反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

第1回分のメモ。福島原発事故→新型コロナ対応を想えば、~そこに根深い何かが横たわっている~。過去のハレとケ、ケガレについての長大メモ(記事は4本)をアップし再考する必要に迫られた。

                                反俗日記wacwac。

 下記をハレとケ、ケガレを探究する目的で4本の記事を去年メモしたが、アップせず、自己学習にとどめた。

 反俗日記の前回記事(3,24アップ)は時間不足のままとりあえずアップすることになり、後で誤字脱字の類や、ダワーの文脈を再検討していると、

>下記のダワーの文脈が異常に気になり、そのままやり過ごすことができなかった。

         ~ジョンダワー本より

>引用は長くなる。肝心な部分は太字で強調。他の部分はダワーの文脈操作の流れとみなしている。

この本の全体像は歴史家として特記すべき細部のディテールをきちんと押さえ、その積み重ねによる叙述という実証主義の基本スタンスがはっきりしているが、文脈から受ける印象は日本の原住民性を逆なでするるところ。

「敗北を抱きしめて」とかいう岩波書店の邦題も本の中身にディテール、文脈を反映していない。原典のタイトル、「第二次世界大戦における日本の目覚め」に添うようにすべきだった。そうすれば当時のアメリカと日本の立ち位置がはっきりし、ダワーも批判する占領軍とアメリカの欠陥も読者は想起できる。

 我慢できず反発する人も多数出てくるが歴史は事実の積み重ね、その事実を得手勝手に選択忌避する姿勢は根本的に間違っているダワー本は戦後期の政治経済文化状況を知る貴重な資料となる。戦前の皇国史観の反動とそれに対する巻き返しもあって、日本人は近現代史の通史をきちんと教えられていない。この時期GHQ及び連合国当局は日本を占領し間接統治の決定権を持っていたのだからその視座と資料は貴重なものである。

   ダワー本。引用開始
外国人が『従順な家畜』の心理と嘲笑った大勢順応主義は、日本人の間ではもっと当たり障りのない言葉で表現されるのが常だった。
@世の中の上下関係に敏感で身の程をよくわきまえるという感覚が、この順応主義を生み出すうえで欠くことのできない要素であったが

@同時に、それは、人々にとってなじみ深い価値や行動や象徴といった要素を含んでいた。
 占領時代にはGHQによって禁じられていた日の丸や国歌「美俗」の一部と意識されていたし、
 ①W。習俗。村祭り、みこし、盆踊り、伝統的な結婚式や葬式、感傷的な流行歌、茶道、武道、親孝行、勤勉さ、年長者に対する尊敬の念、女性の美徳の数々、『義理』と『人情』の葛藤を美化する感覚外見やメンツを気にする態度、そして和の尊重といったものも『美俗』の一部であった。
 ②天皇に対して感傷的になったり、卑屈な態度をとることも、民衆意識の一部であった。
 ③W。当時の雰囲気を再録しなければならない⇒このことはマッカーサー元帥個人に対して、また一般的にGHQに対して日本人が見せた態度の中に劇的な形で現れた。
>あらゆる階層の日本人が、それまで天皇にしか抱かなかった熱狂をもって、この最高司令官を受け入れ、ごく最近まで日本軍の指導者に示してきた経緯と服従を、GHQに向けるようになったのである。

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W。

 >もちろん、①新型コロナウィルスの現状と、

福一原発事故のザ、シュチュエーション イズ アンダーコントロールという2020年東京五輪誘致に向けた発言と誘致運動

を重ね合わせ、その根底に何かを読み取りたいという意図もある。

 

@<OMOTENASI>とかいういけシャーシャーシャーとした恥知らずな発言に今の日本の一部のリアル動態が集約されている。

@そこには外国人観光客頼みの極一部日本の現状がある。

@にもかかわらず、日本の観光客誘致は世界的に見て大した位置にない。

各国・地域への外国人訪問者数ランキング|統計・データ|日本政府観光局(JNTO)

W.リピーター数が少ない!

 

さらには、感染当初、検査数増加を求める当たり前民主政の要求に対する、湧き上がる反対の声

>事態は新型コロナ以後を見通す視座が必要なのであって当初の段階で検査数の増加を求める民主政として王道を行く要求をスルーする政府や当局の行為、およびそれにピッタリ寄り添って民主政の要求を攻撃する政治構図は後に、庶民レベルに災いとなって降って来る。

民主政は最初から予定調和できず、ジグザグは織り込み済みでなければ機能しない検査数増加の要求に答える政策は長い目で見ると間違いではない!

