小沢さんが今回の出馬に関して、そう語っているのを聞いた時、今回の戦いの厳しさを自覚しておられる、しかし、それにもかかわらず今、出馬しなければ、と決断したのだと想った。
>朝日新聞は社説で小沢立候補にあいた口がふさがらないと、書いていたらしい。
全く新聞は読まないテレビの報道番組も見ないので、実物は見ていないが、この方たちは、戦う国民の姿は眼中にない。
一人が何人ものパワーを発揮する事がある。そのパワーの結集がどんな威力を発揮するか、理解できない。
多数の判断がいつも正しいとは限らない。マスコミは自分たちの報道で多数派を形成し、その多数の見えない力
烏合の衆になり易い力で事実上国政に介入している。
小沢一郎はそれを理解していたから「負けると解っていても戦わなければならない時がある」と決起したのだ。
彼の国政選挙での選挙戦術は、国民の中にあるどうしようもない、政治への渇望に出会う機会で、その中で候補者自身が変わっていく過程であって、単なる小手先の票欲しさの戦術ではない。
ここらあたりの生々しい実態はマスコミには理解し難いだろう。
このように記す私自身が小沢さんによって、民主支持層に組み込まれた一人だった。
自分の中に権力への激しい憎悪は生涯、けっして消えることはない。徹底した反権力の人間である。
こんな自分にとって、民主党は生チョロイ政党以外の何物でもなかった。
しかし、小沢一郎の政治姿勢を見て、何か今までの自分の反省も含めて魅せられた。
もちろん、「日本改造計画」も読んで批判的だったが過去の自分の政治的軌跡さえ、点検を迫るものだった。
雑誌「世界」の小沢論文も読んで、過去の持論がぐらつきかけて迷ってしまった。
小沢さんは理論的な方でもある。キチンと理論的確認をしながら行動しているな、と思った。
元々、理屈で納得しなければ、政治決断しないタイプの自分としては、小沢氏の言わんとする真意は理解できた。だが納得はできず、原理的に考えてみた。
政治とカネの問題は自分としては論外。
私はもとより、政治の要点は権力を巡る戦いに尽きる、という思想の持ち主である。
この戦いは簡単にはいかないと予測していたが。この辺のキビシイ権力闘争の実態の中で勝ち抜く、手足は結局、民主党の中では不足していた、という事が暴露された。
鳩山政権の8カ月。日本を実際に支配し、動かしている権力は誰か!国民の前に明らかになった。
小沢氏を絶対権力者呼ばわりする者たちは、なにも解っていない。市民目線なんてとんでもない。国家目線そのもの。特捜検察って市民の代表者なんか?国家権力の実体そのもの。こういうのを国家暴力装置っていう。
ここに手を突っ込まなくては、国民の生活が第一の政治はできない。逆にその政治をやろうとしたら、こいつ等の利権癒着とは真っ向からぶつからざるえない。
この戦いに懲りて、逃げ出すばかりか、その勢力の一員、補助となろうとしたのが管政権である。
もうこの来た道は引き返せない。彼らは歩んでいく。
さらば民主党!
自分たちは自分たちで自立して戦っていく。
沖縄名護市議選では基地反対派が圧勝したらしい。
昔、少し面識ある方も、そこで地道に戦っている。頭が下がる思いである。
もともと、無効票を意図的に投じる主義だった。完全無党派の行動派だ。
人は自分の身体を超えられない。
自分の声の届く範囲で闘っていく、これが私のモットウで遠く離れたところにいる人々の頭の中まで心配しなければならないのは性に合わない。自分もきまぐれ、相手もきまぐれ、責任の持ちようがないし、本当のところ批判のしようもない。自分の傾向に会う方たちとまず、連帯し、輪を広げて行く。
> 結果は予想していた通りだったが、まさか、結果が出る前に早くから予想するのは不謹慎と考えて、あえて書かなかった。前の記事で触れたように、民主党の党内大衆部分とは身近に接していたから実態は知っている。
彼らの本質は日和見主義。お零れに預かったり、貰った自分の地位の安泰が第一。理屈付けはいくらでも可能。こんな層の多数が小沢支持の困難なイバラの道を選択するはずがない。断定していたが、ネットで真面目な支持者の記事を知っているので、そこまで書く恥知らずではない。政治的品性、礼儀はある。評論家ぶったら自分を貶める事になる。
あれだけ批判しておいての小沢支持も、出馬を決意したら、支持しようと考えていたからそうしたまで。
批判はあっても、筋を通せば、小沢支持しかない。
>>ある意味これでスッキリした!
今の私に政局に一喜一憂する余裕はない。政治は自分にとって行動。訳の得わからない事をやって、ただ人の上に立つだけなら、黙って何もしない道を選びたい、とずっと想って生きてきた。黙々と働き、やがて消えて行く。そこれでよい。
>>小沢支持の政治傾向は今の日本の内外でぶち当たっている重要なもんだ点に関する、体系的な共通の思考が根底にある。
日本がこのままの進路を続けて行く限り、根も深くなるし、広がりも大きくなり、大きな政治潮流を形成する可能性を秘めている。政策や処方箋の領域にとどまらず、これは一つの思想方向である。
熱狂的な支持者が多いのは偶然や気分の問題でない。根拠と広がり深さを持っているから先端が熱狂的になる。
私も批判点はあるが、当分この思考から、自由にはなれない。
皆其々、戦う根拠を探しているのだともう。
日本社会の頂点におけるパワーゲームの実行者でない限り、そういう方向に向かうのは致し方がない。
イデオロギーの衣をまとわなければ、長期の困難には耐えきれるものでない。
地で強い人間は少ない。弱者の論理で、逆に理論武装の必要が出てくるのではないか。
私なんかも弱い人間だから、理屈をこねまわしている。でもそれでいいのだ。