反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

吉本のいう良寛的な性格悲劇の持ち主は、それにふさわしく包んでくれる思想を持つべし。 時代風潮に合わせたら、性格悲劇はもっと進んでいく! グローバル資本制の歴史段階では その常識とはかけ離れたところで自己形成を成し遂げなければならない人が世界中で膨大に生まれる。

反俗日記 2022年3月9日記事。エンディングより引用

https://redtigerkun.hatenablog.jp/entry/2022/03/09/164814

   タイトル

「制度、道徳。 それを排する以前に存在自体がない。道徳とか、善悪とか、喜怒哀楽とかいうものはどうしてできてくるのか。 それは天から逃げようとするからだ。 人間が天から逃げて人間本位になろうとするから 道徳とか喜怒哀楽とか、政治制度とかが出てくる。 道徳を説く聖人がいるから大泥棒が出てくる。仁義が生まれるようになって、かえって天下が惑乱した。」

                    エンディングより引用

「@良寛は師の死に出会って円通寺を出たときに、道元の<行仏>という思想を捨てました。

    W禅宗ヒエラルキーからの脱落=脱化

    W.現在の禅宗ヒエラルキーの実態を指摘するブログがある。

  

★50歳からの勉強道~読書録★

本は友達。一冊一冊を大切に記憶に留めておきたい

「なんと東京グランドホテルを経営してる(*_*) 」W.3 つ星ホテル

W。グランドホテルを調べてみた。

W。浜松町駅から徒歩10分、芝公園駅から徒歩2分、レインボーブリッジやお台場、麻布、六本木へもアクセス良好。

W。会社概要

宗教法人曹洞宗

代表者    事業部長 来馬宗憲
従業員数    39名(2019年2月1日現在)

地上15階、地下2階、敷地面積:1,500㎡、延床面積:15,1432㎡

曹洞宗宗務庁はこのホテルの住所と同じである。

ブログ本文引用開始

良寛当時から曹洞宗では本山争いがあって越前の永平寺と加賀の総持寺との紛争が
明治期に総持寺が横浜鶴見へ移り決着した。」

「どうしてこうも堕落したか、というと
江戸時代初期から早々、幕府が、ガッチリ統制したせいらしい。


鎌倉時代道元が、曹洞宗の禅を修め唐から帰国したのが1228年で、その後教団は拡大し、

派閥争いが激しくなった慶長17年、(1612)幕府は「曹洞宗法度」を出し分派を解体。
>学問奨励策により江戸で20~30年の修学を課して後継者を育成する。(臨済宗も)。W。諸大名統制と同じ手法。一種の人質制度。
幕府の都合の良いように中央集権機構に組み込んだんだ。やるなー。


さらに翌慶長18年の(1613)
「宗門寺檀那請合の掟」  これもしゅごい。


当時の曹洞宗は本末制度で田舎のどんな寺でも本山の組織に組み込まれ
住職の任免も取り仕切られる。


寺院には30以上等級があり、さらに下の末端寺院が檀家を掌握する。幕府の法度である寺請制、檀家制だ。」

 W。師から印可を受けた良寛が後継者の現れた円通寺を出たとき、禅宗ヒエラルキーに連なる寺の住職に着任することができた、のか適当な赴任先がすぐ見つからず、猶予期間が設けられていたのかが全く不明だが、4年間の放浪の末に故郷にかえり隠遁生活に入った事実だけは記録されている。

>高知のどこかの破れ寺で良寛らしき修行僧に出会った、という有名な逸話は円通寺修行の結果、師の国仙和尚から印可を受ける以前の諸国修行であり、

印可前の修行と円通寺出奔、動揺放浪期間を混同してはいけない。

高知の破れ寺で良寛に出会った、伝説は印可を受ける前の禅宗お決まりの諸国修行行脚に一途に励んでいる良寛像を思い浮かべると合点がいく。この時期の良寛円通寺を出る事情と気構えはなかった。

禅宗ヒエラルキーによる国仙和尚の後継者が現れ、円通寺を出て放浪生活4年後の良寛の選択は阿羅漢僧の道であった。事実上の乞食僧に徹する選択であった。

 以降の良寛に対する反俗日記の基本視座は周りの人々の助けがあっての詩文と遊行であった、僧良寛の過大視はない。もっとはっきり言えば、自己に沈潜する姿勢は僧侶として間違っている。ただし、仏教そのものの体系は個人鍛錬に重点が置かれ、ボランティアが内発的に成り立たないコンセプトがある。しかし、逆の面から言えば、キリスト教のような一神教の伝動を口実とする侵略性に乏しい。

