資本主義的発展と宗教倫理および個人主義との関係 ― 主要論争の概観 ―大和正典
3.資本主義的発展と個人主義との関係
A 資本主義の型と個人主義の強さとの関係
私有財産、自由企業、市場メカニズムという同じ要素を基本とする資 本主義であっても、みな同じ型ではなく国によって異なる制度的特徴が みられる。
制度は人々の思考行動様式つまり文化を反映するものなので、 その意味で異なる資本主義文化が存在するといってよい。
>フランスのミシェル・アルベールは、著作『資本主義対資本主義』の なかで、現在の資本主義の型を米・英のアングロサクソン型と北欧・独・ 日などのライン型とに大別し、その特徴をつぎのように説明している。
アングロサクソン型は短期収益、株主、個人の成功を優先するのにたいし、
ライン型は目標における長期的考慮、資本と労働を結びつける社会共同 体としての企業を優先する、と 。
イギリスの社会学者ロナルド・ドーアも、『日本型資本主義と市場主 義の衝突』(WジャパンアズNO1の時代。政策勘違いの始まり。)の時代において同様にアングロサクソン型と日独型が存在するとし、 違いをつぎのように説明する。
第1に企業のあり方について、英米では 企業は利潤追求の道具で株主のものであるのにたいし、日本では企業は 一つの共同体で、それに関わる利害関係者(ステークホールダー)全体 のものさらに強調すれば従業員のものである。
第2に企業間取引のパター ンも、英米では流動的で競売市場的な関係であるのにたいし、日本では 供給業者とのあいだに長期的な関係を結ぶ傾向が強い。
第3に競争についても、英米では敵対的競争が主流であるのにたいし、日本では協調関 係にかたむく傾向が強い。
第4に政府も、英米では規制し審判する役割 を担うのにたいし、
日本では開発しときに救済する役割を果たしている。
制度ではないが第5に、英米におけるより日本ではモノ作りの生産に価 値をおく「生産主義」が強い 。
これらの点で、日本の近隣儒教国家を 別とすればドイツがもっとも日本に近いが、その原点は不確実性を除去 するためのより制度化された構造と生産主義にあるとし
>ドイツが日本 とたしょう違うのは、株式市場の重要性がさらに低く、労働者の企業と の一体化が弱く、所有者・経営者・労働者の共同決定の仕組みが慣行で はなく法制化されていることだという 38)。
> 現在、ライン型ないし日独型もアングロサクソン型化しつつあるよう だが
>経済発展との関連についてのみコメントし ておきたい。
すくなくともこれまでの非常に長期にわたる実績では、ラ イン型・日独型が劣っていたとはいえない。
ドーアの見解
>、もっとも大切な国全体 の技術革新システムについてつぎのように述べている。アメリカ型では 才気あふれる大学院生と個人的な利益追求に明け暮れるベンチャー企業 とベンチャーキャピタル、その成果を実現化する株式公開によって、技 術革新が進められる傾向があるのにたいし、
>日独型では大企業の研究開 発、資金供給、商品化によって技術革新が進められる傾向がある。
それではこのように型の違う資本主義はどうして生まれたのか
第1に、英米人はつねに再選択の余地を留保しておくのにたいし、日本人はそれを犠牲にしても長期コミッ トメントに入る。
第2に行動の選択において、英米人は自分や身近の個 人に直接利益になるかどうかで決めるのにたいし、日本人は長期コミッ トメントのゆえに社員・顧客などさまざまな他人の福利を優先する 。
これらの性向は換言すると、個人主義と社会や国家といったコミュニティ にたいするコミュニティ意識のいずれが強いのか、またいずれをより望 ましいと考えているのかのイデオロギーと結びついている。
それはドー アが『21世紀は個人主義の時代か』で指摘しているところである
この個人主義が強い資本主義がアングロサクソン型であり、反対にそ れが弱くコミュニティ意識の強い資本主義が日独型となる。
多くの人が 指摘しているように、アメリカとイギリスのあいだでもイギリスのほう が個人主義が弱くコミュニティ意識が強い。
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W.マルクス「資本論の舞台は19世紀産業資本主義段階という歴史限定性のあるイギリス資本主義」であり、アメリカ発の資本主義は原住民しかいなかった「歴史性のない」処女地とすでに高級技術を会得した西ヨーロッパ移民流入人口増を基礎とした開発資本主義という特異形態。従って経済制度も個人主義イデオロギーも峻別しなければならない。