 以上が日本の政治を動かしている顕在的潜在的動因の一部なのだ。

 

>もちろん、ダワーはハレとケ、ケガレを探究する研究書を踏まえたうえで日本人の「美俗」を列記しているのであり、この分野について探求しておく必要があると感じて、公開することに決めた。

 さらにCVID-19を取り上げた前々回の記事を書きながら浮かび上がった問題意識と根深い疑念なぜ日本の当局は当初の段階において、検査数を増やすという民主政の常套手段を踏まないで、多数の市中感染者の検査ハードルを高く設けて放置できるのか。への探求という意味もある。

>この対応は世界に類を見ないものであり、その根底には日本独特の何かが潜んでいると考え過去のハレとケ、ケガレメモを公開する。

 結論的に言えば、

日本及び日本人の「歴史」、文化伝統的国家「共同幻想」はその構成員の内輪の自己犠牲を強いる構造を持っている古事記日本書紀平安時代藤原氏系の朝廷内権勢の正当化、と言われている)。

そして階級差が顕著になれば物質的生物的家族的弱者の犠牲に結果する

@もっともこの傾向は日本だけではないが日本当局だけが最初からその道を選択している。

      

wacwac。①は何となく感覚的にわかるが

    >②とは何か?①との関連は?

ほんとうにこのような事態があったのか!

民衆意識の根深さ=根深い軽薄さ=根深い衣装性、を感じる。

 このような心情はGHQアメリカが天皇を自らの占領支配や以降の日米関係に利用する強固な意図がなくても、眼前にリアル欧米強者が提示されると反抗する契機は予め喪失している、とみる。

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         ハレとケのはざまで http://apolohal.jp/st2-15.htm

 >W。このURLには今は別な記事が記載されている。
 <柳田 国男>
日本人の生活を「ハレ」と「ケ」に分類し、「ハレ」の生活を年中行事、
神祭り、盆、正月、冠婚葬祭など非日常の生活
それ以外の日常の生活を「ケ」と定義した

 

>しかし、1970年ごろから「ケガレ」という概念が、日本人の生活に影響を与えたという説が提起された
桜井 徳太郎氏は「ケ」とはを成長させる力を意味し、

それが無くなる状態を「ケガレ」といい、

それを回復する状態を「ハレ」といい、
日本人の日常生活

「ケ」から「ケガレ「ケガレ」から「ハレ」「ハレから「ケ」へと循環すると主張した。←W。日常性に無常を抱え込んでいるのだな!それでは、大地に根を張った思考形態は生まれない。やろうと思えば隠者になるか、修行者になるしかない。
 
>「ケガレ」という観念が日常生活に影響力を持ち出したのは、平安時代の貴族社会が始まりである。

  

  <網野 善彦>は「日本の歴史を読み直す」で

「ケガレ」を、
人間自然のそれなりに均衡のとれた状態欠損が生じたり、均衡が崩れたりしたとき、それによって人間社会の内部におこる畏れ不安と結びついていると定義している。←W。人間と自然の均衡への欠損感=その現実に対する忌避感が動物的感覚で沸き起こってくる。

        ↓

東日本大震災福島第一原発事故(ケガレ)⇒東京オリンピック開催追及(ケガレ感の否定としての魂の清浄化~禊~⇒こじ付け無理やりのハレの大イベントの執拗な追求⇒「神」は見捨てた(第二次世界戦争東京五輪中止に引き続く、コロナ渦の2度目の五輪中止の大難事)⇒この文脈で森喜朗の首相在任中の日本は神の国発言を踏まえ、今もなお2021年に延期された東京五輪に執着する姿勢の深層心理を読み解くことができる。

 なお、Wはその手の思想信条を、あまりにもかけ離れた対抗軸にあるものと認識しているが、ヒトは十人十色、自由、という意味で認めるが、いわゆる右翼が政権を担当しその政策を実行するとロクなことがなかった、と総括している。

 戦前は云うまでもなく、高度経済成長を引き継ぎ先進諸国の中で持続的経済成長を維持していた時期の中曽根政権の時期の基本政策が後の日本の災厄を決定づけたとみている。

先進諸国は行き詰まりの中から家族制度や経済の構造改革をせざる得なかったが、中曽根は逆向きのことをやり、プラザ合意受諾から日本バブルとその崩壊、長期経済停滞に至る。その長い道すがら、改革は検討違いのモノばかりだった。もっともこの長期経済停滞は戦前戦後をトータルした世界経済史の視点から見ると歴史的な必然事項だった、反俗日記において根拠を繰り返し提示している。

 

新型コロナウィルス発生(発生当初から検査数を増やせば医療崩壊=人間と自然のそれなりの均衡状態の大欠損⇒現実直視を避けたいという忌避感に突き動かされる根底には<ケガレ意識>が潜んでいる。
W。集団ノイローゼ発症。それなりに必死の思い。TV報道はそれにつけこんでサブミナル効果を狙って独特の恐怖感を煽るアナウンスをする。

