反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

混迷管政権の下での日本国民の将来を左右するTPP参加決定は不適切。

 長らく更新しない間に今後の日本人の運命を決定dけるようなような「国家戦略」が迷走混迷の政局のただ中で決定されようとしている。管内閣は今年の6月ごろにTPP参加への正式表明をするという。
 称して「平成の開国」とか。
(どこかで聞いたような文句だと思ったら、外務省のネット上に公開されていた報告書の最後の文句にデカデカと「国を開く」と強調されていた。APEC直前にあまりの急進的な反中、TPP万歳文書を懸念してかすばやく抹消された。)
政権の命運をかけた参院選を直前に控え、全党一致で戦わなければならないとき、全党の合意も得ず、唐突に消費税増税の具体的数値まで言及したのが昨年夏。
 
 そして、統一地方選を控えて、今度は
 TPP参加(多数派国民生活生贄、グローバル資本奉仕)
 最少不幸社会(消費税増税、格差拡大容認)、
 不条理をただす(小沢叩き、内ゲバ継続)
 当然、こんな無能混迷政治のドサクサを、官僚を中心として利権癒着勢力中枢は徹底利用し、ここぞとばかり得手勝手な重大案件を持ち出している。
 徹底的に自分たちの都合の良い決定的政治課題を押しつけ、国民大反発の中で泥をかぶらせようとう魂胆である。
 
 まさに一石二鳥。
自分たちの積もり積もった得手勝手な重要課題を押しつけて、国民政治課題にできる。
それは同時に、国民にとって直接に利害が絡む問題だから政権は言うに及ばず、政権党への強烈な反発を生み、支持基盤の崩壊をもたらす。
 
で、そういう政権交代を果たした新政権はやっぱり駄目だった、となって新市場原理主義の真打ち登場となる。
TPP参加6月参加を掲げている管内閣は前座を忠実に果たしている。
 しかし、政権交代を支持した国民は民主党政権に、新たな市場原理主義へのステップボードの役割を一切求めていない。
  
 要するに、これまでの政権運営の迷走混迷からして日本国民の将来を決定づける資格は管内閣にない。その前に管内閣は総辞職しなければならない。
 
 元々、国民全体の活動、生活、生命を預かる準備も経験もないまま、党内外の政局の混乱の政治力学から、思わぬ過大な政治権力を掌中にしたものが民主党執行部を形成しているところに問題のネックがあるが、本人たちにその自覚、謙虚さが決定的に欠けている。
 
 管らは筋道道理にはずれた所で政治を行っている。副島用語でいえばダークサイドに転落した政治を行っているから、政権はいうに及ばず、民主党を2度と政権に就けない政党に落とし込め中である。
 
 管執行部の一貫してやってきていることは、身の程をわきまえない、小沢支持議員を排除した片肺政治だ。
言い換えると党の固い支持基盤の半分ほどにそっぽを向かれるような政治方向を選択している。
 
 戦後長らく政権の座にあって政治的支配層としての支持基盤の強固な自民党ならいざ知らず、連合のような労働官僚しか機能していないような団体しか支持基盤のない民主党には小泉のような党内分裂の劇場型政治をやる余裕も時間もない。
やればただの党内の分裂と宣伝され、党自体を落とし込めることになる。
  
 私は以前、仙谷氏のホームページの記事を詳細に検討したことがあるが、政治的馬鹿だと思った。
どこが元左翼なものか。
 
 自民党への分析など戦後支配体制との関係は一切抜きに農村型55年体制、政党自民自動凋落の楽観論を満開していた。そのうえでまだ政権も取っていない段階から、(この時点では参院選勝利だけだった)増税論を展開し、「貧乏人は麦を食え」という有名な自民党総理の言葉を引用し、政治家として無神経な決意を披歴している。
 政権獲得に駆け上っている時点で予め増税在りきの公言が政治家として相応しいかどうかの根本問題はあるが、こんな政治センスの国政政治家は政権中枢に身を置いたら党と国民のためにはならないということだったのだ。
 ただし、この講演の内容は当然にも抹消された。
物凄く難しい論理的緻密なことを語る政治家であるが、全体の勘所が大きくずれている。
 彼の理屈では自民党にはない国民受けのする新鮮な政治手法の民主党自民党と同じような政策を提起すると自民党の居場所はなくなり、自動的に後退していくと私は受け取った。
 フレシュな政治手法だけしか自民との大きな違いを見だせないから、「政治とカネ」問題への異常な執着が出てくるのだろう。
 
