反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

2013年11月13日記事。宮台真司×小林武史における日本人と宗教論に、「今昔物語集」<讃岐の国源太夫、法を聞き、出家すること>全文引用して俗論を排す。

 wacwac。2020年、7月26日(日曜日)雨。この記事は反俗日記の過去記事カテゴリーを開いて楽しんできたときに偶々見つけたものだが、細部のディテールまではっきりと記憶しているほど、自分の心象風景にぴったりとくる。無駄な描写を一切省いた一種のハードボイルド調の文体は臨場感たっぷりで「芥川龍之介

「美しいなまなましさ」「野蛮に輝いている」と評しているのは流石だなと感心する。

なお、この一編に平安末期に登場した地方武士の原型、生業がリアルに描かれている。

 本文引用

「非常に気性の荒い男で、殺傷を日常のこととしてい。日夜明けてもくれても山野に行ってしかや鳥を狩り、海や川に行って魚を捕る。
またヒトの首を切ったり、足や手の骨を折らぬ日は少ないという有様であった。」

讃岐国の多度郡(こおり)太夫には発心する理由があった。

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 2013年11月13日記事。宮台真司×小林武史「世界の手触りを失うな。  
 *経済への埋没――自明性へ「依存」しないための「別世界」の構築
宮台真司の次の言説に疑問を感じた。
ユダヤ教キリスト教イスラム教の共通性として
「神の意志」を裏切る生活をすれば「絶対の神」が我々を滅ぼすということです。
だから、たとえ主観的には幸せな生活でも、「神の意志」を裏切っていないかと自らを絶えず試練にかけるんです。
つまり、自分たちの生活形式に対して反省的だということです。

>でも「絶対の神」がいない僕らって、幸せになれば「幸せになった」で終わるんです。
 僕らのまわりに居るのは、「絶対の神」ではなく、よく言う「アニミズム的な存在」です。」

 日本歴史の事実をそういう一括りにそれば、自ずから以下の俗論にしか行きつかない。
>結局、我々には何か突きつけてくるという宗教的存在がないんですね。
つまり

>「自分たちはこの生活でいいのか」と突きつけてくる「疑いのエンジン」がないんです。宗教学では「超越の契機がない」と言う
だがしかし(W)、
>社会の中で酷薄な関係性を生きる登場人物たちは、
〈世界〉からの訪れに身をゆだねることで、辛うじて〈社会〉をやり過ごすわけです
酷薄な状況に置かれた人間たちの多くが経験していることでしょう。
>敗戦や震災ですべてチャラになる経験は、もちろん災難だけど、多くの人が解放の感覚を証言している事実があります。」
「いろんなことがあってもお天道様はちゃんと昇ってる」みたいな感覚です。
いじめられっ子の感じ方でもあります。
学校の中でひどい目にあってる場合、「自分の世界は学校の中だけしかない」と思ったら生きていけない。」
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 以上のような論法に収まらない日本がある。しかもたくさん埋もれている。     今昔物語集 本朝仏法部、巻19の14。日本の古典を読む12(現代語訳)
  讃岐の国源太夫、法を聞き、出家すること。

「今は昔、讃岐国の多度郡(こおり)-香川県善通寺市の辺りーの某郷(さと)に、本名はわからないが、太夫と称せられるものがおった。
「非常に気性の荒い男で、殺傷を日常のこととしてい。日夜明けてもくれても山野に行ってしかや鳥を狩り、海や川に行って魚を捕る。
またヒトの首を切ったり、足や手の骨を折らぬ日は少ないという有様であった。
しかも道理の何たるカを知らず、三宝(仏教で学ぶべき仏、法、僧)を信じようとせず、まして、法師と名の付くものをとりわけ嫌って、そばにも近づかなかったこのような極悪非道の悪人であったから、その国の者たちはみなこの男をに恐れをなしていた。」

 ある日のこと、この男は家来者4,5人を連れ、しかなどを多く捕らせて山から帰ってくる途中、一つのお堂があっ て、大勢のヒトが集まっているのを見た。
「いったいここで何をしているのか」と家来に聞くと、「コレはお堂というもので、ここで、講を行っているようです。
講を行うというのは仏様やお経の供養をすることです。本当に尊いことです。」という。
太夫はそういうことをする者がいるとは、時たまボンヤリと聞いてはいるが、こうまじかに見たことはなかった。
坊主がどんなことをしゃべるか一つ聴いてやろう、ちょっと待っておれ」といって馬から下りた。

 そこで家来たちもみな降り、「主人はいったい何事をやらかすのだろう。講師の坊さんに痛い目を見せるのではないだろうか。気の毒なことだな」と想っているうちに、源太夫はずかずか堂に歩み寄り、中に入っていった。

