反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

注目点ピックアップ。方丈記⇒終の棲家方丈庵の「栄華」を連綿と書き記して結びの自己省察*お前は、姿は聖人の振りをしているだけ、と。貧賤の因果応報、迷いごころの果てに狂ってしまったのか、その時、心はさらには答えなかった。心のあずかり知らない南無阿弥陀仏を、三べんほど唱えて、この暁の随筆を、静かに終わりにしようか。W.方丈記は日本初の実存主義者宣言の書である!

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shikinobi.com   方丈記 心の章

   この身の遍歴

 おおよそ、あってはならない世の中だと堪えしのぎながら、心を悩ませること、三十年あまり。そのあいだ、折々に出会う不本意に、みずからつたない運命を悟る。そうしてついに、五十歳(いそじ)の春を迎えたとき、家を出て世を逃れたのであった。

もともと妻子もなければ、捨てられない身寄りなどいない。この身には官禄(かんろく)[身分に応じた職から得られる収入]さえないのだ何に対して執着を留(とど)めようか。ただいたずらに、大原山(おおはらやま)の雲に隠れるように暮らしながら、また五回の春秋(しゅんしゅう)を繰り返すばかりであった。

 

 ここに六十歳(むそじ)のいのちの露も、消えようとする頃になってさらに末の葉にすがるように、つかの間の庵(いおり)を得ることとなった。

>言ってみれば、旅人が一夜かぎりの宿を求め、

>老いた蚕(かいこ)が、柩(ひつぎ)の繭(まゆ)を囲うようなものである

これを賀茂川の住みかに比べれば、また百分が一にも及ばない。

語るにしたがって、齢(よわい)[=年齢]は年ごとに高く、住みかは折々に狭くなるということか。

 

   そこでの生活

もし念仏をするのも物憂げで、読経(どきょう)に身の入らないときは、みずから休み、みずから怠(なま)ける。

咎(とが)める人もなく、また恥ずかしく思うような人もいない。ことさら無言などしなくても、ひとりでいれば、口の災いを収められる。必ずしも戒律を守ろうとしなくても、世俗にまみれる境遇さえなければ、どうしてそれを破ることなどあるだろう。

 

   住まいを出ての生活

また、ふもとには、柴(しば)で作られた庵(いおり)がひとつ。ここの山守(やまもり)が住んでいるところである。そこには子供がひとりいて、ときどき出向いては、わたしを訪ねてくる。そんな時は、もしする事がなければ、彼を友として遊び歩くのだった。彼は十歳、わたしは六十歳(むそじ)、その年齢はことのほか離れているけれども、こころを慰める方法は同じである。ある時は、例えばちがやの花を抜き、岩梨(いわなし)を取り、零余子(ぬかご)をもぎ取り、芹を摘んでは、これらを口にしてみたりする。あるいは山すその田んぼに出かけて、稲の落ち穂を拾って、穂組(ほぐみ)[穂を乾かすために掛け束ねたもの]を作ってみる。

 

   夜となれば

       省略

   我がためにのみ

すべてにおいて、世の人の住みかを作る訳は、必ずしも身を宿らせるためではない。
わたしは今、この身のために築く。他の者(もの)のためには作らない。

 

   ただ心のために

人に仕えるものは、恩賞が大きく、恩顧(おんこ)[ひきたて]が厚いことを先とする。決して、親身に世話をしてくれるとか、安らかで静かにいられることを願わない。それならば、ただ我が身を召使いとした方がよい。

 どのように召し使うかと言えば、もしするべき事があれば、すなわちおのれの身を使う。気だるくないとはいえないが、誰かを従え、誰かの世話をするよりはたやすい。もし、歩くべき用事があれば、みずから歩いていく。苦しいとは言っても、馬鞍(うまくら)や、牛車(うしくるま)のことに心を悩ませるよりはましだ。