 最も生活するうえで自己の在り方が厳しく問わる近代(煎じ詰めると労働力の商品化と資本の拡大再生産の非和解的連動~相対的貧困化の必然~)共同体に個人が埋もれていても生活が成り立った近世という時代的な背景の違いがあるが、宗教も思想の一種とすれば、良寛に近代に至る自我の萌芽を見る視点が必要である。

坂口安吾

堕落論

「日本文化私観~三。家について

僕はもう、この10年来、たいがい一人で住んでいる。東京のある町やこの町にも一人で住み、京都でも、茨木県取手という小さな町でも小田原でも(W、競輪狂いの安吾であった坂口安吾の「競輪事件」とは、福田蘭童の回顧: つぶやき館 (元祖つぶやき館)

)一人で住んでいた。

 ところが家というものは(部屋でもいいのだが)たった一人で住んでいても、いつも悔いが付きまとう。

 しばらく家を空け、ととで酒を飲んでいたり、女と戯れていたり、特には何事もない旅先から帰ってきたりする。すると、必ず悔いはある。

>叱る母もいないし、怒る女房も子供いない。隣人にあいさつすることすら、いらない生活なのである。

>それでいて家に帰る、というときには、いつも変な悲しさと後ろめたさから逃げることができない。

>「帰る」ということは不思議な魔物だ。「帰ら」なければ、悔いも悲しさもないのである。

>「帰る」いじょう、女房も、子供も、母もなくとも、どうしても悔いと悲しさから逃げることはできない。

@「帰る」ということの中には、必ず振り返る魔物がいる。

@この悔いや悲しさから逃れるためには要するに帰らなければいいのである。そうしていつの前進すればいいい。

@ナポレオンは常に前進しロシアまで退却したことがなかった。けれども彼ほどの天才でも家を逃れることはできないはずだ。

@そうして家がある以上は必ず帰らなければならなぬ。

>叱る母もなく、怒る女房もいないけれども、家へ帰ると叱られてしまう。

>人は孤独で誰に気兼ねのいらない生活の中でも、決して自由ではないのである。

*そうして文学は、こういうところから生まれる。

*人は必ず死ぬ。死があるために喜怒哀楽もあるのだろう。

 ↓W。荘子

@<生>は天地からゆだねられたものであり、

@<死は>天という巨室に眠ることだ。

 

@道徳とか、善悪とか、喜怒哀楽とかいうものはどうしてできてくるのか。

それは天から逃げようとするからだ。

 

@人間が天から逃げて人間本位になろうとするから

@道徳とか喜怒哀楽とか、政治制度とかが出てくる。

 

@仁義が生まれるようになって、かえって天下が惑乱した。

道徳を説く聖人がいるから大泥棒が出てくるのだ。「聖生まれて大盗起こる」

 瀬戸内寂聴「手毬」

吉本隆明良寛」より

 

W。良寛は寝たきりになり、垂れ流しのような状態。その時の詩。

この夜らの いつか明けなむ この夜らの 明けはなれなば おみな来て尿を洗らはむ こひまろび 明かしかねけり ながきこの夜を

W。坂口安吾堕落論~教祖の文学~W.小林秀雄を強烈に批判~」所収

「生きた人間を自分の文学から締め出してしまった小林は、文学と絶縁し、文学から失脚したもので、一つの文学的出家遁世だ。」

「しかし私は小林の鑑定書など信用して屋いないのだ。

西行や実朝の歌や徒然草が何者なのだ。三流作品だ。

私はちっとも面白くない。

わたしも一つの見本を出そう。

コレはただ素朴極まる詩にすぎないが、私は西行や実朝の歌、徒然草よりもはるかに好きだ。

 W。反俗日記でこの詩を取り上げたのはずいぶん昔。それからまた1度とりあげた今回で3度目。好きな詩、本物の詩とおもっている。上記の良寛の詩と共通項がある。死の床に横たわった身体から個がゆるゆると浮き上がってきているさまを歌った詩である。

