反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

与えられた自分の身体を超えられないのが凡人。政治家に求められているのはそれ以上の事

 自分や家族の健康は大切である。例えば、遠く離れた鹿児島県の方がどんな投票行動をしようが、責任の持ちようがない。しかし議会政治家はそうはいかない。強い関心と責任感を持たなければならない。
 そればかりではない。ぎりぎりの状況が常態化する中で平常心を保ち、局面を分析し、周囲を説得し、決断しなければない。
 外野席であれこれ論評するのは実に簡単だが、その人がいざ、政治に携わってみると己の限界に激しく気付くだろう。状況が厳しければ厳しいほど、政治責任が重ければ重いほど、この事実に激しく気付かされるのではないか。
 
 自分を超えられない人間が自分を越えなければならないことにチャレンジし続けると、結果は明らかである。
責任は自分で取らなければならない。言葉の上だけではなく、制度的物的に責任を。
 
 で、次は諦めの段階に入っていく訳だが、シジフォスの様な存在であり続けなければならない。希望は一切なくても、与えられた立場で最低限の努力はしなければならない。
 
 身近に民主党政治に組み込まれたモノたちの存在があって、嫌悪していたが、小沢一郎代表就任から民主支持に転じた。
 
 彼のやっている政治と私が経験した政治は地続きで繋がってと思ったし、その政治センス、政治力は目を見開かされた。それまで小沢一郎を知らなかったのだ。
 政治の最大の焦点は権力の問題である。
権力をキチンと握らなければ、制度を変えたり、政策をスムーズに実行できない。
 
 で、結局、国民を不幸にしてしまう。
彼の政治内容も方向性としては他に比べたら妥当性がある、と思った。
 
現実政治という事でいえば、彼は正しく私は間違っていた。
 小沢一郎を支持するという事は自己反省する機会でもあった。
 
それから、一連の特捜マスコミの小沢、鳩山攻撃が始まる。
 
 石川議員らはもっと検察の前で闘って欲しかった。あれではマズイと実感できた。
石川議員のおかれた立場はものすごくよく理解できるから、ここが正念場と毎日ブログ応援していた。
 
 検察の狙いはハッキリしている。小沢氏の政治的失脚、最低限でも政治力を大きく削ぎ落すことである。
がから。記載ずれの検察調書には長期投獄を覚悟して署名すべきでなかった。
 
ターニングポイントでどうして綻びが出たか考える機会はあったが、考えているように思えなかった。
 >>>小沢陣営が特捜の小沢攻撃の切り札にしている石川さんを守り切る体制を整えられなかった、のが最大の問題点であった。
 
 石川防衛体制が整っていないから、特捜監視下で任意聴取を受けていた彼は、佐藤優氏のところに駆け込むしかなかった。
 小沢陣営は国家暴力装置に晒され、恐怖を抱き、動揺著しい石川さんを身内で守ることができず、佐藤優氏の所に押しやった形となった。ところが、石川氏の相談に乗っている佐藤優氏のアドバイスが酷いものだった。石川氏の様な動揺激しい被弾圧者にとって悪い相談相手の見本のような人だ。
 
 厳しく、石川氏の動揺に対処すべきなのに、甘やかしている。自分の政治生命と小沢氏の政治生命、政治責任の将来的展望をキチンと位置付けて説明してやることなく、小手先の検事との対応に終始している。
佐藤氏にそれができないのは、彼が小沢政治を共有できないからだが。
 
 石川さんに求められていたのは、厚労省局長村木厚子さんの様なやってないことはやってないと、貫く立場のさらに上の対国家権力闘争である。それができるかどうかである。
 
 解り易く言えば、村木さんは偽証明書発効のデッチ上げでは裁判維持も困難と検察が判断しても、彼女の些細なミスを探し出して、とにかく起訴し、マスコミを大騒ぎさせ、それがあたかも犯罪行為のようにでっちあげる、そういう検察の企みの渦中に石川氏は投げ出されていた。
 
 だから、自分の身と小沢さんの身を守るためには、些細なことでも検察とは妥協すべきでない。
 そういう、対検察の戦う構えが必要だった。
 
 以上の様な私の考えはないものねだりだったかもしれないが、真実だった、と今でも思っている。
小沢さんの政治方向には官僚など利権癒着層は激しい危機感を抱かざるえない。
 
 だから攻撃は熾烈を極め、何でもありになる。これへの対処に後れを生じた原因は小沢さんの政治方向の転換がいかに利権癒着勢力の脅威になるか、小沢さん自身が心底理解できてなかった事に突き当たる。
 
 日本改造論の時の小沢さんは支配層の大きな政治方向の中にいた。市場原理主義の先取りと英国風民主主義原理の適度な調和であった。事実、小沢さんの市場原理的部分は小泉が悪い意味で実行した。
 
 しかし、小沢さんは、この小泉市場原理主義による狭い政治に日本破壊の現実を見た。小沢さんの提起した市場原理主義には共生の思想がプラスされていたことも小沢さんに小泉改革への強い拒否感を抱かせた。
 こうして小沢さんは英国風民主主義原理、市場原理主義、共生思想の元々あった思想傾向に加えて、社会民主主義の政策をとりいれた。 
 
