反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

「日本はなぜ戦争に二度負けたか」大森実著。戦前戦後史が面白く圧縮。

 いま読書中がこの本。 
 大森実(1922-2010 3月25日)  1945年毎日新聞大阪本社入社  1966年大阪本社外信部長退社
神戸生まれのこの方の底には典型的な関西人の血が流れている。この意味で亡くなった作家でべ平連お起こした小田実さんと共通するところがある。小田さんのデビュー作「何でも見てやろう」は好奇心旺盛な知的で行動的な若者の世界無銭旅行をまとめたモノである。小田さんは1932年生まれだから、ちょうど一回り下になるが良い意味での野次馬根性があって自分の眼で直接世界を確かめずにはいられないところがあった。
 書斎に籠って読書と資料から結論を出すのではなく、現場にフットワーク軽く出かけて行って思考して行く。
抽象的ではなく何か俗な細部まで目が行き届いている感じがする。
 作家の野坂昭如さんにもこういう視点がいつもある。
 司馬遼太郎も作品を書き上げる前に徹底的に調査する。もっともこの人の作品は一切読んだ事がない。
全く興味がわかない。
 
 大森さんの仕事も大きく言えば、知的好奇心にあふれた野次馬根性が底にあるから、歴史的事実の圧縮という難しい内容でも読者を飽きさせず、グイグイ引っ張って、いけるのだと思う。
 
 人物本位で戦前戦後史を語りかけている。目次にしている事件では直接、当事者、関係者の取材している、ところなんか行動力と好奇心の旺盛な彼の特徴が出ていて、この著書にリアリティを持たせている。
 
 しかし、 こういう長編歴史ドキュメントで最後に読者に突き刺さってくるのは結局、著者の確かな視点と思うが、彼はその点が曖昧、ぜい弱、怪しげである。ただ、戦前戦後史の常識的通史としての叙述は成功しているようだ。
 彼はずっと以前に渡米し、カリフォルニア、ラグナビーチを拠点にカリフォルニア大学アーバイン校の理事、文学部教授として歴史を教えていた。多分、この著書に述べられている様な内容を学生に講義していたのだろう。
 
 私の考えでは歴史の正確な叙述は読んでいて面白くないはずだ。
大きな大河の流れの様なモノが歴史の流れであり、上流から下流への流れを外部の立場に立って、大きく見通していくのが、歴史的叙述の基本視点でなければならない。だから当然、過去、現在、未来の大河の流れの中に一連の必然性を見出していく作業が一番肝心である。過去がそうであり、その続きの現在があり、将来はこうなるしかない、という流れをつかめるかどうか
、それでなければ歴史学は単なる面白い読み物、ディレッタントになる。
 
 歴史的登場人物の個人的力が歴史の大きな流れを左右する場面は決して多くない。
従って、唯物史観を単純に当てはめるのは間違いだが、経済決定論を排除した世界の動きの根底に経済的要因を求める視点は間違っていない。人々の具体的な生活の積み重ね、経済動向が一番、世界を動かす動力になる。社会学心理学も必要。いまの日本では流行ってないが地政学人口論も重要。
 また、常に古いモノと新しいモノは混在していき、その状態は長く続く。これは単純な唯物史観への戒めである。
 
 大森さんの大作から何か自分のいまの視点を大きく変えるモノを期待していない。
彼にもそれなりの強烈な主張はある。でも、そんなの相手にしていない。ただ、日米間に渡る戦前戦後史を時系列的に押さえておきたいから読む。
 
 大切なことだと思っている。実証的に歴史を見ないで勝手に描き上げたのが過去の日本人の歴史観だった。
 
>>>私が司馬遼太郎に全く興味がないのも、彼の歴史観は都合のいい所ばかりを勝手に取り上げている様に思えるからだ。それを一流の描写力で小説化したら、それなりのリアリティが出てくるが、あくまで紙の上のモノにすぎない。歴史的事実としては彼が取り上げた裏面もある。
 
 >>> 彼が日本の歴史モノを書いていて、大正時代ぐらいで筆を止めなければならなくなったのは、「坂の上の雲」の裏面で進行していた歴史的事実が大正以後拡大し、日本を戦争敗北に導いたと、綿密な資料収集をもとに作品を書いてきた彼は納得せざるえなかったからだ。
 
 彼はモンゴルでの関東軍精鋭部隊とソ連軍機械化集団が正面衝突し日本軍が完膚なきまでにせん滅されたノモハン事件を小説化するため、圧倒的資料を収集していたが、小説化を断念した。ノモハン事件を書けば、当然、日清、日ロと輝かしい戦果を誇り、支配体制の中枢にあった軍部の重大欠陥を書かないわけにはいかない。
 それは必然的に「坂の上の雲」で絶賛され、「この国のかたち」を云々するようになった司馬遼太郎の転回点に成るはずだった。
 しかし彼は、そこまで突き進む事を躊躇って、結局、膨大な資料集めだけに終わった。
 
 で、彼の史観は明治は正しかったが、軍部がハチャメチャをして日本を壊したと。
明治にも大正も昭和も全て一続きの日本史だった。
 
> 歴史の裏表をトータルに見ていくことは自虐史観でも何でもない。有りのままの歴史的事実を総合的に抽象化する作業は通史を書く以上仕方がない。その作業に自虐史観とのレッテルを張る事自体、日本史を戦前の様に作為しようとする意図が込められている。
 >そもそも、自虐史観という用語は裏切り史観というスターリン歴史観に反対するモノの歴史観への批判として持ちだされたものを藤岡某という元ゴリゴリの共産党学者が盗用したのだ。
この共産党学者がソ連東欧の崩壊に動揺し、立場を180度変えた歴史偽造に立ち至った。
公式主義のアジテーションが逆の公式主義のアジテーションに乗り移った。ここに源流がある。
 
 >>前杉並区長 山田某。コイツは例のタモガミとつるんでいる様だが、面白い事を言っている。
「おじいさんはケチンボだといえば聞こえが悪いが、倹約家だったといえば、家族は尊敬のまなざしで見る」
歴史家が歴史を抽象するってそんないい加減なものじゃないんだよ。
独りよがりの主観を植え付けられて失敗した圧倒的な数の日本人が確かにいたんだ。
戦前の学校で教えていた教科書をもう一度発行したらいい。どんなにいい加減なものなのか。
 
同じような事をやればまた、国民的判断が狂ってしまう。
やってる事は同じだ。当時の日本人の気持ちになって考えよう!などと教科書冒頭で書いているが、これ自体が作為そのものである。これも「左翼」からの盗用。