反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

有名ブロガー「世に噛む日々」さんの前原「誠司とカネ」連載記事はマスコミ報道より面白い。

 「世に噛む日々」さんは大変な筆力の持ち主である。私が100字費やしてあ~でもない、こ~でもないと書くところを20字ぐらいで表現出来て、文章に癖がなく、透明感があって、解りやすい。
 
 多分、小沢支持者の数多くあるブログの中で彼の文章が一番、完成されていると思う。
そういうのは努力してできるものでない。
仕事を抱えながらの記事だから、持って生まれた文才があった、というほかない。
 
また、いい意味での正義感も強いが、論理的でもあり、率直に感情を表現することもできる。内省的なところもある。
 
 つくづく、世間は広い、イロンナ人がいると改めて思う。
 
 その「世に噛む日々」さんが連日、前原誠司氏の問題になっている「政治とカネ」に切り込んでいる。
 
3月4日付けの記事の冒頭では、いきなりマスコミ得意の「政治とカネ」の建前論を正面から、バッサリ切って捨てている。
 
 要点は誰が何のために、そういう「政治とカネ」のイデオロギーを国民に宣伝扇動し、国民間の常識論に仕立て上げているか?に尽きる。
 
国家権力を実効支配する官(マスコミを含む)が国家権力=暴力装置とマスコミ寡占媒体を使って、自分たちの実効支配を維持し、国民の代表である議員の力を削ぐために、政治の実態とはかけ離れた清貧を求めるイデオロギーを国民間に植え付け、自分たちの支配に歯向かう政治家を政治的に抹殺してきた。
 
 「世に噛む日々」さんは私が書くようなこねくり回した文章ではなく解り易く説明している。
 
>が、この問題は書きだしたらきりがないほど、奥深い事情が潜んでいる。
 
その一。
 敗戦と敗戦後の混乱期の宮廷的政治とGHQの談合、駆け引きの中で戦後日本の法制的骨格が形成された。
国民は何の関与もできなかった。
 アメリカ占領軍当局が憲法を書いたという事実はあるが、宮廷政治との駆け引きはあった。これは、憲法以外の様々な具体的法制成立に関するGHQとの攻防をリアルに見ていくと理解できる。
 
 結論的にいえば、GHQは自らの占領統治をスムーズに実行する保証として天皇制とそれを支えてきた重要な国家機構=官僚制度を温存した。外国軍事力が日本の様な歴史と伝統のある国を直接支配統治できないことは彼らは知っていたから、日本国の統治機構を自分たちの都合のいいようにセレクト改変し、実力支配の支柱とした。
 
 天皇と官僚制度、マスコミはGHQ対日支配の支柱である。
 
 先ほど、NHKは戦前マスコミの戦争協力を振り返った特番を放映した。
勿論、私は知っていて無視した。
 
どうしてか?
 
 「天皇と官僚制度、マスコミがGHQ対日支配の支柱だった」という点がすっぽりと抜け落ちた番組構成になることが見え見えで、私の観点からすれば、それを抜きに戦前の戦争協力を云々しても、今現在の我々の前にあるマスコミの異常な実態は覆い隠されるばかりだと、断定していたからだ。
 
 戦前戦後はアメリカという細かい目の振るいに掛けられて、継続している。戦争に負けても、戦前の支配機構はアメリカ好みに形を変えて残ったのだ。この意味で右翼諸君の云う国体論に耳を傾ける必要はある。
 
その二。
 日本戦後史の結節点で、アメリカの対日工作の果たした役割は決定的である。
時系列で簡単に列記する。
1)日本国憲法成立前後のGHQの主導力。
 
2)1947年官公労、民間主要労組を巻き込んだゼネストに対する圧迫。
 
3)朝鮮戦争勃発前後の官庁、主要民間労組からの共産党系幹部の追放。共産党の事実上の非合法化。
4)下山国鉄総裁歴史事件、三鷹駅通勤時間帯、構内列車暴走多数死傷事件、松川町列車転覆事件
 
 
6)戦後初の政権交代への敵対
 
 以上全部の事案は日本の戦後史の決定的結節点にアメリカが直接、間接に関与して引き起こされた事件だと理解する。占領統治の時代はむき出しの暴力であり、その後は自らが強く関与し形成してきた戦後の利権癒着層を利用したモノだ。
 
 事案、事件で最も得をしたモノが真の犯人である。
 
こういう観点から今回の前原「政治とカネ」を読み解くと、民主党全体が支配層から追い込みをかけられて、ニッチモサッチモいかなくなって解散総選挙の袋小路に追い詰められている状況が解る。
 
小沢さんは多分、こういう状況を見通していると思う。
彼が、フリーであったら、こういう状況はなかった。
 
辻恵さんの「市民と国会議員の会」の短い発言がもっとも状況を端的に言い表している。
 
小沢さんの「政治とカネ」問題を騒ぎ立てることによって、政権交代した民主党全体を潰そうとしている、と。
 
 この基本戦略に乗っかったのが管政権である。
それから後は数々の踏み絵を踏まされて、自分たちもその気になって、今日に至っている。
 
 やはり、この程度の政治力しかないモノたちには追いつめられての解散総選挙が相応しいのかのしれない。
完ぺきな支配層の手先としての結末、完成だ。
 
内ゲバにしても、管政権の予算案を巡るドタバタにしても、全ては政治がないところに起因している。
 
それ程、決定的な歴史局面において政治の果たす役割は大きいということだ。
 
「世に噛む日々」さんの文章の根底にはそういう政治観がある。
 
 しかし、彼にあえてそう書かせている、日本国民の政治観は余りにも貧困である。
 
清貧だとかクリーンだとか重箱の隅をつつくようなセコイ政治でこれからの世界状況の中で日本国民の利害を世界に主張していけるはずがない。
また利害対立の激化していく国民間の政治調整ができようはずがない。
 
政治の果たす役割がますます大きくなっていっているときに、政治家の力を減殺する様な日本の政治状況が日本国民とって大きなマイナスをもたらせる。
 
もっとも、そんなに立派な意見を持っているのなら、マスコミや官僚どもに直接政治をやってもらおうじゃないか。
 
 しかしこれこそが戦前の失敗の原因だったのじゃないか!