ジョンダワー「敗北を抱きしめて」を17回に渡って連載してきた。上下巻読み通しての総括的結論に達するまで時間がかかった。
凝縮した歴史的事実経過の記述において、それまで巧みな歴史的文脈の欠陥が露になるときがある。なお、明治いしんが日本植民地化の危機を乗り越えてた達成されたというのは神話であり、知っている限り19世紀の半ばのヨーロッパ、アメリカの先行資本制国は極東のヤマばかりの列島を植民地にして利益を得る地政学的必然性はなく、軍需品、金融投機目的の市場としての価値しか見いだせなかった。
Wの読み通した限り「敗北を抱きしめて」のハイライトは日本国憲法成立前後のGHQと日本当局、関連する民間団体の動向である。アメリカ側の資料を駆使てリアルで興味深く描かれているが、活字を追っていくと腑に落ちないところがある。
Wの結論。
①敗戦日本の支配層と人民はアメリカを受容したが、②アメリカ当局は戦後世界覇権を握る東のキーパーソンとしてヒロヒトと天皇制日本を必要<不可欠>なものとしていた。
ジョンダワーの長大な上下巻、「敗北を抱きしめて」はアメリカ側の資料を駆使して①の実態は描かれているが、②が無視されている。
理由ははっきりしている。
アメリカが大戦を通じて伸長するソ連とその影響下の勢力をけん制し戦後世界覇権を達成するために日本を必要としている世界史的な事実は、アメリカ読者を対象としたこの本では描く必要はなかったからだ。仮にこの本が歴史研究本であれば描かなければならなかった。もっともアメリカの歴史書はこの類のエンターテイメント優先に留まるものかもしれない。それが許されるのは世界覇権国家の甘えである。自分達の身の処し方を切実に思う国、地域では、客観的な情勢は厳密に知ろうとしなければならない切迫感がある。片手落ちや絵空事の情勢文戦績は通用しない。
「敗北を抱きしめて」は今もよくある日米限定関係論の狭い視野で占領物語を伝えているだけと云えよう。日本の読者が興味深く読めるのは著者の力量とアメリカ側の生資料を駆使していることによるためだろう。
ただしその歴史文脈に沿って手探りをしている限りにおいてのみ日本人読者にとってアイロニーとして興味津々だが、それだけで済ますわけにはいかなくなるはずだ。
現在の従属日本論や属国日本論はその源流をこの本の占領直後の物語に求めることも可能だが、他方で当時は検閲によって徹底的に隠されていた日本国憲法の草案が迫りくる拒否権発動可能な極東委員会の日程に慌てGHQ民生局の1週間の作業で作成されたという事実に対して、どのような政治理論的処理がなされるか。
現憲法を押し付け憲法と短絡する勢力との対抗上、重要な課題として浮上するはずだ。
日本とアメリカ、そして世界を相対化し、一般的な民主主義とか平和の1つの基準で割り切らない視座を持つWはダワーの敗戦当時においてもアメリカは世界覇権を完遂するうえで日本を必要としていた、という決定的事実を無視していることに注目する。
このことを一つの基準で言い換えると、占領政策によって民主化がもたらされた。もっといいかえると、第二次世界大戦の主要参戦国の中で、封建制から近代への転換期の帝国君主憲法(遅れた絶対主義憲法)を保持していたのは日本だけであり、その種のモノは20世紀の現代には戦争で一掃される運命にあった。だから日本はアメリカに占領される宿命を背負っていたし、逆に言えばアメリカは世界覇権国家の利益を享受しようとすれば敗戦日本と天皇制が必要不可欠だった。以上の観点を当時の憲法調査会政府代表の頑固派松本などはどの程度までわかっていたのだろうか?結局、己が天皇に一番近い中央官僚であったという身分的物理的近接観に執着していたに過ぎない。
ダワーに決定的にかけているものは第二次世界大戦におけるソ連とその影響下の勢力が果たした軍事政治力が大戦を通じて急速に伸長したという歴史的事実である。それはソ連邦崩壊、中国改革開放によっても未だその残滓は消し去ることができないばかりか、中国経済の急成長のよって米中対立の局面を迎えている。
