反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

<生>は天地からゆだねられたものであり<死は>天という巨室に眠ることだ。道徳とか、善悪とか、喜怒哀楽とかいうものはどうしてできてくるのか。 それは天から逃げようとするからだ。 人間が天から逃げて人間本位になろうとするから 道徳とか喜怒哀楽とか、政治制度とかが出てくる。

見守り介護の人。天に昇る(帰る)準備をしているんだな。

  W。荘子 吉本隆明「良寛

<生>は天地からゆだねられたものであり、

<死は>天という巨室に眠ることだ。

 

道徳とか、善悪とか、喜怒哀楽とかいうものはどうしてできてくるのか。

それは天から逃げようとするからだ。

 

@人間が天から逃げて人間本位になろうとするから

@道徳とか喜怒哀楽とか、政治制度とかが出てくる。

 

@仁義が生まれるようになって、かえって天下が惑乱した。

道徳を説く聖人がいるから大泥棒が出てくるのだ。「聖生まれて大盗起こる」

    ↑        

W。良寛は寝たきりになり、垂れ流しのような状態。その時の詩。

この夜らの いつか明けなむ この夜らの 明けはなれなば おみな来て尿を洗らはむ こひまろび 明かしかねけり ながきこの夜を

     宮沢賢治の「眼にて言ふ」

  だめでせう

  とまりませんな

  がぶがぶ湧いているですからな

  ゆうべからぬむらず

  血も出つづけなもんですから

  そこらは青くしんしんとして

  どうにも間もなく死にさうです

  けれどもなんといい風でせう

  もう清明が近いので

  もみぢの若芽と毛のような花に

  秋草のやうな波を立て

  あんなに青空から

  もりあがった湧くやうに

  きれいな風がくるですな

  あなたは医学会のお帰りかなにかは解りませんが

  黒いフロックコートを召して

  こんなに本気にいろいろてあてをしていただけば

  これで死んでもまづは文句もありません

  血が出ているにもかかわらず

  こんなにのんきで苦しくないのは

  魂魄 (Wこんぱく注)、なかばからだをはなれたのですかな

  ただどうも血のために

  それが言へないのがひどいです

  あなたのほうからみたら

  ずいぶんさんたんたるけしきでせうが

  わたしから見えるのは

  やっぱりきれいな青空と

  すきっとおった風ばかりです

***

道元の記述する阿羅漢は自分が現世的な利益や名利を求めず

自分の姿事態によって教化しようとする考えを全く捨て、

ひたすら無執着で自然の風物を眺め、自分と同じものとして受容する生活をすることです。

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<生>は天地からゆだねられたものであり、

<死は>天という巨室に眠ることだ。

 

道徳とか、善悪とか、喜怒哀楽とかいうものはどうしてできてくるのか。

それは天から逃げようとするからだ。

 

@人間が天から逃げて人間本位になろうとするから

@道徳とか喜怒哀楽とか、政治制度とかが出てくる。

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良寛は阿羅漢の道を選ぼうと思い決めたとき、郷里を目指したと思われます。

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@「帰る」ということの中には、必ず振り返る魔物がいる。

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>郷里の国頭山腹の良寛の庵生活は、僧としての阿羅漢の在り方とみることが許されるのではないでしょうか。

W。再び坂口安吾堕落論」を引用すれば生まれ故郷の近くの国上山の五合庵の帰った(帰らざる得なかった)良寛の胸に去来するものがわかる。

引用

>「帰る」ということは不思議な魔物だ。「帰ら」なければ、悔いも悲しさもないのである。

>「帰る」以上、女房も、子供も、母もなくとも、どうしても悔いと悲しさから逃げることはできない。

@「帰る」ということの中には、必ず振り返る魔物がいる。

@この悔いや悲しさから逃れるためには要するに帰らなければいいのである。そうしていつも前進すればいいい。」

>叱る母もなく、怒る女房もいないけれども、家へ帰ると叱られてしまう。

>人は孤独で誰に気兼ねのいらない生活の中でも、決して自由ではないのである。

*そうして文学は、こういうところから生まれる。