 説法の場に集まっている聴衆は、このような悪人が行ってきたので、「どんなことをしでかすのだろうか」と思って恐れをなしてざわついた。中には怖がって出て行くものもある。
 源太夫が居並ぶ聴衆を押し分けてて入っていくと、風になびく差のように人垣がなびく。その中を押し分け口座にどっかと座り、講師をグットにらみつけ、
講師はいったい何をしゃべっていたのか。この俺の心にナルホドなと納得するほどのことを話して聞かせろ。できなかったら只で置かぬぞ」といって、腰に刺した刀をひねくり回していた。

 講師は、「コレはひどい災難にあったものだ」と怖気づき、自分が何を説法しているのかも覚えず、「この口座から引きずり落とされはしないか」と気が気でなかったが、元々知恵のあるそうであったから、心の中で、「仏様どうぞ助けてください」と祈念しながら、
「ここから西の方(かた)、多くの世界を過ぎていったところに一人の仏様がおられます。それを阿弥陀仏と申し上げます。
その仏様はお心が広く、長年罪を作り重ねたヒトであっても、後悔して、一度でも<阿弥陀仏>と唱えれば、仏様は必ずその人を楽しく素晴らしい国にお迎えくださいます。
そしてその人は願い事がことごとくかなう身に生まれ変わり、最後は仏様になるのです」という。

 太夫はコレを聞き、「その仏は人を哀れみなさるということなら、このおれをもお憎みならんであろうな」というと、講師は「そのとおりです」という

「ならば、おれがその仏の名をお呼びしたらお答えになろうか」。
「それも真心をこめてお呼びすれば、どうしてお答えにならぬことがありましょう」
「ではその仏はどういう人がお好きだとおっしゃるのか」
「人が他人より自分の子がかわいいと思うように、仏は元々誰もにくいとはお思いにはなりませんが、とりわけ弟子になったものを一段とかわいいとお思いになるのです」。

どのようなものを弟子というのか」
「今日この講師のように頭を剃った者はみな仏の弟子です。全て俗人の男も女もお弟子ではありますが、やはり頭を剃ればいっそうまさるのです」。
太夫はコレを聞き、「ならば、おれのこの頭を剃れ」という。
講師は、「それはなんとも尊いことではありますが、ただいまにわかにどうしてお頭を剃り得ましょうや。
あなた様は心からのご発心でございましょう。
家に帰って妻子や従者どもとご相談になり、万事処置なさってからお剃りになるがよろしいと存じます」といった。

とたん五位は(太夫太夫=五位の通称)、「貴様、自分を<仏のお弟子>だなどといいながら、<お弟子になった人を仏はかわいいとお思いになる>などといいながら、いったいなんでたちまち舌をひるがえして、<後で剃れ>などと抜かすのだ。マッタク出鱈目だ」と言うや、刀を抜いて自分の髻(もとどりー髪を集めて束ねたところ)を根元から切り落とした。

 このような本人がにわかに髻を切ったものだから、どうなることかと、講師も慌てて口が利けず、その場にいた聴衆たちもがやがや騒ぎ出した。

 家来たちはこの騒ぎを聞いて、「わが君には何ごとがおありなのか」と、太刀を抜き矢を番え駆け込んできた。
 主人の源太夫はコレを見て大声で家来たちを静め、
「お前たちはおれが良い身になろうとするのをナント考えて妨げようとするのか。おれは今朝まではお前たちがいる上に、さらにもっと家来が欲しいと思っていたが、これから先は直ちに各々の行きたいところに行き、使われたいと思う人に使われて、一人もおれについてきてはならぬ」という。
 
 家来たちは、「いったいどうしてだしぬけにこんあことをなされたのですか。とても正気の沙汰ではこんなことはささりますまい。何かに憑かれなされたに違いありません」といって、みな地に倒れ伏し身をもんでなき騒ぐ。
 主人はコレを制し、切った髻を仏に奉り、直ちに湯を沸かし着物の紐を解き、襟元をおしくつろげ、自分で頭を洗い、講師に向かって「さあ、剃れ。剃らぬと承知しないぞ」と言う。
 こういわれて、「本当にコレほどまでに決意したことを剃らねば良くあるまい。また出家するのを妨げたらかえって罪を犯すことになろう」とかたがた恐れて、講師は高座から降り、頭を剃り戒を授けた。
家来たちは涙を流し、この上なく悲しむのであった。

 その後、入道となった源太夫は着ていた水干の袴を布衣(ほい。麻布などで作った粗末な僧衣)・袈裟などに着替え、持っていた弓・やなぐい・などを金鼓(托鉢修行に用いる叩きがね)に替え、衣、袈裟をキチンと着、金鼓
を首にかけて、
「おれはここから西に向かい、金鼓をたたきながら阿弥陀仏を名をお呼びし、お答えの無い限り、野山であろうと河川であろうと決して引き返すまい。ただ向かったほうに進んでいくつもりだ」といい、声を張り上げて、
阿弥陀仏よ、おうい、おうい」と呼んで、金鼓をたたきながら歩き出した。
 家来たちが付いていこうとすると、「おい、お前たちはおれの行く道の邪魔をしようとするのだな」と言って打ちのめそうとするので、みなその場に留まった

