反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

米仏移民報道40年 ロドニー・ベンソンを解読する。当事者性や当該アイデンティーに寄り切った報道と政治は結果の出口が良くない。異なった立場の人たちとの全人民的つながりが獲得できない。

wacwac この記事を見つけたときは文章が翻訳調で、フランスとアメリカの移民報道の内容と政治、政党イデオロギー国民意識への影響力を交互に手短にまとめてるためか目まぐるしい感じがして切迫感のないWにはピンとこなかったが、 今回改めで丁寧に読み込んでみると、重要な記事とわかった。

    この記事のタイトルを正確に言い立てるとすれば下記である

米仏移民報道40年と 政治、政党イデオロギーの国民政治意識への影響力  

米仏の移民を巡る政治と経済のダイナミズムがリアルに迫ってくる感がする。 

Wが納得できるように目まぐるしい記事の展開を省略、修正、強調した。 

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           米仏移民報道40年 
 ロドニー・ベンソン(Rodney Benson)ニューヨーク大学社会学教授


「われわれは、移民を犯罪とか人間的悲惨さの観点でしか語ろうとせず、移民を侵入者とか犠牲者としてしか見てこなかった」。

988年、ル・モンド紙の記者ロベール・ソレはこう書いた。その指摘の正しさは27年たった今も変わっていないだけでなく、フランスだけの問題ではなくなっている

米国では2014年に、ギャングの暴力から逃れるため、または北米でチャンスをつかむため、中央アメリカ諸国からメキシコ国境を一人でめざした子どもたち6万人以上が身柄拘束されている。それに対するオバマ大統領の対応策は国境警備を強化しただけだった。ということは今や移民政策をめぐるオバマ大統領と共和党との対立はそれほど深くなってはいないということだ。

    

W。メディア報道では

①移民にならざるをえない経済的理由や

外国人労働者の低賃金、

③外国人嫌いといった議論を過小評価

 

 移民問題に取り組む方法の中に存在する盲点を突き止めることが重要となる。

われわれはフランスと米国の主要メディア22の報道をさまざまな角度から体系的に分析してみた。


A、米国最大の労働組合連合体である国労働総同盟産別会議(AFL-CIO)は、メキシコ人労働者が米国人労働者の賃金と労働条件を脅かしていると考えた。

      ↓

1973年7月3日のロサンゼルス・タイムズ紙は一面でこう伝えている。

B「米国政府高官によると雇用主は低賃金で雇える労働者の方を好む」。

 

>Ⓐそれに続く数十年間米国の労働者が受ける経済的プレッシャーはますます大きくなった

     ↓                 ↓

*①移民が労働者の仕事を奪っているとか、②移民が労働者の賃金低下を招いているといった意見は後退した

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←Wどうしてなのか?メディア報道内容、政党と政治のイデオロギーの国民政治意識に対する影響力は意外なほど大きい!

>ただし、そうした上部構造の影響力だけではなく、リーマンショック以降、安定的雇用を創出する製造業は海外移転はさらに進展し現地の経済も力をつけた~、世界経済の様相の変化の影響力が強い。

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  引用に戻る

          
>こうした意見は1974、75年には様々なメディアを含めた移民報道の中で47パーセントを占めていたが、

 ↓ W。イデオロギーの影響だけではない米国一極体制が経済においても機能
2002年~06年には8パーセントにまで減少した

>この変化は1970年代から80年代半ばにかけて登場した米国の政界再編を反している。←W。日本はこの時期を経済主義で乗り切り、プラザ後云う受諾でとん挫した。
A,新規参入者を求めていた労働組合の多くは、不法移民排斥を再考せざるを得なくなった。
>A、労働組合は1960年代の終わりに設立された諸団体によってこの方向へと勢いをつけた。
*Ⓐ例えば米国最大のラテン系米国人擁護団体のNCLRやメキシコ系米国人の教育ファンドMALDEFなどがそれだ。
*これらの団体は米国在住のラテン系やアジア系の人たちに対する数々の人種差別を告発。                                                              

>こうした活動は確かに必要ではあったが、

メディア報道では移民にならざるをえない経済的理由や外国人労働者の低賃金、外国人嫌いといった議論を過小評価する結果となった。
フランスでは、                               ↓
~~すなわち外国人労働者に対する人種差別の問題は1973年には新聞テレビ報道の46パーセントを占めた
             ↓
(2002年~2006年には25パーセントだった)。
同時に<文化的多様性の問題>も幅広く報道されている。
1983年、リベラシオンに掲載された記事の半数はこのテーマだった。

同紙の論説記事にはこう書かれている。
「フランスでは多文化社会でどう生きるのかを学ぶことが必要になる

1983年
地方選挙で国民戦線(FN)が躍進したことで右派系新聞が移民排斥キャンペーンを開始した。
これを受けて社会党近い新聞文化的多様性の問題の代わりに“フランス社会”への新参者の“統合”問題を報道するようになった。
当時、リベラシオン紙の編集長だったローラン・ジョフランはこう書いている。

