若い僕らは、最初ははねつけられ、そして少しづつ受け入れられた。医者という<よそ者>とはこんな風に付き合えるんだなと、ちょっとづつ知ってもらえるようになりました。Wちょっとづつ、が大切!
糖尿病の患者さんに30分も時間をかけて食事指導をする。W。30分のかけて食事指導する!診察は生活指導などまったくやらなず、ルーティンワークだけ。普通は資料渡して終わりだな。
>約束したのに1か月後、そのおじいちゃんは少なだけ酒を飲み、まんじゅうを食べて、最悪の状態で戻ってくる。僕はつい、「もう来なくてもいい」と怒鳴ってしまう。
医師も良い結果を出したい、成果を見たいんです。W。頭に描いと通りにはいかないことが多い。我慢しなければならないが、良い結果や良い成果を見たいと前のめりになるのは、本人の無知もある。服薬管理、金銭管理など複雑困難生活動作(IADL)~手段的日常生活動作などと直訳するからWのように程度のものには腑に落ちないのだ!ADLは基本生活動作と意訳するは要介護1のデメンシィアのヒトにはできなくて当たり前のなのだ。
>W。生活背景を知る。
けれども野沢菜や塩イカの奥にある暮らしが見えてくると、外来でも、会話の呼吸やリズムがゆったりとなった。Wはつい固い説明調に突入し説得に入る
>ゆっくりと付き合っていけば相手も変わってくれる。
この患者さんはダメということはない、だれでも変われる。
人間は常に可能性がある。W。できることはやってもらう。できないことは仕方がない、とあきらめる。
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どの家庭にも3食欠かせない漬物として野沢菜があり、さらにしょうゆをかけて食べる。W。漬物に醤油。食生活の時間が止まっている。
塩イカという伝統食は、贓物を出し中に塩を詰め込んで運んできた日本海のイカのことで、それをキャベツとあえて食べる。塩分の摂取過多は明らかです。
だけど講演でデータを示し「食事の塩分を減らせ」「食習慣を変えてほしい」と予防法を説いても、なかなか聞いてもらえない。話が終わったのち、「ご苦労様」て、野沢菜のお茶請けが山盛りになって出てくるんだから。
僕はまだ未熟で、コレが長い歴史の中で育まれたこの地域の文化なんだと実感することができなかった。
>農家は重労働を支えるカロリーをご飯で取ります。
朝食だけで山盛りのご飯を四杯食べる。そのためしょうゆをかけた野沢菜やつくだ煮、辛いみそ汁を必要とした。
流通や冷凍技術が整っていなかった当時、長野ではなかなか魚介類が食べられず保存のために塩を使っていた。
食生活の指導が板についてくるのは、こうした地域の歴史が解るようになってからです。
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02年9月。20世紀を見届けたかのように、前院長の今井澄さんが亡くなったのです。
その後の病状や治療が次の段階に進むと、在宅医療への思いを繰り返した。
「鎌ちゃん、ぼくは信州にかえるからね。僕がどんなになっても、病院に入れちゃだめだよ。
家だよ、家。昔二人で議論した、僕らの思い出が注ぎ込まれている在宅ケアだよ。一つの命が消えていく姿を家族の中で共有していくことが、人間のきずなを深めることにつながる。こういうことを続けていかないと、人間社会は崩れていくんだ。
この言葉は理想の医療を追い求めた今井さんの一つの結論だった気がします。
~僕は今井さんのように優れた政治家にはなれない。
今井さんのように上部構造から大きな構想を描くより下部構造であるひとりひとりの心に関わりたいと思ってしまう。
一人一人の感覚が少しずつでも変わらない限り病院も地域も、国も変わらない。だけど変えることはできると信じている。~
その結論はまだ見えないけれど、「弱い人」のそばにいて、彼らが秘めている力を見出し、広げていくことでそれが見つかるかもしれない。
「がんばらない」を重要キーワードとする世界はいくつもありました。
例えば誰でもが直面する介護です。
「介護難民」とか「介護地獄」とか、いやな言葉があるように、確かに介護はきれいごとじゃない。介護は24時間休みなしだし、過去のしがらみ、世間体などで、家族だからこそ苦しむ介護をあちこち目にします。
「視点を変える」「心の介護は、相手の言葉をしっかり受け止めることから始まる」「介護者はまず自分の健康管理をする」「どんどん愚痴をこぼして、周囲に協力者理解者を創ろう」「施設にいても人や地域と繋がる工夫を」
数えてみたら介護のヒントだけで33もあった。
一人で頑張らなくてもいい。
揺れていい。
弱くていい。それが人間だから。
ただし介護することから逃げないほうがいいと、僕は思っています。
介護は人を変える不思議な力がある。
人が人を支えるとはどういうことなのか、
生きる力は何によってもたらされるのかといった人間の本質を教えてくれる。
介護を通じて様々な問題を抱えた家族がもう一度まとまることだってある。だから介護ストレスに負けずできるだけ上手に社会的サービスを使い、「がんばらない」介護を続けてほしい。
介護はこの国をやさしくできるはずなんです。
どうじに、「がんばらない」は不安の中で高齢期に入る人の心が前にも通じます。
老いや病そして死。
それぞれ手ごわい相手だけれど、本当に強い相手とぶつかるときこそ、頑張ったり、頑張らなかったり、力を入れたり抜いたりする呼吸が大事ではないか。
相撲だって力むだけでは、すぐはたかれたり、うちゃられたりする。同じ強さでいつも頑張っていては相手にそのリズムを読まれてしまう。
「がんばる」けど「頑張らない」「がんばらない」けど「あきらめない」「投げ出さない」この極意です。
引用終わり