反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

連載第2回。ジョンダワー著「Japan in The Wake of Word Ware Ⅱ」1999年初版。邦題「敗北を抱きしめて」岩波2001年出版。注目点抜粋。

  W、この本の特徴の第1は、

日本の文化風俗、庶民生活などを含めたリアルな資料に基づいて書かれたものであるということ。そのためいわゆる歴史書を読みにくくしている政治軍事経済偏重の堅苦しい叙述ではなく、読み物としても面白い。ほぼ当時の全般的な時代状況が分かり易く活写されている。

自分がこれまで断片的に収集してきた当時の時代状況がリアルに集約されており、歴史叙述として偏りがなく公平である。

日本人たるWは当時と、通底する今の日本及び日本人の大きな限界を実感して無力感にとらわれてしまう。ネット上でのダワー本に対する感情むき出しの攻撃は(タイトルだけしか見ていないが)これまた日本人の心性として当然沸き起こる反発だと納得する。

 想えば古い歴史ある「国くに~近現代史においては資本蓄積と国民国家の形成がキーワード!」地域には過去の歴史的蓄積と新しい世界史的状況への対応に規定され、どこも大きな限界を抱え続けてきた。イギリスのEU離脱騒動などは大英帝国の時代に溯れば、その思いを深くする(主導権喪失ゆえのくっ付いたり離れたりは大英帝国の時代にはありえなかった)時代の流れは無常なのだ。

しかしながら、そうした歴史的制約から大きく免れた諸国は新大陸の北米やオーストラリアに限定されるのではないか。

そういった意味でダワーのこの著書の長所である分かり易く徹底的に歴史的事実を押さえ歴史書として集約しているところは納得できるが、何かが決定的に足りない。それを補えるのは日本の歴史家、思想家しかいない。

しかしグローバルな時代状況において、日本史は日本史として叙述する一方で、中国を含めた東アジア史として総合的に俯瞰していく必要がある。

 次にこの本の特徴は、日本の敗戦の時代状況をリアルに網羅しようとすれば、アメリカ合衆国側の資料に精通しなければならない(当時の政治の主語も述語もアメリカなのだから当然のこと~ダワーはそれ以外の多面的要素まで踏み込んでまとめる能力があった。)という解かりきったことを専門家として実に手際よくこなしているところ。この点で日本の読み物や解説は杜撰なばらつきがある。

 埋め込まれている当時の時代状況を映し出す多数の写真は不思議なほど鮮明、かつ人物の内面さえ推し量れるほどフォーカスにセンスがあり、それだけで一流の写真集としても通用するものである。当時のGHQに一流写真家が同行していたのかなと思われるほど素晴らしい。情報公開された合衆国の政府機関保有の写真を採用したものか、大学などの研究機関所蔵のものなのか特定できないが、画像処理技術がすごい!

 翻って日本は近現代史の資料をこれほど大切にしているのかどうか大いに疑問である。