反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

医療行政、医療現場も都市計画無きムラやマチの延長発展のままのような業態で、日本コロナパンデミックを迎えた。Ⅱ類⇒5類転換は中等症自宅待機、入院厳撰、隔離政策放棄でなし崩し的に実行。ムラやマチのヒエラルキーを相対化できる国と地方の政治による上からの改革が回り道のように見えて一番手っ取り早い改善方法。

W。前回記事、<自宅待機方針には潜在的に『コロナを5類に』という出口戦略がずっと官邸や厚労省の頭の中にあった。>

の論点を突き詰めていくと日本政府や関係当局のコロナ対策の特徴と問題点だけではなく、日本独特の医療保険制度と医療現場構造まで探究を広め総括的な見解を獲得する必要を感じた。

 (2類⇒5類論者の問題点、厚労省⇒保健所のコロナ感染症差配~足切り隔離=自宅待機家族感染拡大の矛盾、足切り入院選別=中等症は自宅待機=重症者増大要因~臨床現場のキャパ限界)

    力量不足で立ち止まってしまったが

 見当違いや不適切な意見もあるだろうがこの際記しておく。

 

    日本の皆保険制度は日本特異な医療現場と表裏一体のものである。

それを要約したのがタイトルにある

医療行政、医療現場も都市計画無きムラやマチの延長発展のままのような業態である。その合成の誤謬がコロナ渦で顕著になったが、

その個々の利点を蔑ろにしてコロナ渦を引き金にして一気に一掃しようとしているのが、支配層の先兵になっている「いしん」的市場原理主義を医療現場に導入しようとする勢力である。

支配層の政治は、ヒエラルキー護持、増えないパイの分け前争い、椅子取りゲームの目的意識性がハッキリしているので、市場原理主義グループを先兵化して自らの利権擁護を目論んでいる。

この構図が今回のコロナ渦と対策や各種の意見潮流に顕在化している。

コロナ第2類⇒第5類を基本見解とするグループの最終着地点は本人たちの意図に関わらず医療介護現場、制度への市場原理主義の導入でアリ、コレから日本社会でますます層をなす経済的弱者への医療介護の選別、切り捨てである

他方、そういった矮小基本視座から分離する認識をわがものとすれば、世界中に「偏在化した富の収奪」によって多くの人が救われる。

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   医者の数対人口比は「先進国」では低位。ところが看護師数は上位。

臨床現場の医者は各種に分類できる。家庭医。各種専門医。手術の技術のある医者。ただし国家試験合格者のうち麻酔医以外はすべての分野で診察、診療ができる。もちろん専門医制度もあるが、その資格がなければ診察診療(薬の処方箋を出せる)できないという訳ではない。

 

 @医者も労働力商品であり、その商品価値は再生産費によって決定される。解り易く言えば、医学部医学科の対人口比や必要比における定員が絞られていると、希少価値が生まれ再生産費=教育費が高くなる。

>日本で医者が足りない現象が起きているのは、明らかに一貫して医学部や医科専門大学の募集人員が少なすぎたからだ。

戦後自民党長期の支持母体の医師会との関係から医者の数が制限されてきた。さらに勤務医の給料も数が少なければ高く維持できるので、上記の政治ルートに反対する強固な理由がない。

@まったくの私見だが、医者も職人の一種。

 職人仕事はピンからキリまである。全部ひっくるめて職人ではない。

見習いもいれば見習いに毛の生えた程度のモノもいる。自分の与えられた仕事はキッチリと熟す職人もいれば全体を差配する職人、未熟な職人に教える体制も必要だが(職人再生産)、職人で一番肝心なのは的確迅速な<技術駆使>とその応用である

>ただし、職人に研究職はない!

>技術は反復動作が多く、知識や教養は二の次だ。

対人要素も少ない

 

@日本では医者の数を絞りすぎている。

診察診療、処方箋をだし、手の負えない患者は縦繋がりの手術できる病院に紹介するだけの機能を果たしている個人の一般診療所が市中にたくさんあり、各々国民皆保険制度と超高齢化社会による多くの患者数によって経営が成り立っている

>そのなかで一部の診療所は介護施設や介護事業など福祉事業と表裏一体の経営をしている。したがって収益率ほどは解らないが売上高はかなりのものまである。近所の個人医療法人の売り上げは12億というが、事情展開のわりに、売り上げは少ない。やはり売り上げや儲け第一でやっていける世界ではない。カネに換算できないプラスアルファが大きい。⇒勤務医と個人事業主医者<医療法人の体裁は節税対策>の収入や時間的精神的余裕を比較すると日本的な医療現場条件では、後者が優位である。

 