@ここにわたしは、この身を使い分けて、二つの用を果たす。

手を従者として、足を乗り物とすれば、よく自分のこころに従うものだ

身心(しんしん)[人を形成すべき心とからだの一体となったもの。精神と肉体の一体化したもの]の苦しみが伝われば、苦しくなれば休むし、確かであれば[朗読「になれば」とあるは、苦しくなり終わった後の意味なれど、ここは苦しくなると併置された、「確かであれば」の方はるかに勝れり]使う。使うと言っても、それほど度を過ごさず、気だるいからといって、動揺するほどのこともない。まして言うならば、常にみずから歩き、常に働くことは、養生(ようじょう)[健康促進]ではないだろうか。どうして無駄に休んでいられようか。第一、他人を悩ませるのは、罪業(ざいごう)[仏教で悪い結果を生む行いのこと]には違いないのだ。どうして他人のちからなんか借りる必要があろうか。いいや、決して借りる必要などないのである。

 第一、他人を悩ませるのは、罪業(ざいごう)[仏教で悪い結果を生む行いのこと]には違いないのだ。どうして他人のちからなんか借りる必要があろうか。いいや、決して借りる必要などないので

  

  *つまるところ*

今、さびれた住まい、ひと間の庵(いおり)、みずからこれを愛する。
>たまたまみやこに出て、身を乞食(こつじき)[物乞い。ここでは出家した僧が、托鉢(たくはつ)を求めこと]とすることを恥じるとはいっても帰ってここにいる時は、人々の、世俗の塵(ちり)にまみれ、あくせくすることを哀れむくらいである
 もし誰か、この言葉を疑うならば、

@魚(うお)と鳥とのありさまを見るがよい。

@魚は水に飽きることがない。魚でなければ、その心は分からない。
@鳥は林に住みたいと願う、鳥でなければ、その心は分からない。
>閑居(かんきょ)[世を離れてのんびり暮らすこと]のおもむきもまた同じ。住まないものに、どうして知ることが出来ようか。

 

      結(むすび)

   結(むすび)
>そろそろ、生涯を渡りゆく月のひかりも傾いて、余命という名の山の端に近づいた。まもなく、三途(さんず)の闇[悪行によって死者の向かう暗黒世界のこと]へと落ちようとしている

@どのような行いを、いまさら弁明しようというのだろう。

仏(ほとけ)の教えられる真実は、
@何事に対しても執着のないようにという。

                
@もし、そうであるならば、今この草庵を愛することも、閑寂(かんせき)のおもむきにひたることも、悟りへの妨げには違いないのだ。

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@それなのに、うしてわたしは、このような不要な楽しみを述べて、大切な時を過ごしたのだろうか。
@執筆を終えた静かなあかつきに、その理由を思い続けて、みずから心に問い掛けてみれば……

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*世を逃れて、山林に籠もったのは、こころを悟り修めて、仏の道を歩ませるためである。
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*それなのにお前は、姿は聖人(ひじり)の振(ふ)りをして、こころは濁りに満ちている。
*住みかだけは、浄名居士(じょうみょうこじ)[維摩居士(ゆいまこじ)インドの富豪であり、釈迦の在家の弟子一丈四方を住まいとしたという]]の跡を真似るように見えながら、保っている精神は、ほんのわずかでさえ、周利槃特(しゅりはんどく)[釈迦の弟子、十六羅漢の一人。極めて愚鈍であったが、ついに悟りに達したの行いにすら達してはいないではないか。
*あるいはこれは、貧賤の因果応報に、悩まされ続けた結果なのだろうか、
*それとも、このような迷いごころ[つまり方丈記』などと銘打って執筆してしまったようなその心の果てに、ついに狂ってしまったのだろうか……
         
>その時、心はさらには答えなかった。そうであるならば……


> 今はただ、答えない心のかたわらに、つかの間の舌のちからを借りて、
>心のあずかり知らない南無阿弥陀仏を、三べんほど唱えて、この暁(あかつき)の随筆を、静かに終わりにしようか。