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同様に日独型のなかでも、 先に指摘したようにまず日独間に違いがあり、さらにスウェーデンほか の北欧諸国は協同組合機構が完全に制度化されていて、ドイツとも違う 強いコミュニティ意識をもっているということができる。
>なおドーア は、日本の「生産主義」を儒教の影響によるとしてつぎのように指摘した。
江戸時代に農業生産に価値をおく農本主義が生まれ、それが現在まで生産 を重視する生産主義として残っているのは儒教的伝統による、と 。
し かしこれではドイツの「生産主義」の原因を説明できない。
生産主義は むしろ、強いコミュニティ意識すなわち弱い個人主義を形成した諸原因 のほうに起源があると考えるべきであろう。
なぜなら、コミュニティ意 識型にみられる長期コミット志向かつコミュニティ全体利益優先は、市 場主義より生産主義につながるからである。
ではコミュニティ意識と対立する個人主義とはどう定義できるのか。
ドーアは、反権威主義、自立主義、コミュニティと情緒的に一体化され るのを拒む情緒面での非集団主義、自己利益追求主義などと定義できる としている。
同時に、コミュニティの判断基準をそれを構成する個人に おくか
個人を超えたコミュニティにおくかによっても定義できるとして いる 。
いろいろな見解を総括すると、
コミュニティにたいして自立的で相互に平等な単位としての個人を認め、その解放、自由、独立、さら にその権利や利益追求を認める意識ないし見解、を個人主義と定義すれ ばよいであろう。
この定義の前半部分は一般に自由主義とも定義されて いるものなので、個人主義はそのなかに自由主義の要素が大きな位置を 占めるし、自由主義の助けを必要としているといってよい。
個人主義が 強ければ、まずその個人の属するグループ内で政策決定に合意が得られ ないし、得られてもそれぞれのグループが利己的・短期的な要求をして、 コミュニティ全体の福祉と長期的な利益の達成が難しくなろう。このよ うに個人主義とコミュニティ意識とは対立するので、個人主義の強さで 両者のいずれ~。
個人主義の強さと資本主義的発展との関係 では
個人主義の強さが国によって異なるのはどうしてか。
それを探る には個人主義が生まれた起源にたち戻らなければならない。
個人主義の起源については、ヨーロッパではずっとキリスト教それも プロテスタンティズム、なかでもカルヴァン派の教義に起源があると考 えられてきた。
この考え方は先のマックス・ヴェーバー仮説にかんする 富永の解説でも主張されていた。
すなわち来世に救いが予定されている かいなかは、
他人を当てにできないばかりか呪術や儀礼にも頼れないの であって、もっぱらおのれ個人に帰せられるとされる からである。
個人主義の起源を初期キ リスト教徒とその世界に求めている。
なぜならキリストの教えにしたが えばキリスト教徒は「神との関係における個人」であり、
そこには絶対 的な個人主義と絶対的な普遍主義があるからである。
ただ同時に個人は 現世的社会秩序にしたがわねばならないとして、個人主義は「世俗外個 人主義」にとどまっていた。
その点ではインドの現世放棄者と大きくは違わない。
その後中世に教会が世俗を統治するまでになって、
>精神は現 世をも支配すると考えられるようになり、「世俗内個人主義」が芽生えて きた、と。「世俗内個人主義」が完成したのは、16世紀半ばの宗教改革、 とくにルターの教義をより徹底させたカルヴァンの神政政治によってで あった。
しかもカルヴァンの神は人間を神の意思として認めそれを予定 説で表現したので、これで個人主義が確立した、としている 。
この考え方を推し進めると、プロテスタンティズムの分布によって、 西ヨーロッパにおける個人主義の強弱分布が判明することになる。
たし かにカルヴァン派が浸透したのは、先述したように現在のフランス北部、 オランダ・ベルギー、それにイギリスと彼らの移民により建国されたア メリカである。
ドイツ、北欧諸国ではルター派が浸透した。
たほうフラ ンス、ベルギーではカトリックの巻き返しにあい、残りの諸国ではカト リック支配が存続した。
しかしこれらの分布は個人主義の強弱の分布と 重なる部分もあるが、そうでない部分もある。
デュモンは、ドイツの個人主義について先述のトレルチを引用してつ ぎのように分析している。
ドイツでは、個人の社会における従属は一般 に正常かつ必然的なものと認識され、
>個人主義は純粋に内的な個人主義 でとらえられるだけで、個人をとり巻く全体論(ホーリズム)が受容さ れている。
これはルターの思想の延長上でもありそれを超えてはいない。