     死亡は死穢

誕生は産穢火事は焼亡穢というふうに日常生活のあらゆるバランスの変化ケガレと結びつくと、←W.道理ではなく皮膚感覚の類!ただしそれが純日本産のものかどうかまで疑ってかかる必要がある!
 それを清める人や行事が必要になってくるそれが「ハレ」の行事である。W.丸裸にふんどしの大相撲もハレの行事に相当
その代表行事が祭りであるが、←W.ナルホド!原始宗教レベルだ

人間のほうでも「ケガレ」を清める専門家の「清目」が出現する。
かれらは神仏に直属する神人や寄人として位置 付られ、差別を受ける存在ではなかった。
>しかし、神仏の権威が凋落するにつれ、いつしか賎民視されるに至る。

       ↑

W.網野史観。間違っていないが、網野史観はこの構図で日本史を説明しようとしているところがあるので、賛同できない。

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 LIFESTYLE https://w-sc.jp/haretoke/ ~WOMEN'S SHOWCASE~

日本人の世界観「ハレとケ」を見直す―SNSに惑わされているあなたへ
SNSや雑誌のモデルどうしてあんなにキラキラしてるの?~

W.以下は民俗学的な概念規定からすれば通俗極まりない ハレとケの解釈である。この解釈では、<ケガレ>という稲作、古代天皇制以降に発出し社会化した日本人独特の忌避感は説明できない。

 

  引用

「「ハレとケ」について 

「晴れ着」「晴れ姿」「晴れ舞台」「晴れの日」「晴れの門出」 


日本人は農耕文化で非常につましい生活を余儀なくされてきました。その中で日常と非日常を上手に使い分けて生活を楽しむことをしてきました。⇒W?ムラ掟、違反者への過酷な暴力制裁、間引きなど裏面はどうなんだ、ということ。

  「ハレ」は「晴れ」と言い換えることができます。
「晴れ着」「晴れ姿」「晴れ舞台」「晴れの日」「晴れの門出」といえばイメージしやすいでしょうか?
結婚式や成長に伴う行事の日やその時にお召しになる衣装の事ですよね。とにかくそういう日にできるだけ着飾って行事を楽しんでいました。
  「ケ」は日常
ハレは特別な日ですが、そんな日は1年に数日…で後はあまり変化のない「日常」が大半です。それを「ケ」と呼びます。
毎日が面白おかしく暮らせるわけではない、
>「ケ」があってこそ「ハレ」にはじける思想は今も感じますが昔から日本人にある習慣なのですね。


    「ハレとケ」の思想は柳田國男から
この思想を明確化したのは日本の民俗学の父とも呼べる柳田國男さんです。
日本人はハレの日にはそのための食器さえ特別なものを用意し、お食事も豪華にしていました。
宗教的な行事ごとに特別感を出していた諸外国とは違う日本独特の生活の時間観、世界観なのです。
>しかしこの世界観を伴った対の言葉である「ハレとケ」の「ハレ」という言葉は今も使われていますが、

「ケ」は明治時代以降あまり使われなくなっています。
>そのことについて柳田國男さんはハレとケの区別の曖昧化が進行していることを昭和初期に指摘をしています。

       ↓   ↓
    <現代は「ハレ」ばかり>⇒W。だったら、人間自然のそれなりに均衡のとれた状態欠損が生じたり、均衡が崩れたりしたとき、それによって人間社会の内部におこる畏れ不安

が社会の根底部で一気に噴出する。

 

現実に対する忌避感が動物的感覚で沸き起こってくる。

@それが政権党の政策に反映する。あるいは反映してきた、という歴史視座から日本史を総括すればどういう絵柄になるのか?

@右翼が政権と取るとロクなことはない。戦前の皇国史観の自他ともに認める第一人追放された平泉教授は日本会議の創立メンバーだった。

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>冒頭の雑誌の特集の例もそうですが

>現在の時間の切り取り方は「ハレ」の部分のみです。
>それはそれで構わないのですが、だからといって彼女らが「常にそんなゴージャスな暮らしをしているのか」は別だと思いませんか?
>一部のセレブはそうかもしれません。
>でも、彼女らも仕事の中でも家庭においても地味で堅実な案外「人間臭い」暮らしをしているのではないでしょうか?

    <SNSの友人も特別感の演出かもね>
「雑誌の中の芸能人は特別ってことは分かるけどFacebook,Twitter,Brogの友人も自分よりいい暮らししてる!うらやましい」って思っていませんか?
>どの媒体を使うにしても、どうしても「見られる」ことを意識します。
>だったら「日常」よりもちょっと離れた場面をどうしても切り取ってアップしますよね。
自撮り写真1枚にしたって何度も撮りなおす若い女性のなんと多い事か!これはすでに非日常「ハレ」に近いんです。


