反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

社会保障の「事業主負担分」という幻想。書いた本人の意図、法人税大幅減税と真逆の原理論の展開で検証に値する。

 管政権は与謝野馨を入閣させてまで増税路線にまっしぐらに突き進もうとしている。「安心社会の実現」というが本当か?
 しかし、その政策はほんの一握りの企業だけが富み栄え、国民経済において支配力を増すことにならないか!?
 日本国民は本当のところ、その立場が物心両面において大きく分裂している根拠がありはしないか!
 EUなど世界の先進国だけではなく経済急速発展の国々において、支配層の政治的独占を梃子に経済的独占が強まっているのではないのか!
 また、この戦後日本で民主党政権崩壊後、一時的に後退していた戦後利権癒着層が政治のダイナミズムのはてに貴族特権階層としてそのそれまでの地位をより一層、短期間で反動的に打ち固めることにならないか?
 また日本国民を東アジアの軍事的恐怖に恒常的に落と仕込めている真の原因は何なのか?
 TPP平成開国論、小沢排除の現実政治とヒックルメテ、庶民の側もじっくり考えてみる必要が生じてきた。
 
 すでに日本はアングロサクソン移民社会と変わらぬ、自助、自己責任の社会に変貌している。これが実態だ。
しかしそれならそれで、相応した人権、自由が保障されていなければ、社会全体に不平不満が充満し、出所がなくなってしまう。日本社会の閉塞がいわれて久しいが、根本的な原因はここにある。
 日本社会には熟成した資本主義国(現代帝国主義国)にふさわしい個人の自由人権が制度として、社会的空気としてとして保障されていない。
 マスコミ資本?新規参入拒否の寡占状態の中で中央地方、特権的地位を貪っている。
 
 こうした閉じられた矮小な自助自己責任を全うしなければ、生きていけない社会のただ中の個々人、家庭、家族が人権自由乏しい会社、団体、地域の「拘束下」に置かれいる。また判断基準の情報源をテレビ新聞に結果的に頼ってい。
 ゆえに物心両面における閉塞日本なのだ。
 
 マスコミは代替えして特定の事件、人物をバッシングして閉塞感の解消と金銭にかえることに努めているが、批判精神のある人はこの状況に非常に違和感を覚えている。
 
 時代基調が煮詰まってきて真理を少数派の側に追いやっていく国と国民には過去の日本がそうだったように歴史の鉄槌が下っている。
日本は現代史で一度この鉄槌を受けたが、私の見解からすれば、もう一度、歴史的鉄槌を受けけなければならない立場だ。ただ何度も言うがこれは日本国民の被害に比べて国と支配的構成事物の被害は軽微であった。
全軍突撃のラッパを吹いたもの、司令官は総じて身の危険に遭遇せず、将兵のみが壊滅した。
 明治以来のアジア侵略を帝国的国家国民形成の経済的政治的基礎した日本帝国主義支配層にアジア人としての道理も正義もなかった。
アジアへの侵略、植民地戦争に世界戦争の中でアジア支配、盟主野望の日本は必然として。敗北した。
 
 戦前もそうだったが、歴史には不可避性必然性という問題がある。これを形成するのが奈落に向かう歴史の流れに掉さした多数の意思である。
 
  戦後の憲法にうたわれている主権在民基本的人権とは元々、資本主義社会の数でいえばで圧倒的多数派の国民が圧倒的少数の資本富裕層に物心両面にわたって生きるための主導権を制度的に奪われている社会構造に照らし合わせて、対抗措置として個々人に付与されたものである。
 しかし、日本では戦後、主権在民基本的人権は利権癒着構造に実力(政治的暴力)行使に阻まれて、国民全体が十分行使できなかった歴史的経過がある。権利は行使される前は社会的空気や文言だが、行使されて権利となる。
 