つまりドイツ的個人主義は、共同体さらには国家の平面では全体論が占 め、文化および個人的な創作活動で個人主義が占める、という配置で認 められているにすぎない。
この配置は 19 世紀と 20 世紀はじめまでは安 定していたが、危うい均衡で保たれたものであった、と 。
デュモンは15 - 16 世紀のルネッサンスの影響も重視する。
古典古代 への関心が、
宗教の庇護から独立した新しい人文主義のなかで自己を主 張させるようになり、
また都市国家共和政のモデルを見出したことで国 家ないし社会をどう創立するかを考えさせた。
それはいっぽうで、1つ の国家のなかに複数の宗派が存立する状態から」個人の信教の自由を認め ざるを得なくさせ、自由の理念を確立させた。
たほうで、国家ないし社会の創立の原理を考えさせ、自由な自立的存在としての人間の固有性を 認識させた、と。
さらに個人と国家ないし社会とを結びつける中心的手 段としての「契約」の理念が、ホッブズ、ロック、ルソーらによって17 世紀に考察され18世紀に社会に浸透していったが、この啓蒙思想が個人 主義の理念を強め広める役割を果たした。
そして個人主義の政治的完成 は、
イギリスのピューリタンによってアメリカ植民地で展開され発展・ 定着した信教の自由と人権思想が、18世紀末にフランス革命の「人権宣言」 へと引き継がれたことで達成された、と 。
「ウォーレンは、富裕層により多くの課税をすることは「階級闘争」となるのではないかとの意見に対し、
他階級での経済基盤なしではアメリカでは誰も富裕層に入れないと指摘した。
この国では自分の力だけでは誰も富裕層に入れない。誰も。あなたが道端で商品を売り、我々の中の誰かが買い取り、あなたは我々の中の誰かを雇い教育費を支払う。
我々の中の誰かが支払った税金により警察署や消防署が守ってくれるため工場は安全を保つことができる。我々の誰かを警備に雇えば工場での強奪の心配もない。
今あなたが工場を創立すれば、大失敗するかもしれないし逆に大成功するかもしれない。努力を続けるべき。しかし社会契約の基礎の一部として、富を得たなら協力してくれた人々にお返ししなくてはならない。 」
アジアにおける儒教の影響はどうとらえたらよいであろうか
先述の 森嶋は、儒教では「仁」、「信」、「忠」の徳目が重視されているが、
その 重視のされ方は中国、韓国、日本では同一ではないとしている。
すなわ ち日本では「仁」が軽視され代わりに「忠」がもっとも重視され、
しか も「忠」の意味が、中国では自分自身の良心にたいする誠実とされてい るのにたいし、
>日本では主君に専心尽くすこととされている、と 。
こ れから示唆されることは、中国では儒教も個人主義のほうに味方したの にたいし、
日本では儒教は個人主義に否定的であったということである。
>以上は理念ないし意識の発展が個人主義を発達させたとの説であるが、
>これにたいしては「存在が意識を規定する」との因果関係からの説がある。
イギリスの政治哲学者ジョン・グレイは、17世紀末啓蒙思想家ロック の思想の特徴を、人格の独立は法的に保障される私有財産が前提になる という私有財産制の重視にある、としている。
また18世紀の思想家にし て経済学の父となったアダム・スミスの思想の特色を、商業の自由が政 治的自由を保障する前提になるという市場主義と、
社会制度は個々人の 行為の結果であるという個人主義の強調にある、としている 。
そして つぎのように説く。
「私有財産はそのもっとも根源的形態における個人の 自由を具現するものであり、市場の自由は人間の基本的な諸自由の不可 分の構成要素をなしている」。
なぜなら、私有財産がなければ個人は自由 人、自律的行為者となり得ないし、
競争的な市場がなければ、個人が自 由な選択をしまた他人の自由選択も認め、
さらにそれらのけっか社会の均衡が得られるという保障がないからである、と 。
この考え方は、デュモンが重視したルネッサンスや啓蒙思想はじつは 経済発展に起源があったのではないか、と想起させるものであろう。
そこで個人主義の発達度合いは私有財産制と市場経済の発達度合いに 依存すると考え、
私有財産制と市場経済の発達が個人主義をいつ芽生え させたのかの歴史をたどってみよう。
すでに述べたように、一般的には 私有財産権と市場経済の発達はヨーロッパで16世紀にはじまったとされ ている。
しかし先述のイギリスの歴史人類学者マクファーレンによれば、 すでに詳しく紹介したように、
>イングランドでは13世紀から私有財産制 と市場経済が存在したことになり、
その帰結として13世紀の社会は個人 主義化した社会であったとのことであった 。
>個人主義の発達が私有財産制と市場経済の発達つまりは資本主義的発 展に依存していたとなれば、