  「うらやましい」はより自分を良くして行こう!という活力につながります
>でも人っていつも「非日常」の中にいては疲れますし、

>非日常を日常と勘違いすることでより刺激的なものを追って自分の足元が見えなくなってしまいます

W.政治の常套手段は民衆に非日常を開示し、自らの政治意図に巻き込むこと。

W.戦争は他の手段をもってする政治の延長である。クライゼビッツ。

W.諸君砲撃したまえ、さらば国民は団結せん。ヨーロッパの君主。

W.東日本大震災福島原発事故、長期経済停滞→ここは一発、東京五輪で起死回生。石原慎太郎。~~真面目な保守ではない。こういう蠢動に天は見捨てた。
>それが行き過ぎると自分の収入以上の暮らしを求めて家計を顧みなくなったりW、国家レベルに置き換えても的外れではない!その手の重厚長大有効需要創出は時代遅れ!)またSNSのやりすぎ投稿などの一因にもなりかねません。


      <日常こそ大切に>
生活(日常)って平凡でつまらないものです。その「ケ」の部分を大切にするから「ハレ」の日を喜びを持って迎えられるのです

W.優先順位は五輪開催よりも天変地異への備え。

W.来年に延期すると、現状改革や政治的自覚は先延ばしにされ遅れる。
>今こそ日本人の世界観を「ハレとケ」を見直してあふれかえった「非日常」めいた情報に振り回されないでほしい。そう思います。

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      ハレとケとケガレ

http://www9.wind.ne.jp/fujin/rekisi/onryo/onryo05.htm

W。全面的に引用する。丁寧な研究記事である。

上記にあげた記事をもっと踏み込み死生観、宗教世界観の領域まで論じている

参考になる!

 

  引用開始

「人は誰であれ、生きていれば何回かは親族の死に立会い、あるいはまた、他の誰かの葬儀に参列することになりますね。
自分の親族の葬儀なら、喪主は葬儀の後に飲食会を開きます。

いわゆる『お清め』です
お清め(お清め塩)がいつごろから行われるようになったのかはわかりませんが、これをお清めということは、逆に葬儀はお清めの正反対にあると言えるでしょう。
と言うことは、葬儀は清らかなことではない、ということになります。
なぜかと言えば、

葬儀を執り行なう、あるいは葬儀に参列することによって目に見えないが極めて抽象的なものが身についてしまうので
その『身についたもの』を取り除く行為をしなければならない、ということです。←W.今の葬儀社は葬儀の後の飲食会などは省略する傾向があるので葬儀=清め。この筆者も後段でそういう論理を展開している。

それがお清めです
 

 では一体何が身についてしまうのか。
 それは『ケガレ』と言われます。

お清めとは清らかにすることであり

ケガレとはその対極にあって不浄とされるものです。
抽象的であり精神的な感覚上のものですから、どんな科学技術の最先端を行く精密な分析装置であってもこれを検出測定することはできません。
洗濯なら衣服についた汚れを、入浴なら汗や埃を洗い流すという具合に、洗い流す対象ははっきりしていますし、その効果も実感できるのですが、
     ケガレとはあくまでイメージなのです。

     ケガレの反対語、つまり清浄な状態を一言で表す言葉→『ハレ』
>我々の祖先は葬儀、いや、人の死をケガレとしてとらえていたし、それに接するとケガレが身に付くと考えました。
>ではケガレの反対語、つまり清浄な状態を一言で表す言葉があるのか、と言えばあるのです。
>それを『ハレといいます。
晴れ姿、晴れ着、晴れ舞台、晴れの日(入学式、卒業式、結婚式などの日)・・・ハレとはこのようなことをいいます。
     
     日常のことは『ケ』=食事に関係するもの
>ハレもケガレも特別なことであって、日常のことではありません。
>日常のことは『ケ』といいますが、結論から先にいいますと、ケとは食事に関係するものなのです。
普通の国語辞典には載っていないかもしれませんが、

大辞泉小学館)にはこのように載っています。

    『ケ』と発音するもの

<毛 作物。特に稲の穂の実り>
食 食物、食事
笥 食物を盛る器

>褻 正式でないこと。また日常的なこと

一毛作二毛作朝餉(あさげ)・夕餉(ゆうげ)と言うのはおなじみかと思いますし、
ケ時ケどき・・・食事時のこと)
ケツケまいり(田植えが済んだことを神に報告し、豊作を祈願すこと)という言葉もあるようです。
   ↓
もう少し具体的に書きましょう。

ケガレは四季の移り変わりで自然に発生
< 刈り取><田は枯れた状態>ケ=(稲の穂の実り)ガレ 
稲は夏に田植えをして秋には刈り取ります。

< 刈り取るということは、田は枯れた状態>と同じです。これがケガレです。
稲を刈り取った後に行われるのは豊穣祭です。五穀豊穣を神様に感謝するお祭りです。このお祭りがハレなのです。

