反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

前回新型ウィルスの記事は認識不足があった。1、水際初動作戦の遅れ、不徹底、混乱。2、PCR検査の精度。3、初動期における少なすぎた検査数。4、現状の感染者数の実態。

1、2、3、4について。

 現状、各ポイント、「地区」の感染ルートをどの程度遡ることができるのか知りたい。

初動の水際作戦の遅れ、間違い、不徹底があり、その結果、市中に多数の未検査感染者が放置され、その方々を通じた感染→重症化死亡も多々あると現状を認識している。

 したがって、いまごろ、検査精度30%~70%で検査者の技術も問われるPCR検査の範囲を拡大しても、医療機関が大混乱に陥ってしまうのではないか、とは思うが、検査規模の拡大規模については今、判断材料をそろえていない。遅きに失したのじゃないかな?

 絶好のチャンスは、ダイヤモンドプリンセス騒動の時期だっただろう。ただあの時の船内感染対策のめちゃくちゃぶりからみても、初動の水際作戦を適正に遂行する体制が中央にはなかった。

 初動の水際作戦の遅れ、間違い、混乱、不徹底があった。

もっとも各国同じような状況は多かれ少なかれあったと思う。

>以上の理由により、日本における露見する感染者数の拡大基調は止まらないと予想する。

>ピークアウトの時期については、もっと資料を集めなければ予測できないが、発生元の中国(強権的隔離対策など実施)がピークアウトしているのは参考になる。気温と湿度が上昇する6月7月ごろが目安になる。ただし、都市部はエアコンだから、ウィルス菌の感染ルートはいきのびる。

>イタリア北部の異常な感染集中は密閉居住空間という環境も作用していると思う。

密閉居住空間最適のオイルヒータのデロンギ社(日本市場でも占有度高い)はイタリアの歴史あるメーカーである。

 

      >2020年東京五輪夏開催について、

 オリンピック開催を歓迎した人々は、何をもって歓迎したのかこの際、考えなおす機会があってもいいのではないか。それをやらずに、コロナ状況に即応して、中止やむ無しなどという自らの心性を省みてもいい。もっともそれができるぐらいなら、楽しみにしていたなどということはあり得ない。

     推進した人々については何も言うことはない。

日本の現実を直視した地道な投資先はいっぱいあったが、それができない人々がヒト、モノ、カネ絡みで構造的に日本列島にはびこっている。

もともと、こういった類の人々は、歴史上、連綿といた。

書かれた歴史は階級闘争の歴史である、とは<一面の真実>であるが、われわれはそれ以降の歴史的経験があるのだから、要は均衡を目指す戦い、言い換えると、いついかなる時でもリアル、粘り強い民主政の如何の問題に行き着く。

 そういった意味で前回の記事でホッブス、ロック、合衆国憲法修正条項を取り上げ、日本国憲法天皇制民主主義の欠陥を取り上げたのは、常日頃の持論をこの際、再確認したまでだ。

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 日本の経済成長期(1980年代中盤のプラザ合意まで)を経て形成されたの地域レベルの基礎組織(家族、家庭、関連団体)は長期デフレ下で自己防衛本能が閉鎖的方向に働き、人々の水平の繋がりは分断されている。

イメージ→大、中、小、極小、極々小、たこつぼ一杯。それらをつなげているのは、生身のヒトの繋がりではなくメディア媒体の個々を取り巻く仮想現実。

>日本の民主政は、庶民生活レベルの家族、家庭、団体の在り様において形骸化、硬直化して、それらの自己防衛本能が閉鎖的方向に固まり人々の水平の繋がりを分断する機能を帯びるようになっている。←W。なんだか小難しい表現。時間がないということもある。キーワード→民主政。<家族、家庭、団体>。水平の繋がり。

 しかしそれを生身で実行している本人たちは何ら疑問もなく当たり前のこととしている日本の中間組織は上からも下からも中間からも人々が生きにくい方向に変質している。

       先日もこんなことがあった。

見守りケアをしている近所の老女にはいっている訪問介護事業所の準責任者の女性が会談の最期に妙なことをいう。

「私たちの要望があります。ヘルパー中に入ってき邪魔をしないでほしい」

確かに過去に数度そういう事実は見方によれば、あったと認識しているが、自分の役割を限定しているので、ヘルパーにどうのこういわないように心がけてきた。そもそも、ヘルパーさんの仕事ぶり利用者に詳しく尋ねたことがなく放置せざる得ないという基本認識を持ってきた。