    宮沢賢治の「眼にて言ふ」

  だめでせう

  とまりませんな

  がぶがぶ湧いているですからな

  ゆうべからぬむらず

  血も出つづけなもんですから

  そこらは青くしんしんとして

  どうにも間もなく死にさうです

  けれどもなんといい風でせう

  もう清明が近いので

  もみぢの若芽と毛のような花に

  秋草のやうな波を立て

  あんなに青空から

  もりあがった湧くやうに

  きれいな風がくるですな

  あなたは医学会のお帰りかなにかは解りませんが

  黒いフロックコートを召して

  こんなに本気にいろいろてあてをしていただけば

  これで死んでもまづは文句もありません

  血が出ているにもかかわらず

  こんなにのんきで苦しくないのは

  魂魄 (Wこんぱく注)、なかばからだをはなれたのですかな

  ただどうも血のために

  それが言へないのがひどいです

  あなたのほうからみたら

  ずいぶんさんたんたるけしきでせうが

  わたしから見えるのは

  やっぱりきれいな青空と

  すきっとおった風ばかりです

 

  W注魂魄 (Wこんぱく注)「人間の精神的肉体的活動をつかさどる神霊」

「半分死にかけて魂足を書くなんて罰当たりの話だけれども、徒然草の作者が見えすぎる不動の目で書いたというものの実相と、この罰当たりが血をふあげながら見た青空と風と、まるで品物が違うのだ。

思想や意見によって動かされるということのない見えすぎる目。

そんな目は節穴みたいなものでモノの死相しか見てやしない。

~~

本当に人の心を動かすものは、毒に当てられた奴、罰に当たった奴でなければ、書けないものだ。」  「堕落論坂口安吾 引用終わり

 

  引用に戻る

「この「寺請制」の確立により、江戸のごく初期からずーっと、ほぼほぼ
寺=役場、僧=役人、という現実。


僧侶は幕府の権力を得ているので修行を怠り、檀家経営に奔走する・・という
江戸初期からすでに、今と同じ。「葬式仏教」になり下がっていたのだなぁ。」

        引用終わり

   

  反俗日記本文に戻る

@ただ座禅を四六時中やることの中に生存のすべての価値と意味を包蔵することですから

普段の緊張を必要とするでしょう。

@こんなことに何の意味があるかといったん考え始めれば、無限に崩壊してゆくに違いありません。

つまりいったん疑えば座禅以外のすべてのことが、小さな意味や価値の亡霊に見えるかもしれません。

W。山奥の外国人修行者多数を受け入れている禅寺の修行動画が出ている。

W。まさに吉本の指摘する事情で下山する修行者が出てくる。

>自分の長年馴染んだ根拠の場所を捨てたときこの<行仏>を保つのが不可能なことを良寛はよく知っていたと思います。

それは郷里にたどり着くまでの良寛の動揺だったと思います。

>W。良寛は近代に通じる自我を持っていた。当時、通常は印可を受けたものは禅ヒエラルキーにしたがった。

>寺の外に出たものは帰る家があれば生活は成り立つが、

良寛は出奔者であり帰る家はなかった。

>まして良寛の実家は激烈な没落途上にあった。

@実家(越後出雲崎~越後一の人口密集地~~)の急激な没落は幕府支配の人的(大量の流刑者使役)物的(銀は貿易の資源)要所、佐渡銀山への往来港であり、幕府直轄統治(天領)であったという土地柄と無縁ではない。良寛の実家の地域は牧歌的な江戸時代のムラでは全くなかった。

  ***

「良寛の心の中に次に新しい意味を持って浮かびあがったのは「正法眼蔵」の阿羅漢の思想だったのではないでしょうか。

~~省略

道元の記述する阿羅漢は自分が現世的な利益や名利を求めず

自分の姿事態によって教化しようとする考えを全く捨て、

ひたすら無執着で自然の風物を眺め、自分と同じものとして受容する生活をすることです。

良寛は阿羅漢の道を選ぼうと思い決めたとき、郷里を目指したと思われます。

>郷里の国頭山腹の良寛の庵生活は、僧としての阿羅漢の在り方とみることが許されるのではないでしょうか。

W。再び坂口安吾堕落論」を引用すれば生まれ故郷の近くの国上山の五合庵の帰った(帰らざる得なかった)良寛の去来する心境がわかる。

引用

>「帰る」ということは不思議な魔物だ。「帰ら」なければ、悔いも悲しさもないのである。

>「帰る」いじょう、女房も、子供も、母もなくとも、どうしても悔いと悲しさから逃げることはできない。

@「帰る」ということの中には、必ず振り返る魔物がいる。

@この悔いや悲しさから逃れるためには要するに帰らなければいいのである。そうしていつの前進すればいいい。」

>叱る母もなく、怒る女房もいないけれども、家へ帰ると叱られてしまう。

>人は孤独で誰に気兼ねのいらない生活の中でも、決して自由ではないのである。

*そうして文学は、こういうところから生まれる。

 

