反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

三面記事の話題を。日テレ報動員2名死亡。大阪ワンルーム育児放棄。

   <日テレ記者、遭難死亡事故>
場所をネットで確認してみると雲取山のまだ奥の方みたいだ。雲取山は確か東京都で一番標高の高い山だったと思う。初級から中級者向けの手軽な日帰りの登山コースでないかな。自分自身、そこまで行ったことはないが昔、秩父には秩父困民党蜂起を読んで寄居下車で山道を秩父盆地に向かった経験がある。この時は盆地を見下ろす、尾根に達した時、夕刻になり、下界に降りるのに慌てた。困民党の調査どころではなく山歩きに行ったようなものだった。
 
 さらに、秋川渓谷でテントで担いでキャンプした時、奥の方に行って、雲取に行こうかなとも思った事もある。
秩父方面の山は急傾斜の山塊が密集しており、東京都と言っても都会とは全く別世界である。
 
 そもそもこの事件、二次遭難の上を行く三次遭難の構図の様だ。
調べる前は、読売、日テレ批判の方向を想定していたが、報道記者として現場に迫ろうとした心意気も理解できるようになった。
 山岳会の沢登りの9人のチームがまず、遭難し、これの救助に向かうヘリがおりからの山岳地帯の天候不順によって墜落。この事態を何としても報道したい記者が難所の沢登りでヘリ遭難現場に近づこうとして、おそらく沢登りに失敗したのだろう。
 
 事の発端の山岳会は「労山」とネットで書かれているけど、共産党の支持者の多い勤労者山岳会の事だろう。
時々、遭難者を出してるようだが、もしかしたら全国的規模では一番人員の多い山岳会かもしれない。
 
私の昔の関係者も滑落遭難した兄の捜索に加わった事から山に魅せられていった。
 
山登りに監視の薄い私でさえ、何時の間にやら、山歩きをするようになっていた。体に悪いから止めたが、それがなければ続けていただろう。
ただし、山歩きの範囲を超えるつもりはなかった。
標高、2500Mぐらいの山に山好きに連れられて登った時、自分には登山は合わないなと心底思った。
中級以上の登山は好奇心やもののはずみでできる様なモノでなく、体力、技術、経験、装備、仲間との連帯などいる。そういう事をクリアーできる人は少なく、だからやってる方は夢中になる。
 理解できない人は何の事か解らない。
 少なくともそういう人たちは理解できるので
安易な批判をする気になれない。
 これもダメ、あれもダメ、の安全地帯を設ける論調は社会を閉塞させるものだと思う。
 リスク回避だけでは却って、大きな意味でリスク社会に充満する。
 
      < 育児放棄
 国家や自治体の様な公共組織がの他に民間に「公的」分野をカバーする団体組織、個人がいる。
日本がここが弱い。地域に政党、選挙がらみでない「公共」の事に役立つ組織が皆さんの周りをまわりにあるだろうか。よくはしらないがアメリカなら教会、ボランティア団体が地域にある。先進国はその点共通していると思う。日本ではそういうモノは育ってこなかった。この間隙をついて成長してきたのが創価学会だと思う。
 
 児童相談書は何をしていたのだという議論の前に以上の点について考えて見るべきだ。
日本の1~4歳の乳幼児の死亡率が先進国で最ワーストであるという。当然の結果だろう。
ネットを見ていたら、この事実に執拗に数字を挙げて反論する記事が載っていたが、そういう人間が増えている背景もあって、日本社会の現状の改善の道が閉ざされているのだと思う。
 
自民党がやってきたことは日本を企業オンリー社会にすることだった。この中で旨く生きてこられた人だけが美味しい果実を得られる。
 こんな社会の継続は女性が安心して子供を産める社会でない。
 だから少子化は動物界の自然現象のように必然の過程である。
 
 今回は子供にとって地獄で死んでいった事になるが、母親も日本社会の現状のある意味犠牲者である。
動物は条件が悪くなると育児放棄する。
 この日本は実は動物的要素が拡大して言っている社会である。
 弱い生き物は互いに助け合って生きれ行くというのが原則であるが。弱い立場の人間も同じである。
でもそれができない様な社会にこの日本をしている責任のかなりの部分はマスコミにある。
 
 今回の事件でマスコミがどのような報道しているか知らないし、知る気もないが、おそらく、私が書いている様なことは一言も報道しないであろう。
 
  <焼きナスについて追加する>
読み返してみると相変わらず、ミスの多い文章だなと。でもそれで良いのである。これがポリシーなのである。
そういうつもりで書いているから。元々ブログには批判的な人間がやり始めたことである。我儘でやっていく。
 昨日や焼きナスにチャレンジした。
 
なすはこれからの旬ンの野菜だけど、カロリー面を考える者にとっては調理の難しい素材である。
炒めると旨いが素材の性質上スポンジのように脂を吸う。だからこれを避けると以外に調理法は限られてくる。
塩まぶしてきゅうりと調理していたが、これなんかビタミン類はほとんどなしで塩けだけの料理になる。きゅうりは栄養価はほとんどない。
 きゅうりというのは栽培し易い野菜で成長もはやい。ナスも同類だと思う。
 
 なすは早くから日本に入ってきていた野菜で日本料理はこの辺が正直で焼きナスの様なシンプル調理となる。
昨日チャレンジしたところ、旨く言っているのかどうか怪しかったが、一応それらしきものが、完成した。sy9億してみると旨くなかった。三杯酢と鰹節で食っが、なすの調理は何か焼き芋を連想させた。
 できるだけ中身を他他にするのがコツなのではないか。
焼立ての熱々の皮は予想以上に簡単にはがれるが。その点、イカの皮をはぐより簡単。
だけど、出来上がりの標準に自信がないし、大してうまいものとは思われなかった。
 昔、食っていた頃も旨くなかった。今回も同じようだった。
 
 でも、ヘルシーだよな。
これが日本料理のとくちょうである。
 日本平均寿命は男、79歳で女に至っては、87歳にもなっているという。様々な要因はあるが、日本食を毎日世襲できる環境がある事が大きい。加齢すると人は日本食に傾く。
焼きナスなんて尤も日本食の素材そのものを生かす料理のひとつでないか。
素材が良ければ旨いし、悪ければマズイ。中間の素材で誤魔化しが効かない。
 寿司なんてのも同じもの。
 日本料理の調味料のシンプルさに感動する。それで大勢を誤魔化すつもりがない事が、人も体に優しいし、良いのである。