ピリッアー賞を受賞した米国側の読者には民主党大統領候補バイデンのようにトランプの日本核武装容認発言をけん制して「日本国憲法はアメリカが書いた」と文字通りに真に受ける読者もいる。この本はアメリカ一極体制当時のアメリカの読者向けに書かれた占領物語という側面も見逃せない。だったら、日本読者はこの本を他の資料を駆使して読みかえたほうがよさそうだ。
>日本読者はアメリカ限定の「敗北を抱きしめて」の文脈たいして異なる視座から見ると疑問がわいてくる。
>果たしてジョンダワーの提示する事実だけで当時の関係者の動向が決定されていたのか。
ジョンダワーの描く天皇は占領軍に庇護を一方的に求める存在だがそのような演技、演出の背後には体制を替わろうとも自分の身分は保証されるという政治的常識があった。うがった見方をあえてすれば天皇の身分保障は戦前よりも合理化され現代化された。彼らも戦前なる重い意匠から解放されたのだ。国民に天皇制を内在化させる過剰不必要な演技演出は省略された。だったら、敗戦後の天皇制は戦前よりもいっそうに日本国民一人一人の内面の課題になる。ゆえにマスメディアの天皇宣伝にいる刷り込みが不可欠になる。
その1。
幹部候補生試験を拒否して海軍二等兵で宇品海軍基地に召集された丸山真男(東大助教授)は天皇敗戦放送以降の日々、司令部幹部に呼びだされ今後の日本の行方を課題に連続講義をしてくれと頼まれた。当地の海軍幹部の第一の心配事は「敗戦後の陛下の身分がどうなるのか」ということだった。丸山は通信兵として海外の電信傍受をして翻訳をしていたから海外情報にも通じていたので、その知見や学者としての知識を生かし、「日本の今までの体制は占領政策によって変わっても天皇陛下の身分に大きな変化はないでしょう」と断言する。~丸山真男全集~
>近衛文麿上奏文においても
犬死論・近衛上奏文 | おしえて!ゲンさん!〜分かると楽しい、分かると恐い〜
●近衛上奏文 1945年2月14日
注:原文を一部現代語に直しました
敗戦は遺憾ながらもはや必至なりと存知候。
以下この前提のもとに申し述べ候。
敗戦は我が国体(注:天皇制)の危機ではあるが、
英米の世論は今のところ国体の変革までは進んでいない。
そのため敗戦だけならば国体上憂う要なしと存知候。
国体の護持より最も憂うべきは、
敗戦よりも敗戦に伴って起こる共産革命に御座候。
(中略)
戦局への前途につき、何らかの一縷でも
打開の望みありというならば格別なれど、
敗戦必至の前提のもとに論ずれば、
勝利の見込みなき戦争をこれ以上継続するは、
全く共産党の手に乗るものと存知候。
したがって国体護持の立場よりすれば、
一日も早く戦争終結の方途を
講ずべきものなりと確信致し候。
この上奏文に驚いた天皇は御下問します。
以下は天皇の下問と近衛の返事です。
(天皇)
我が国体について、近衛の考えとは異なり、
軍部では米国は日本の国体変革までも
考えていると観測しているようである。
その点はどう思うか。
(近衛)
軍部は国民の戦意を昂揚させるために、
強く表現しているもので、
グル-次官らの本心は左にあらずと信じます。
・・・・ただし米国は世論の国ゆえ、
今後の戦局の発展如何によっては、
将来変化がないとは断言できませぬ。
この点が、戦争終結策を至急に講ずる要ありと
考える重要な点であります。
(天皇)
もう一度、戦果を挙げてからでないとなかなか話は難しいと思う。
(近衛)
そういう戦果が挙がれば、
誠に結構と思われますが、
そういう時期がございましょうか。
それも近い将来でなくてはならず、
半年、一年先では役に立たぬでございましょう。
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何故戦争終結が出来なかったのでしょうか?