結婚も入学・卒業も日常のことではありません。

それを日常に軌道修正(?)するのが結婚式であり、入学式、卒業式ということになります。その日に着る服は、もちろん晴れ着です。
   
人為的に発生するケガレ=罪<天津罪(あまつつみ)と

国津罪(くにつつみ)>(神話時代)
>このようにケガレは四季の移り変わりで自然に発生するものですが

>人為的に発生するものもあります

それが罪(つみ)で、古代(神話時代)考えられた罪は天津罪(あまつつみ)と国津罪(くにつつみ)です。


●天津罪

畔放(あなはち) 田の畔を壊すこと
溝埋(みぞうめ) 田に水を引く溝を埋めること
樋放(ひはなち) 田に水を引く樋を壊すこと
頻播(しきまき) 他の田畑で作物の生長を妨げること
串刺(くしさし) 他人の田畑に杭を立てて、収穫物を自分の物だと主張すること
生剥(いきはぎ) 生きている馬の皮を剥ぐこと
逆剥(さかはぎ) 馬の皮を尻の方から剥ぐこと
屎戸(くそへ)  祭場を糞尿などの汚物で汚すこと

●国津罪

生膚断(いきはだたち) 人に傷をつけること
死膚断(しにはだたち) 人を殺すこと
白人(しろひと)    肌の色が白くなる病気
胡久美(こくみ)    瘤ができること
おのが母犯せる罪    近親相姦
おのが子犯す罪     近親相姦
母と子と犯せる罪    他人の女とその娘を犯すこと
子と母と犯せる罪    他人の女とその母を犯すこと
畜犯せる罪 獣姦
昆虫の災 昆虫やムカデ、蛇などによる災難
>高津神の災 雷など天災地変による災難
高津鳥の災 空を飛ぶ鳥による災難
畜仆し(けものたおし) 家畜を呪い殺すこと
蠱物(まじもの) 他人を呪い殺すこと

これに対し国津罪は近親相姦のタブーや、自然現象としか思えないようなものもあります。
近親相姦がタブーなのは、それを続けると一族の滅亡につながるからで、これは古今東西を問わずどこの世界でも共通のものです。
また昆虫や鳥の害を罪というのは、古代にあっては災害は自然現象という考えがなかったことによります。

天津罪に生剥というのがあります。

>動物の皮(毛皮)を剥ぐとは、そこに生えている毛が枯れることです。
>つまりこれもケガレの一つなのです。

ここから転じてケガレとは、人や動物の死を意味するのです。

>ですから死、葬儀はケガレなのです。W?

こうしたケガレを浄化するハレは定期的に行われるものがあります。たとえば大祓です。
月のそれを年越の祓(としこしのはらえ)といいます。

 

また定期的ではなく臨時に、罪が発生した時に行うものもあります
>それが禊(みそぎ)です。

W.禊ならば簡単にやめられない。2021年延期された五輪は。切羽詰まっているのだ。


 <古代人は、罪を物質的なものと考えていた。>

               W。本質的な思い
そして、罪を犯した本人が刑罰を受けたのちもなお、罪に宿る災気は去らず、天地に浮遊し、人びとの生を脅かすと考えていた。
>だから罪を犯したものに刑法上の制裁を課したあとでも、

*なお「祓い」という呪術宗教的儀式を必要としたのである。(日本の歴史1 神話から歴史へ /

ja.wikipedia.org

 引用

「後年は、『日本書紀』や律令等の古典籍の注釈を専らとし、特に律令の注釈は石母田正らと編集した『日本思想大系 3 律令』(岩波書店)に詳しい。

井上の歴史学の方向は、恩師坂本太郎が、構築した実証主義的アカデミズム歴史学を継承したもので、日本史学史上、坂本の後継者と位置づけられている。またマックス・ヴェーバーの理論や、津田左右吉記紀批判を継承して、律令制以前の政治社会組織研究の基礎を形成した。

大学院に進学すると「奈良遷都以前の社会と仏教」を研究課題に選び、仏教思想史の研究を志す。その際の指導教官には、国史学科で中世思想史を担当していた平泉澄

コトバンク引用

「1895‐1984(明治28‐昭和59)
歴史学者福井県生れ。1919年東京帝国大学文学部国史学科を卒業し,講師,助教授を経て,35年教授となった。日本中世史の研究者であったが教授就任の前後から熱烈な皇国史観の主唱者となり,戦時下の国史学界をリードするとともに,軍部との関係を深め,社会的にも大きな影響力をもった。

>太平洋戦争降伏阻止のため皇居を占拠するクーデタ計画(宮城事件)を立てた陸軍将校たちもその信奉者であった。←W.未調査。調べてみる!敗戦後東大を辞して,郷里の福井県平泉寺の白山神社に引きこもったが,思想的立場を変えず,皇学館大学学事顧問,日本を守る国民会議発起人などとして活動した。」

「1926年に『中世に於ける精神生活』『中世に於ける社寺と社会との関係』を刊行、文学博士、助教授となる。学位論文「中世に於ける社寺と社会との関係」は、アジール論の展開で学界の注目を集めた。1930年(昭和5)渡欧、ドイツ、フランス、イギリスなどを歴訪して翌年帰国。国史学の骨髄』(1932年)、建武(けんむ)中興の本義』(1934年)、『万物流転』(1936年)などで国粋主義的立場を鮮明にし、皇国史観を主張し、青年将校などに影響を与えた。1945年8月、敗戦直後に大学を辞し、郷里に隠棲した。[佐藤和彦]W.学問的業績は加工されて引き継がれているとみるが、意識が存在を規定するのではなくて存在が意識を規定する!

