仙石が国会の委員会で理屈を並べているとき、「馬鹿が利口ぶるんじゃないよ」とのヤジが飛んだそうである。
この男の得意手は一般に解り辛い理屈を述べ立てて、相手を煙に巻くことである。
私は彼のホームページを見た時、内容がすぐには理解できなかった。ただザット目で追っただけで、全体の中身は大したことがないとだけは解った。要するに大したことのない内容を修飾することにかけては、才能がある。
弁護士らしい論理の展開力はある。
ところが、この発言は抹消されて、いくら探しても見つけられなかった。
外務省の「TPP国を開く」論も同じく、抹消された。
証拠の隠滅である。
キーパーソンの適性を全く欠いた仙石がキーパーソンになり果せたのはそれなりの具体的理由がある。
仙石は68年、東大在学中に司法試験に合格している。
この年は東大闘争の真っ最中である。明けて69年1月18日東大全共闘を含め各党派部隊が安田講堂に立てこもり機動隊に徹底抗戦する。時計台からの最後の放送を行ったのはなくなった民主党議員故今井澄さんである。
彼の同世代の東大法学部系の活動家のカリスマはその後、弁護士になったIさんである。彼は60年安保以来、初の反日本共産党系の教養学部自治会委員長に選出されている。ちなみに60年案保持の委員長は西部氏である。
仙石は多分、Iさんの取り巻きの一人だった、と理解する。
Iさんはフロントに所属していた。フロントの都内最大拠点校は慶応大学である。東大はそれに次ぐ。
Iさんには裁判の弁護の関係で少しは知っているが、私の身近な人も自分は学生時代、ボディーガードだった、と紹介するぐらいだから、大変な影響力を発揮していたのだろう。長身痩躯、インテリ丸出しのタイプだったが、非常に砕けた一面があり、法廷の弁論は迫力があり、雄弁そのもので、なるほどな、感心した。
仙石は日韓闘争以後、実際の運動にはつかず、離れすぎずの立場だったのだろう。
でなければ、東大闘争真っ最中に司法試験に合格するはずがない。
ただ、そういう人はイロイロな事情を外から観察して結構、熟知しているモノだ。
ここが一つの仙石の出発点を理解するポイント。
フロントという党派は東大安田砦を徹底抗戦と位置づけなかった。
大衆団体の内部に閉じられた政治サークルを作る、そのサークルの上にまた指導サークルを作るという手の込んだことが政治と思い込んでいる。
運動を作る党派ではなく、盛り上がった運動の内部で蠢いてその成果を簒奪する政治方向が内在化している。
新左翼とひとくくりにできない、党派体質に差がある。
このようなやり方も、仙石は知っているはずだ。
仙石が東大闘争にかかわったとしたら、法的知識を利用して救援対策であろう。
仙石をネット上で検索すると、土田日石ピース缶爆弾冤罪事件の弁護を担当したことがなぜか抜け落ちている。
私の記憶間違いかもしれないが、彼の力が大きくて、10数名の被告の冤罪が晴らされた。
このような経歴から、仙石自身は左翼のあらゆる政治場面に詳しい人物であることは間違いない。
で、時間の都合上、その後の仙石の政治的本質の確定に一気になってしまう。
仙石は読売のナベツネとほぼ同じような位相の政治感覚を持つにいたった、ということだ。
切っ掛け、が何時だった不明なところが、ナベツネの時代と違って現代的なのである。
そこまで至っていない中途半端な仙石ではあるが、その心象風景はナベツネ風であることは間違いない。
無垢の組織に共産党的陰湿活動を適応したようなものだ。
仙石の場合もある程度同じようなことが言えるが、ナベツネ以下的な政治経験しか有していないところから、大問題を巻き起こしていまった、というべきであろう。
曲がりなりにもナベツネは読売を陰湿政治適応で制圧し、統治した。
仙石は反小沢派形成、発展の陰湿党内政治活動を展開したが、制圧、統治はできるはずが、元々、彼の中途半端な政治経験からはなかったのである。反小沢をやって、自民らと連立するところまでは視野に入れていたが、党をここまで後退させることまで理解できていなかった。どんな道、楽な道、選んでも背水の陣になることが理解できない。ここに仙石の大きな限界がある。
小沢熱烈支持者が鳩山政権末期、党内の敵に向かって吠え始めているころから、この戦いは仙石らの強烈な反抗を呼び起こすモノと考えていた。
仙石のやり方は党内闘争にある程度通用する、とみていた。小沢さんは党内闘争を展開する場合の組織性が欠けている。秘密裏に組織の上に組織を作って動く仙石には抗しきれない面がある。
ただ中途半端な仙石に統治能力は全く欠けている。
この二つの側面が争って今日に至っていると、思う。
民主党に仙石の様な中途半端な奴がたまたまいて、党内混乱期のキーパーソンの役割を果たしたことが、さらなる収拾のつかない混乱を招いている。
前回の記事に示したように、小沢党員資格停止は全国会議員に問うべきものである。
しかしそれをやったら、今や党内少数派に過ぎない彼らの素顔が露呈する。
だからやらないという浅はかさ、日和見主義が、問題を党内外でここまで大きくしてきた。全局面を見渡した政治判断力が全くないし、覚悟もないから、利権集団に寄り添って、政治をやっている気になっている。
だが、それは反革命そのものである。
かれらの大転換なるモノをしてやっている政策は政権基盤がなくなれば、簡単に吹っ飛ばされてしまうものである。だから、党の団結がいる。彼らのやっていることは順序が逆である。政権基盤を手放して、政策なるモノを実行しているつもりになっている。
日本の転換点。
もう、デモに集まったモノ、連帯するモノしか信用しないことに決めている。
名古屋の第1回のデモの結集は120名だそうだ。
河村支持層はデモに参加しない人たちといえる。
中世、ドイツ「ハーメルンの笛吹き男」におびき出された子供たちは町はずれの洞窟に閉じ込められることになっている。
大阪でも同じことが、この統一地方選ではっきりする。ハシモトは大量の地方議員の候補者を擁立している。
そういう連中と一緒にやりたいなどというモノたちと、共に歩むわけないはいかない。
歴史の転換点では上から下まで政論が分かれて、カオス状態になる。
自分の足元、原点を大切にする。