反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

名古屋河村、大阪ハシモトはハーメルンの笛吹き男。パンツもはかず、恥部丸出しの破廉恥漢。

 第二回、御堂筋デモに結集し、気合、元気に戦った人々の間で大阪府知事ハシモトを支持するモノは皆無に近いのではないか。もし今後、小沢政治弾圧粉砕とハシモト支持を結び付けるような傾向がデモの中に出てきたら、デモ勢力は完全分解する。ありえないが。みんなハシモトには不信感もち反対の立場である。
 
 ハシモトの政治方向は東京都知事石原がやりたくてもやれなかった広域行政権限権力の地方利権勢力への集中である。
 
 例えて言えば、ライオンの群れに大きな生肉が投入され、ライオンたちは、アットいう間に食いつくしていまうが、周辺のモノ腹をすかせた動物は茫然と見つめているしかない。住民は期待した生肉とは無縁である。
いやむしろ、生肉との無縁な状態が構造化される。行政にスリム化で必要な分野のサービスが滞る。
 
 公務員の給料が今の税収で賄いきれないのだったら、相談しあって粛々と圧縮すればいいだけのことであって、その行為をトップが何か一大政治改革の様に大騒ぎすることではない。
 長野県知事時代の田中康夫さんはそうしたのではなかったか。
 
ただし、公務員の数は日本は少なすぎるという現実がある。植草一秀氏はこの事実を前にして苦しまぎれに、特殊法人などの職員を合計すると大変な数になるなどといっているが、必要な分野に公務員が配置されていない現実がある。
 
 公務員の給料が高すぎるのではなく、民間給与が相対的に低下してきたのである。
そもそも、自分の給与が低いからといって、他人の給与を下げよ、という劣情がそこにあるのだったら、自省した方がいい。
 
 典型的な特権のに守られた寡占市場のマスコミから、そういう市場原理主義の言い草が常に発せられていることを警戒すべきである。
彼らはハシモトのような地域市場原理主義を応援すると必ず、自分たちの権力と利権が増すことを知っている。
 
ハシモトは地元マスコミの全面支援を受けている。どうでもいいような改革を物凄いことをやっているようなイメージ報道されている。ハシモトは統一地方選に維新の会と称して大量候補を擁立している。
まさに議会の権力も我がモノとしようとしている。自民ら旧権力との対立は政策的なモノではなく、見せかけである。
 
 ハシモト配下の候補者はどこからカネが出ているのか、立派な選挙事務所を絶好地に既に確保している。
選挙運動も怠りなくすでに始めているようだ。おそらく大量当選が見込まれる。
 
 ハシモトはハーメルンの笛吹き男の様に有権者を誘いだし、町はずれの洞窟に誘導し、出口をふさぐ。
ハシモトに訳も解らず、投票したモノは閉じ込められた洞窟から出ることができない。
小泉改革の地方版は住民にとって身近な事柄に影響及ぼすから、被害は甚大になる。
 
名古屋の河村も同じ類。
 典型的な解りやすいハーメルンの笛吹き男にして、パンツもはかず、恥部丸出しで狂奔している破廉恥漢。
 
河村の様な突飛な主張だからこそ民主党議員時代には党内で相手にされなかった。
それが、雰囲気的に有権者に歓迎されているのは政権交代後の民主政権への期待の裏返し、失望の蔓延という政局の影響であろう。
 
 名古屋市民がどこまで河村の法人税所得税定率10%減税の政策を熟慮して彼を支持したのか疑問である。河村の主張は全国政治として提起である。
 
 日本の企業のうち法人税をはらっているのは、儲かっている企業だけである。ほとんどの企業はもうかっていない。
 
 従って定率10%減税の恩恵を一番、受ける企業は有名大企業ということになる。しかも、こうした企業は海外資本移転をしている企業であり、グローバル規模で経営を展開している。10%減税しても国内にその儲けは落とさないとみてよい。グローバル企業の税金逃れに対して徴税は困難を極めている現状もあり、10%減税などとんでもない。
 
 所得税10%減税。なぜ富裕層をそこまで厚遇しなければならないのか聞いてみたい。ここは日本であり、アメリカではない。狭い平野部に人口が密集し、歴史と伝統のある日本にアメリカ社会を移植するのは不自然。
絶対やってはいけないことだ。
それをやる政治家は最低の政治家である。
 
だから、パンツもはかず、恥部丸出しで狂奔する河村を支持するモノは、河村と同類の下品に落ちるしかない。
 税金を少ししか納めていないモノに恩恵が少ないのは当たり前、などと居直る下品に陥る。
では減らした税金分はどこから調達するのか?公務員の供与カットぐらいでは埋め合わせできないだろう。
こんな政治が仮に全国化するなら、日本は破壊する。
 
 小沢ファンクラブの面々は相手にしないことにしている。小沢第一で道理が通る相手ではない。
しかし、パンツもはいていない恥部丸出しの河村に全国的影響力を持たすわけにはいかない、から反対の声は上げる。
 
 ま、しかし、どれもこれも総和して、従来の主張。日本国民の敗北の時計は刻々と時を刻んである。