井上光貞、引用に戻る 

倫理学教室の主任であった和辻哲郎を選ぶ。これについて井上は、平泉の学問的業績は認めつつ右翼的臭味」を帯びたその歴史観(実証する時と場所と現状分析の区別と関連はどうなっていたのだろうか?ハマれば時代の寵児。)を敬遠したためと、西洋趣味の家風に育ったため、少々野暮に過ぎる国史学科の日本趣味が合わなかったと自伝に記している。

さらに、日本史を世界史的視野で捉えようとする井上の歴史観の形成に、後年のインド・アメリカ訪問の際の経験も大きな影響を与えた(W。本当にこんなことができたのか?)。以上のような多彩かつ多角的視野に立脚した学問的素養の上に、井上は確実な論証を以て史学研究をすすめていった。

研究や古典籍の注釈の他に、教科書や概説書の執筆も数多く手掛けた。」

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  元の引用に戻る

「*禊をするのは、罪に宿る災気を洗い流すためです。

    もちろん災気はケガレなのです。

>この中でケとケガレはある程度密接(?)な関係がありますが、
*ハレはこの二つから離れて上位に属するように思えますがどんなものでしょう。

>さてケガレとされるものは前記のように人や動物の死をはじめとして、
*出産、女性の生理、火災、などがあります。
中でも死のケガレ(死穢)は最大のものです。

*出産や生理に伴う出血は死を連想させるため、ケガレと考えられるようになったのでしょう。
>死をケガレとする理由は大体見当がつきます。

死体は腐乱し、腐臭を放ち蛆がわきます。
放っておいては周囲の人は耐えられませんし、疫病の原因にもなります。

 

*古代の人は疫病は悪霊・怨霊の仕業と考えましたが、

>それは死のケガレと関係すると経験的に考え<死者を隔離>するようにしたのでしょう。
*隔離する場所はもちろん墓です。
*死というケガレに対す<ハレは葬式>であることはいうまでもありません。
>こうなると葬式の元々の目的は故人を偲ぶことより、ケガレの浄化だったことになります。

W。この論文の冒頭の文脈とは違うようだ!

W。今風の葬式風景に置き換えると、葬式=ケガレの浄化とショートカットされる。

人間的である。

引用する

「自分の親族の葬儀なら、喪主は葬儀の後に飲食会を開きます。
いわゆる『お清めです。
お清め(お清め塩)がいつごろから行われるようになったのかはわかりませんが、これをお清めということは、逆に葬儀はお清めの正反対にあると言えるでしょう
と言うことは、葬儀は清らかなことではない、ということになります。
なぜかと言えば、
>葬儀を執り行なう、あるいは葬儀に参列することによって、目に見えないが極めて抽象的なものが身についてしまうので、
その『身についたもの』を取り除く行為をしなければならない、ということです。」

                            引用終わり

>古今を問わず死は人間にとって最も忌み嫌うものですから←W?古今?果たしてそんな簡単に言い切って良いのだろうか?死ねば楽になれる場合もある!一神教の世界ではどうなのだろうか?Wは死を平常心で受け入れたい。大きな手術をしたが手術室に向かうまでの道中、ヤッホーとさけびたかった。全身麻酔が取れたとき、死んでいればよかったと実感した。自己総括はできている。新型コロナウィルス?恐れも楽観視も一切ない。ほんとうのことが知りたい。ただそれだけだ。

>それに携わる穢多・非人等、動物の皮を剥ぐことを生業とする人々が古代より差別されてきた理由の一つがこれなのです。

W。?古代より差別?どの「歴史書」によって実証できるのか?
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>死を忌み嫌うのは人類共通としても←W?死を忌み嫌うのが人類共通ではないというのがリアルだから、ケガレとする民族が際立つのだ。

>タダシ、ケガレ感は日本古来からあったのかどうか、が歴史を考えるうえでキーポイントになる。

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>「それをケガレと考える民族は日本人くらいなものでしょう。
(穢多も非人も現代では差別用語ですが、歴史上そのような言葉が存在したのは事実ですからあえて使っています。)
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では日本人は、いつごろから死をケガレと考えるようになったのでしょう。

      イザナギイザナミ夫婦の話>
>*ケガレが前記したように稲作文化とともに伝わった*とすれば、
*伝わる以前はそのような考えはなかったことになります。
ここで思いつくのが、日本神話にある<イザナギイザナミ夫婦の話>です。この話の詳細を書く必要はないでしょうから、要点だけ書くことにします。


