反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

小沢派や支持者の動向はタイ国、タクシン元首相と支持者に似てないか?

 日本はよく経済一流、政治三流と言われるが、またまたマスコミ主導で画策されようととしている小沢一郎の動向を巡る騒動。
 フト、タイのタクシン元首相とその熱烈な支持者を巡る動向と似ているなと、思った。
 
 詳しくはしらないが、あそこの場合も求心力のあるタクシンが熱烈な支持を受けて、政治を断行しようとしたところ、既成勢力がタクシン本人の経済的スキャンダルを法律を盾に処断し、事実上の国外追放してしまう。
にもかかわらず、今でもタクシン派の勢力は根強く残って、政治混乱が続いている。
 
 日本が政治面で三流国家なら、日本の政治状況がタイ国に似ていて当たり前だともいえる。
政治が混乱していれば、経済が打撃を受けるのは今の世界経済の中の日本の現状。
当然、国民生活もダメージを受ける。国民の生活第一のスローガンを唱えているモノが政治混乱に拍車をかける様な振る舞いをしていたら、やっている事が違う、となる。
 政権党の一派閥、まして一個人の政治的利害を経済や国民生活の上においてはならない。
日本がタイ国並みの政治混乱の国であって言い訳がない。
経済の規模が大きい分だけ、国民の不幸も大きくなるし、世界経済の混乱要因ともなる。
 
 
私の知っている限り、熱烈支持者の中には宗教的レベルにまで達した信者さんもかなり含まれているがそういう方に限って、声が大きく無遠慮だから、第三者を却って反小沢の立場に遠ざけている。
 
  先般の政権交代
「無血革命」なんて粋がっている方も民主党支持の「理論家」にはみられたが、当方はその手の政治センスが解らない。
 
自民党政治が戦後政治を一貫して牛耳ってきた事自体、国民として恥ずべき事態である。
 あれだけ、目の前で失政、失態が自公政権に度重なっていたにもかかわらず、37%もの方が自公政権にイエスの手を挙げる。
 この事自体に驚愕しないのは政治センスが足りない、と不思議でしょうがなかった。
 
 政権交代で多くの事を期待しなかったのは、こういう保守的な国民性が醸し出す政治土壌の中では新政権は壁にぶつかると思っていた。
もちろん、マニュフェストなんか相手にせずだった。その多くは単なる活字と紙切れにすぎないと思っていたが、何より新政権に臨んだのは、自分の怨念を果たして欲しい。正直言うとこれに尽きる。
 
 言ってよければ、私が権力もてば、小泉や竹中はパクッテしまう。
そして、自分がこってり取り調べして洗いざらい自白させてやる。それぐらいの気持ちがある。
最もあくまで架空の事だが。
 
 鳩山政権の8カ月、政府は政治とカネ、普天間問題で防戦一方で遂に反転攻勢をかけることなく、撃沈してしまった。
 そして今頃になって、米軍のグァム移転計画は延期されるというのだから、もう何おかいわんやである。
 
 小沢一郎も政権党の幹事長で無様な8カ月の戦犯。
 
そんな彼に未だに幻想を抱く、根拠が理解できない。小沢一郎政権交代で大殊勲を発揮したけど、この時の政治力が政権獲得後も持続できるかと言えば、NOという他ない。
政権の座について攻撃を受ける立場に立った彼の政治力は、大きな限界がある。土地取引のような現物と人、書類がついて回る経済行為は警戒心が普通に備わっている今の政治家はあそこまで派手にやらない。権力を目指す者は身辺整理を心がける。
 この程度の冷静な認識は簡単に得られるはずだが支持者は盲目である。
 
今でも熱い小沢支持者は彼の政治力が一貫して発揮されるとみているが、当方の評価は違う。現段階では小沢氏の役割は動き方によったら日本の政治経済が大切な時期に、混迷の大きな要因になると考えている。
  
 小沢支持者と当方の分けた根っこは、当方は最初から、小沢氏を限定付きで支持していて、決してモロ手を挙げての支持でなかった事からきていると思う。
 
 ブログで彼を取り上げた時、欠点に目を閉ざすことはできなかった。ほとんど彼の政治軌跡に関心を払わなかった当方でさえ、彼の中に大きな長所と短所が共存している変わった政治家である事が解るから、政権交代の熱が冷めやらぬときでさえ、小沢一郎論を展開しようとすれば、ハッキリしている短所も取り上げないわけにはいかなかった。
 でも、蛇足になるが、こういう際立った陰陽が個人の中に共存している人物は実に人間的な魅力に満ち溢れた人である、とも思う。だから彼の支持者の気持ちは解るし、当方も小沢氏に魅かれる。
 彼は生まれた時代が悪かった。また日本に生まれた事も災いしている様な気がする。
 感情的にいえば、、彼にトップに立ってもらって思う存分、政治をやってもらいたい。
でも、それはあくまでも感情。個人的な願望を素直に彼に投影できない。政治は国民を幸福にするためにあり、一個人の満足を満たすものでは決してない。
満足感を得ようとして、無残な結果に終わった経験がある。
そういう個人願望は通用しないのが政治の世界である。
 
 熱烈支持者は短所に目を閉じているといっていい。そして強烈な政治家としての個性、求心力、長所に魅かれて熱烈支持の言動をいつの場合も繰り返す。
そういう、支持者と小沢氏のサークルが成立しているが、外部の者にはそれは相いれないサークルになる。
また、一端そのサークルで異分子になった者は疎外され、弾き飛ばされた結果、必要以上の小沢反対者に変貌する。
 
 かくしてこういう政治内容を核心とする政治家は議会政治家としては必要以上の反対をアチコチで受ける運命となり、コンセンサスの形成が重要な政治家の資質であることから、決して本当のトップに立てない運命にある。
 
 >>これからの日本は政治が安定してやっと何とかなるかもしれない、という客観情勢の中に置かれているのに、政治が不安定であれば、世界経済における苦境、ひいては国民生活の不安定化は避けられない。
だからこそ、小沢氏の動きに政治的昂揚感を持つような方は批判する。
 
 しょせん、政権政党の一派閥を強烈に支持するなんてことは憲政の邪道である。過去もそうでああったし、現在もそうである。自民党時代の派閥単位の政治の繰り返しであり、今の日本の政治にそんな事をやっている暇はない。
 多分マスコミはそういう角度からも小沢批判をこれから繰り返すと思うが、マスコミもたまには真実を言う。
 
 小沢氏は代表選出馬の党内外の票読みだけで決定的政治行動を選択する政治家でないと信じている。
おそらくこれからの政治過程の結末、日本や世界の情勢まで考えて、政治行動をすると思う。
代表選出馬には反対しない。
 しかし、大事なことはキチンとした結末を用意することである。
偉そうなことを言うようだが、後先をじっくりと考えて欲しい。
 
民主党は結束しても戦後勢力に影響を及ぼせないかもしれない。まして、党として団結できなければ、今までの歩みが台無しになる。国民も早急な結果を政治に求めてはならない。
 
小沢氏の「基本政治綱領」は少なくとも当方にとって、世の中を変えるものではないが。