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W.徒然草は世慣れた知恵者の人性訓話、社会批評のごときものだ。文は人なりというが基本、斜に構えている本人の本心がどこにあるか定かでない。あくまでも文筆上の小話である。100年ほど忘れられていたのももっともなことだと思う。徒然草の懐の深さ、洒脱が理解されるようになったのは、方丈記」に描かれた天変地異で瞬く間に巷に死体ゴロゴロ、貧窮した人々が神仏への希求、救済を願うしかなかった時代から、日本中世がようやく豊穣を生み出していた時代背景を抜きに語れない。

 兼好の時代には方丈庵と長明のような隠者はいなくなり、まして西行、長明流の隠者の文学は成立する社会環境(本人の貧困積極受容体験が基盤)はなくなり世俗の文芸社生活力を背景にした世慣れた形態をとる。そこにあるのは隠者文学ではなく当時の世と花鳥風月に対する(一応、客観的視座)優位な鑑賞眼、批評の披歴である。徒然草には批評精神は横溢しているが哲学に到達する道が全くみえない言い換えると行動への糸口がない。文によって人の上に立とうとしている魂胆が透けて見える。反俗日記の立場から言えば、ナルホドそうなんだ、所でそれがどうした?で終わる。

それでも徒然草は日本初の批評精神の発揮された書であることは間違いないが、日本初の実存主義者宣言の方に馴染む。

徒然草」に興隆した日本中世文学の質的な後退の一形態を見る。基本的に中世文芸は支配者層から生まれたわけだから支配者層が文よりも武の軍事勢力だったという事情もある。街場の文芸は徒然草止まりだった。 

           徒然草

     第7段|あだし野の露

      [要約]
    死があるから生が輝段

原文

あだし野の露消ゆる時なく、鳥部山の煙立ちさらでのみ住み果つる習ひならば、いかに物の哀れもなからん。
世は定めなきこそいみじけれ。
命あるものを見るに、人ばかり久しきはなし。

かげろふの夕を待ち、夏の蝉の春秋を知らぬもあるぞかし。
つくづくと一年(ひととせ)を暮らす程だにも、こよなうのどけしや。飽かず、惜しと思はば、千年(ちとせ)を過すとも、一夜の夢の心地こそせめ。
住みはてぬ世に、醜きすがたを待ちえて、何かはせん。

命長ければ辱(はじ)多し。
長くとも四十(よそぢ)に足らぬほどにて死なんこそ、目安かるべけれ。

そのほど過ぎぬれば、

かたちを恥づる心もなく、人に出(い)でまじらはん事を思ひ、

夕(ゆふべ)の日に子孫を愛して、榮行(さかゆ)く末を見んまでの命をあらまし、

ひたすら世を貪る心のみ深く、物のあはれも知らずなりゆくなん、あさましき。

現代語訳

露や煙ははかなく消える命なのに、この世に死者はなくならないので、あだし野霊園の草露や鳥部山火葬場の煙はいつまでも消えることはない。
だが、その草露や煙のように人間がこの世に永住して死ぬことがないならば、人生の深い感動は生まれてくるはずもない。
やはり、人の命ははかないほうが断然良い。命あるもので、人間ほど長生きなものはない。

かげろうのように朝生まれて夕べには死に、夏の蟬のように春秋の季節美を知らない短命な生物もいる。
それに比べたら、人間の場合は心安らかに一年間を送れるというだけでもなんとものどかな話ではないか。
もしも命に執着するとたとえ千年の長い年月を過ごしても、それはたった一夜の夢のようにはかなく感じるだろう。
どうせ永遠には住めないこの世に醜い姿になるまで生きていて何になろうか長生きすると恥をかくことも多くなる。
長くとも四十そこそこで死ぬのが無難というものだ。

その年齢を過ぎると容姿の衰えを恥じる気持ちがなくなり、平気で人前に出て社交的にふるまおうとする。
更に日没の太陽のような老齢の身で子孫を溺愛し、子孫の繁栄を見届けようと長生きを望んで世俗の欲望ばかり強くなり、深い感動の味わいもわからなくなっていくのはなんとも救いがたい気がする。

