認知症介護。担当のケアマネが辞めて後任が決まらないまま、1年以上経過。現場の最高管理責任者が兼務している状態としってから、事業所側のおおよその事情は察していたが、今日の偶然の話し合いの中で実情を知った。
募集してもいつまでたっても後任はできないばかりか、所属のケアマネ確保に汲々としている事情があり、来る人がいないまま兼務しているという。
この話の中でとっさに思い浮ばなかったが、次の事情で新しいケアマネが決まらないのだと思う。
1,特殊な専門職のケアマネの労働市場は硬直化し流動性は少ない。看護師の方がまだ流動性は大きい。
2,コロナ渦の感染を警戒するためにヒトと地域に密着しなければならない新しい職場に移動しようとする人は極限られている。移動したいケアマネがいてもまず、コロナ渦が治まってからと考えるはず。むしろ転職希望者よりも一時的に止める人の方が多い。2000年当初の介護保険制度成立以降、ケアマネになった35歳ヒトの30年後の今はもう引退の時期だ。この10数年ほど介護報酬は据え置きのままなので新しい血は入っていない。ヘルパーの報酬と最低賃金の差は驚くほど縮まった。
3、ケアマネは業界事情に詳しい。事業所の管轄地域を一目見ただけで担当地域の労働のおおよその見当はつく。介護のむつかしい利用者の多そうな地域を管轄とする事業所はスルーされる。
4,通勤事情の悪いところは避けられる。
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結論。
①と②はケアマネ労働力商品市場が徹底した売り手市場になっている事情を示し、募集しても新任者は選定できない。
それに環をかけて
③や④の地域特殊事情が加味されるので、いつまでたっても求人はスルーされたままになる。
新しい担当のケアマネはできないまま、管理職が兼務することになる。
>そして 結局、手間のかからない利用者が兼務の対象となる。 本人の症状は進む。可哀そうである。わたしのやることは増える。
>しわ寄せは一番弱いところにきている。
私がやってきたことの肩代わりをヘルパーさんたちに要請していたが、あの人たちの流儀の仕事内容を吟味すると、一番若いヘルパーさんの無償サービス労働だったり、簡単な仕事に煩雑な手続きが付随したりして、これだったら、私はやったほうが良い、ということにならざる得なかった。
週二回の旧式のふろの湯はりはただ働きするという。無償労働を1年間トータルすれば、どうなるのかと私は言った。自分の目の届く範囲での労働者の無償労働は看過できない。
もっとも、私のこれまでのやり方は本人の体調を見ながら2日に1回入浴、待機見守りはしないが、必ず入浴中に声掛けしてきた。風呂は毎日でも入ったほうが良いと伝えている。
入浴後、脳神経系がふわっとすることが原因なのか、普段よりもボケるのを発見した。誰でも入浴時に独特の良い気持ちなることと変わりはない、とおもっているが、そうすると認知症とは何なのだ、という新しい解釈が生れてくる。年老いてぼけてくることは脳の安息なのだ。
夕方の勤務時間帯では服薬の都合上、湯はり入浴、のケアはできないのでそういう時間外の無償労働をしなければならない。だったら、これまで通り、私がやって安否確認したほうが良い。
近所のスーパーでおかずを買ってくること自体に帳面付けその他の労働が付随する。しかも調達できるおかず高齢者向きではない。
配食弁当は以前経験したが嫌がっている。反俗日記でほのめかしたように一部は貧困ビジネスすれすれだと思う。
結局、安くて量があってうまい今までの店頭販売で買って、すーぱーで彩を添えるほうは本人のためになる。
わたしが4年間、認知症のヒトの見守りケアに携わり、その間に症状が進んだ今に至った結論から言えば、他人の無償労働には大きな壁がある。一方で、家族介護の悲劇の目の当たりにした。他人介護は有償の仕事でなければ安定し継続したケアは厳しい。相手にも悪い。わたしがその都度思い悩むのは労働にインセンティブと職業倫理がないという側面に原因があるのは明白だ。継続は力なり、を実行中に無駄な悩みの負荷が加わる。仕事と割り切ってしまえるところを理念や精神力でカバーするしかなかった。その理念が瓦解し総括した。ダリ「過去の固執」ムンク「叫び」安岡章太郎「海辺の光景」太宰治「姨捨」の4点のなかでこれから使えるのは、「海辺の光景」だけだ。
