小学校低学年の頃が日本映画黄金の時代だった。近所の上級生に率いられた子供たちは、なぜか、映画館のモギリの前を素通りして館内に入る事ができた。
身を屈めて行けば、見つからないと自分たちでは思っていたのだろううが、今から考えると、見逃してくれていたのだと思う。
上映中、よくフィルムが切れて場面はストップ。三番館には徹底的に使いまわした擦り切れフィルムしか回ってこなかった。フィルムの質もある。繋ぎ合わせの作業の時間だけ館内の照明が入れられた。作業に手間取っているいると観客からヤジが飛んだ。
時代劇で危機一髪を救出に向かうため、馬を疾走させていく主人公には観客の中から掛け声と拍手が自然と沸き起こった。単純素朴な方たちが当たり前のように映画館に詰めかけていたのだ。
三番館の基本は三本立て、低料金。今のカネに勘算すれば、500~800円じゃないかな。
そういう大衆消費の対象としての映画体制の中から、量が質に見事に転化して数々のすばらしい作品が生み出されていった。
で、日本映画黄金時代の生み出した傑作作品の数々に魅せられていったのは、東京銀座の並木座にはじめて足を踏み入れてからだ。
ここのビルのオーナーが私の物凄い遠い親戚とは途中で気付いた。何だか変な気分だった。大学時代の新左翼党派活動家から革命の拠点を作り出そうと貧乏人を一所懸命、実践し労働運動まで行き着いた当時の自分が小銭に苦労してやっと趣味で駆け込んでいる先が近親者間で最高の金持ちの所有物の下とは。
田舎ではこのルートに話を持っていけば、裏口で望みはかなえられた。
私は超硬い環境に育った。見渡す限り、教師、役人医者。醤油醸造業が少ない民間商売人。母方の家系は農協幹部だったのでさげすまれていた。とにかく見合い結婚オンリーだからそういう血縁関係が生まれる。
こういう環境もあってか小沢さんの「政治とカネ」の具体的問題にはリアルに理解できる。
庶民はこの問題を理解する上でボタンをかけ間違えている、と感覚的に思う。
そもそも、小沢さんって金持ち階層のお人である。このリアル認識が庶民レベルにない。鳩山さんにも通じるが、そんな境遇にもかかわらず、金持ちにとって空気の様な存在の自民党を飛び出し、政治改革を目指している。
ここの次元の理解がまるでないか乏しすぎるから、4億円でまず、たじろぎが先に立つ。
マスコミは中枢は知っててとぼけてないと、自分たちが庶民生活とはかけ離れた現状の自己暴露になる。
残念ながら金持ち階層にとって4億円は右から左に移動できるカネである。小沢さんの家計からそれはできたという事だが、報道する側にも、こういうリアル認識はあるのに、敢えて口をつぐむ。
其れを話題にするとグヅグヅの話になると知ってのことだ。でも知らされてない庶民は重要な出発点的な判断材料を与えられていないことになる。
世の中、カネとコネが常識的に横行する状態を伏せて常識論を展開せざるえないのだ。この出発点から世の中の現実に敢えて目を塞いでキレイごとから初めているから、ボタンが初めから、この問題に関してはかけ間違っているのだ。
>>>>並木座ではじめてみたスクリーンの映像に体の中から郷愁が沸き起こってきた。
映し出される画面、聞こえる会話、登場人物たちの何気ない所作は自分がまだ自意識を持たない頃、当たり前に見聞きしていたモノだった。ナツカシイ、ヤスラギ、アンシン感を覚える。
それとここが大事なことだが、社会を自分を意識しなかった時代を映画を通して知りたいという好奇心が沸き起こってきた。
邦画名作の数々の中に戦後日本の原風景があるのではないか、という気持ちを心の片隅のテーマにしてこういう映画に接してきた。
1950年から、高度成長,以前の1960年までは,,戦後復興とその後、日本を変えてしまう高度成長時代の予兆の混在する期間。
戦後復興そのものは、ある意味、戦前の日本の継続である部分が大きい。
1951年、7,21、日本はサンフランシスコ講和条約によって、一応占領下から脱したが、すでにこの時、朝鮮戦争、真っただ中だった。
高度成長が始動することによって日本社会経済は戦後的なモノに改変していった。1950年代は戦前の継続と本当の意味での戦後の端境期としてとらえることができる。そこに、古いモノと新しいモノの混在が至る所に見出すことができる。古い日本人と新しい日本人が至る所に見いだせる。
総合芸術の映画の画面の中でそれがモノの見事に表現されている。
>>>で、ようやく、成瀬映画までたどり着いた。
それ以前。成瀬巳喜男にそこまでの評価はなかった。
成瀬の評価が上がってきたのは没後だった。
良いモノはいい!単純にそういう事だったと思う。時代を経ての冷静、客観批評に十分耐えきれて、大きなお釣りがある作品群が余りにも多すぎる、と理解されたのじゃないかな。
解る様な気がする。
黒沢は絶対自分には真似できないモノを成瀬に見だしたのだ。
芸術の世界の究極はオリジナリティに尽きる。成瀬巳喜男の描く世界は何処にでもいる庶民の葛藤、蠢きだが、映像作家としての技術力でオリジナリティあふれる世界にまで高めて行ったのだ。
よく同種の作品として「東京物語」を頂点とした小津安次郎の作品群との比較した言及があるが、作品群をトータルとして見た場合、小津よりワンランク上に成瀬がいる事がハッキリと解る。
多分、黒沢はこの当たり前の事実を痛いほど知っていたのだろう。
小津作品は頂点の「東京物語」以外はハッキリ言って、連続テレビドラマ、「渡る世間は鬼ばかり」などの一連の昔流行ったホームドラマの世界であるが、成瀬モノは絶対にテレビには出せない庶民のあざとさ、浅ましい蠢きが活写されている。
そういうモノをテレビに出せば毒である。
成瀬映画は毒を含んだ映画である。もう何とも表現しようのない救いのうのない世界の提示はTVではマズイ。なぜなら、それをお茶の間で見ていまうと、自分の日常生活の負の側面を鏡で見る様な気がして、逆に実存的根底の動揺から、目覚めてしまいそうになるから(?)