①イギリスで個人主義が最初に発達し、
②それ はまたアメリカ植民地形成の事情からアメリカでさらに発達し、
③たほう イギリスで最初に資本主義が生まれ工業化が自生的に達成されたことの 説明がつく
>と同時に、これらの長い歴史を経ずにあとから国家によっ て資本主義化・工業化が推進された国では、
資本主義の浸透によっては じめて私有財産制と市場経済が発展し、そのけっかとして個人主義が発 達した、と考えることができる。
たほうマクファーレンの研究でも、
>私有財産制と市場の発達に
家族の 構造や財産相続にかんする制度が関係していることが示唆されていたが、
> たしかに家族の構造にかんする制度が夫婦と未婚の子供からなる核家族 型(W。一番古い家族形態が大陸の端に残った)か、
>それとも、それに夫または妻の親を加えた直系家族型(W。2番目に古い家族形態)やさらに夫 婦の兄弟ほかの親族も同居する共同体家族型までを意味する複合家族型(W。一番新しい当時としては機能的な家族形態) かによって、
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W.資料 あほ、バカ日本列島分布図。阿呆が当時の先進地域近畿圏で中国南部から移入されバカを周辺に退かせた。
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>個人の自由と権利にかんする意識の芽生えは大きく左右さ れるであろう
若者になった子供を奉公に出す習慣があるばあいには、 個人主義はいっそう芽生えやすいであろう。←W初耳だ!人身売買にちかいものなんだろうな。古代ギリシア、ローマは奴隷社会。中世の奴隷貿易、奴隷労働によってヨーロッパの富は蓄積された。資本主義の本源的蓄積はジェントリーの農地囲い込み農民プロレタリア化だけではなかった。
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それゆえ核家族型では個人主義が強くなり、←W.古い原始的家族形態だからこそ、個人は無防備になるから個々人は自分自身を防衛しなければならなかった。
直系家族、複合家族は集団自衛武装できるし、移動性のある戦争にも大集団を維持できる。
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複合家族型ではコミュニティ意識が強くなると考えて よかろう。
たほう財産の相続制度が、子供のあいだで不平等(ないし不分割)相続制度のばあいには、
>親子間、兄弟間のつながりが薄くなって 個人主義的となり、
平等(ないし分割)相続制度のばあいには、
彼らの あいだでコミュニティ意識が強くなると考えてよかろう。 この仮説を明確に主張する研究はまだないが、前述のマクファーレン の研究はこれを示唆している。
フランスの歴史人類学者エマニュエル・ トッドも、『新ヨーロッパ大全』Ⅰにおいて、核家族型・複合家族型と財 産の不平等相続型・平等相続型の4類型に分けて、
それらを親子間で権 威主義的か自由主義的か、
兄弟間で平等主義的か不平等主義的か、と関 連づけて分類をしている が、これも間接的ではあるが上の仮説が間違 いではないことを示していよう。
トッドの研究によると、核家族で不平等相続の型はイ ギリス、デンマーク、オランダで支配的であり、
核家族・平等相続型は フランス北部、スペイン中央部で支配的である。
複合家族・不平等相続 型はスウェーデン、フランス南部、ドイツ北東部で支配的であり、
複合 家族・平等相続型はベルギー、ドイツ南西部、イタリア中央部で支配的 である 54)。
アメリカでは当然イギリスと同じ型が支配的である。
これら の分布と個人主義・コミュニティ意識の強さの分布とは主要国でみると 大体において重なっているといえよう。
歴史人口学者のピーター・ラスレット
らが教区登録簿によっ てたどったことからはじまったもので、その後各国で同様の研究がなされ るようになった。
彼は『われら失いし世界』で、イングランドでは16世 紀からすでに核家族型が支配的で若者奉公が一般的であったことを示し、
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W.トッド説とちがう。イギリス封建領主(ジェントリ自営農民が大量に存在していたことからも分かるようには大陸ほど大土地所有でなく、使用農民の土地離れは進み否応なしに家族形態で最も身軽で小さなユニットである核家族化する。ジェイントリーの生活形態も半分は都市型であり、核家族化する契機がある)
