反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

各国の尖閣諸(魚釣島)の排他的領有権の主張に各々無理がある。

 まず確認すること。国境紛争に排他的立場に立たない。これを原則にしている。私は原理原則にかかわる部分は譲歩しない主義だ。ただし柔軟な対応はするつもりだ。
 人種間、民族間のトラブルは肌の色、姿かたち、言語、習俗習慣、文化というエモーショナルな根源にかかわることで、実際の生活場面でタテマエ通りに事が運ばない場合も多々ある。こんな時、そのまま、感情的根源に流されてしまうのか、立ちどまって、反省し、原則に帰るのかが重要である。
 
 ただし、国家間のトラブル。 
 これが発生した時、声高に叫ぶ輩には気をつけた方がいい。人種民族トラブルと重なっているが次元の違う問題である。人種、民族は住民の身近の問題、生活していく上で普通の人でも間違いを犯し易い。
 
 日本に外国人は少ないから、人種民族問題を生活レベルの問題に納めず、国家問題に短絡する発想に陥り易い。
 
 そもそも、国家と住民生活、市民生活(この中で人種、民族問題が発生)とはイコールではない。何処の国にも国家基本法憲法があるが、これは国家と住民生活、市民生活、経済活動の領域が違う、もっといえば、緊張関係にあるという前提に立って、国権の事実上の占有者が勝手に横暴しないように規制したモノである。
 だから、この分裂緊、張関係を確認し持続することが民主主義と理解する。
 
 ところが国家主義者にこのような確認事項は乏しい。国家=市民生活、住民生活、経済活動である。
さらに、日本では先に挙げたように、短絡的に民族問題を国家間問題に短絡し易い土壌がある。ここで国家主義を煽ることは日本人を偏狭な政治、軍事に落としこめる要因にもなる。
 
 最悪は感情的根源を根拠に、他を排斥する理屈を打ち立て、行動に移すこと。これをやり始める人間は自分たちだけが、特殊に感情的根源を持っていると思いがちであるが、排斥する相手側にも同じような位相で敵対してくる人間がいる事を考慮の外に置いている。
 
 この種の人たちは独特の様相を帯びている。
ある種の被害者意識がその思想の根底にあるようだ。
 
 その根っこにあるのは日本帝国主義が第二次世界市場分割戦=帝国主義戦争で敗北し、失墜、変容してしまった、という事実。故に日本の戦後の歩みに対して何か正しいモノ、本来あるべきモノが失われた道程のように捉え、感情的な反発を強めるのである。そこに戦後の日本歴史をキチンと分析しようとする態度はない。
 日本の戦後史への民族的批判者である自分たち自身が完全な日本戦後史の道程の中で純粋培養された土壌から生成、発展し今日に至っているかの反省がない。
 
 もちろん自覚のある方たちもいる。全部一緒、一列には、には絶対にしない。尊敬すべき、学ぶべき人たちがいる。
 
 >>さて尖閣諸島の領有権の主張である。
グーグル検索に載っている、「客観的」な日本領有権の主張=説明でさえ、現状の東アジアでは説得力を持たないのではないか、と率直に思った。
 また、これではアメリカ側にも疑問符がわいてくる内容である、とも思う。
 
 その主張は日本国内のイロイロな立場の方たちからの理論的な肉付けが足りず、自省不足、単調、限定的になっている。これでは同盟国アメリカに対してさえ、強い説得力を待たない。従ってアメリカはこの件に関して、本気で日本を応援しないであろう。
 
 尖閣は現状、日本が実効支配力を持っている様だが、1970年ごろの調査段階でイラクに相当する埋蔵量の海底油田の存在が確認されている。
  
 中国の改革開放路線が本格化し、政治的上部構造の共産党独裁を要としながらも経済下部構造の資本蓄積構造の高度化は目覚ましいモノがある。
  
 高度工業化段階にに達した台湾経済の現状では中国経済の高度成長に参入する形で進行している。
竹島領有問題のある韓国経済は一般的な工業製品において世界市場で日本のライバルとさえなりつつある。
 
 ただし、これらの国の現状の工業化は高度な中核工業製品の自主生産段階にまで達していない。新鋭生産設備は充実しているが、其れを支える企業群が整備されていない。これは整備するためには時間がかかる。
 
 経済は相対的な分野。
日本の戦後獲得した世界市場での占有率は低下傾向にある。先発したモノは必ず、新鋭生産設備投資をした後発の追い上げにあう運命にあり、ここにおいて、経済競争が激化して、潜在的に政治紛争化する危険性が生まれてくる。
 
 日本の現状の政治、世論の特徴は日本の戦後経済発展の基礎的要因が失われる傾向への焦燥感、視界不良、進路不安などが根底にある。
 
 この夏、政治決戦の様相をきたした参院選の民主自民の「二大政党」のメイン、スローガン。
 
 元気な日本!(民主) 日本が一番(自民)。ほとんど、気合いだ!気合いだ!の世界で典型的な空文句。
政治家が抽象的なスローガンを叫び出したら、国は難局にある、危険水域に達している、と見て間違いなかろう。
 政治家が国民を扇動しだすと、国民は感情に流され、冷静な判断力が大勢を占めなくなり、極端な意見が大手を振ってまかり通る。
 
 今回の尖閣中国船長釈放問題は試金石である。政治家、マスコミとはいわず、ネット上まで過激言論に傾く者は全てニセモノである。
 
 日本をぐるりと取り巻く、連中、同盟国アメリカも含め、全ては第二次帝国主義戦争の戦勝者である事実は重い。いいかえると戦前戦後史においては180度違った歴史認識があって不思議でないということだ。
多くの非本国民はこの事実にさえ気付いていないようだ。
 もちろん相手側にも急速経済発展、発言権強化などの要因も加味された、意見がある。
 
 どちらが正しいか第三者はたぶん判定できないだろう。第三者が判定できないという事情さえ想像できない日本人では困る。
 
 こんな問題が起こった時は国内でうっ屈している様な方はその環境から発言しない方がいいのではないか。
国際的な商売をしている方とか、理解力のある土台のある方の意見を聞いた方がいい。
 
また、当事者同士で違いをハッキリさせることも大事。それで歩み寄る。日本は先進国であれば子供の様な対応は避けたい。世界中を見渡して国境紛争に身をやつしている国を順番に挙げて行ったら、事情が少しは理解できる。
 
 私の知っている限り、敗戦国ドイツでも、今の経済力からして、政治的発言力が限定されすぎているとの苛立ちが国内に広範に広がって、この保守基盤の上に、東ドイツ統合から生まれた、混乱も加味され、ネオナチ運動が展開されている。EUの統合力を経済基盤とするドイツでさえ、そんな状況にある。
 
ただし、ドイツ統治者は歴史に学んでいる。有給の民間ボランティアを使って、ネオナチの発生している基盤への啓もう活動をしている。ドイツ資本主義が東欧まで食指を伸ばし、経済圏化すれば、当然、ナチスの脅威が持ちだされてくる事を懸念している。国益、国民益にネオナチは反するとされている。保守的失地回復運動は区別されている。