反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

人間が生きるとは何なのか?

座禅による肉体的修練の方法こそが釈迦が導入した脱化の概念

を一番よく伝えているものだというのが、道元の根本思想です。~W。ここまではなんとなくわかる~しかし座禅で脱化できるとは思わない。野球の千本ノックと同じ作用。

プールの水泳でも一定程度、泳ぎ切ると、無駄な力が抜けてスムーズに泳げる~

~ここから先の精神方法論がわからない~

現生の悩みを生死からの脱化の流れに注ぎ入れて、肉体の修練を契機に、いわば自分を、人間でもない、動物でもない、植物でもない。もっと極端に無機物だということにも達してしまえば、生死もへちまもないんだ。

~W。人間ロボット化。かつて感情過多で上手くいかないと気付いたときに、こうありたいを願ったことはあるが今は、そういう心境は幼稚だと思っている~ハードイルドの英雄のように~

苦しみ悩む日々が多いのも因果応報と自分に言い聞かせているが、見守りケアで生き恥さらしているのが一番つらいよ!前回の記事にある道とか真実在なんて言われても絵空事のように思えるよ。学者さんがパズルの絵合わせをしているような動画に思える。言葉か死んでいる。

良寛この人の人生。修行と学習はしたけれど、ぎりぎりに生死をかけて生きていたのかな、と疑問に思う。今と時代が全く違う状況を考慮せずに云々できないと思う。僧侶は村共同体に守られる習俗があった。良寛小林一茶的人物が今でも人気があるのは日本の文化風土によるもの違うかな。

吉本隆明も昔から評価しなかった人だった。我々の間で、当時、吉本を読む人なんか皆無だった。そして読んでみたが、吉本「良寛」と同じで、途中まではいい線言っているが、尻切れトンボだよ。ある程度進んでもその線に沿って深堀できない。ま、典型的な日本的思想家違うかな。深堀する体力がないのか知力がないのか教養がないのか、経験がないのか、わからないが、吉本隆明の本質は文学者、詩人だよ。ここの原点が政治思想追及の限界点だった。共同幻想論もとっかかりは面白かった印象があるが読み進むにつれてスカスカになった思い出がある。

自然の時間が永らえていくように人間も永らえていくことができるようになりましょう。

 W。抽象的「人間」が永らえていくなどどうでもいいことだし、宇宙史から見ると太陽と一緒に地球が滅びる必然なのにありえないよ。寝言の類だ。

だから道元によれば仏教の本質そのものは宗派でないということになります。

良寛が感心したのはまさにそこのところでした。