 むしろ、利用者本人が嫌がる当該ヘルパーに対して意図的によくやってくれていると良いほうばかりを強調しなじむようにしてきた。

そもそもこの利用者はヘルパーに対して気を使い歓待し、もともと掃除の手間がかからないほど部屋は清潔で整理整頓されているのでヘルパー自らが「ここの仕事は楽ですよ」とWに対して言うほどなのである。

>それにもかかわらず、週2回訪問家事援助(掃除だけ)の最中、めったに入っていかないWが邪魔をしているとはどういう意識なのか、と疑う。

 そもそもWはいろいろ介入できる権限もないと自覚しているので、ヘルパーさんにまかせっきりだ。

要は、楽な介護現場をもっと楽にしたいがために~超合理化である~(一方のヘルパーは介護時間の半分の時間で帰ってしまうことも常態化していたし、男のような人で怖いとの報告を受けたWはそれさえもよく仕事をやってくれているとかばったほど)、偶にわからないことを質問したり、介護の困難性を何かの拍子に打ち明けてしまうWへの対応が面倒なのである。~もっとも見方は立場によって異なると承知しているが口出しできるのは権限のある人間であると、この間、痛いほど知らされた。~

 以上は何を意味しているのか、といえば、介護の人手不足、他業種に比べての労働現場の特殊性などの要因をうけて訪問介護事業所がもともと介護保険制度出発時点で謳われていた利用者第一主義から事業所経営の都合、カネの論理、言い換えれば抱えるヘルパーの確保、優先に長い年月をかけて徐々にシフトしてきた(訪問介護労働力商品の現場剰余価値の搾取しかカネ儲けの源泉がない単純構造)、ということなのだ。

ヘルパーの労働条件の一定以上の確保(今や地域の最低賃金と生活扶助の1時間当たりの賃金の差異は200円ぐらい、訪問移動の手当てはない、だったら最低賃金と変わらない。そこで当該にどのような心理があたらくかおよそ見当はつく。)と利用者第一主義は相反関係になりがちだというのが介護業界の現実。

>それで地域の見守地ケアへの仕事以外の心配りという基本中の基本は具体的に言えば、それを担う個人への対応という手間が増えるので切り落としてきた。

しかし、独居高齢者にとって、見守りケアはあれば幸い、積極的な担い手は多いに利用すべき存在となる。1週間位2回ほど、掃除にきても利用者への影響力は大いに限界がある、という自覚が生れて当然なのだが事態は真逆なのだ!

>その挙句が「ヘルパー中は邪魔をしないでほしい」などとほんのわずかな事例を取りあげての要望になったのである。

>女ばかりの世界という訪問介護業界の特殊性もある。

>原理原則がどこかに行って、目先の些末な事態への対処、噂の類、憶測に拘泥する。

「あそこの仕事はもすごく楽だけど、近所のおじさんがうるさい」

うるさいおじさんをことさらクローズアップし楽ちん介護現場の現実は忘れる。

かましい感性である。地域見守りケアの大切さを否定している。

自分たちの欲望、都合が地域を分断し、自らと団体の硬直した論理をむき出しにしているのを自覚できる余地はない

>弱者を相手にする職業にありがちな一種の傲慢な感性をそにみる

>自分の狭い経験だけの判断で、原理原則や理念がないがしろにされた。

>おんなの家事労働や子育て、親介護の経験の延長でヘルパーをやっている人が多い。

*ところが、ヘルパーの支援介護を受ける利用者はみんな特殊状況を抱えている。

*だったら、それらを通底する普遍性を念頭に置かなければならない、経験だけでは必要十分ではない。

>W介護関連の記事はともすれば理念通りにいかないという事実の確認に終わることが多いが、

>そもそもが、理念過多気味(情は後から)でなければ介護はやらない。悩みもしない。

わかってもらうのは難しい。介護現場では介護保険制度成立以降の事態の中で悪貨が良貨を駆逐した。言い過ぎかもしれないが厚かましいものだけが残った。まともな人たちは現場から退場した。