 ここが小沢さんの分かれ目だった、と思う。
 
 日本支配層の大きな政治方向は市場原理主義での国民の一部切り捨て、格差拡大容認だが、この方向は日本社会の至る所に不平不満、貧困、社会的疲弊を生み出すしかない。
 これらから噴き出てくる強烈な厭差の受け皿は小沢さんが社民政策をとりいれるまで、事実上、日本の何処にも存在しなかった。
 
 日本では社民主義政策は改革保守派の大きな政治力を持ってしかしか実現の道はなかった。
なぜなら、55年体制下の日本には厳密い言えば、体制選択さえ迫る絶対反対の社会主義はあったかもしれないが、ヨーロッパ流の政策実現の社会民主主義は定着していなかった。そこにソ連東欧の社会主義の崩壊が降りかかった。
 国民多数がこれらの政党の社会民主主義を信用しないのは当然のことである。だから、何処にも傷のない、多きな器の改革保守政治家小沢一郎社会民主主義に国民は安心感を持って託せる対象を見出した。市場原理主義による国民的疲弊状態における、小沢さんのいう「国民の生活が第一」に多くの国民は安心をおぼえた。
 
 小沢一郎民主党代表就任によって、初めて、日本国民の怒りの貯水池が生まれた。完全に個人の政治力量、政治センスで血路が切り開かれた。
 
 逆の立場からすれば、この事態を一番恐れ、それを作り出す小沢さんを政治的に抹殺する衝動が利権癒着層に暗黙裡に働いた。しかし、小沢さん本人に危機感は欠如していた。昔の自分から脱皮できていなかった。小沢一郎は一代限りの個性の政治家であり、誰もまねることができない。自民党離党後、個人の政治的力量を前面に出して周りの人を使って局面を乗り切ってきた。
 しかし、事態は大ごとになっており、それで済ませることはできなくなっていた。周囲の無能も大いにある。
 
>>いろいろな方面から考えて小沢さんへの批判点を強く打ち出したが、大きな間違いがあった。
今の管政権首脳への警戒心がなさすぎた。小沢支持者の方たちは、鳩山政権時代から、口をきわめて彼らを罵っていた。
 民主党はどうせいい加減な連中の集まりだから、まず、党としての一致が大事とする見方から、彼らは分裂主義に陥っていると見た。
 
 かれらの方が民主党の党内事情にシビィアーであって私はうつけ者だった。
 長年国政選挙には無効票をあえて投じてきた。国政の情報に極端に疎かった。馬鹿だったということだ。
 
消費税が飛び出してきたとき、無効票の立場に帰ろうと思ったが、見限るには早すぎると、躊躇の末、民主に投票した。選択は間違っていた。
 
 小沢さんによって民主支持層に組み込まれた自分としては代表選に出馬したら応援しなければならないと思っていた。小沢さんが勝てるとは思っていなかった。
 
 小沢さんの強制起訴によって検察は2回目強制起訴というとんでもない武器を所持している事が明らかになっっている。
 取り調べ可視化も何時の間にやら有耶無耶になっている。
財政的行き詰まりから民主党政権ができることは限られていると見ていたが、カネのかからなことはやれる、との期待も多少あったが、今の管政権を見るとそれさえもやれていないばかりか、自分から利権癒着勢力すり寄る始末である。
 
>>>>>明らかに国政に内ゲバ政治の手法が持ち込まれている。その影響で国民のかなりの部分にとって政治選択に苦慮する部分も出てきているが、その部分は私の個人的意見では良質な政治潮流である。
こういう人たちは民主党にこれから投票すべきかどうか迷ってしまうのではないか。
官らの幼稚な自己本位の判断が結局、民主党から最良部分を遠ざける。そして民主党の力を弱め、日本の政治そのモノを疲弊さる。
 
 一方、小沢さん側もようやく、主任弁護士に弘中さんを選任した模様である。
裁判の長期化、担当裁判官の訴訟指揮の如何によって裁判がとんでもない方向に流れる可能性も否定できない。決して楽観視はできない。
 弘中弁護士選任まで小沢さん側に躊躇があったとみる。
 
しかし、いずれにしても、民主党政権に上り詰める政治過程やその後の事態には日本国民による日本国民への自傷行為が多く含まれている。
 
 国民はだれが敵で誰が味方か知らされず、間違った判断を下していると思う。
 戦後民主主義の欠陥が日本の大切なターニング、ポイントで激しく露呈している。
これからの内外情勢に政治は局面を打開する最大の武器なのに、その政治の切れ味をマスコミや検察が寄ってたかって、削いでいる始末である。
 
中国船の事態なんか見ていると馬鹿じゃないかと本当に思ってしまう。
 私が前原の立場だったら絶対に逮捕連行なんかやらんよ!
なぜって?どう転んでも、早い段階での釈放は目に見えている。アメリカと中国との利害関係の強さ、日本と中国との力関係、日中間の経済関係の深さ、日本の右翼方面の無知、中国共産党権力の本質、中国国内事情からして、日本に船長を留め置くのは不可能。
 
 それを素早く判断するのが政治家の仕事だ。本物の馬鹿が政治の中枢にいる。かつての日本も前原のような馬鹿が日本を窮地に導いていった。
 解っていたから、中国人船長を釈放せよ!と思いきってブログにかいた。事実はその通り推移した。
尤もワザと問題を起こすという深謀遠慮もないではないが。
 
検察審査会を激しく攻撃している方に一部に行きすぎはあっても、道理があり、ここにしか日本の良心や冷静な判断はない。