「私たちは国民戦線に対抗する確実な根拠を打ち立て、移民保護がフランス共和国の伝統に則っていることを示さなければならない。私たちは“権利の平等”の問題が“相違への権利”の議論より説得力があるという結論に達した。
   その方向転換の効果はてきめんだった。
   さらに25年たった今もなお影響を与え続けている

2002年から2006年にかけて

フランスのあらゆるメディアの報道テーマが“文化的多様性”から “統合”に取って代わった(前者が8パーセントで後者が20パーセント)
>新聞記事の42パーセントで“国民としての結合”という言葉が使われた。
その数字は米国の3倍に上った。

市場経済が細分化されている米国では“国民としての結合”を口にする政治家や有権者は少数だ。

左派民主党地域社会の要求に敏感に反応した。

一方、右派共和党は支援者(多くの企業は移民が自由に入ってくることに好意的だった)と、時として移民を敵視する有権者との間で股裂き状態になった。

共和党の政治家たちはこの問題を他の言葉で言い換えることにした。

 反対に、フランスでは

相対的に福祉国家が根強く存在しているので、国民の共同体がいまだに意味を持ち続けている。

社会保障が弱くなるにつれてメディアは空白を埋めるように文化的結合を振りかざすようになった。

 米国とフランスのメディアは

経済人種差別の問題を掘り下げることなく

移民をめぐる治安や安全の問題(2000年代に米国報道の62パーセント、フランス報道の45パーセント)、

それに移民の“人道的”側面(同時期で米国報道の64パーセント、フランス報道の73パーセント)へと傾斜していった。

この二種類の報道はドラマチックで、しかも単純で視覚的だったので←W。マスコミニュース報道の原型は犯罪ストーリーである。ドッド、ギトリン。W、相手にしなければいい!見ざる聞かざるだ。

移民に敵対的であるか好意的であるかは別として、民間団体や国家機関の表現の仕方と一致した。そうした報道は商業的要求と政治的要求の二つを満足させた

W。グローバル資本制の進展によって、政府の税徴収能力が後退し、富の国民への分配機能が低下ると、政治家は我が身の価値を維持するために安全や治安というホッブス次元の原始的な耳目を包める方向に国民を誘導する。主導する政治家と反応する国民双方の本能が呼応する。

 移民の増大と犯罪低下 岡部の海外情報より

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不法移民を誹謗する報道は、新聞社やテレビ局にとって金儲けのための常套手段になった。

社会学者のトッド・ギトリンが書いているように、「ニュースの原型は犯罪ストーリー」だからだ。

治安のテーマは説明を必要とせず、ショッキングな映像を伴って報道される。暴動、警察、国境警備隊、武器、追跡逮捕劇などだ。

      だがもうひとつ別の理由がある。

   W記者クラブ制度は日本だけではなかった?

W。一次情報を得るためには政府官僚系にすり寄る必要がある。すり寄ったら感化される。

>フランス人ジャーナリスト、それに米国人ジャーナリストも、内閣、役所、行政、警察など公的なニュースソースに頼っている。それゆえジャーナリストたちは、国家の代表者や政治的指導者たちの意見に同調しようとしてしまう。W。ミイラとりがミイラになる?ちがうだろう!もともとそういう連中が選抜されてマスコミの門をくぐる。

政府はしばしば移民を治安に対する脅威とみなし、メディアも追随することがある。

9・11テロ後の2002年、民主党共和党の議員は“安全”のことしか口にしなかった。

この時、治安のテーマはニュース全体の64パーセント占めたが、

2004年には53パーセントに下がっている(1994年と同じ数字)。

だが不法移民を法的に規制するHR4437法案~W。「移民法の強化、国境警備の増強などのための『移民および国籍法』改正法案)ビザなし移民およびその手助けをする人は重罪人。砂漠を歩き続けて国境までやってくる人々に水を差し出す活動をしているNGOの学生が、ビザなし移民に手助けしたとして重罪判決を下されたりもしています~が採決された2005年には62パーセントに上昇した。

フランスで

治安のテーマは1980年初めに姿を見せるようになった。

それは1990年代に頂点に達した“郊外の危機”をめぐる言説と関連しており、二つの主要政党がこの問題を取り上げた。

1991年社会党のエディット・クレソン首相は飛行機をチャーターして不法移民を国外へ追放するとまで公言した。

2000年代には

政府が移民統合へと政策を修正するにつれて、治安に関するメディア報道は減少した。

数々のアソシエーション(NGO)のおかげで、人道的アプローチは米国とフランスにおいて徐々に広まっていった。

治安のテーマ同様、人道的内容の報道は支持を得やすい。

米国では治安のテーマは当事者に焦点を当てたインタビューの語りにぴったりでマスコミ受けしやすい。こうした手法はメディアに頻繁に登場し、移民の体験を効果的に再現したり、読者や聴衆に知られざる階層の存在を気づかせたりしている。

このアプローチの最も有名な例は恐らく、エンリケの旅』だ。

揺れる移民の国 第二章 母を尋ねて数千里 - 一人ひとりが声をあげ ...