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ロシアで複合家族型が支配的であったのと好対照をなしていると述べて いる 。
トッドもイタリア中央部の家族構造は15-19世紀のあいだずっ と複合家族的であったことを示し、
西ヨーロッパの家族構造は昔からつ づく安定したものであったのではないか、としている 。
日本では、先述の速水が『歴史人口学から見た日本』。
兵農分離が確立した江戸時代の17世紀に、それまでの複合家族型が核家 族型ないし直系家族型に変わり、それが18世紀後半の経済社会の発達で 小規模家族経営が進行して定着した。
それとともに若者を奉公に出す型 も一般的になった、と 。
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W.奉公が進んだ制度のように思えるが要するに生産力は発展し生産人口は増えたがそれに見合った土地扶養力がなく仕方なしに都市にで出稼ぎ奉公に出たが都市側にも家族を持てるほどの扶養力はなかった。現代日本と酷似している。
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イギリスほど古くからではないが、20世紀の 日本の家族制度は18世紀から現れていたことになる(W。18C半ばから人口停滞が始まる。拡大家族から分離した自営農民の耕地面積拡大の限界もあり生産力発展の限界にぶち当たった。また間引きによる直系家族維持は中心部の周辺で恒例化した。)いずれにしても現 代の家族構造や財産相続にかんする制度は、現代に生まれたのではなく かなり昔から形成されていたものと考えてよい。W,日本に平等的民主主義の理念はかのうか?おしゃべりな独裁ではないのか?
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以上を総括すると、
W。日本人の悪い癖、折衷主義になっている。所詮、このような個人主義に対する見解は、すっきりさせることが必要。存在が意識を規定するのか意識が存在を規定するのか。
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個人主義の起源はプロテスタンティズムにも求め られるが、私有財産制と市場経済の資本主義的発展、さらには家族の構 造と財産の相続にかんする制度などにも求められるということになる。
しかしすでに2のところで論じたように、プロテスタンティズムに私有 財産制・市場経済の発達が先行したということもでき、すくなくとも両 者は相互作用しながら発達したのではないかと考えられた。
また家族・ 相続制度が私有財産制・市場経済発達と関係があったことが、マクファー レンによって暗示されていた。したがってこれらのいずれかに起源を求 めるより、これらが相互に作用しながら個人主義を発達させたと考える べきであろう。
では、資本主義的発展が完成し個人主義が十分に発達した現在の個人 主義の強さは、何に起因すると考えればよいのか
それは、それぞれの 発展経路が生みだした資本主義の型によって大きく規定されたもの、と いうことができよう。
ただし現在の北欧諸国で協同組合主義が強いのは なぜかとなると、彼らの発展経路が生みだした個人主義の強さ弱さのほ かに、人口の規模や流入度、社会の階級などによる分裂の度合い、教育水準なども影響しているように思われる。それゆえ、現在の資本主義の 型と個人主義の強さとの関係も一義的なものと考えると間違っていよう。
むすび マックス・ヴェーバー仮説の第一の理解者である大塚、富永によれば、 彼の仮説の要点はつぎのようなものであるという。
16― 17 世紀に資本 主義が生まれるにさいし、勤勉に働いて合理的な営利追求と資本形成に 励む近代資本主義の精神が力を発揮したが、それを育成したのは、16世 紀半ばの宗教改革でルターの天職思想を徹底させたカルヴァン派などの 禁欲的プロテスタンティズムである。
とくに来世に救いが予定されてい るかいなかは、純粋に神のみの決断によるものであり、その自己確信を 得るためには実際の生活における禁欲、つまり「世俗内的禁欲」に徹し て職業労働に励む以外ない、という予定説が近代資本主義の精神を育ん だという。
>ほかにも批判があるがより根本的な批判として、
そのような倫理ない し行動は
私有財産制や市場の発達といった資本主義的発展のけっか、
そ れを担ったブルジョアないし資本家の経済的実践を正当化するように作 りだされたものである、とのマルクス主義者ほかからの批判がある。
つ まり「存在が意識を規定」したのであって、
>禁欲的プロテスタンティズムと資本主義的発展との因果関係は逆ではないかというのである。