    第8段|世の人の心

     [要約]
   人間は色欲に惑わされる

原文

世の人の心を惑はすこと、色欲には如かず。人の心は愚かなるものかな。
匂ひなどは仮のものなるに、しばらく衣裳に薫物(たきもの)すと知りながら、えならぬ匂ひには、必ず心ときめきするものなり。
久米の仙人の、物洗ふ女の脛(はぎ)の白きを見て、通を失ひけんは、まことに手足・膚(はだえ)などのきよらに、肥えあぶらづきたらんは、外の色ならねば、さもあらんかし。

     第51段|亀山殿の御池に
       [要約]
     道を心得ている者は尊い
原文
亀山殿の御池に、大井川の水をまかせられんとて、大井の土民に仰せて、水車を造らせられけり。
多くの銭を賜ひて、数日に営み出だして、掛けたりけるに、おほかた廻らざりければ、とかく直しけれども、つひに回らで、いたづらに立てりけり。

さて、宇治の里人を召して、こしらへさせられければ、やすらかに結ひて参らせたりけるが、思ふやうに廻りて、水を汲み入るること、めでたかりけり。

よろづにその道を知れる者は、やんごとなきものなり。
   
   第52段|仁和寺にある法師
   [要約]
 人に聞いた方が良い事もある
現代語訳
仁和寺にいたある僧は、老年になるまで、石清水八幡宮を参拝した事が無かった。
そこで、我ながら情けないと思って、ある時一大決心してたった一人、徒歩で参拝に出掛けた。
ところが、この僧は極楽寺・高良神社を拝むと、八幡宮はこれで全部だと思いこんで[目的である山上の八幡宮を拝まずに]帰ってしまった。

そして同僚に向かって「長年心にかけていた参拝を果たしました。八幡宮は噂で聞いた以上に荘厳な境内でした。それにしても、参詣者が皆、山へ登ったのは何があったのでしょうか。知りたかったのですが、八幡宮の参拝が目的でしたから、山上には登りませんでした」と、きまじめな顔で話したという

ちょっとしたことでも、案内者のいたほうが大失敗を避けることが出来るものだ

  

   第59段|大事を思ひ立たむ人
  [要約]
 やりたい事を決めたら、それに全力を注ぐべし
原文
大事を思ひ立たむ人は、さり難き心にかからむ事の本意を遂げずして、さながら捨つべきなり。

「しばしこの事果てて」、「同じくは彼の事沙汰しおきて」、「しかしかの事、人の嘲りやあらむ、行末難なくしたためまうけて」、「年ごろもあればこそあれ、その事待たん、程あらじ。物さわがしからぬやうに」など思はんには、えさらぬ事のみいとど重なりて、事の尽くる限りもなく、思ひたつ日もあるべからず。
おほやう、人を見るに、少し心ある際は、皆このあらましにてぞ一期は過ぐめる。

近き火などに逃ぐる人は、「しばし」とやいふ
身を助けむとすれば、恥をも顧みず、財(たから)をも捨てて遁れ去るぞかし
命は人を待つものかは。無常の來ることは、水火の攻むるよりも速かに、逃れがたきものを、その時老いたる親、いときなき子、君の恩、人の情、捨てがたしとて捨てざらんや。
 現代語訳
道を求め悟りを開くという一大事を決意している人間は、放っておけず、心にかかる事があっても、その解決を望まずに、そっくりそのまま捨ててしまうべきだ。

「もうしばらく。これが終わってから」とか、「同じことなら、あれを片付けてから」「これこれのことは、人に笑われるかもしれない。将来非難されないように、ちゃんと整理しておいて」「長年こうしてきたのだから、片付くのを持ったとしても時間はかからないだろう。そうせっかちになる事もない」などと考えていたら、放ったらかしに出来ないような用事ばかり積み重なってくる。
しかも用事が消えてなくなるはずもなく、ついには一大事を決行する日も失われてしまうのだ。
だいたい世間の人々を観察すると、少々しっかりした程度の人物は皆、こうした計画倒れで人生を終えてしまうそうだ。

