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中世武士の生死観(1)―中世武士の出家と隠遁の諸相― 大山 眞一
反俗日記、注目点抜き書き
はじめに
「「来世的死生観(浄土教思想)→現世的生死観(西行・鴨長明)→普遍的生死
観(卜部兼好)→倫理的生死観(武士)」という生死観の変容過程のチャート化が可能となってくる。
武士が武士団を形成した時点で、主従関係の枠組みの中で彼らの生死観(W。死を賭した先陣争い家門の繁栄を主君に判定してもらう必要があった。典型例、
引用
「1274年(文永11)元(げん)軍が博多(はかた)湾に襲来した際、少弐景資(しょうにかげすけ)の指揮下で奮戦、戦功をあげた。翌年鎌倉に赴き、恩賞として海東郷地頭(じとう)職を得た。」⇒W。「季長は1293年(正応6)の「置文(おきぶみ)」で海東郷の支配について記している」、研究者による論考もある。
この項で現代人の我々が問題にするのは、
①上記のような中世武士の主従関係における死=武勲と
の決定的な違い、である。
③グローバル資本制下の市民社会における<戦死>~今だけ、自分だけ、カネだけ~
@驚くべきことに、戦死の価格が①⇒②⇒③に向けて低下している!
こういう潜在的な実利面での戦死の違いがあるから、グローバル資本制下の市民社会では健康なモノ、生きているものが強者で<老、病>は本質的に弱者の側に立ち、<死>は無そのものを意味する。
新型コロナパンデミックの日本的渦中で、ネット記事コメントに溢れ出ているのは強者の側に立つ論理である。とどのつまりは<今だけ」カネだけ、自分だけ>の論理だ。社会の上澄みの論理が下方まで浸透している。
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「兼好の現世的生死観の普遍化を経て倫理観の域にまで昇華した、いわゆる倫理的生死観に収斂していったことが考えられる。見方を変えれば、その過程に於いて武士は新たなる宗教観や道徳観を構築することによって、殺戮行為や主従関係が生み出す矛盾に満ちた己の生きる現世を肯定化し、且つ正当化せざるを得なかったということができよう。
したがって、私的生死観と公的生死観の統一化、平準化が必然的に求められた(W。国民国家幻想による戦死が典型だが、中世武士の戦死の方が実利的即物的なことは間違いない!グローバル資本制下の市民社会における「戦死」は実利的、即物的な側面は皆無故死は無、そのもの)のである。
>つまり、それは、生死の境を彷徨う武士の生死観が社会性を帯び、原初的「武士道」ともいうべき倫理観に派生し、
@引いては現代にも通底する普遍化された倫理観の基盤となったことを意味する。
⇒W現代のヒエラルキーを維持したい層にとって、部下が主従関係に絡めとられた武士道精神に通底する死と交換できる<普遍的な倫理観>を持っていてくれた方がやり易い。
皮肉でも何でもなくてそういう実例はいくらでも転がっている!
上司の指示で不正文書を作成した末端の役人の死は組織の中に今でも縦の主従関係の絶対性が機能している証左だ。
戦前日本の戦争に至る社会形態は、日本社会内の具体的な階層対立の過程や結果によってファシズム、ナチズムの運動が主導権を握り政権を掌握したのではない。対外情勢の急展開への先行的対応や既成の国家機構の系列がなし崩し的に軍国化したものである。
言い換えると、日本ではそうした動きに対する反対勢力は脆弱であり、結果としてトコトン情勢が進行し、外勢による日本情勢の改変に至る。以上のような日本歴史のダイナミズムは形態の違いはあっても貫かれていく。
東アジア東端、付加体列島がもたらす原住民性は変わらない。
研究者の下記の認識を現代人としての何の自己省察もなく載せるということの中に、東アジア東端、付加体列島がもたらす原住民性がリアルに巣くっている!
再び引用
>「つまり、それは、生死の境を彷徨う武士の生死観が社会性を帯び、原初的「武士道」ともいうべき倫理観に派生し、
@引いては現代にも通底する普遍化された倫理観の基盤となったことを意味する。」
>中世武士には出家遁世の道があった。
>その役人には他の選択肢はなかったのか?
@驚くべきことに、戦死の価格が①⇒②⇒③に向けて低下している!
①中世武士の主従関係における死=武勲
③グローバル資本制下の市民社会における<戦死>~今だけ、自分だけ、カネだけ~
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「1.中世武士の系譜
食うか食われるか、一瞬の隙が命取りになる武士の世界は、日常的臨戦態勢並びに日常的臨死態勢に身を任せた異常事態である。言い換えるならば非日常の日常化が彼らを取り巻く正常な環境ということができよう。
死と直結した環境では、好むと好まざるとにかかわらず敵対する相手の命を奪うだけでなく、敵に命を奪われる前に自死という手段を選択せざるを得ない場合も生じてくる。
後世には主従関係のしがらみから、殉死を選択したり、罪を贖い、あるいは身の潔白を証明するために切腹という行為に及ぶこともある。
とにかく死を前提とした生死観は隠遁者のそれよりも切迫した、深刻なものであったことは疑う余地があるまい。⇒W。死を前提とした死生観は本当に切迫、深刻なのか。そうは単純化できない。死は万人に平等に訪れるので一般的だが、ソレを普遍と位置付けられるのかどうか。
@死は個別個人に訪れるが、それを普遍化する身体的頭脳的行為は、生前の間にしなければならない!宗教者はリアルにそうしてきた。隠遁者も死の準備で煩悶した。
1.中世武士の系譜
近年では平清盛に代表される伊勢平氏や源頼朝に代表される河内源氏などの下級
貴族、言い換えるならば軍事貴族等にその研究の矛先が向けられてきた。⇒W.軍事貴族+殺人、殺傷、殺生を業とするもの
しかしながら、武士が武士たる存在理由はどこにあるのかというと、それは武士
が武士団を構成した時点で主君と家臣が主従関係を結び、例えば鎌倉幕府の如きご恩と奉公にみられるような彼らの封建的契約関係が必須となってくるものと思われる。⇒W。封建的契約関係による主従関係の典型は中世ヨーロッパに見られるのであって(もともとローマ帝国崩壊後、ヨーロッパを支配したゲルマン民族の主従関係が基にある)、鎌倉幕府内の近親憎悪に基づく凄惨陰湿な内ゲバ的状況に封建契約関係のようなドライさは乏しく、寺社勢力排除を進める幕府系の全国支配において日本的封建的な主従「契約」関係は機能した=鎌倉時代は武家政権と寺社勢力の二重権力状態=権門体制下にあった。なお、徳川時代の中央集権封建主従関係とそれ以前とは違う。
W.以下、武士の発生に関して常識論を展開しているが、経済史的視点の在地地主開発主発展論も否定しないのだから、京都=寺社勢力と鎌倉の全国権力構造をどのように規定するのか、何も語っていない。権門体制論を首尾一貫させると、石母田論は否定しなければならない。
Wは黒田俊夫の著作を検討した結果、権門体制論が妥当であるという結論に達した。この立場に立てば、日本神国論の発生源をリアルにたどることができる。したがって、発心集の神宮本のような神国日本丸出しの記述は、鴨長明の生きた時代には絶対にありえないと結論付けられる。それは二度の蒙古襲来の前後に一気に盛り上がった。発心集に神宮本を掲載するのは間違いである。新潮社版は載せていない。
2.中世武士の出家と隠遁(西行
時間不足で次回に