反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

管、元気な日本。小沢、国家自立、セフティーネット整備しての自由競争。

 今の日本社会はどういう社会なのか、という認識がまず必要。
この点に関しては、其々のおかれた立場、基本的な考え方で、様々な切り口がある。
 
 私が数値を見て一番、ショックだったのは、今の日本はアングロサクソンユダヤ型の社会になってしまっているという現実である。この観点から見ると、この社会の様々な事象がストンと腑に落ちる。
 もう今の日本では、欧米社会になかった、共生システム、風習=日本型セフティーネットがズタズタのされ、アングロサクソン型の個人の自力救済型の社会に変質してしまっている。
 
 日本の様な歴史文化、狭隘な平地面積の国ではアングロサクソン型は不適当。これらの国は新大陸の移民国という日本とは社会や経済の基本的成り立ち、土台が違う。
その証左として同じアングロサクソンでもイギリスは他の国と違う数値である。
だから、土台がそもそも違う所に、アングロサクソン型を強硬に当てはめようとしたから、日本社会は至る所できしみを挙げ、悲鳴を挙げてるのである。だいたい人種や言葉もまるっきり違う。
 民主党を政権に押し上げたのは、社会の根底からの、この社会状況への反発である。それを馬鹿どもはたった1年で、懲りて覆そうというのである。
 
 >  ただ、単純反発で留まってはならない。あくまでも歴史的、客観的洞察が必要。
 
 戦前の日本は、物凄い格差社会だった事実。
統制経済の様相が色濃くなった時期は取り出して、特殊時期として別枠に入れる必要がある。
 歴史的制約はあるが、戦前は市場原理主義の経済、社会だった。
 で、その世界的総和が世界市場の分裂へと結果した。
 
 明治以来の天皇絶対化の普遍的な流れは、庶民の中にある格差を覆い隠す、役割が第一だったのではないか。
 推進する者にとっては、欧米のキリスト教に替わる国民の精神的中核形成である。
 もちろん明治維新を達成した軍事人や幕藩体制の頂点の貴族層が天皇制の城壁内となって、これと寄生大地主層、新興資本家層が支配階級を形成し、このような支配階層と被支配大衆との間の圧倒的格差を天皇による国民統合や国家イデオロギーの国民への散布で、結果的に隠ぺいしていた。
  もちろん、支配の根幹には暴力支配がある。
 戦後支配の根幹は身体的支配でなく、イデオロギー支配,、脳内支配である。
マスコミが今、偏向報道を繰り返しているのも、一部の階層の利害にすぎないモノを全国民的利害に激しく、すり替えなければならないからだ。そもそも実態は、大きな国民間の利害対立の溝があるにもかかわらず、其れをイデオロギーで無理やり糊塗しようとするから、違う見方をするモノには、一貫した偏向報道に見えるのである。
 
 今の事態も、戦前の状況を踏まえて螺旋的発展の歴史と理解すべきである。
 
これは特権階層、利権癒着階層の問題に現代は絞りあげられるであろう。
階層、階級的視点が重要である。
 この中に、政権交代、今回の民主党代表選も位置ずける。
そうするとどうなるか、政策的にどちらがよりマシ、整合性があるかの選択になるが、冷めた意見が出てきて不思議でない。
 私の基本思考は、この立場である。
 
論証する数値は過去の当ブログで詳細に数字を挙げて説明した。
 
相対的貧困率>は所得平均の半分に満たない勤労者の%であり、全体の17%もいる。だいたい年収200万程でないか。この年収が上昇する見込みのない、雇用形態であれば、まず、生涯、貧困層のまま、労働力商品の再生産もままならないであろう。少子高齢化には強烈な下方からの圧力がかかっている。年金制度も危機的になろう。労働力市場全体に下方に大きな重しがかかっている以上、大方の賃金は低く推移するしかない。
 
 <年間所得に対する社会保障給付費の%>
 ここでもアングロサクソン型で低位グループを形成するが、注目すべきは、相対的貧困率アメリカより、僅かにましな日本が下回っているということである。
 
 日本企業は社会保障費負担を避けているのである。GM破綻の原因が過大な社会保障費負担と騒がれていたが納得できる。法人税が安いという事は企業が社会保障費を多く負担する事。そうしなければ、財政は持たない。先進民主主義国で企業天国のような国は成立しえない。
 法人税が高ければ、社会保障費の負担が軽くなる。これが日本の現状だから、法人税を下げるという事は中国の様な途上国に近づく、という事。これとセフティーネットネット整備の方向とは180度違う。
 