  全く現実を無視した理屈としての理屈にすぎないが、恐ろしいことに管政権は彼の理屈を忠実に実行している。
だから政権交代を支持したものからすると、異常なハチャメチャがどぎつく目につく。
 おそらくマスコミの支持率報道の嘘を剥ぎとると本当の民主支持率は異様な数値を示していると思う。固い支持層も腰をひいている。この間の選挙という選挙の異常連敗が実際である。
 
 敵を甘く見て自分の存在を知らない。権力マンションは三権分立の建前はともかくも、民主党の部屋は用意されていない。力ずくで自分で部屋を整えて、居座ってしまうしかない。これが小沢流だろうと勝手に解釈する。
だから、極端にいえば、どんな手を使っても参院選に勝利しなければならなかった。
消費税増税路線のようなその政治目的を阻害する政策論議に踏み込む余地は全くなかった。
 この単純な構造が分からないから政治的馬鹿と思った。一番相手にとって利用しやすい人間である。
 
 >戦後初の政権交代を果たした支持基盤脆弱の民主党は政権に就けば、どの道を選択しても、背水の陣になることは間違いなかった。
 であれば、血路を切り開く覚悟も実際の突進もいる。
だから、党全体として政権を引き受けた以上、党内陣形として全員一致でやるしかなかった。
これが原則である。だから、党内の市場原理主義者にも役割が振り向けられた。
 
 ところが今現在の内閣は背水の陣の現実を眼を背け、まるで自民党の代わりのようになって政権に居座る道を選択している。
 背水の陣にも拘らず、無抵抗の道を選択している。
であれば、早晩、武装解除され(政権を脱落)、背水の泥水に突き落とされる(党の無力化)。
どんな場合も背水の陣で武装し戦いうしかなかったのが民主党政権の基本性格だった。
 
 政権交代を後押しした国民多数の意思を実行する構えを捨てて、戦後支配者層の気に入られ安心される政治方向を選択した。
 
 が、選挙になれば、民主党のために動き、投票するのは支持者であるから、痛いしっぺ返しはやがて党の個々の議員の上に降り注ぐ。
 こういう常識的政治判断もできない大バカ者が管らである。
 
 TPP論議が深められ、マスコミに多方面の情報が流されると国民のかなりの部分はこれが格差拡大しか結果しないと理解するようになる。
 
 日本社会の構造は再三指摘しているように相対的貧困率社会保障費給付率からするとアングロサクソン移民社会と同列、メキシコともかわらない格差社会
 ただし、日本的特色はある。
 自助、自己責任の要求が過大なら、それに見合って個人の人権、自由は尊重されてバランスが取れている。ところが自助自己責任を実際要求されている個人に相応の自由人権はなく、協調性、均一性、集団性への従属が求められている。社会の管理者にとってまことに都合のよい閉塞社会である。
 
 従って個人は解消されないアンバランス、矛盾を抱え込み、不平不満を内向させ、なにかだれかを常にターゲットにしてフラストレーションを解消していくしかない。
 日本社会全体が閉塞し非論理が支配し、情緒、ムード、が支配的になっている。
 
 TPPでさらに格差を拡大させてどうするのか。
もっと包括的議論が求めらえている。
 
 そのためには窮地に追い込まれた管政権のもとで正常な議論は不可能で得手勝手な脚色が横行するのは目に見えている。
 日本人は政治的軍事的主権を得ることはなかった。冷戦時代は事態が隠ぺいされていただけだ。
 TPP参加は日本人が戦後のよりどころとしてきた経済主権も放棄することになろう。