反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

憲法9条戦争放棄はアメリカ隷属の1~8条天皇制存続=官僚制温存の結果もたらされた。

  1)9条、武力、戦争手段の放棄は1~8条の象徴天皇制の権利と義務の確定とのバランスで書き込まれた。
           
         <第二次世界帝国主義戦争の実相>
 第二次世界大戦の実相は膨大な過剰資本、過剰生産の捌け口を求めて、先発資本主義国、イギリス、アメリカ、フランスと後発資本主義国、ドイツ、日本、イタリアが世界市場の覇権を巡って争った結果、解決手段が世界戦争として発火したモノ。
 
 民主主義とファシズム、ナチズム、軍国主義との争い、は外面的な装い。
 世界市場競争に遅れて参加した国は必然的に、国内の政治経済条件に後発性、後進性を抱えて先発資本主義国と争う事になる。世界同時不況=恐慌が長期化すれば、元々国内に存在していた、後発資本主義国独自の社会構造が極端に前面化する。これ以外に民衆を統合し、世界市場に打って出る政治手段がない。
 
 >この世界状況を<世界帝国主義の不均等発展の基本矛盾の戦争的爆発=解決>とまとめる事ができる。
 
 >ナチズムがドイツ軍国主義の必然的に行き着いた先であったように、日本の軍国主義も明治以来の富国強兵路線が必然的に行きついた先である。他の道はなかった。
           
          <敗戦帝国主義日本の支配者(官僚、残存政治家)は天皇制の国民統合性を求めた>     
 明治以来の富国強兵路線から第二次大戦の敗北まで政治的上部構造の中心を軍事官僚を含む官僚体制がになってきた。
敗北によって岸信介の様な一部の積極政治関与の官僚と戦争を指揮した軍事官僚は占領軍権力によって排除されたが、官僚体制の本体は温存され、戦後混乱期の統治体制を担っていった。
 明治維新以来、政党政治は議会制民主主義は官僚支配の圧倒性に比べて、統治機構として限定的副次的な要素しか持ち得なかった。
 
>官僚体制と残存政治家の戦後体制構想に天皇制は不可欠のものだった。敗北したドイツ国ポツダムに集まったスターリンチャーチルルーズベルトの日本無条件降伏の確認の中で天皇制存続は未定事項であった。
 
天皇制存続は未定のまま、敗戦日本はアメリカ占領軍と戦後の日本の政治体制について協議していくが、その中心はもちろん、国家基本法日本国憲法の中身についてである。戦後の「国のかたち」を巡って、日米の駆け引きが行われた。
 
>官僚残存政治家の用意した憲法草案の核心は天皇の国民統合性を絶対に残し、これを梃子に敗戦国民の政治意思を統合し、敗戦による支配体制の根底的崩壊を食い止め、支配、統治機構を維持していこうというものだった。
 
アメリカ占領当局と敗北日本統治機構の間の駆け引きの結果もたらされたのが、現日本国憲法だ。
アメリカは日本側が求める様な天皇制の存続が、再び日本が天皇制を切っ先として世界市場に殴り込みをかけないよう、牙を抜く必要があった。
天皇制の藩塀だった貴族制廃止、とともに、戦前の国家暴力装置統治機構の中枢を担って天皇統帥権を独占した軍事官僚体制と国内警察国家支配の要、内務省は解体された。
 
こうした実体として戦前天皇制を支えた機構の解体の止めとして、9条の軍隊保持、戦争放棄条項が確定された。
 
>一方で、象徴として温存された天皇制はアメリカの占領支配にその国民統合性を利用して国内の混乱を少なくする効果も期待された。
さらには、ヤルタ、ポツダム体制がスターリンソ連も参加する戦後世界分割支配体制である以上、アメリカは戦って勝ち取った日本を自分の足元に置き、ソ連の「革命」の影響から、守り抜く必要があった。この意味でも天皇制は戦後混乱に「革命」の影響力から守る防波堤でもあった。
 
>他方、残存日本支配者のとって、天皇制を日本国憲法に書き込むことは、アメリカの占領支配のもとで自分たちの支配機構を温存する事であった。軍事官僚排除、内務省解体はあったが、官僚機構は占領統治の下請け実行機関として丸々温存された。象徴天皇制=戦前の官僚制の温存になる。
 
 こうして、戦前の日本支配、統治機構アメリカの戦後の日本支配に都合のいいように換骨奪胎された。
 
..>>>日本国憲法の構成はまえがきの後、1条からいきなり、天皇の戦後的位置付が開始され、其れが何と延々、8条まで続く、異常性を見せている。
 
 これは一言で総括すると、戦後政治における天皇の権利、と義務を確定したモノである。やはりこういう書き出しからして、憲法制定時、日本側から持ち出された、戦前憲法の全体構成の立場は維持されたとみるべきである。国体=天皇制プラス官僚制、は装いも新たにアメリカ支配のもと維持されたのだ。
 