何しろ家庭が描かれれば、崩壊寸前であり、男は大抵、カネに追われ、意気地なく一家の主としての威厳などとはまるで程遠い。それに引き換え、女はあるがままに自分をさらけ出し、ときにはオンナである事を武器にしてしぶとく生きている。
カネ、欲、色まみれになりながら、日常生活で蠢き葛藤している。
多分、登場人物たちはそういう生活の果てにやがて、老いていき死んでいくのだ。
>>>そこに政治は一切描かれない。
数ある作品の中で政治が話題として取り上げられたのは、たった一度だった、と記憶している。
東京郊外の新興住宅地の家庭風景を取り上げた作品。
近所同士の会話
「今日は会社の組合の冬のボーナスの会議があって帰りが遅くなるらしいです」
「いいですねぇ~。ウチなんか組合もないんですよ」
上原謙さんの会社には組合はない。
確かあの作品の背景は資金繰りの悪くなった会社の首切り合理化で主人公たちが、もう会社の見切りをつけて自分たちのなけなしの金を持ち寄って商売を始めるという事だったと思う。
成瀬作品には珍しく、社会派的話題を取り上げているが、物語は会社の経営危機とこれへの社員の様々な対応ではなく、倦怠夫婦の葛藤の背景に限定された単なるディテールにすぎない方向に流れていく。
それが見ているモノにとっても何の違和感もない様に場面が展開していく。ここに成瀬巳喜男の真骨頂があり、腕がある。
ラストシ~ンは印象的だ。近所の子供が遊んでいた紙風船を流れてきたのを取り上げて夫婦がお互い空に向けてリレーを始める。最後には掛け声まで出てくる。それを見て、隣の若夫婦はいう。「さっきまで大喧嘩していたのにいい気なモノねぇ~」
この夫婦はこれからも今まで通りの日常生活を送っていくことが示唆されている。夫婦間の倦怠は継続するのである。経営危機にあり、首切り合理化の会社には組合は結成されず、合理化された社員はまた別の職場を探すほかないのである。
>>> そういう庶民生活が支え、多数派だった、ニポンの原風景でなかったか。
1950年。日本の三大謀略事件が立て続けに発生する。
読売のポダムこと正力松太郎も自らの新聞に復帰し、読売争議で活動家を追放していく。
同時にナベツネ、氏家が東大共産党活動家指導部から、反共学生団体たち上げの勲章を引っ提げ、読売に反共系列に沿って就職する。さっそく、昔取った杵柄。共産党、武装山村工作隊、インタビューのスクープをものする。
55年体制はまだ本格始動しておらず、「昔陸軍、今総評」と称されるような労働運動の再生は実は、あくまでも高度成長経済の一部分としてのお零れを甘受していたにすぎない、と。
1950年から1960年ごろまでに日本の原風景は確かにあった。
ネットでは、素晴らしい意見を常に投げかけている方がおられ、お気に入りに登録しているが、時々ふと思うのはこういう方々がもっと日本におられたら、確実にこの国は、普通の市民とって住みやすい国になっていただろう、と。
残念ながら、彼らは大海に浮かぶ、離れ小島である現状ではないか。
職業、学歴。関係はないと思う。
何処でも屹立しておられる方はいる。
例えが適正とは思わないが、東京吉原の泡関係で時折、AVにも出演されておられる方のブログを拝見するが私の感覚では立派な方と断定している。
エライ人だと感心した。
彼女はずっと前のブログで、「非国民と言われようが、私にとってのサッカーは浦和レッズであり、国際試合には関心がない」と言い切っていた。
そして、その言動を一番国民が狂喜したあのワールドカップで貫き通した。
批判めいた事とか、自分の意見とかは一切抜きだった。
ただ彼女は沈黙した。
心からエライ方だと尊敬した。
私もそういう人間になりたい。