この情況への一番フレキシブルで手っ取り早い解決方法は、わたしがその介護事業所に所属する労働とこれまでの経過の中で携わってきたヘルパーさんの労働をミックスすることだ。しかしその場合、ヘルパーさんの労働はなくなる。ココの仕事は楽だとヘルパーさんは言う。本人の力によるのであって、わたしは煙たがられていた。
しかし見守りケアが認知症介護の基礎であることは間違いない。わたしが退けば近所の他の人が一部を代りをするしかないが、やればたいへんな側面がわかる。実際にやりきれなくて二人死んでいる。一人は制度利用から施設収容の軟着陸に繋げた。すべて、大人の子供たちがいたのに、近所の助けが必要だった。コレが日本社会の一部のありのままの現状だ。地域コミュニティーを有償ボランティア活動で生かしていくしか方途はないと思う。学者さんや専門家の提言や構想はピンとこない。もっと泥臭く、いい加減で許容範囲を広げること、カネを薄く広い範囲に散布することが大事なのではなかろうか。街頭デモに参加するような次元だ。
わたしの見守りケアのひとに身よりはない。夫や、子供たちがいても事故死の悲劇がおきたのに社会的に丸裸状態のヒトにたいして、介護困難度が増したから訪問介護事業所に丸投げするわけにはいかない。
1週間弱遠ざかったとき、ヘルパーが本人の事情を説明に来た。
心の整理がつかないまま、本人と話し合い元の位置に戻った。が、周辺症状が顕著になっているのでやはり難しい。自分自身の精神的肉体的限界もやり始めたころよりも大きく感じる。4年間で大きな手術一回と目の手術、緑内障を患った。アルコールが極端に弱くなった。
覚悟はできているが、介護で死ぬ覚悟に未だ至らずの面がある。
なぜなら、統一的人格の怪しくなった他者に対して命を尽くすことの意味がいまだに位置づけられない。結局は自己完結、自己満足に終わることは承知のうえだ。
であれば自分の人生とは何だったのか?
しかし、前回の記事で書いたように人生には意味がない、実際になかったのだ。
>その確認においてじゆうになるのだ、ここにおいてそうすることにおいて。
@アルベールカミユの「シューシュポスの神話」は似つかわしくなかった。
キリスト教の課題がない私には。
引用 中沢新一
「ボグダーノフ「経験一元論」を引用して
客観性の基礎は、集団的経験の領域になければならない。
>我々と他人とにとって等しい生活上の意義を持っている経験のデータ、単に我々が矛盾無しに自己の活動をそれに立脚させているばかりでなく、我々の確信によれば、
>矛盾に突き当たらないためには他人もまたそれに立脚しなければならないところのデータ、それを我々は客観的なものと呼ぶ。⇒W。この事実認識に基づく一致点を認知症のヒトに説いたのは大間違いだった。なぜなら、客観的存在の認知症のヒトは『私の意識の絶対的外部にあるのだ。社会性はなくても、経験の組織化がなくても、その人は実在する!~~
W。ボグダーノフの経験一元論を解説して。なるほどもっともらしい見解である。
個人の想像界に生まれる個人的な心理経験が、集団の場にもちだされ、そこで個人のゆがみが糺されたり、不足を補われ、社会的に調和するように形作られ、経験が社会的な意味を持つように転写されるとき(つまり想像界が象徴界に転写されるとき)客観性が生れる。⇒W。認知症のヒトの客観的な実在に対してこの論理は通用しない!
意識の内部にはニューロンパルスである感覚のカオスがあり、それを組織化して経験が発生する。
その経験ははじめ個人的な心理に過ぎないが、次第に集団の場で社会性を獲得して、ついには社会的に調和する客観性を獲得する、という物語が出来上がる。
記号論とは、何とまぁ~、ブルジョア教養小説のような造りをしているではないか、とレーニンはあざける。
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引用再開
「社会的に、集団的に作り出された客観は、確かに個人的な想像の世界よりも、人間の意識の外にある絶対的な客観的実在をより正しく反映できる。
>しかし、客観そのものは、どのような意識的現象からも独立して、その外になるものなのだ。
>普遍(カソリック)とか一般(ジェネラル)とかいいうものは、あくまでも集団意識の内部の出来事である。
>物質であるところの<客観的実在>はその普遍性を解体したところに出現する!
