反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

廃仏毀釈百年。1185 - 松岡正剛の千夜千冊『神仏習合』(他7本の関連著作の簡潔な論評と紹介所収)

W。以下8本。各々、作者の問題意識に沿って簡潔にまとめられている。こういう方面は黒田俊夫著作集、以来、接する機会がなかったが、「発心集」鴨長明を読んでいる際に、廃仏毀釈=廃仏棄釈の問題にぶちあたり、避けて通ることはできない、と感じて学ぶことにした。

 黒田俊夫著作集は、理解が間に合わないところがあったが、それまでの漠然とした平安貴族から武家政権への転換論のイメージを権門体制というより踏み込んだ緻密な歴史観に変える切っ掛けとなった。

 中世から近世までの歴史上のエポックは、権門体制という武家政権天皇貴族、寺社勢力の一種の二重権力状態を想定する歴史観を採用することによってリアル、身近に理解することができる。

 中世以降の日本通史を歴史上に刻まれた個々人、民衆の在り様をザックリと展望すると、時代がすすむにしたがって、個々人や民衆の個性やリアルな有様が、社会や制度の後景に刷り込まれていくような感がする。

群雄割拠の戦国時代の勝者、織田信長の武勇伝、豊臣秀吉の出世譚、最後の勝者、徳川家康にしてもどこか脚色的でありすぎて、中世人の紆余曲折、弱さを抱えながらの人間的側面が削ぎ落されている。(民衆のパワーが歴史の最前線に登場したのは、室町時代。戦国時代になると民衆パワーは宗教勢力として経済的政治軍事的に頂点に達するが武装勢力として抹殺されるか、地侍(国衆)戦国大名下に組み込まれた。その意味で、純民衆パワーが力を発揮したのは室町時代。)

 日本の歴史で面白いのは室町時代まで、戦国時代になると、今に生きる我々の自由な解釈を拒む歴史のハードな側面が顔を出す。生きた人間が歴史を進めるのではなく、社会構造や制度に拘束された人間が歴史を進めている。

 国学などの日本的な思想は、とどのつまりは活動者が勝手に想い描いた統治スタイルの必要に応じて日本古代の社会や国家の在り様を前面に掲げ、

リアルな人間存在をその下に服従させ、

社会構造や倫理、人間性の如何を俎上に挙げない思想でアリ、そこに生き生きとした人間存在の入り込む余地はないに等しい記紀の神話に人間性を求めるのは仏教の学や修行に対比する意味はあっても無理がある。

 ただし、封建軍事貴族の社会経済支配が右肩上がりになって頂点に達する時期に対する政治反発として、古代的残存(温存)貴族層や肥大した民衆上層部が国学という思想形態を純化させたのは、古代の東アジア規模での交流や政治軍事政変、中世の2度の外勢列島侵略危機や近世の秀吉朝鮮出兵を通底させた圧迫する側の民族固有の雑駁、俗流、保守の在り来たりの思想作法にすぎない。⇒中国文明朝鮮半島から海を隔てた東アジア東端の日本列島の地政学的位置を抜きに日本の歴史は展望できない。

国学に普遍的人間性は見いだせない本居中華伝来日本文明をラディカルに超えようとして文字のない古代まで辿って日本列島原住民性を根拠づけ、政治思想上の東アジア制覇のためのプリミティブな空間を提示した。

>日本型封建制下の経済下部構造に進行する近代の予兆に(絶対主義国家への道は徳川封建体制の最中に育まれた)神仏習合のファジーな祈りの空間における神様需要は高まり、突如の黒船江戸湾来航(アメリ南北戦争期=アメリカ市民戦争)。

ja.wikipedia.org]

 

ええじゃないか - Wikipedia

 

>寺院は幕藩体制維持のための戸籍確定(年貢)=寺請負で幕藩体制の実務の一翼を担ってきた。

鎌倉幕府時代の蒙古襲来に際する神様、仏様総動員の安国神前(僧侶が祈祷)加持祈祷神風神通力発揮喧伝ならば

今度のクロフネ対処の加持祈祷の筋書きは、日本的神様優位、仏様忌避の単純な政治手法となった。

>しかし、維新前後の内乱、絶対主義政権確立の混乱中で仏様が大事にされないようになったばかりか、神様の中にも事実上、見向き去れなくなったり、天皇系列にリストラされた神様が一杯出てきた。

 他方で、禁圧され封じ込められてきたキリスト教西洋文化はOKせざる得ないのだから民衆の日常生活レベルで伝統的な宗教、思想空間の欠損、混乱が生れた。

要するに天皇国家神道政治の台頭にもかかわらず、民衆の心の中に無所属性、無党派性、もっと突き詰めて言えば日常的な非政治性、政治忌避が巣くった。何処にも所属しない、加担しない、ということは政治的な確かな価値基準を持たない、従ってその誤りを自己点検できる物差しがないということだ。

 遅れた日本帝国主義のアジア侵略、帝国主義戦争によって尊王攘夷思想が台頭するかに見え再び西洋文化は排されたが、あくまでも支配層の戦争遂行のための便宜的な施策に過ぎず、民衆の深層心理における無所属性、無党派性、日常的な非政治性、政治忌避はかわらなかった。