>だが、医者が市中に一杯いるという条件が日本にあれば、

個人事業主の医者は過当競争にさらされ経営が苦しくなり、淘汰される。

逆に規模の大きな病院は医者の確保がしやすくなる。

>医者養成の枠を広げるとその程度にもよるが質が低下するとは思えない。

>入学時の選抜はあくまでも学科試験の点数によるもので、医者の成長、成熟と学科試験の点数はストレートに結びつかない。

>医者になりたくて学科点数ではねられた人の中に多くの優秀な医師候補がいたと思う。

 

 @日本医療現場で看護師の数が常に足りていない原因の一つに医者不足がある。

主に規模大の病院で患者人数比で少数の忙しい医者が欧米より権限の与えられていない看護師を駆使して治療行為をするところに不必要なヒエラルキーが生れ職場環境が悪くなる。

 

 @であれば、看護師は変則勤務で病床患者を診る必要のある規模の大きな病院より勤務時間や仕事範囲が決まっている個人診療所に移るあるいは職場に定着しない

>規模の大きな病院の看護師の主力は年齢の若い層である。未婚看護師は結婚すれば病院の職場を去り、長い間職場に帰ってこない。おそらく勤務条件の厳しい規模の大きな病院への再就職は避ける。

>>規模の大きな病院は慢性的な看護師不足でアリ、当然、過重労働環境下にある。

@その根底に医者の絶対数の不足が潜んでいる(看護師の権限の不足)から単なる労働市場の条件問題に留まらない政権党の支持基盤を形成する政治ヒエラルキーの問題に延長しているから厄介だ。

なお、看護協会なる職域団体があり自民党に代議士を送り込んでいるが、実態は想像の範囲では管理職看護師の集まりで組織力のない団体ではないかと思う。

>>診療所の看護師には変則勤務はない。おそらく労働環境によると思うが診療所の看護師にベテランが多く、若い人は少ない。

@規模の大きな病院の看護師には、血管注射さえ、ギコチナクやる看護師に普通に遭遇する一方で専門病院のベテラン看護師は流れ作業のように血管注射をする。

@しかしここにコロナ患者を受け入れるとなると、安住してきた労働環境は一変するだろう。

>看護師労働力市場で、慢性的な需要過剰になっているのは規模の大きな病院の看護師である。

@なお、大規模病院と縦の繋がりのある小規模専門病院が多いのも日本医療現場の特色である。大きな病院で臨床治療をやり給料をもらうよりも個人開業して患者を送り出す側に回ったほうが金銭的精神的な条件が良いからだ。

@さらに医療の世界に横のつながり、情報交換はほとんどない、といって過言でない個人情報保護法成立以前から、医者の世界は縦繋がりである

 

>コロナⅡ類⇒5類論者は以上のような医療現場の条件でⅡ類指定を外せば、と云っている

 大混乱が発生すること必至。

おそらく経営の成り立っている診療所はコロナ患者増加の止まない内外構造問題、インセンティブをじっくり検討すれば、「勇気をもって」患者受け入れを拒否する。あるいは形だけの受け入れとする。経営の危ない診療所もあえてコロナ患者を診ない。⇒W。結局、特例を設けて診療単価を異常に釣り上げインセンティブをつけるしかなく、財政出動は不可避。

手を挙げる診療所があっても、情報の共有、横のつながりの習慣がないのだからいずれにしても保健所経由の差配は必要。

>結局、長期不況、東日本大震災原発事故の起死回生策としてオリンピック開催に執拗に手を上げること同次元の政治病根医療介護の世界にもあるということだ。

 

>そして改革策はアベノミクスにまで至らない何周も遅れの市場原理主義的医療改革であるという大矛盾。

 政府の本音はコロナⅡ類⇒5類転換である。

中等症自宅待機は隔離の完全放棄。入院患者の選別=保健所は足切り機能特化で5類へのなし崩しの転換だ。

しかも補償なき自粛長期持続なので日本社会経済は底から疲弊していくばかりだ

 

@Ⅱ類⇒5類転換論者は耳心地の良い議論を弄んでいるだけだ。

一言でいって、

@日本経済長期停滞期における行き過ぎた市場原理主義的対応と同じ次元の発想である。

 

   ロ)ベット数対人口比も多い部類

@大病院への資源集中乏しい個人病院、中小規模病院が市中に多くなれば、当然にも保険制度の点数上、多くのベッド患者で埋め回転率をよくする必要がある。

卑近に言えば病状一時回復のため点滴薬注入の短期入院患者を常に確保することが大事になる。

 

@ただしこのような構造は寿命延長、命と健康を守ることに大きく貢献してきたのもリアルな事実。

>>その解決法は専門知識がないので自分にはわからない。

「ベット数対人口比も多い部類」の医療構造で助かった命は大変多い!そのセフティーネットワークにかからなかった高齢者は自宅事故死!コレが日本の高齢者医療の現実。

  

   ハ)大病院少なく、個人経営、専門病院が多い。

@都市計画と同じじゃないかと思う。日本の都市の拡大はムラやマチの延長線上の無秩序発展。戦後の医療行政による医療現場もムラやマチのような業界の延長発展のまま、日本型コロナパンデミックを迎えた。コレもリアルな事実!