 こうして西に向かい、金鼓をたたきながら阿弥陀仏の名をお呼びして歩いていったが、
本当に先に言ったように、深い川にぶつかっても、浅瀬を探して渡ろうとせず、高い峰があっても、回り道を見つけようとせず、倒れ転びして向かったほうにまっしぐらに進んでいく。

 やがて日が暮れ、一つの寺に行きついた
その寺の住職に向かい、
「おれは、かくかくの心を起して西に向かって歩いていくものじゃが、右も左もわき目も振らず、まして後ろを振り返るなどということはせず、ここから西にある高い峰を越していこうと思っておる。
これから<七日>たってわしのいるところを尋ねて必ず来てくれ。途中、草を結びつついくつもりゆえ、それを目印にきてくれ。何か食べるものはないか。ほんの少しでよい。分けて欲しい」というので干飯を取り出して与えると
「これは多過ぎるよ」といい、ごく少しを紙に包み腰に括りつけてその寺を出て行った。
 住職が、「もう夜になりました。今宵だけはここにお泊りなされ」と言って引き止めたが聞き入れずに出て行った。

 その後、住職は入道の言ったとおり<七日目>に、跡を尋ねながら行くと、本当に、道々草が結んである。
それを頼りに高い峰を超え、そこから見るとさらに険しい峰がある。
その峰を登ると、西の方に海が良く見える場所があった。そこに二股の木がある
その股のところに入道がまたがって金鼓を叩き、「阿弥陀仏よ、おうい、おうい」と大声で叫んでいたが、住職を見て喜び、「わしはここからさらに西に行き、海にも入って行こうと思ったが、ここで阿弥陀仏がお答えくだされゆえ、なおお呼びしておるのじゃ」という。
住職はコレを聞いて不審に思い「なんとお答えになりましたか」と尋ねると
「ではお呼びしてみよう。聞いておれよ」といって阿弥陀仏よ、おうい、おうい、いずこにおわしますか」と大声で呼ぶと、沖のほうからなんともいえない美しい声で、「ここにおるよ」とお答えがあった。
「どうだ、聞いたか」と入道が言ったが、住職は阿弥陀仏のお声を耳にしてありがたく尊く、地にひれ伏して声を限りになくのであった。
入道も涙を流し、「お前は帰るが良い。そしてもう<七日。W>してまた来て、おれの様子を見届けてくれ」といった。
住職は、「食べ物が欲しかろうと思い、干飯を持参しましたよ」というと、
「なにもほしくない。まだまえのが残っておる」という。
見ると本当に前のように腰に括りつけてあった。
こうして入道と後世のことを約束しておいて住職は帰って行った

それから<七日。W>後、そこに行ってみると、入道は前と同じように木の股にまたがったまま、西を向いていたが、今度は死んでいた。
見れば、口からえもいわれぬ色鮮やかな美しい蓮の花が一葉生えていた。住職はこれを見て涙を流して感激し尊び、口から生えていた蓮の花を折り取った。
「亡骸を埋葬しようか」と思ったが、このような尊い人はこのままにしておこう、「本人も遺体を鳥・獣に施してやろうと思っていたのかもしれない」と思い直し、そのままにして泣く泣く帰っていった。
その後どうなったかわからないが入道は必ず極楽に往生したと思われる。

 住職もまさしく阿弥陀仏の声をお聞きし、入道の口から生えた蓮の花をとったという事実があるからには、決して罪深い人ではあるまいと思われる。
その蓮の花はその後どうなったかそれは知らない。

 この出来事はひどく昔のことでhない。<空白部分>の頃のことであろう。
たとえ<末世>であろうとも、真実の道心を起したからこのように尊いこともあったのだ、とこう語り伝えているということだ。

<追記>
>結局、我々には何か突きつけてくるという宗教的存在がないんですね。
>つまり「自分たちはこの生活でいいのか」と突きつけてくる「疑いのエンジン」がないんです。宗教学では「超越の契機がない」と言う。
W。この手の歴史の抽象が多過ぎます。
あらゆる方面の立場に関係なく。
W。これは自分固有の歴史的総括であり、現在の思想的立ち位置の明確化の材料に過ぎません。
W。歴史の過程を抽象する観点に我々は絶対的に眉に唾をつけて接しなければならない。
またそんな疑惑を基本原則にして良い時代になりました。

ま、歴史を大きく抽象する方法論を選択すると言うのならば、
もっと大きな視野にたって、
中国、朝鮮半島、日本の歴史を総体と見て、ギリシア、ローマの継承者を自認するヨーロッパの歴史と比較してはどうだろうか。
宮台真司さんのような自己矮小化の日本史抽象論が出てくる背景は、
>日本史と直接、古代ギリシアに始まる西欧史を比較する誤りにあると考えます。
*ところが、日本史は東アジア史と不可分一体です。
司馬遼太郎のアジア史観も良い意味で取り入れるべきです。
@彼は敗戦しても西洋に動揺しなかった。
@アジアがあったからだ。