妻のイザナミに死なれたイザナギは嘆き悲しんで、その遺体を出雲と伯耆の国境にある比婆山に埋めた。
しかし妻を忘れられないイザナギは、黄泉比良坂を抜けて黄泉国に行き、イザナミに会う

ところがイザナギは、腐乱した妻の変わり果てた姿に驚き逃げ出してしまう
>怒ったイザナミ黄泉国の女と一緒にイザナギを追いかけるが、
*黄泉比良坂の坂本まで逃げてきたイザナギは、そこに大きな石を置いてそこからイザナミが出られないようにした。

>坂本(さかもと) :坂を降りきったところ。つまり黄泉国を下ったところに現世はあることになる

余談ですが、イザナギが置いた石は、いわば<結界の証>です。
イザナギの場合は、そこよりこちら側は現世だから入ってくるな、という意味ですが、神社などでは神域(清浄域)を指します
神社では注連縄(しめなわ)が結界の意味になりますし、地方へ行くと道端に<道祖神>と刻まれた石をしばしば見かけます。
道祖神は村のはずれに置かれましたが、これは村に外部からケガレが侵入してくることを防ぐ意味があるのです。
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さてこの神話で私が注目するのは、

<妻に会いたいというイザナギの願いが叶うというところです。>

死んだイザナミは黄泉国に隔離されますが、黄泉比良坂を登ってそこに行きさえすれば、会えることに変わりはありません。

     これは何を意味するのでしょう?
>が結論からいって、<死は生の延長線上にある。生と死は連続性を持つということではないでしょうか?

>私達は、死は生が断絶したものと捉えています。もう二度と会えないから家族や親しい人の死を悲しむのです。
>しかし神話の時代には生と死は断絶ではなく、住む世界が違うだけで、連続したものと考えられていたのではないでしょうか?←W。吉本隆明共同幻想論」を読みたくなった!

 *死が、いつから生の断絶と考えられるようになったのかといえば、
 *それは稲作文化と共に大陸から伝わったのではないでしょうか。
     
 *そして仏教の輪廻転生の理論によれば、人は死ねば別のものに生まれ変わるので、
 *その意味では生まれ変わる核(阿頼耶識)になるものには連続性があるかもしれませんが、
 >>体は朽ち果てるので死は連続ではなく断絶になる、と考えられるようになったのではないでしょうか?←W.仏教は精神と肉体の素朴な二元論なのかどうか?

 *死が生の延長線上にあるなら、<<神話時代>>の人にとって死は恐怖ではなく、ましてケガレでもなんでもなかったのではないでしょうか。
イザナギは大岩を結界として坂本に置くことで、イザナミが追って来られないようにしました。この岩がなければ、彼女は黄泉国(死の国)から葦原中津国(現世)に戻ることができたのです。
*かつて日本人にとっては生と死の境界線は不明瞭だった*、というほかありません

W.今だけカネだけ自分だけの世界では死への恐怖心は募る。

W.現代版ケガレ感が蔓延るのも止む無し。見たくないものは見ないように蓋をする。

W.ラジオの鴨長明特集番組で仏教の不浄修行ということを知って、魅かれるものがあった。「方丈記」は災害直視読み物でもある。

 当時の鴨長明批判者は長明は不浄直視せず、文献引用が多いと批判している。リアル鴨長明は悟りの境地と現実世界の諸々との間に煩悶を自覚しながら生涯をおくったヒトだった。だからWは訳知りの古典の中で長明に魅かれる。

W。圧倒的な修行達成者(庶民レベルだ)は無告のまま死んでいったが歴史は書かれなければならぬ至上の境地に至ったものは、文を捨てる。行為はある。

W.要するに、中世初期から最大のケガレ=惨たらしい死に様リアル直視の問題意識は仏教者の間にあった。

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   しかし、だったらなぜ、黄泉国から逃げ帰ったイザナギは川で禊(みそぎ)したのか、といわれるかもしれませんが、
>屁理屈を承知で言えば、イザナギ<妻の腐乱した姿をケガレ>←W.即自的動物次元の感覚と考えたのであって、<彼女の死>んだ姿←W。共同政治幻想、ここは感覚だけの世界の問題ではない。かつて日本人にとっては生と死の境界線は不明瞭だった*ケガレとは考えていないと思うのです
黄泉国から逃げ帰ったイザナギは、ケガレを流すため日向国の阿波岐原というところで禊(みそぎ)をしました。
水の中に入るのですが、この最中に次々に神々が生まれます。
最後に左目を洗った時天照大神、右目を洗った時に月読命、そして鼻を洗った時に素戔嗚尊が生まれています。
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>川の水でケガレを洗い流すという考えは古代中国にもあります。(というか、こういう話が日本にも伝わったのかも)