近所に火事があって逃げるとき、火に向かって「ちょっと待って」と言うだろうか。言うはずがない。
助かりたければ、恥も外聞も構わず、財産さえ捨てて逃げるものだ。
いったい寿命というものは人間の都合を待ってくれるだろうか。そんなことはない。死の迫り来るさまは洪水や猛火が襲いかかるよりも早く、逃れがたい。人生がこんな緊迫した状況に置かれているにもかかわらず、老いた親、幼い子、主君の恩、人の情けを、捨てにくいといって、捨てないだろうか。捨てないでいられるはずはない。
求道者は、いっさいを捨てて、速やかに一大事を決行しなければならない。

    第74段|蟻のごとくに
  [要約]
 一生は短く、万物は常に流転している
原文
蟻のごとくに集りて、東西に急ぎ、南北に走(わし)る。
高きあり、賎しきあり。老いたるあり、若きあり。行く所あり帰る家あり。夕に寝(い)ねて、朝に起く。
営む所何事ぞや。生をむさぼり利を求めてやむ時なし。

身を養ひて何事をか待つ、期(ご)するところ、ただ老(おい)と死とにあり。
その来る事速かにして、念々の間に留まらず。これを待つ間、何の楽しみかあらむ。

>惑へるものはこれを恐れず。
名利に溺れて、先途の近きことを顧みねばなり。
>愚かなる人は、またこれをかなしぶ。
常住ならんことを思ひて、変化の理を知らねばなり。

  第79段|何事も入り立たぬ
  [要約]
 知ったかぶりをしてはいけない
現代語訳
どんな場合でも、よく知らないふりをするにかぎる。
立派な人間は、知っていても知ったかぶりをしないものだ。

軽薄な人間に限って、何でも知らない事はないといった返事をする。
だから、聞いている相手が圧倒されることもあるが、本人自身が自分からすごい思い込んでいるさまは、どうにも救いがたい。

よく知っている方面については、口数少なく、聞かれない限りは黙っているのが一番である。
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  第137段|花は盛りに①
  [要約]
 物事は盛り以外にも魅力がある
原文
花は盛りに、月は隈なきをのみ見るものかは。
雨にむかひて月を恋ひ、たれこめて春のゆくへ知らぬも、なほあはれに情ふかし。
咲きぬべきほどの梢、散りしをれたる庭などこそ見どころおほけれ。

歌の詞書(ことばがき)にも、「花見にまかれりけるに、はやく散り過ぎにければ」とも、「さはることありてまからで」なども書けるは、「花を見て」といへるに劣れる事かは。

花の散り、月の傾くを慕ふ習ひはさる事なれど、殊に頑なる人ぞ、「この枝かの枝散りにけり。今は見所なし」などはいふめる。

現代語訳
桜の花は満開だけを、月は満月だけを見て楽しむべきものだろうか。いや、そうとは限らない。
物事の最盛だけを鑑賞する事が全てではないのだ。
例えば、月を覆い隠している雨に向かって、見えない月を思い焦がれ、あるいは、簾を垂れた部屋に閉じこもり、春が過ぎていく外の様子を目で確かめることもなく想像しながら過ごすのも、やはり優れた味わい方であって、心に響くような風流な味わいを感じさせる。
今にも花ひらきそうな蕾(つぼみ)の桜の梢や、桜の花びらが落ちて散り敷いている庭などは、とりわけ見る価値が多い。

作歌の事情を記した詞書も、「花見に出かけたところ、もうすでに花が散ってしまっていて見られなかった」とか、「用事があって花見に出かけず、花を見なかった」などと書いてあるのは、「実際に花を見て」と書くのに、劣っているだろうか。そんなことはない。

確かに、桜が散るのや、月が西に沈むのを名残惜しむ美意識の伝統はよくわかる。
けれども、まるで美というものに無関心な人間に限って「この枝も、あの枝も散ってしまった。盛りを過ぎたから、もう見る価値はない」と、短絡的に決めつけるようだ。