こういう人等が集まるとつまらない人間関係も余計に複雑にするのか担当者が次々にいなくなる。

それで一番大切な地域の事務所に相談の機会は自ら閉ざし、わたしらはヘルパーを派遣しているだけ、諸事情はすべてケアマネさんへなどと公言している。

フットワークの重いバス移動のケアマネさんはあてにできなかったが、この人との信頼関係があったので、Wが一手に引き受けるしかないとやってきた。その長年のケアマネさんもつい先頃休職した、と用事で電話をかけてわかった。

>Wはこういった要望にびっくりし「そこまで言いうのならあんたたちで責任をもってやってもらおう」と言わざる得なかった。

 過去の経験ではこれと真逆の対応をしていた。

ヘルパーに入ってもケアできる範囲は高々知れているので、利用者第一(日常生活)の観点から、地域に見守りケアをしてくれる人がいれば、きちんと対応するようにと責任者から指示を受けていた。

これを言っても無反応だった。

ということはこんな視点は今はもうどこかに行った、ということ。

当然、話はかみ合わない。

この人たちはいったい何のために介護の仕事をしているのだろうか?という疑念が浮かんで当然だ!

 身体介護中ならいざ知らず独居の高齢者の家事介護(主として掃除)地域のキーパーソンを大切にする時間はある。適当に話すだけで、地域のことがわかる。ということは利用者の理解にもつながる。そしていざというときに力を借りられる。

ただしほんの少し手間がかかる。それを嫌がっている、というのがwの論理的結論。

こんな当たり前のことに自ら門戸を閉ざす訪問介護って何なのだ?

>しかしながらこういった、縦割り組織システムは役所の仕事合理化に顕著にみられる作法なのだ。それが準民間事業所の訪問介護の業界まで浸透したというべきだろう。

コレが日本の地域の団体にはびこっている一端なのだが、一事が万事と思ったほうがいい!

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*ひるがえって、今回の新型コロナウィルスの感染防止対策にも、似たようなことがみられる。

*だったら、中国共産党の政治独裁体制のほうが、同じ縦割り組織作法で、上意下達の強権を発揮できるのだから、ある意味合理的である。

*組織の論理ってそんなものだ。対抗する力がないのだから。

*集団(主語!個人ではない!)は易きに流れる傾向がある。都合と利権を抱え込み腐っていく。

*Wは声を荒げたのは間違っているとは思わない。いうべきことは云う。

*さらに何とかしなくてはと。

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      >「急激な」経済状況の悪化

*ちらっとTVをみた京大の藤井教授の消費税、廃止議論

10%増税前の持論がここにきて完全的中ということで、勢いもあったが、事態は消費税0%で中層下層、最下層の消費欲が拡大するとは思えない

>2020東京五輪開催や、もっと考える人々は東日本大震災福島原発事故までさかのぼり、精神的負荷がかかるわけでそんな簡単に商品に手を出さないと思う。

そのそも、おおもとの中小零細経営が危なくなるので0%消費税増収部分の消費どころではない。そこまで庶民は単純ではなくなった。ここへの補填は膨大な財政支出が必要だ。

 麻生太郎氏のように減税しても庶民はカネを使わない、カネを持っているものが金を使わなければ、というざっくりした見方もある。ところがカネを弄っているものの資産価値が急落しているのだから八方塞がりだ。動かないか、損切だ。よって資金待機が続く。

 いずれにしても、コロナウィルスの感染状況を見ながらなのだが、感染が広まった最初の段階でバシッと集中的に検査を拡大し、感染状況を把握できていなかったのだから、いまさら、状況把握もキチンとできず、オリンピック中止延期の精神的ショックの緩和も横目で見ながらの余計な決断も必要なので、

プライマリーバランス抜きに財政出動(日本は金融緩和の手は尽きた)の対応は遅れ2020年東京五輪開催の暴挙とともに将来日本への明確な一里塚となるだろう。

 よくよく過去を振り返ると右翼思想の持ち主が政権を握ったとき、日本は大きな政策失敗を犯した。

戦時体制への道。岸信介は60年安保で退陣し救われた。ジャパンアズナンバーワンの時代の中曽根康弘は時代遅れの主婦優遇税制(シングル子育て実質増税)を選択し欧米の家族革命への道を閉ざし少子高齢化を決定づけた。

アベについては言わずもがなだ。

日本付加体列島原住民がそうした道を選んだと、云うこともできる。