 数の上での圧倒的多数派は常に政治的少数派に甘んじてきた。
 
 小沢一郎の政治は、こういう日本社会の特性に対して現状の真理の少数派が具体的な生きた国政の中で多数派を形成する、シューシュポス的労苦に貫かれている。私は小沢一郎の苦闘をこう総括する。
 グローバル世界資本の支配、蠢動の下、「国民の生活が第一」の政治がなければ、圧倒的多数の日本国民は労苦を強いられる。
 
 >>で、こういう基本認識から、社会保障費と税負担の問題を検索してきたところ、増税反対論の論陣を張っている各記事はイマイチすっきりしない。
 
 >その意味で社会保障と負担に関して、何かもう一つしっくりこないものを感じて、検索していたところ、表題の記事にぶつかった。この記事は逆手にとれば、議論を深める絶好の材料を提供してくれていると見た。
 
 記事の作者は1973年生まれの東大法学部卒、富士通入社、30歳ごろ独立しコンサルタント業務や執筆で飯を食っている人であり、20代30代のサラリーマンをターゲットにした40万部のベストセラー本をものしている。
 
 表題の記事の率直な読後感。
ブリンカーという視野狭窄馬具をつけて競馬に集中させられている競走馬!
自分の記事の目的の法人税大幅減税。最低でも5%だそうで最高は10%。
そこからさらに踏み込んで、社会保障費の企業負担分を0にする過激案さえ得意げに開陳している。
 
彼の記事の前振りにこうある。
 
 <結論から言うと、事業主の負担分なんてものは存在しない。それらはすべて労働者本人の負担である>
これが彼のテーゼである。いまどき珍しい「過激」議論である。私の持論からすれば、労働者だけが商品価値を作り出せるのだから、社会保険料は全部、労働者が自己負担し、年金のような形で後払いを受けていると。
 
>例え話から始まる。 
 事業主が庭に落ちた500百円玉を拾う仕事に山本君を450円で雇った。
社会保険料の本人負担分は50円、事業主負担は50円との仮定から話を始める。
 
で、労働者寄りで社会保険料100円事業主負担の共産党政権と事業主寄りで100円本人負担のみんなの党が政権とった場合を例にとって説明していく。
 
給与明細に印刷されている事業主負担、社会保険料の呼び名にかかわらず、 どちらも本人の手取りは400円で事業主の側からすれば雇った人件費は500円、と彼は言う。
 
 
>>ここが非常に理解しがたい理屈になってくる。
 同時にこれを土台に別の展開が可能。
 
しかし、どう考えても彼の例え話は問題の本質を見えなくしている。どうしてか。
 
 会社にとって社会保険料会社負担分50円プラス山本負担分50円で100円の社会保険料負担だから、このうち50円の山本負担分を差し引いた手取りとして400山本に支払っても、会社にとっては500円の硬貨を見つけるため人件費500円を使用していることに変わりがなく、儲けはない。
 等価交換じゃないのか。450円で雇って、50円社会保険料企業負担して合計500円ならばトントン。
 
>しかし、500円を探すために労働コスト500円を賭けても儲かる仕組みが。
 
450円の労働力商品山本君を買って、働かせ、手取りの400円を支払って、社会保険当局に支払う金の合計100円をプラスした合計500円のコストをかけても採算の合う経済循環はある。
 これが巷にカネの回る原始的仕組みでもある。
 >450円労働労働力商品単価の山本に一労働日に何枚もの硬貨を拾わせることである。
この場合、庭に500円硬貨は何枚もあると仮定する。実際の経済過程は一回限りの経済循環でないから、当たり前の考察。
 であれば、1日に2枚の硬貨を拾わせると500円のもうけになる。
 
 記事の筆者も山本にすれば、社会保険料は「企業が負担してくれていると考えているかもしれないが、実際に「それだけの働きを求められているのだから」それは山本君の事業主、自己負担にかかわらず、自己負担に過ぎない、と書いている。
 
 「それだけの働きの中身」は1日に二枚の硬貨を拾わせることである。企業は500円を探す作業に500円のコストがずっと掛かるなら、撤退する。当たり前だが。
言い換えると、自分の労働指揮下で何枚もの硬貨を拾えわせると指向すると、たまに一労働日に庭で500円硬貨2枚を手にできるのだから、社会保険料が200円になっても儲かる。
 