@絶対的自然、物質は無限の深さと、無限の力能と、無限の階層性と無限の運動を孕んで、人間の意識の外に、実在している。
@<わたしの>意識はその物質の運動の中から形成され、自分の中に物質を反映し模写する。
@主観の外、意識の外にある恐るべき運動する実在を「物」と名付け「客観」と名付け、人類の「客観」に向かって解放する運動としての共産主義を構想した。
唯物論は、意識の外にある客観的な実在を認めて実践によって、それに無限に接近していこうとする、運動の別名だ。
@実践する人間の意識は、自分の外に向かって踏み出していく。
@馴染みのない不気味な異和の感覚が、意識の先端に接触し、そこを洗っていく。
意識は意識ならざるものに触れながら、自分の形態を絶えず変化させていく。この実践は無限に続く。
@しかし、実践の波がしらでは、意識は客観に変容し、客観の中から、新しい意識の形態が絶え間なく発生している。
そのときレーニンのあの笑いがよみがえってくるのだ。ドリン、ドリン!唯物論の本質を体で表現するあの笑いだ!
言葉の外、意識の外にある何者かの力が沸き上がってきて人間という生き物の底に触れ、それを押し上げようとするとき、笑いが生れる。
この『なにものかの力」というモノを今だったら次のように表現できる。
それは客観的実在であり、レーニン的物質なのだと。
レーニン的物質の運動が意識のそこに触れそれを押し上げていくとき、ヒトは笑うのだ。
小さな子供の頭や、やわらかないぬのおなかをなでるときも、人間はそのよう客観に触れている。だから唯物論の実践とは笑いと同じ構造を持っているといえるのだ。
@深沢七郎「楢山節考」のおりん婆さんとその息子は<否定>の<否定>の英雄だった。
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関係のある事業所が私が全面的に介護をひき受けるなら、キチンとした手続きをして、やってあげるといっている。 ただその場合、管轄地域外だし、規模を縮小した事業所なので応援体制に不安を感じる。さらにそこの責任者は1年余り前に死んでいた。あまりにも早い死だった。詳しい事情は聴けなかった。
今の介護事業所の後任のケアマネはいつまでたっても見つからない。そればかりか、管理責任者が兼任すれば人件費の削減になり、介護保険の点数が長年据え置きのままなので、無理をして後任者を探す必要はない。その人はその人なりの責任をはたしているが。
訪問介護最前線のヘルパー責任者は人がころころ変わっていくうちに、いつの間にやら利用者にマンツーマンでせっしなくなり、用件はケアマネに!が口癖になった。そして知らぬ間に長年担当したケアマネは止め管理責任者の兼務になって、1年が過ぎていった。
毎日朝夕はいるヘルパーさんはよくやってくれているが、6人の違う顔ぶれの出入りに社交性のある本人だからこそよく対応してくれている、とおもう。しかし、認知症の進行具合ははやくなった。この感想を口に出せば、会社は引くと思うので云えない。実際にそのような発言もあった。
つまるところ、今の業界事情では特定の事業者は弱者利用者にとって<強者>なのだ。上から降りる点数が長年変わらない中で、訪問介護は儲からなくなり、ヒトのやりくりに苦労するだけで、競争原理がはたらかいのだ。全般的な疲弊状況の中で、弱い利用者に選択の自由はない。
だったら他にやってもらえば的な発言にたいして、身を引くしかない。
余裕があればしかるべき措置はとれる。
責任もとれる。
余裕がないので、弱いものにシステムの不具合のしわ寄せがいく。
どうじに自然の流れに身を任せる。
その総和が今の社会の潮流を作る。
最弱者とかかわることで、怒りは内向するばかりだが、自分が変わらなければ不幸になる人がいる。
>長い引用文で事実認識の共有を唱える過ちに気づいた。自分の意識の外に存在する客観的実在にたいして事実認識の共有を解くのはナント独りよがりだったのか!それが単純な事実の確認であっても。できないものはできない。