>私は死が生の断絶として捉えられるようになって、はじめて人は死を恐れるようになったし、
ケガレ意識も生まれるようになったと思います。
その意味で、  

<稲作文化の伝来から仏教伝来にかけての時代は、日本人の死生観の転換期>にあたるのでしょう。
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<古墳などの陵墓には、死穢を封じ込め、外部に出さないための結界としての機能>があったと思われます。
>死穢の大きさは被埋葬者の身分、権力に比例すると考えられ、
>身分が高ければ高いほどまた権力が大きければ大きいほど死穢も強力になるので、
>それを封じ込める陵墓は必然的に巨大化せざるを得なかった・・・単なる想像ですが、私はそんなことを思っています。
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 自然に浄化させるより、火の力で浄化させる方法=火は清浄なもの 巨大な古墳や、長期間の殯 禁止したのが大化の薄葬令(646年)
しかし仏教が広まると、時間をかけて自然に浄化させるより、火の力で浄化させる方法がとられるようになりました。
いうまでもなくこれが火葬です。火は清浄なものなのです。

巨大な古墳や、長期間の殯は周囲の人にかなりの経済的、精神的負担を与えます。それを法で禁止したのが大化の薄葬令(646年)で、
これは簡単にいえば葬儀の簡素化を指示・通達するものです。経済的負担を減らすと共に殉死、殉葬、副葬などが禁止されています。

   

 怨霊とは生が断絶したにもかかわらず、生の断絶を破って生の延長線上に現れるものです。
死んだはずの人が現れれば誰でも驚き、恐れるのは当然でしょう。(驚くこと自体、死は生の断絶である何よりの証拠です)
>わかりやすくいえば怨霊とは、日本人の死生観における掟破り(?)なのです。だから怨霊は恐れられたのでしょう。
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      怨霊と死穢には密接な関係があると思います。
怨霊は恨む相手がどこにいようと、追いかけて来てとりつきます。それは歩き回り、走り回り、空中を飛来する攻撃的な死穢なのです。

 平安時代には怨霊への恐怖はピークに達しました。

天照大神の子孫を称することを王権の根拠とする天皇は、自らを最も清浄
天皇をはじめとする宮廷の貴族達が、怨霊を恐れる様子は尋常ではありません←W。カースト的清浄性=政治暴力が伴っていないから、政治局面においてみずからの殿上人的清浄性を押し出すしかない。政治儀式の重要性、位階制。

天照大神の子孫を称することを王権の根拠とする天皇は、自らを最も清浄なものと位置づけ(何しろ神の子孫ですから)たため、W。中国の王権神授説と同じ手法天が王権を見放せば、という但し書きがないだけ。君が代は千代に八千代に~~云々

明治維新後の神輿を担いだ側の自作自演の匂いが強烈。

wacwacは純粋右翼からもあきれられるほど根っから興味なく遠く離れた世界。どういう思想を持とうが自由である。否定しない。思想的な根拠も認めるが(つまらん線引きをするのは間違い)、素朴な感想として、客観世界の実在を軽く考える思考形態を避けることができないので、政治の中枢でかじ取りをしだすと、肝心なところでミスリードするとおもう東京オリンピック開催などかなり前から発生している事態の思想的根拠はこれだ。

 なぜ今オリンピック開催などという余計なことを背負う羽目に陥っているのか、想いを致す必要がある。もっともその根本的な回答も記事の中にあるように思うが。

  引用に戻る

「その対極に位置する死穢に犯されることを極端に恐れるようになったのではないかと想像します。この場合死穢は怨霊と置き換えてもいいでしょう。

     古代の天皇は例外なく軍団の総司令官でした。
神話ですが神武天皇はそうでした。壬申の乱を指揮した天武天皇もそうでした。
天皇ではないにしろ聖徳太子朝鮮出兵を計画し、実弟を将軍に任命しています。
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日本以外の国では、王を含めて貴族は危険に対しては率先して戦うのですだから特権階級として認められている)、
>日本では天皇が死穢(怨霊)を恐れるようになった時、

天皇は軍団の総司令官としての益荒男(ますらお)から、戦えない手弱女(たおやめ)に変わって行ったのです。
天皇の臣下である貴族達がそれに影響されたのは当然でした。」←W。軍団の総司令官としての益荒男(ますらお)をやっておれば、その後の権門体制や室町応仁の乱戦国時代、近世の天皇京都蟄居状態による「権威」の維持はなかった(この件に対する回答は地歴、地政学の中にしかない。コロナが市中にある程度しか蔓延していな状況<世界から最も遠い列島、歴史と伝統あるあなた任せ、自粛していればなんとかなる>もそこにある)。

 なお、平泉氏の「建武の中興」などという論文は、どの程度、イデオロギー偏重なのか知るために今こそ再刊すべきものと考える。

               引用終わり 時間があれば、他の記事も読んでみた