     @以上の吉本、良寛阿羅漢の道選択論から

W。良寛のような禅宗ヒエラルキーから離脱した阿羅漢僧はたくさんいたと思う。

ただ良寛はご法度の詩文、書に優れていた。

良寛は地元の人々に大切に見守られていた、というべきだ。当時の良寛、その後の良寛は阿羅漢僧(+老荘思想)の生きざま、詩文に居場所を見出したが、良寛を見守り続けた地元の人々は無告の民であり続けた。

*******************

 反俗日記は良寛の生きざま、詩文を吉本隆明良寛」を通じて検証した結果、複雑な想いがする

性格悲劇のものが、どのようにして生き、居場所を見出していったか、に関心が向かうが、それは周囲の人たちのおかげで成立していた部分も決して小さくない。

無告の民たちのちょっとした思いやり、共感、同調の在り方は書き記されていないが、その想いや実行が積み重なってきた事情に注目する。

この記事を記した時点では対談の水上発言は知らなかったが

無告の民に視座を置く水上発言に大いに共感した。

***********************

 しかし、反俗日記で良寛を取り上げる問題意識は、良寛を超えたところにあった

良寛さんでほっこりするなんてのは最初から眼中になかった。

W。吉本のいう良寛性格悲劇の持ち主は、それにふさわしく包んでくれる思想を持つべし、ということだ。

他人や時代風潮に合わせたら、性格悲劇はもっと進んでいく!

グローバル資本制の歴史段階には人々に力を与える原理が求められれている。

>グローバル資本制の常識とはかけ離れたところで自己形成を成し遂げなければならない人が世界中で膨大に生まれる。

*************

わたしの心と体を鎮めてくれるのは

良寛の生き方や詩ではないと最初から感づいていたが、記事を書くことでその想いは決定的になり、吉本「良寛」の老荘思想を拝借して以下のような心境が自分にぴったりだという結論に達した。

@<生>は天地からゆだねられたものであり、

@<死は>天という巨室に眠ることだ。

 

@道徳とか、善悪とか、喜怒哀楽とかいうものはどうしてできてくるのか。

それは天から逃げようとするからだ

 

@人間が天から逃げて人間本位になろうとするから

@道徳とか喜怒哀楽とか、政治制度とかが出てくる。

 

@仁義が生まれるようになって、かえって天下が惑乱した。

道徳を説く聖人がいるから大泥棒が出てくるのだ。「聖生まれて大盗起こる」

 

つまり制度や道徳に対する考慮からは自由であり

@むしろそういうものが無効にされる根拠を提示しようとしています。

 

W.老荘から孔子への回路は東洋思想の原理的退行である。

W。グローバル資本制の歴史段階に必要な原理的な思想は孔子の思想ではない。

W。なぜか?

孔子の思想の根本は統治するものの制度、道徳であり、それを統治される側に納得させる思想体系である。

 

グローバル資本制段階の世界中の支配層の物理的物質的に動員できるパワーに比べて

庶民レベルが発揮できる力はあまりにも大きな階級的な格差が生まれている。

後者の願いは従来の<民主>制の政治機構の枠内で叶えられなくなっている。

大衆メディアは支配層の政治と思想を統治される人々に刷り込む伝動ベルトと化している。

そのため無力感に陥っている世界中の人々にリアルな動因を与えるのは<原理的な考え方>である。

 

 世界支配層に影響を受けた政治勢力の間で20世紀、第2次世界大戦後、ご法度とされていたバーバリズム、ジャングルの思想ともいうべき適者生存、命の選別思想と政策が浸透拡大しており、

それに対抗する実行力は代議制議会民主制度の枠内で納めきれないものとなっている。

 コレが現実。

トランプは選挙に不正があったという演説を支持者の大衆集会で行い、支持者らは連邦議会に突入しただけではなく、内部を破壊蹂躙した。

アメリカ合州(移民合衆)国の<国体>はアメリカ流民主主義である。

連邦議会に乱入し内部を蹂躙した、事態はアメリカ流民主主義国体の極致を見る。その野蛮な動力が反転して世界のアメリカ国体不受容の国々の統治機構の破壊へと向い、己に従わせようと絶えず画策している。

アメリカ国体を世界中の基準にすることはできない。

新大陸移民国家という特殊風土に開花した民主制は他国他民族に移植できない。

 

   荘子の視座はキーポイントになる。

 参考になる記事を見つけた。

ここで反俗日記流の視座の繰り返しは野暮である!