>とは言ってもこうしたアプローチでは移民の生じる背景は何も説明されてはいない。

確かに読者はエンリケが経験した試練だらけの冒険を細部まで生き生きと追体験することができるが、そうした冒険がどうして始まったのか、その冒険は避けることができなかったのかについては何も知ることができない。

ジャーナリストは

世界の経済機関と西洋諸国の外交・通商・社会政策が、

「南」の国々からの移民を助長しているという事実をもっと報道すべきだ。

米国はどうかといえば

ガテマラ、エルサルバドルニカラグアで紛争が起きた時に25万人の犠牲者が出たが、米国が訓練し資金援助し武器を与えた部隊がそのほとんどを殺害している。

1980年代、エルサルバドルから米国への移民10万人弱だったが、

戦争や混乱が収束した10年後には50万人に達した。

現在は100万人を超えている。←W。自国への絶望と実質的に宗主国になったUSAへの移動欲望だろう。内戦は勝者と敗者を生み出すのだから勝者主導の国家再建には無理がある。いまのUSAでは大規模援助は内戦勝利まで。

  米国政府の通商政策もこうした大量の移民の一因となっている。

1993年に(クリントン大統領が)署名した北米自由貿易協定 - Wikipediaによって、メキシコ人労働者の生活や雇用はよくなるどころか貧困と労働の不安定さは悪化の一途をたどり、農村地域を含む住民の多くは国境を越えて移民になった。

>米国企業はこうした移民労働者を受け入れるベースをつくった

工業やサービス業は労働条件を、

低賃金でしかもわずかな手当しか受けられない“フレキシブル”雇用へとシフトした。

精肉業や繊維業、建設業、飲食業、ホテル業は、

米国人労働者を解雇し、低賃金で雇える不法移民に切り替えた。

労働法が厳しくなるにつれ労働に対する魅力は低下しているが。

同様の問題はフランスでも議論されている。

フランスは旧植民地に対して不公平な関係を維持しているが、マグレブやアフリカ・サハラ以南からの多くの移民は不公平が生み出した経済的・政治的問題によって故国を捨てなければならなかった。

アフリカの深刻な沈滞が移民の大量脱出を促進している。

空に届くほど高い壁を張り巡らせようとも止めることはできない」とアムネスティ・インターナショナルの研究者であるアルセーヌ・ボルヴィは語る。

多国籍企業の陰謀、武器売買、資源の支配、フランスに支えられた独裁的な政府…これらすべてが飢餓と戦争に駆り立てられるように人々を命がけの脱出へと向かわせている」

   メロドラマ仕立てでストーリー

そういう描き方はイデオロギーにまみれデリケートな議論を引き起こす。

なぜならこれらのモチーフは、大概の政治家やジャーナリストが当たり前のこととして受け止めている現行の経済社会システムにおいて不正義あるいは欠陥が存在していることを示唆することになるからだ。

     米仏この違いはどこから来るのか

フランスの知的で政治的な文化の中で醸成されてきた反グローバリゼーションの流れが最大限に姿を見せることでとりわけ説明される。

1970年代初頭から2000年代にかけて新自由主義的グローバリゼーションが強化され、米国の中米における裏工作で起きている紛争が中米を戦火と流血の場と化した。

この結果、移民となる国際的な背景についての報道は、30パーセントから12パーセントに減少した。

2000年代のフランスの新聞は1970年代同様、移民報道に関する記事の3分の1を国際経済に充てた

それにしてもフランスのメディアも米国のメディアも

移民問題についてステレオタイプでワンフレーズな報道を繰り返し、

不完全な全体像しか示してこなかった

感情に訴えしかも個人的な当事者性を強調したメディア報道には本質的かつ政治的な考察が欠けている。

こうした問題の取り上げ方は

極右が主張している短絡的な“解決策”の土壌をつくってしまうことになる。

W。日本ではまだ、移民問題に関する感情に訴えしかも個人的な当事者性を強調したメディア報道はリアル感がないが、ヨーロッパアメリカの報道がそうなっているという現実は知っておく必要がある。

しかし、日本メディア報道も感情に訴えしかも個人的な当事者性を強調したメディア報道は常套手段であり、最も得意とするところである。おそらく米仏よりもっと情緒的にやる。

当事者性や当該アイデンティーに寄り切った報道と政治は結果の出口が良くない異なった立場の人たちとの全人民的つながりが獲得できない。

不幸は政治解決の対象になるが不条理は個々の問題である。

同時に個々の主体のパワーの源泉ともなるが、政治の場で解決する領域ではない。

解っていない人々の政治は稚拙である。