反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

江戸時代庶民の人気の河原者、歌舞伎役者が名門梨園に。写楽、脱亜入欧、文明開化、天皇制、資本主義。

 前回のブログ記事。 書きなれない事は書くモノじゃない。恥ずかしくて自分の書いたモノを二度と読みたくなかった。
自分の世界に引きつけて物事を解釈する必要を痛感するが、今回、またしても消化不良の領域を題材にしている。書き辛い。
 
 浮世絵特別展で写楽の大首絵を前にして圧倒されて以来の写楽ファンである。展覧会には広重、歌麿など有名どころは網羅されていたが、他の浮世絵師の作品はお互いどこか共通点があるが、写楽だけは別格、別世界で独創性が際立っていると感じた。
美術館のほの暗い照明に浮かび上がった薄暗い背景の大首絵は何処か悪魔的な幻想の世界があった。写楽のコピーはポピュラー化しているが、本物は物凄く迫力がある。
 
 完璧な芸術作品。しかも、突然変異の様にある人物によって、瞬間的に創作されたモノである。大首絵28作を突然、生み出した後の写楽の1年にも満たない作家生命で残された作品は別人が描いたと思われる様な凡作、稚作ばかりである。
 
 デスクトップのPCから少し目線を上に挙げると写楽の大首絵12点のコピーがある。
全部、1794年春当時の大衆娯楽である歌舞伎の演目に扮した歌舞伎役者の今でいうブロマイドである。版元、蔦谷重三郎によって大量に刷られ、江戸じゅうに出回ったものらしい。
 今、写楽の完全な形の浮世絵がオークションに賭けられると、数千万円はするだろうといわれているが、江戸時代の当時は江戸みあげモノの包み紙にさえされていたという。現在、写楽の浮世絵の大半は明治時代の文明開化、脱亜入欧の時代風潮の中で欧米の収集家によって二束三文で買われて、海外の美術館にある。
 
 江戸時代の庶民文化の浮世絵の素晴らしさをキチンと評価できたのは欧米人だった。当時の日本人の美意識の評価基準は江戸支配層の上流文化に偏っており、自分たちの本当のオリジナリティーを理解できなかった。
 
 鎖国日本の中で上流文化は南蛮、中国との交流を独占していた支配層の愛好するモノだったから、その影響を一貫して受けていた。
 当時の日本絵画も中国の影響が色濃かった。虎を描いた作品なんか見ると嗤ってしまう。完璧に虎ではなくて巨大猫である。当時の上流芸術には大なり小なりそういう部分はある。
 
 ところが、浮世絵、歌舞伎などの世界は鎖国され、外国との交流が断たれた庶民生活の中から生み出された、日本独自のオリジナリティー溢れる文化だった。
 
 写楽が描いた歌舞伎役者たちは江戸時代に河原者、能芸者として身分制度の最下層に貶められてきた存在だった。歌舞伎は最下層の能芸者によって、京都に始まり、町人に支持され、大阪、江戸に広まって行った下流大衆娯楽であり、演者たちは身分社会の最下層に位置付けられていたが、都市の町人大衆に支持され、何か所もの常設小屋を持つ、庶民最大の娯楽だった。
 
 写楽の描く大首絵28枚の役者上半身像の演目全てが仇討話である。
 理不尽、不人情をじっと耐えなければならなかった、当時の庶民のうっ屈、ルサンチマンが実生活では見果てぬ夢であった感情の大爆発、成就へと結実する。
忠臣蔵の世界であり、理不尽を受けた当人は血の報復戦を誓い、実現の途に就く訳だが、当然にも主人公たちは武士であり、武装できない町民ではなかった。町民はあくまでも復讐劇の名脇役である。
 
 そういうワンパターン、カラクリ劇で江戸庶民は憂さ晴らしする側面がった。
幕藩体制を支える武家支配や身分制度の庶民にもたらす理不尽は捌け口を求めたが、劇中でのサムライ同士の正義と人情を求める復讐劇として、結局、封建秩序イデオロギーの枠内にがっちり繋ぎとめられた。
 
 演じる歌舞伎役者は身分制度の最下層に疎外された存在だったが、芸能者としての大衆的人気、其れなりの収入もあった。だから、単純な被差別民ではない。日本封建の庶民文化は彼らを芸能に精を出す限り浮揚させるほど、成熟していた。
 
 ところで、先の市川海老蔵事件のマスコミ報道の根底には名門梨園認識があると思うが、私としては、江戸時代の歌舞伎役者の地位がどうして今日のような格式あるモノに変転したのか興味はあるし、確認もしたい。
 
 余りにも格差が大きすぎる。
 
 一言でいえば、江戸時代の都市庶民の大衆娯楽がその大衆性故、明治絶対主義支配層に文化政策として急速に取り込まれ、文化秩序支配の支柱とされていった、ということである。
 
 「明治維新を迎えて、それまでの煽情的な題材から題材から、上流社会や外人の観賞に耐えられるような作品を上演しようという*演劇改良運動*が起こり明治24年には井上馨外務大臣宅で天皇の御前で上演する*天覧劇が当時の名優を一堂に会して行われた。この事によって河原者とさげすまれている歌舞伎俳優の社会的地位が向上していきました」ーネット上から引用ー
 
 仇討人情モノの様な被支配階層の抑圧された激情のはけ口は絶対主義天皇制の新たな支配層としての形成やその背後で財政支援をする列強にとって、違和感があり、とても見逃すことはできず、文化政策としてキッチリと取り込んでおく必要があった。
 何しろ廃仏棄釈までして日本人古来の神仏混淆を大否定し、天皇制の絶対主義的を人工的に国民に植え付けようとした「革命」政府である。やることは強引で徹底し、日本否定、欧米崇拝の混淆で唯一天皇制のみが日本的なものだった。
 
 続けて、この記事によれば、明治後期から大正にかけて、京都の芸能関連商売人、大谷竹次郎が全国の歌舞伎小屋を買収していき、今日の松竹資本と歌舞伎界の関係を築いた事が解る。
 
 歌舞伎界の経済的基盤は松竹資本である。
 
 さらに、昭和40年には歌舞伎が無形文化財に指定されたとあり、政府の文化政策による庇護も与えられていることも解る。
 
 こうして見ていくと相撲の世界と何処かよく似ている構造に気付く。
 
 写楽にも大首絵の後に相撲取りを描いた作品がある。当時の浮世絵の題材は歌舞伎、遊女、相撲に集中していた。大衆娯楽としてはそんなものだろう。後は社寺への参拝。
そのどれも権力サイドが今でもツバをつけているな。
 
 これが日本だ、ワタシの国だ、という事なのかどうかは解らないが、ここまで書いてきて、この閉じられた円環世界を突き抜けているのは、写楽の絵だけだ。
 
あんなそこらじゅうに出回っていたペラペラの紙切れ1枚を海外が三千万の評価するのも頷ける。
 本当の日本はこんなところにあるのかもしれない。
私がプロフィール紹介で揚げた言葉。
 
      遊びせんと生まれけむ
      戯れせんと生まれけり
 
平安時代の有名な遊女の言葉だが、「政治と暴力」と共に私の庶民の日本を求めての探究による。
イロイロあるが深いところで、全て良し!としたところでこれからの時代、自分たち一人一人が時代を生み出して行こう!そういう創造的な想いがずっと以前からある。その総和が日本を形作るのだ!