アメリカ側にこの自覚があるから、その後で強烈な一発。9条戦争放棄条項が書き込まれた。
象徴天皇制=官僚機構の戦後日本支配の支柱化に対して政治的にバランスを取って9条の戦争放棄条項がもたらされた。
 
   <<<結語>>>
日本国憲法第9条の廃止、書き換えをするのであれば、まず第一。
 憲法の冒頭に天皇制の規定をしていく、記述方法自体を改めなくてはならない。
天皇制の記述を真っ先に持ってくる戦前の憲法の全体構成像は維持されている。
 第二。1~8条の象徴天皇制の諸事項は天皇の国政への関与の範囲や官僚機構の頂点に位置する役割を位置付けたモノである。象徴という文言で限定するか、事実上の国家元首と見るかは、その人の主観。
 
 以上の様な戦後憲法の特質はアメリカ当局は理解していたので、第9条の戦争放棄事項を織り込みバランスを取ったのである。あるいは政治学上の国家権力規定に反する超理想主義を掲げることで日本の軍事力の芽を摘み取ったのだ。
 
 ちなみにアメリカ合衆国憲法では修正条項第2条で国軍の基礎としての個々人の武器保持の自由、その発展としての民兵組織の存在が明記されている。
 日本の憲法を担当したモノが国家権力は何か?軍隊とは何か?根源的で厳しい見方を持っていなかったはずがなく、彼らは甘い理想主義者であるはずがなかった。
 政治的リアリストとして、天皇制=官僚制を温存することとバランスをとって第9条での戦争放棄にまで踏み込んだのだ。
 >>>従って、第9条を書き換えるのなら、天皇条項の位置、内容も改めなければ片手落ちになる。
でなければ、日本国内の政治バランスは一気に崩れ去ってしまうであろう。
その結果、日本はまた暴走して、孤立してしまう。そういう社会構造を戦前から引き継いだ国だし、国民性なのだ。
 
 2)日本歴史に特徴は国民革命の体験がない。
   大きな社会改革は民衆とは離れた上から行われ、民衆は受動的立場から抜け出せなかった。
  ドイツ、イタリアの軍国体制と日本のそれは大きく性格が違っている。
 前者は国内の民主主義闘争と支配機構が対峙した結果、支配者が民間の反革命を利用して独裁体制を強め難局に対処しようとした。
 日本にドイツ、イタリアに相当する民衆の戦いやその中心である政党の影響力は小さかったから、支配者は民間反革命を積極的に利用する必要はなかった。
難局に際して、既成の統治機構がそっくりそのまま、軍事的、警察的に変容し、これに国民は追従した。
 
 このような日本の戦前史の特徴は戦後も踏襲されていると見る。
昨年の政権交代で初めて日本人は長期政権を変えようとしたが、たった一年で、もう、元の体制への回帰が画策され、多くに国民はその空気に乗っているようだ。
それが何を意味しているか知らせるはずのマスコミにその意見はなく、逆に、旧体制回帰を先頭に立って煽っている。
 問題は多くの国民がどの位置にいるのかという、自己認識であり、統治者と戦わなければ、自分の居場所は確保されないという事実を知ることである。
 
  3)管直人の国連演説。「最少不幸社会」とは自分のこれから実施する政策に多くの国民の犠牲が出ると白状しているようなものだ。手みあげに、官僚が書いた筋がいそのまんま、8000億円を国連に寄付するという。古い自民党政治手法が復活している。事業仕分け小劇場はやはり演出そのもの。
 この次は反小沢のマスコミ政治で誤魔化すしかない。
 
 仙石官房長官増税に困った人間が麦を食うのは仕方がないと、腹を括っている。その発言をした講演会記録がネット上にある。
奴らは確信犯。甘い対応をしたらダメ。小沢氏攻撃のマスコミ舞台政治で本性を押し隠しているが、誤魔化されないようにしたい。
 
> 管政策の本体は自民党参院選マニュフェストに詳しい。
あれはまさしく、小泉竹中路線を装いも新たに再現しようとするモノである。新市場原理主義である。アメリカの共和党の政策に近い。
管等はオバマ民主党の立場さえ立てない。庶民生活破壊、一部企業だけが生き残り、後はタイタニックの沈没時のようにボートに乗れず、海の藻屑と消えて行く。一部企業が儲かったら、国民の生活が良くなる、なんて大ウソだった、と経験したばかりなのだが。日本人は忘れっぽい。