反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

第1回まえせつ。参考資料、日本の産業の立ち位置2本。真昼の盗人のように~ポストヒューマニティ時代の権力~スラボォイ、ジジェク。

 久しぶりある本を買うために大きな本屋に行った。探しているときにタイトルが気になって中身をめくってみると、自分と同じ問題意識を共有している、とわかった。図書館で借りることも頭によぎったが、100%順番持ち、しかも長い間。買えば書き込みができる。

現在読書中。分厚い本である。読了まで時間がかかる。

途中感想。問題意識は鋭い。しかしカテゴリーとしてはセンスのある政治評論の域を出ていない。

分厚い本のわりに問題意識が体系化されていない、散漫。濃いところと薄いところのばらつきがあり、自分にとって必要な凝縮された問題意識の部分の探求が足りない。

凝縮された問題意識、課題が連続し体系化されたとき、核は連鎖し爆発し行動を呼び起こす。

 それにしても戦後世界体制の残存する東アジア情勢の影響力と半圧縮近代の政治経済を特質とする日本の現状に比べて欧州、アメリカ情勢は、1970年代以降の資本主義の進展による政治経済矛盾の先鋭化というべき事態である。

遅れたものが先に進み、やがて先に進んだものの遅れが目立ってきた、と今の日本と世界の情勢を抽象的に評価できる。 

 戦前の日本と世界の関係もある意味、そういう風に進展していったのではなかったか。

反俗日記において当時の日本の民需蔑ろ軍需最優先の政治経済体制を鉱工業生産指数ワシントン条約における英米に次ぐ戦艦建造枠確保の大きな差異の行き着く先を明示した。(それでも国内世論は不満で32年5,15事件→36年2,26事件と傾斜し中国戦線は拡張された。)

1930年代世界恐慌に対して財政金融膨張政策を主導し一定の成功を収めた高橋是清は36年2,26に決起した陸軍連隊の将校によって斬殺された。

財政金融膨張戦略の主要な消費先は中国戦線の軍拡であり、この方向は国民世論の支持を得ていたが、金融財政政策の火急の課題は<出口戦略>であり、その実行の途に就いたとき決起した青年将校の標的になった。

 他方こういった金融財政拡張の高橋是清路線は満州国外への中国戦線拡張=米英仏の日本包囲網による物資不足に至るまでは人手不足の好景気に沸いていたのであって、この点において戦前暗黒史観を批判した。反俗日記において当時の都市庶民レベルの消費生活風景を取り上げた。

 グローバル資本制段階の特化された性向の進展を背景に広域経済圏政治圏と国民国家、 国内階層分解を起動力とする政治の矛盾も深まり、その状況に即応する形で政治潮流の劇的な再編や従来の政治思想の在り方が鋭く問われている。

 参考資料1

引用 W。客観事象に過ぎない経済でナショナリズムを称揚するのはお門違い

英米と世界的金融化の歴史が違う。

「日本は現在、世界最大の債権国となっており、2018年における対外純資産残高は約342兆円もある(←W。日本の1年間のGDP約500兆円、政府予算約100兆円。大した額じゃないよ!本質は自転車操業違うかな?だから窮屈な世の中になっている。)このところ日本経済の弱体化が指摘されているが、必ずといってよいほど出てくるのが、世界最大の債権国なのに貧しいわけがないという奇妙な反論である
 対外純資産が大きいことは、過去の経常黒字が大きかったことを意味しているが、それが直接的に国が豊かであることを示しているわけではない。

日本は徹底的に債権国としての立場を利用すべきと筆者は考えるが、債権国だから日本はスゴいという短絡的な発想は危険である。

時代の変化や経済構造の転換で債権国は容易に債務国に転じることもあるし、逆もまたしかりである債権国としての立場は、あくまでも利用すべき材料であって、精神的な支えではない。

「日本メーカーは輸出によって直接外貨を得るという方法ではなく、現地生産に切り換え、現地法人への投資というかたちを通じて、外貨を獲得する構造に変化しているのだ。
 これが、世界最大の債権国である日本の実状ということになる。」

「海外投資は証券投資と直接投資に大別できるが、直接投資の多くはメーカーの現地法人である。つまりコストダウンを目的にアジアなどに工場を移したことが直接投資が増えた主な理由ということになる。どんなにコストダウンを行っても、最終的には新興国がさらに安いコストで勝負してくることは明白なので、残念ながらこうした直接投資には永続性がない。W。ドイツを見習って高付加価値商品開発を!の流れも上手く機能していないようだ。
 永続性がある直接投資は、サントリーによる米ビーム社の買収に代表されるような海外M&A(買収・合併)である。」

    目下最大の懸念材料は貯蓄率の低下である。

理論上家計や企業の貯蓄は、投資が一定の場合財政赤字と経常黒字に対応している(貯蓄投資バランス論)。もし、なんらかの理由で貯蓄が減少した場合には、財政赤字を減らすか経常黒字を減らすかたちでしか辻褄を合わせる方法はない。」