 大企業で組織する世界経済フォーラムによれば日本の国際競争力は世界第6位でアジア諸国の中で唯一トップ10にランクインしているが、上位国はアメリカを除けば、ズラーと高福祉の国々が並んでいる。
 
 つまり、企業の低開発国への安価な労働力を求めての移転は長期スパンで見たら避けられない。
なぜなら、資本の富の源泉は労働力の搾取である。
 
 しかしこの資本動向と日本をどんな社会にしていくかという、中長期的なビジョンとは政治がイコールにしてはならないということである。国民の意識としてもキチンとこの点を踏まえないと、企業のカネもうけの衝動の視点からしか社会を考えない事になる。
 
 これは、日本の戦後ずっと続いた冷戦体制下での経済成長至上主義志向の特徴である、経済1点張り思考、の延長線上にある惰性的な考え方である。資本の論理に身を委ねて、これまでの日本はやってこれたが、冷戦構造崩壊、増してアメリカンバブル崩壊を受け、世界が多極化する中で、こんな経済主義では政治的発信力のない状態なり、世界から損失を押し付けられるばかりである。
 国内社会に大きく問題を抱えたままではこれからの日本に発信力は生まれない。管直人のいう「元気」なんか社会全体に生まれ様がない。
 
 従って、政治がやらなければならない事の基本には世界に発信力を高めるためにも、政治が中長期的国家ビジョンをハッキリと指示し、その戦略のもとに、政策を系統的に遂行すべきである。
 
 日本の少子化は将来的に横ばい状態を維持できればいい方。
ならば、国の人的資源を有効に活用していくしか他に方法はない。
このためには、キチンとしたセフティーネットを張り、そのうえで切磋琢磨できる様な社会環境お作り出していくしかあるまい。
 
 確かに、こういう戦略的社会設計は日本の経済が右肩上がりで、財政に余裕のある時、一気呵成にやっておくべきで、その意味で、今頃やるのは、周回遅れも甚だしいが、やらなくてはならない。
 
 旧来の日本型セフティーネットとは終身雇用、企業内余剰労働力温存、家族介護、公共事業による雇用などである。
 これらのズタズタ状態はバブル崩壊後の長期不況によって時間をかけて進行したモノであり、事実上、アングロサクソン型に移行している。
 
 管政権の政治方向はこのズタズタ状態をさらに助長するモノで、この点での重要施策は戦略的に設定されていない。雇用創出を言うが具体策はない。
 
財政がひっ迫している以上、中央、地方の行政の改革と一体化した、国民生活第一の予算編成しかない。
中央、大企業がカネを吸い上げるシステムを見直し、地方企業を中心にカネとモノが循環するシステムを構築するより、方途は会いと思う。
 
 このためには「ひも付き補助金交付金に変えるという、提案は実行の価値がある。具体的な問題点はこの方を確認の上、技術的に手直ししたらいい。
管等はこの点についても、討論会では、曖昧な官僚答弁で逃げているようである。
 
 公務員の改革は、ネットで調べたところ、実情の認識に大きなずれがあるようだ。
日本に公務員数は先進国で一番少ないのは事実のようだが、関連も含めるとどうなっているのか、特別会計とも絡まっている問題だから、実情が把握できない部分が余り多すぎて判断しかねる。
 よく調査せず、過激な意見を言うのはいくら素人でも間違い。増して感情論ではどうしようもない。時部の給料が安いからといって、公務員を厭差するのでは大間違い。
 しかし、公務員は職務給の導入が遅れているのではないか。労働力として高い価値のあるものと、単純な事務職労働、単純肉体労働の区別が遅れているようだ。
 繁雑な職務転換も公平の確保から仕方ない面もあるが、専門家を阻害しているようだ。
非正規労働の導入は世間が常識より現場では進んでいる。
物凄い低賃金で働いている方も多くいる。
 しやがって、実情把握が肝心で、無用な公務員叩きでは住民サービス低下につながる。
これはセフティーネット構築の問題でもある。
 
 誰を悪者にして、叩く対象とし、叩く自分を正当化し、政治的地位を高めよう、権力を握ろうとするのは、政治の本能である。
 あと、大して知らないのに、世の中の森羅万象を理解している様に装う、のも政治の本性である。
国民は、こんな政治の本性に騙されてはいけない。
 みんなの党なんてこの未熟者の代表の様なモノ。そんなモノには騙される方が悪いのである。
 
 なお 私の感触では必要でないところに、配置されている部分と必要な部分への配置がなされていない、と感じる。
介護や福祉分野では公務員は足りないないんじゃないかと思う。介護方面では地域介護を調整する人なんかは公務員の様な公平な立場に立った人がもっと必要。また、民間委託しているのだから、不正監視要員もいる。