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 小林秀雄は云った。

日本人の精神性は大戦争大災害で生活が破壊されても、「平家物語」や「方丈記」の諦観に留まる。小林秀雄という傍観者だから云える評論であって実際の現場ではそうもいっていられなかっただろうが、リアルに言えば現場で遭遇する人たちよりも傍観者が圧倒的に多いのだから、大戦争、大災害に遭遇しても傍観者認識が多数派を占める

だから、「平家物語」や「方丈記」の諦観に留まるということは事実として仕方がないことだ。

 しかし、「平家物語」は民衆のエンターティメントを目的とした語りだが、「方丈記」は一人の人間が最晩年をいかに全うすべきかを論じた思想書と解釈できる。仏教思想限定は時代背景からしょうがない。

 前半部は災害文学などと近年になって解釈されているようだがはたしてその本意はどこにあるのか?

長明はただ書き連ねているだけでなく、災害当時の現場の残酷な状態を実況見分していたらしい。

つまり、その手の行為は不浄の観想のためだった。残酷無残な事実を目の前にして、自身や他者の生きた身体への執着を立つ術だった。

自身や他者の生きた身体が腐敗・白骨化していく様を観想し、そこへの執着を断つことを基本とする。」こんなひどい災害がありました、人と自然の有様は常無し、と書くだけでなく、人間の不浄性を直接、ジッと直視ているのだから、心に反動が起こらないはずがない。それを整理すればどうなるか。

 今の時代、こういったことは実際にやれる機会がない。しかし、その手法に学ぶことはできる。

自分のYOU TUBEに作為的なんだろうが元学者の養老さんの動画がたくさん載ってくる

一回だけ反俗日記にアップしたことがあるが、正直言ってあのヒトの云っていることの底は当方にはネタバレしているのでちっとも興味がない。

>あのヒトの専門は解剖学。内実は知らないが人間の身体を切り刻まなければ仕事にならない。精神科の医者を志さない限り医者の卵は人間の体を解剖しなけらばならない。養老さんはその術を教えてきた。

>養老さんの動画をじっくり視聴すると<不浄観>を徹底できたことが、何事につけても独特のハードボイルドな見方に役立っていると思う。しかし、自分にはただそれだけにしか思えない。聞きたいのはそこを通過した向こう側にある位相だが、実に凡庸な常識論、バランス感覚重視人生哲学。そもそも「バカの壁」とは恥ずかしくないのか。

鴨長明は不浄観の前半部から後半はおのれの生活、来し方行く末の客観的な自己評価に及んでいる。その立場から、自分に疑問を投げかけた問で方丈記の幕を閉じ、次作の「発心集」に繋げている

だから、「方丈記」は「発心集」と一対のモノとして理解できる。

>そして「発心集」に様々な発心説話を載せている。失敗談もある。

@失敗談もあるが、そこにあるのはこの世の話ではないという事実である。過去進行形の説話ではなく過去に発心が完了した説話だ。だから登場人物は妙に迷いを捨てた直情行動型(」要するに神様仏様の物語)で編集している長明はあくまでも現生にて彼らのように発心行動を起こすつもりはない。

@なぜならば、数奇という一点突破全面展開できる術に晩年の全精力を傾注する覚悟ができており今まさに実行中だからだ。様々な発心を書き残すことの社会的な意味を理解している。コレは彼だからできることだ。

@ある発心説話の最期の感想文では真逆のことを云っている。

発心者は巷から遠く離れたところでなければ行を正常に行うことができない、と正直に書く一方で、別の説話では深山幽谷に入って行をするモノは小僧。巷で行を行うものこそが大僧と言い切っている。

また現在の社会通念では非常識な数奇一辺倒の人がヒエラルキーから<数奇>なヒトと褒められる。

@発心集は時代背景という限定事項を承知していれば、そこにリアルな人間が現に息づいている感覚にさせられる。仏様世界の人々の話なのに、どうしてこうなんだろう、とおもう。これが長明の<数奇>の力なのだ。

>私は以上のような読み方をする。

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 以下、順を追って参照していく。

1185 - 松岡正剛の千夜

佐伯恵達

廃仏毀釈百年

①「910夜『神仏習合』 逵日出典

0910 - 松岡正剛の千夜千冊

 

 109夜『神風と悪党の世紀』海津一朗

0109 - 松岡正剛の千夜千冊

 

③409夜『神道の成立』高取正男

0409 - 松岡正剛の千夜千冊

 

④777夜『王法と仏法』黒田俊雄

0777 - 松岡正剛の千夜千冊

 

⑤834夜『鬼の日本史』沢史生

0834 - 松岡正剛の千夜千冊

 

⑥1087夜『異神』山本ひろ子 

1087 - 松岡正剛の千夜千冊 

⑦1090夜『徳川イデオロギー』ヘルマン・オームス

1090 - 松岡正剛の千夜千冊

 

⑧250夜『代表的日本人』内村鑑三

0250 - 松岡正剛の千夜千冊