家計の貯蓄が減った代わりに企業は内部留保を蓄積しており、貯蓄の主体は家計から企業に移っている。現時点では、これが財政赤字をカバーしているが、企業が内部留保を取り崩せば、緊縮財政に転じるか、経常黒字を犠牲にするしか選択肢がなくなってしまう。W.単純な国内消費拡大政策は後者に結果する。日本的保守の制度を大幅に変えることが先決ではないのか?
 この状態は基本的に持続不可能なので、このまま何もしなければ、日本は早晩、対外債権の取り崩しを迫られる可能性が高い。対外債権が減少すれば、投資収益も減るので経常収支は赤字となり、最終的には外国からの借金に頼ることになる。
 結局のところ、なんらかのかたちでフロー(GDP)を増やさなければ、国は豊かにならないし、ストックである対外債権を取り崩す結果となる。債権国だから豊かなのだという幻想は捨て、一刻も早く国内消費を回復させる手段を講じる必要がある。」

********************************

参考資料2

JDI、倒産も現実味…日本政府の産業政策失敗で韓国へ技術流出、日本企業の衰退招く (2019年6月20日) - エキサイトニュース

W。液晶などは先端産業部門に見えて所詮、汎用品市場(1商品の付加価値低すぎる)。低コスト競争下の市場環境は先発日本企業に不利。下記は日本限定の経済と政治の自然の流れ違うかな?企業のカネもうけ指向は無政府的欲求レベルなのだからこのような動向を押しとどめるのは統制経済しかありえない。同じ次元の事態が螺旋的に繰り返されていると思うが米中貿易摩擦の行方はどうなるか?

米国側は香港、新疆ウイグル北朝鮮などを政治焦点化して揺さぶりをかけているようだが、中国との間に80年代中期のプラザ合意受諾の日本のような事態に持ちこめるかどうか。

 引用する

「この問題は1980年代の日米半導体摩擦にまでさかのぼって考える必要がある

ポイントは、日本が米国からの圧力を回避するために台湾や韓国の企業に技術を供与し、結果的に海外企業の急成長を許してしまったことだ。

 1980年代半ば、日本の半導体産業は世界の50%程度のシェアを誇っていた。1985年、米国では半導体メーカーがこの状況を問題視し批判し始めた。」

1986年、米国の圧力に屈し、日米半導体協定が締結された。

締結によって、日本は国内市場における外国製の半導体シェアを高めることなどを受け入れた。

この時、国内の電機メーカーは韓国の半導体産業に技術を供与することによって間接的に自社のシェアを維持しようとした。この結果、韓国のサムスン電子などが日本の技術を吸収し、政府からの優遇も取り付けて急成長を遂げた。

 その後、日本企業は円高圧力などを回避するために台湾への技術供与も進めた。この結果、日本のエレクトロニクス産業の凋落とは対照的に、韓国、台湾の半導体・液晶パネルのシェアが急速に拡大した。」

**********************************

スラボォイ、ジジェクの評論の核心は

グローバル資本制段階の進展や移民問題噴出、難民流入を背景に急速に台頭してきた人民主義、民族主義に共感を寄せる民衆が層=圏となって堆積してきた事態を直視し、旧来の政治思想を再構成し、既存の政治戦略を見直し、どの層に依拠する戦いを推し進めるのかという次元まで問題意識を拡張したところにある。

反俗日記で数回記事にしたが、現代貨幣理論は自分なりに調べてみて疑問があり引いた。

 カリフォルニアの大学女性教授の来日の際の長いインタビューを視聴すると、イロンナ支持者が言うほど画期的な理論とは思えなかった。慎重な議論が目立ち、基本的にケインズ学派の枠内の議論とみた。なお、「世界通貨」を発行できるアメリカだからできることと日本限定でできないことの差異は大きい。そもそもそういった種類の金融緩和は追い詰められた支配層が最後にとる手段である(ナチス経済)。これから取り上げるシジェクもこの辺の政策には深入りしていない。江戸時代の後期、商品経済の進展に手を焼いた幕府が発行した悪貨が良貨を駆逐し最終的に自分たちの首を絞めたたのじゃなかったか。歴史的に経済統制を前提に政府需要の人為的大量創出は遂行されてきた。しかも世界中で。世界中で瞬時にマネーが蠢き市場を形成しているグローバル資本制が間仕切りは生まれる世界経済体制に移行すれば、そういった政策が機能する基盤ができる。

 党首本人が某政治党派と政策共闘みたいな共同記者会見を開いたのもその後の支持率低下の原因になったのじゃないかな。あれは時期尚早、政治センスがなかった。支持層を大きく広げ深堀する可能性を自分たちの手で狭めてしまった。

 率直に言えば、山本太郎本人が議会に入るべきだった。

人間の身の上に起こる不条理は政治課題の領域とは重ならない部分が多すぎる。

政治と政策は不幸は解消できても不条理はなくせない。確かに個人の問題は政治的なんだけど不条理は個人がパワーを得る源泉でもあり、考え方によってはなくしてはならない哲学的状態。大きなところを取り違えると長い目で見るとうまくいかない。

消費税5%に戻しても果たして個人消費は経済様相を変えるほど伸びるのかな?大いに疑問である。グローバル資本制の段階に適合しない日本限定のマインドを縛る伝統的保守的制度を変えることと並行で実施しなければ効力は発揮できないと思う。

***************************************

 

  真昼の盗人のように~ポストヒューマニティ時代の権力~ 

              スラボォイ、ジジェク 青土社 2019年7月18日発行

   ~時間不足で次回に~