いっ ぽう資本主義的発展が禁欲的プロテスタンティズムに先行したとしても、 その時期は16世紀ではなくイングランドのばあい13世紀にさかのぼる、 との説がマクファーレンによって出されている。
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W.イギリス封建社会の特徴、アングロサクソン系やケルト系の土着民の土地所有をノルマンコンクエストは一掃できず、共存したのでヨーロッパ大陸ほど大土地所有が発達しなかった。従って農民分解の契機が付きまとうし分解は早まり、最も小さな家族単位である核家族に変転する。
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「どうも日本人が使う「個人主義」は、困っている人を放置してそれで良しとする「selfish(利己的)」に意味合いが近いように感じられます。本来、英語で言う「個人主義(individualism)」の意味とは、集団に所属する一員としての役割や権利を相互に尊重しあう立場のことで、「私利」が「他利」に優先されるというワガママを容認してしまっては成り立たない概念です。」W.野球の外野スタンドの集団応援スタイル、いくらなんでもあの集団喧騒は行き過ぎで、グランドの出来事をじっくり見て野球を楽しみたい個人の権利圧迫じゃないのか。
「特に米国は、多民族の国です。人種も違う。宗教も習慣も、思考回路も違う人が職場に集まれば、最初に待っているのは混乱です。しかし、だからこそ仲間に関心を持ち相互理解を深め、「他利」を「私利」に優先させなければ仕事にはならないのです。対照的に日本人は互いの常識を「暗黙の了解」で共有できる極めて同質性の高い社会で生きてきた結果、コミュニケーション・コストを軽視してきた経緯があります。誤った解釈で輸入してしまった「個人主義」という言葉は隣の席で困っている同僚を助けることができないほどに個人を組織の中から孤立させてしまったのではないでしょうか。」
引用終わり
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アジアにおける宗教倫理と資本主義的発展の関係に転ずると
ヴェーバーは儒教、仏教とも資本主義の精神たりえないとした という。
それにたいし日本でも一部宗派に禁欲的倫理があったという反 論を紹介しているが、一部でしかないのなら反論にならない。
たほう日 本における勤勉の倫理は、
宗教からではなく18世紀の市場経済の発展から生まれたものだとの説が速水によって出されている。
富永・森嶋説は、 日本のばあい資本主義的発展は、江戸時代に成立した経済社会の土台が あったとはいえ明治以降の上からの近代化によるもので、そこではナショ ナリスティックな日本型儒教が大きな役割を果たしたという。
日本以外 のアジアにおける近年の資本主義的発展にたいしても、儒教の影響によ るとの説が有力である。
それをサーベイしたアーナソンによれば、その 論拠は、儒教が学業成績を基盤とする階層制度によって合理化と「改造 の潜在力」をもっていたことで、これによって儒教はけっかとして資本 主義的発展をもたらしたという。
ヴェーバーの論拠と異なる論拠でヴェー バー仮説と逆の結論を導くことになったわけである。
定説に求めるのが通説となっている。
たしかにヨーロッパにおける個人 主義の強さの地域分布はキリスト教の宗派の分布と近似している。
たほ う、ロックの啓蒙思想にみられるように個人主義発達の根源には私有財 産制と市場の発達があった、とのグレイの説も認めざるをえない。
デュ モンも、個人主義を発達させたもう一つの要因として 15 ― 16 世紀のル ネッサンス、17世紀末の啓蒙思想をあげたが、それらにも経済発展の影 響があったのではないかと考えられる。
私有財産制と市場が発達した時 期、したがって個人主義が発達した時期については、前述のとおり16世 紀ではなくイングランドのばあい13世紀からとの説が出されている。
>個人主義の強さは、
家族が核家族型か複合家族型か、
財産の相続が不 平等相続型か平等相続型かの近代家族制度にも影響された可能性がある。 ←W.当たり前のことなんだけど。
それは、トッドが示したように、近・現代のヨーロッパにおけるこれら の型の分布が個人主義の強さの分布と近似しているからであるが、その ような家族制度がどう形成されたのかとなると、現段階でははっきり示 すことができない。
たほう資本主義が完成し個人主義が十分に発達した←W?現在の個人主義の 強さとなると、
>それはそれぞれの歴史的過程を経て形成された資本主義 の型によって規定されたものであろう。