戦争に負けることが分かっていても、
近衛上奏文にあるように、
国体護持つまり天皇制が守られるという
約束が保証されるまでは、
国民がどんなに犠牲になっても
戦争を止めるわけにはいかなかったのです。
W。特攻自爆攻撃はサイパン以北の本土空襲可能である絶対防空権が突破されたとき、親王将軍によって提起された。サイパン陥落の前哨戦であるマリワナ沖海戦で、日本航空部隊は敵艦隊の高性能レーダーを勿論のこと、対空弾幕の苛烈さ(高速射能力)と敵戦闘機に命中しなくても近接弾でも破裂する金属探知装置を付けた対空砲という新兵器を察知しても特攻攻撃を選択した。特攻攻撃が敵艦に命中する確率は極めて低いとわかっていてもその選択がなされた。
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目の前の視界が開けたのは、日本国憲法成立前後のジョンダワーの記述を、カイロ会談/カイロ宣言
の世界史の視点から、「敗北を抱きしめて」を点検したときだった。
敗戦日本の支配層と人民はアメリカを受容したが、アメリカは戦後世界覇権を握る東のキーパーソンとしてヒロヒトと天皇制日本を必要<不可欠>なものとしていたのだ。
元々、wacwacは、従属論やましてや属国論に簡単に流れる系譜に属していない。自分の属してきた潮流を大事にし、そこから出る機会があれば、きちんと順序だてて検証するぐらいの作業はする。
以前、ドイツの政治潮流を反俗日記で取り上げたとき、感じたのはドイツでは自らの政治意識を政治潮流への所属意識から点検し政治選択をしている層が日本よりもはるかに多いらしい、ということだった。だから、ドイツの政党地図では各々主要政党の経緯、政治内容が遠く離れた東アジアのWにも筋道をたどってわかる思いがする。
これがイタリアになれば、何となく混濁しているように思えて、相当調べなければ納得し辛く未だに五つ星運動と旧北部同盟がどうして政権にたどり着いたのか、その間の国民の政治意識の変化はかわからない。ただしかつて大きな勢力を誇っていたイタリア共産党が別れたのはよくわかる。冷戦構造がなくなれば、突き詰めていけばそういう分解になるのがむしろ当たり前なのだ。
イタリアの政治論は独特の突き詰めた展開の仕方があり、その意味で世界に先駆けているところがある。イタリア共産党は理論的に袂をわけた。
イタリアは戦前世界で最初に全体主義が政権を握った国であり、ドイツのヒットラー政権誕生よりも8年も前の1923年黒シャツ党のローマ進軍、イタリア国王首班任命に溯る。イタリアの政局は世界に先駆けている、という法則は今でも健在であると思う。
コロナ渦の日本は国情がはっきりした。もう先進国から脱落寸前の状態なのだ、と思う。反俗日記で昔、社会保障、福祉関連の統計資料をよく扱うことがあったが、日本のその関連の統計数値に近くにいる国は決まってメキシコ、トルコなどであった。
第2次世界大戦後のオリンピックの回ってくる順番もローマの次が東京で、その後がメキシコシティーだった。
つまり、1960年代初頭の経済順位の通りに五輪開催国が回っていたとすると、その後の日本の経済成長がすさまじい勢いで達成されたということで、それはそれなりの特殊な内外要因があってのことだ。
その特殊要因が潰えていく過程もまた、日本独特のモノで、実にプラザ合意受諾から日本バブル(ジャパンアズナンバーワン)の時代まで長らくしぶとく続いた。
>そしてついにこの長い日本の右肩上がりの状況はストップし、グローバル資本制下の日本本来の持っていたファンダメンタルズが露出してしまった。
東西冷戦終結後の日本の姿がそれである。節目節目の結節点で良いことはなく悪いことが続いているというのが実情ではないのか。ジッとしていてもどうにもならないから動く。動けば裏目に出る。
リーマンショックの波及した先進国で日本経済の落ち込みは他に例を見ないほど急激で深刻だった。円高になっただとか、いろいろな説明がなされているが、一番肝心なのことは日本資本主義の経済史の中にある。
繰り返しになるが、日本を上昇させてきた特殊な内外要因が、時代を経て一掃され、日本本来のファンダメンタルズがむき出しになった状態。コレに加えて政治が古い日本の伝統に縛られた家族中心の施策の実行で対処するという間違いを犯した。けっか、先進国に稀に見る風通しの悪い社会ができあがり、そこに支配層ががっちりしがみつき、増えないパイの分捕りが合戦を国民多数派に向けて展開中。そういうように考えると、このコロナ渦への対応も赤裸々にわかってくる。