目指すのなら早い段階でやっておくべきだった。
結局、自民党離党、新党結成の過程でカネも必要だったし、権力を握るという目標も薄らいできていたのではないか。自民党でさえ小沢離党後、カネで政治マシーンを動かしていくやり方は尻すぼみになっていった。
小沢の離党後の歩みは権力抗争の傍流だったため、特殊に古い傾向を温存させてしまったのではないか。
 
 ところが皮肉なことに、手勢が30名弱になって無条件合流した民主党で内外の情勢から突然、権力が見えてきた。
ここに小沢のこれまで動かしてきた政治マシーンと握った権力との矛盾が生まれた。そこを新政権に敵意を抱く特捜検察につかれた。権力への意思が一貫してあれば、不動産投機の様な危ないことはやるべきでなかった。政治弾圧への日頃の構えがなかったから、不動産に手を出し、逮捕者から供述調書署名者が出たのだ。
不動産購入の様な形と手間が残る行為を長年やっていればどこかでつまずく、と理解できなかったのだろうか。
 
私自身、「政治とカネ」には関心の薄い人間であるが、多くの国民の疑念が次第に理解できるようになっていった。
 
鳩山政権が普天間問題で立ち往生している時の小沢、及び支持者の態度は許せない。小沢は幹事長であるにもかかわらず、何の手助けもしなかった。支持者は口汚く鳩山を罵っていた。
少なくとも鳩山は小沢の支持があって首相になった人間である。
 非人情というモノである。
彼が支持率を下げて、辞任するような事があれば、小沢辞任となる。この関係が解らず、鳩山をののしる支持者の神経を疑った。なお自分としては今年の早い段階で小沢辞任論を展開していた。
 
 日本の政治の選択肢は極めて狭い。小沢や鳩山が掛け声ほど何もできなかったのも、当然の事と考えている。いろいろザワメイテ政治混乱の中で時間だけが過ぎて行くよりも、着実にやるべき事をやって欲しい。
その事が国民生活のためになる。
もう能書きでいろいろ喚き散らすのは止めた方がいい。
小沢を引き立たせるような根拠の薄弱な憶測、アジテーションはいらない。実証抜きに断定するのは簡単なことである。またそんな分かり易く簡単な政策的選択肢があるならハッキリと示してもらおうじゃないか。
 
個人的な「革命や変革」の想い、幻想を特殊な一保守政治家への得て勝手な解釈で紛らわせるのは卑怯なやり方である。小沢支持者にはこういう人がたくさん混じっている。自分の想いを特定の主人公に付託する、こういう人がたくさんいるというのは閉塞社会の病理である。
 
 最後に小沢純化路線、自傷行動が繰り返される原因は本人だけでなく周りにいる人間の政治体質にも原因があったのだな、と理解できた。
小沢側近の平野という人の記事を読んで驚いた。官直人個人への誹謗中傷に満ち溢れていた。物凄く政治の幅が狭い。ああいう取り巻きがいたら状況判断も何もあったモノでない。自分たちが正しくて他は全部だめといのが肝心なところで満開するのだから正常な判断ができるはずがない。被害者意識もものすごく強い。
 
この参院選は事実上、分裂選挙になるだろう。秋には小沢派が分裂する可能性が強い。