10月16日付植草一秀ブログをじっくりと読ませていただきました。
10月16日付の解説は実にありがたい。
ものすごくよくまとまった内外の経済財政分析だと思う。ネット上で今まで見た中で一番要点をかいつまんで展開できている。
植草論文を参考にして、結論を私なりに出せば、タイトル通りになる。
小沢さんの代表選への決起は「負けると解っていても戦わなければならない時がある」、と深いところで決意したモノと受け止めた。小沢さんの管への怒りは民主党を政権につけた「国民の生活が第一」の有権者49%支持の「国民的政治連合」を政権の命運のかかった参院選を前に自らの手で破壊してしまった事にあった。
何という、政治音痴なのか!!民主党がどうこうもあるが、こんなモノに日本は任せておけないという、心の底からの危機感が代表選の小沢さんの一歩前に出たパフォーマンスに込められていた、と見る。
その後、たった、一か月しか経過していないのに、内外情勢への対応において、余りにも醜態をさらけ出している事でも、小沢さんの危機感は証明されている。
ただし、管等の失政、失態の割にトコトン糾弾されないのは、政権をめぐる管VS小沢の「権力闘争」においてマスコミどもが挙って小沢バッシングで管を支援した経過が政治力学として働き、マスコミの口をふさいでいる側面がある。
いくら偏向マスコミといえども、国民の前で余りにも早い代わりにを見せるのは得策でないとの政治判断がある。
一連の事態で管政権の責任を深く追求すれば、自分たちの管VS小沢における一方への露骨な肩入れとその誤りが、管政権の余りの無能性によって明らかになっていまう。
小沢による既得権侵害の危機はひとまず回避できた、というの利権癒着勢力の正直な気持ちでないか。
ただし、検察審査会の強制起訴などの対応を見ていると、奴らにとってこの戦いが、戦後築きあげてきた利権癒着防衛をかけた政治闘争であった、と痛感する。奴らはこれからの激動の内外情勢の変転の中で、営々と築き上げてきた利権と癒着関係は絶対に譲る観点はない。
大袈裟ではなくそのためにできることは何でもするするつもりである。
国民の上に支配層のあらゆる支配の道具を駆使した「内乱」的な攻撃が、これから降りかかってくる、そう覚悟しておいて間違いがない。情勢は後戻りはしない。先に進む。
支配層は自分たちのカネ儲けのために国民を見捨てている。
この本態を隠すためにこそ国家幻想が煽られる。
植草さんのブログの立場は増税、緊縮路線が国民経済を疲弊させるので、当面は財政出動をしなければならなというモノだが、管等は支配層の代理となる決意を固め、植草路線を否定し、もっと大不況が例え来ても、大企業とそこで働くモノや一部の資産家ども、その使用人が安泰になればそれでいいという、基本路線を選択した。
こういう事態が世界中で起こっている。日本だけでない。
この枠組みからはみ出した部分に対しては仮借なき政治暴力が振るわれる。
だがこの路線でやっていけると思うならやってみろ!怖れはしない。むしろ、ハッキリしていいのではないか!