 ところが、この筆者は結局のところ、私の理屈とは違ったところで例え話を進めてきたようだ。
 
その証明。
 
 現在の名目上の給料450円を企業に負担させたうえで、社会保険料100円を上乗せすればどうなるか?と筆者は問う。
 500円を拾う仕事に550円賭ける企業はいないのだから、事業をたたむか海外移転するという。
事業内容によってはいくら人件費に回せるかどうかは決まってくるのでそれを法で増やすことはできないと。
 
 完全に問題の本質を誤魔化している。
 私の言いたいのは500円玉を拾う仕事に500円のコストをかけても企業は十分儲かる仕組みがあるということだ。労働量商品という価値増殖作用(一労働日に何枚ものコインを見つけられる可能性)のある特殊商品を自分の都合のよい労働指揮下で働かせると500円を探すために500円ののコストをかけても十分採算に合う、550円でもよい。事業をたたまなくても十分やっていける。
 
 >ただし、海外のもっと低コストで500円を拾える可能性は広がって、450円労働力商品山本はお払い箱になる可能性が出てくる。
 
 グローバル世界資本主義化では資本は自由に移動できる。先進国の多くの国民のはこの難問に直面している。同時に経済発展の国でも失業、格差がある。国際資本の呼び込もうとすれば、最適投資環境を政府が強引に整備する必要がある。資本は原則的に低賃金過重労働の搾取が最適環境だから。
 
 グローバル資本は無国籍、アナーキーだが、大半の国民生活は国境に閉じ込められている。
 EUでもこの事態は変わらない。
 
 グローバル資本の立場から、、筆者はこの際、社会保険料の会社負担分を0にすれば雇用確保になるとまで暴言を吐く。当然、大衆課税である消費税増税法人税、企業の社会保障負担減税分を埋め合わせする。
 
>だが、国民から税金を絞りあげて企業負担を軽減すれば果たして企業の国内投資投資環境が整うかどうかだ。
 
 そこで冒頭の山本君を雇う時の賃金450円に立ち返る。
これは事業主が労働市場で有効に活用できる労働力を調達できる妥当な金額である。山本が決めているのではない。この決定の基準は有効労働力の再生産費にかかっている。易いコストで労働力商品の再生産が可能なら、現実の賃金は下がっていく。
 
 まず、その金額が低下する場合を考えてみる。
単純に考えると、海外から安い農産物が流れ込んでくる場合、労働力は安いコストで再生産できるようになる。貧困であればエンゲル係数は高くなる。
 次に社会保障費の企業負担を減らせば、低コストで労働力を調達できる。
 
消費税増税、非正規雇用の増加プラスTPPでその環境が生まれる。
 
 しかし、需要の過半を占める労働層全体の可処分所得は減ってしまうので国内需要は伸びず、資本は発展の余地のある海外市場にシフト流失し、資本流失ー雇用機会の減少=可処分所得減少ー総需要の低迷の連鎖、要するにデフレスパイラル脱却できない。少子化高齢化、社会全体の閉塞化もこの傾向に拍車をかける。
 
 >で、こういう国民大半の生活から解りきった結論しか想定されない意見がどうして声高にとなえられているのか?
無国籍、アナーキーなグローバル資本の立場に立つ者は自分たちの資本の運動法則に忠実に従って、国と国民を見捨てているということだ。これが真相だ。
この正体を見破られないために内外の偏狭な民族主義愛国主義を徹底的に自らの政治の基調に取り入れる。これで正体をカムフラージュしているのだ。
 私は抵抗戦線を強固に構築しつつも、やつらの破壊の力が上回っていくと想定する。
ならば、汝らの破壊に任せ、
 その果てに我らが勝利するのだ。
日本のような保守的国民を抱えた国では戦うもの同士が結束することが大事である。
この国は我等の日本ではない。
 暴動、内乱の質を今現在の自らが、この日本で勝ち取り、前進していこう!