同じ次元のことを書いているが実業の現場でもまれている方の視線はシンプルに真理をついている。

www.tanaka-cpa-office.jp

引用

     

    生き恥をさらすということ

 

司馬遷は生き恥さらした男である。」の書き出しで始まる武田泰淳の『司馬遷に、歴史家の兄弟の話が出てくる。時の権力者がその君主を殺した。歴史家がそのことを記録したら、けしからん奴だと権力者は殺してしまった。すると歴史家の弟がまた同じことを記録した。権力者は弟も殺した。すると弟の弟がまた同じことを記録した。権力者はさすがにもう三度目には殺そうとしなかった。この歴史家の厳しさを、司馬遷もまた背負っていた。

 

司馬遷漢の武帝の怒りを買って獄につながれたのは、匈奴との戦いに敗れ捕虜となった李陵将軍を擁護したためであった。だが、武帝が考えを改めようとした矢先、捕虜となった李陵が敵の匈奴兵に軍事訓練を施しているとのうわさが聞こえてくる。これを聞いて激怒した武帝は、李陵の一族を処刑し、司馬遷にも極刑が命じられた。死刑か、それとも辱めの極みともいえる宮刑(腐刑)か。

宮刑(腐刑)は、強制的に宦官にさせられてしまう刑で、当時の感覚では男とも女ともつかぬ人間以下の存在になることを意味した。司馬遷は『史記』を完成させるために、生き恥をさらす宮刑(腐刑)を選んだ。

 

司馬遷は、生き恥をさらしながら、知にこだわり、知を完成させた。

 

この司馬遷にはるかに及ばないという意味から名前をとったのが司馬遼太郎である。

 

しかし、生き恥をさらしているのは司馬遷だけではない。このところ、生き恥をさらしてでも議員を続けるという人たちが相次いで国民を困惑させた。

 

政府は国民のものだというのは一つの虚構である。

それは、会社が株主のものだという虚構に似ている。会社は、役員と従業員が事業を行って生計を維持し産をなすための組織であることがその本質であるが、

広く株主のものであるという虚構をまとっている。

株主は、会社に資金を提供する役割を負っているに過ぎないのだが、その株主を持ち上げることで資金を集めやすくすることが、この虚構の目的である。虚構の意味を否定的にとらえているのではない。会社は、この虚構があって初めて機能するのである。

 

会社の例えに倣えば、政府はその政府の運営にかかわる人たちが生計を維持したり産をなしたりするための組織であるが、

>広く国民のものであるという虚構をまとっている

国民は虚構であると知っているが、一応知らぬふりをしているのである。」

                  引用終わり

W。「政府はその政府の運営にかかわる人たちが生計を維持したり産をなしたりするための組織であるが、広く国民のものであるという虚構をまとっている

国民は虚構であると知っている??⇒Wこの手の国民国家という虚構を垂れ流し続けている大衆伝動ベルト電子媒体の刷り込み効果も巨大であるが、

この記事の作者のような視点を仮に教師が授業で繰り返し開陳したら、その教師はどうなるだろうか?

市民革命を最初に長い期間かけて行ったイングランドでは憲法はない。

合衆国憲法も有名な修正条項を含めて勘案すると特殊な憲法である。

それぞれの国家と民族にはキャラクターがあってしかるべし。

それは歴史的に形成されたもので文化風俗慣習も包含するものと考える。

しかしそれはあくまでも経済とその構造の再生産があってものだ

経済を大事にするということは民が自分とその生活、仕事を大事にするということだ。その上に立って統治機構は必要。

経済の混乱、停滞している時期にはこの順序を守ることが大切。

言い換えると政治路線、政策の果たす役割は非常に大きい。

 

資本が過剰になる激動期の経済は

>人間の思惑を飲み込んでそれ自身の動力で勝手に動いていく

一つ一つの経済単位の動きがもたらす合成の誤謬が生まれてきた。

コレが世界戦争である。政治はコントロールするというよりも合成の誤謬の推進力になった。

冷戦構造の終結以降、定期的であるかのように激烈な局地戦争が発生している。

 

どうしてなのか?

それぞれの当該戦争地域に戦争によってしか解決できない政治課題があるのか?

もちろん、それも大いにある。

 

しかし、それは部分的な問題だ。

上記の記事の最後のほうのセンテンスは国民国家という虚構、と資本の在り方の虚構を指摘しているところに解がある。

 

>急用ができたので記事をこの辺で終える。