上記したような日本の医療の現実、特色、利点を踏まえて、

 ムラやマチのヒエラルキーを相対化できる国と地方の政治による上からの改革回り道のように見えて一番手っ取り早い改善方法だが、アングロサクソン個人主義市場原理の導入は大間違い!日本の経済環境の土台にとってマイナス要因になる。

感染症の分類を変えるなんていうのは、財政負担回避、政治責任逃れの逃げ口上に過ぎない。そもそも、なし崩し的にⅡ類⇒5類転換は中等症自宅待機、隔離政策放棄、入院患者選別で実行している。

自粛要請だけで保障もしない、おまけに財政負担も軽減できる可能性がでてくる、市場原理最優先の現政府としてはいいことずくめだ。

>ただし、コロナ渦止まない日本の医療現場の実情で転換を実行すれば大混乱が発生し、犠牲者が多くでる。

>先の記したようにインセンティブをつけるために保険の点数を大きく上げる必要が生れるはずで、結局はその分財政出動は避けられない。

>特例インセンティブ無しにコロナ症状を診療すると思うのは医者性善説に寄りかかっている。

>そんな他者の思惑に頼るよりも大病院のベットをコロナのために開けたほうが手っ取り早いがそれができない。現状の入院患者の移動の必要もあるが、小規模民間病院の現状維持と同じ構造がそこにあるからだと思う。

@韓国でできたことが日本でできない。コレが日本のその業態と政府の現状。

なぜなんだろう?

日本国憲法制約下で安保法制を通すことができたのに、目の前の健康と命が問題になっている時期にその決断ができない。

@コレは紛れもなく政治思想と国家の問題に尽きる。

>戦前戦後を通じて日本国家は国民のセキュリティーを守るために存在(韓国、中国、台湾国家の評価は別として国民規模のセキュリティーの問題を潜って誕生した)してきた、現に存在しているのではなく、

>ソレは国民一人ひとりにとって、あくまでも政治共同幻想にすぎず、

>旧来の支配層のヒエラルキーを守るために存在しているという本質

@コロナ渦で表面に浮上してきている、ということだ。

 

 日本国家機構の重点をウィルス対策に使うつもりなどサラサラない。それよりもオリンピック、パラリンピックに資源を集中し開催することが大事である。

なぜならは日本のようなおしゃべり独裁国家にあっては池上彰オリンピック、パラリンピック開催はこれ以外他にない国民個々への政治支配是認の刷り込みである国家共同政治幻想喚起=国民一体化、国威発揚最大級の機会である。最大級の刷り込み効果の機会の放棄は政治支配の失陥に映り恐怖、巨大な逆噴射装置がなければ着地できないことである。日本の支配層は動態は大勢順応、流れに突出して身を任せるだけなので立ち止まることはできない。

>現日本支配政治にとってオリンピック、パラリンピックは戦争行為と同じ次元の政治課題とならざる得ない。故に中止は最初から頭になかった。

一方外国勢は参加することに意義があった。日本がコロナ渦の開催によって資源の浪費をしても何ら困らないばかりか、日本劣化でモノカネの市場において優位に立てる要素も出てくる

特に米国の経済「繁栄」の裏面は日本の長期経済停滞逃れの資金流入が大きいので五輪とその後の経済停滞は大歓迎だ。ヨーロッパも同類だろう。

中国や韓国は日本経済後退によるメリットはないが、今後の日本政治の動向を予測して警戒感を強めるだろう。

@したがって、五輪後の日本政治はコロナ渦で経済社会を疲弊させその出口を、対中市場再分割戦の最前線に求めるだろうし、中国側も天安門事件以降の改革開放、過渡期社会の理論的位置付けからみて、唯物史観的な歴史認識の枠組みを出ていないとみるので、日本の政治の必然的な動向は十分把握し対抗してくるだろう。

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@医療介護の現場に市場原理主義を導入し日本的な個人診療所過多と国民皆保険制度の改革をしようというのが、当局の一貫した思惑だった。この分野だけが日本の長期経済成長に対する市場原理主義的政策の波及が遅れたところだったコロナ渦を機にできるだけその実現の方向ににじり寄りたい、という思惑がある。

この視点で政府当局のコロナ対策を見ていくと整合性がでてくる

分科会改革、保健所改革、病院改革は今の政権では無理だ。