記事をこの際、詳しく編集し、エポックメーキングにしたい。
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見守りケアのひとをグループホームに送った日(4月21日木)から20日経った。グループホーム入所が決まって送り出すまでの日々は、いろいろありすぎて必死だったので、偶に心の奥底にある感情が表に出てきても、送り出す体制を整えたり維持するのに汲々としていた。
彼女の持っていた位牌、遺影、死に装束は自分が預かった。
彼女の部屋に荷物は整理屋が運び出す前日に、これまで付き合いのあった同じ階の3人に<お別れの品>として欲しいものを持って行ってもらった。以前から、この集合住宅でガレージセールのような機会があれば良いのに、と思っていたので実行した。
5年も見守りケアをやっていると彼女の部屋のほとんどの用品は貯金のないころに自分が出費したもの(ネット買い)、貯金ができてからは自分の一時立て替えで買ったものばかりだ。
見守りケアが生活習慣になっていたので、いなくなって気が抜けたようになり、フトしたきっかけで脳裏にその姿や声のトーンが度々浮かんできた。
あんな穏やかで明るく素直な認知症の人がいたのだ、と思うと己の不甲斐なさに身の置き所がなくなる。
こちらが丁寧に接してあげると、必ず答えてくれた。一方的に気が荒ぶることなんて一切なかった。根が気のいいひと、朗で上品な美人、魅力的な人だった。横顔を見ると、フト見惚れてしまうときがあった。実年齢よりもずっと若く見えた。しかし、この資質が彼女の人生に波乱を呼んだ。
これではいけない、と思って5月1日(偶々メーデーの日だった)大塩平八郎の墓のある寺に行ってみた。 今までここに来るたびにみっともないな、と思っていても涙が次から次に湧いてきた。
しかし今回だけは違った。感情的になることは一切なく 寺門正面の写真を撮って、所有墓地を調べて帰宅した。墓地内の大塩家の墓は見落としたが。
帰宅後、次のように考えることにした。
当初の予定通りここを選んで見守りケアの対象を見つけた。そして5年の歳月が経った。その間に 持病を悪化させ手術をした。目も悪くなった。見守りケアの都合上、諸々の関係者への配慮は見守りケアの30%は越えただろう。ありのままの自分にブレーキをかけてきた。金銭的な損失もある。
それで何かを達成した、と思い込みたかった。
>しかし、守ってあげられなかった、という思いが募る。
もっと見守りケアの人との距離を詰めていたら、もっと丁寧にやっていれば、と。
>いつしか便利屋、代行屋に徹する、という一番、楽な道を選んでいた。
こころのケアはできていない、大きなマイナスがある、と事あるごとに周りの人にいっていた。
彼女は私のことを「二重人格」「情がない」と何度も言っていた。
見守りケアの半ばごろに、がんで長期入院中の夫に取り残され独居になっていた近所の認知症の妻の焼死事件が発生した。
その一家の離れたところにいる長男は脳梗塞で仕事のできない体になった。このうちは介護保険を使っていなかった。妻がヘルパー訪問を嫌がるときいた。
それにしても自分にやれることはあったが、夫は近所の女性たちに独居の妻の面倒を託していったので出る幕はなかった。合鍵が手元になく外からの訪問者が中に入れず部屋の様子がわからなかったが、ずっと前に政治新聞の配達人の集金の際に高所の廊下の手すりの上に立ち鍵をしていない窓から自分が中に入ってドアを開き用を足したことがあった。私の最終「学歴」はとび職である。
女性たちに頼まれそうな機会があったが、目で制するようにしていたので、いつでも窓から入るつもりあったが集合住宅全体の金集めや見守りケアに集中したいので任せていた。自分の気持ちとしては地域の超古株の人たちなのであらゆる手を使って、独居妻の介護ににもっていくことはできるだろうと思っていた。結局、介護系の訪問員が来ても中に入ることができなかったことが大事件につながった。深夜に煙がもうもうと立ち込め、一番最初に駆け付けた自分が中に入ろうにも鍵がないので入れなかった。もっともドアを開けても火の手が回りすぎてんかにははいれなかっただろう。
その頃は自分も含めて認知症の介護の難しさの本当のところを知らず、危機感がなかったことも影響している。
持病の手術明け、2週間程度で焼死事件の惨事に遭遇した。集合住宅の金集めは退院後すぐはじめ、引継ぎまで全うし、見守りケアは続いた。
たった3年間で夫は各種の持病が悪化し最後はがんが転移した。消防活動によって集合住宅の近所は水浸しの被害を受けた。
認知症介護のむつかしさ、一つ間違えば行きつくところに行きついてしまうことを目の当たりにしたことが見守りケアの転機になった。
安岡章太郎「海辺の光景」だった。
認知症介護の本ではなく、小説だった。
近所付き合い、古株世話役の限界も知った。
ちなみに自治会とか町内会。
後段の毒入りカレー事件の記述にも関連するが
あれは、地域の助け合い、というよりも住民の行動を縛り付け、自由な時間を浪費させ、日本の統治機構最末端としての機能優先、年間結構な金額を赤十字に上納する機構というほかない。
いざというときに地域の助けなどあてにならない、と割り切った方が良い。やりましたという形はつけるが中身はない。
日本の地域共同体は日本的封建時代の年貢村請負という、きめ細かい地域共同体自己責任、特殊制度(朝鮮半島、中国の同時代と比較すると年貢村請負の実態が鮮明になる~東アジアは地域共同体の塊がもっと緩い、移動性も大きい、サムライがリストラされず数が多すぎるから~~薩長土肥~~、年貢を厳しく取り立てたり、半百姓サムライの必要があった~!同調圧力の元を辿るとここに行きつく)に根源を置いてきた。
近代になると、その地域共同体は政府統治機構の末端に位置付けられ機能し敗戦以降もその本質は変わっていない~~グローバル資本制以前の会社組織にも地域共同体の組織形態の影響があった~~。
最も合理的に機能する側面は行政の上からの指示に従うときで、今やまとまって上に何かを要求する側面はしりすぼみになり、住民同士の横の関係は形がい化し客観的には相互監視、末端秩序維持機関と化している。
見守りケアを終わっての結論がこれでは心貧しくなるが事実だから仕方がない。
これまで見てきたところ、ほとんどの案件は家族内で処理されてきた。
だから今様、核家族化の弊害をまともに受けて悲惨残酷な事案が連発されるのを目の当たりにしてきた。
子供たちがいても、親の面倒を見ることから遠ざかっている、場合が多く、独居、または老夫婦が放置され、悲しい結末を迎えるケースが多くなっている。
結局、欧米型の個人主義が徹底された親子関係(親と子供が個人~個性~として向き合う)と戸籍制度に象徴される日本的な家制度の残存のどっちつかずになり問題が大きくなっているのだと思う。
>この方面の日本独特の法制度は日本支配層の住民支配の根幹にかかわるので改革できない。
自分のように家族を超えた助け合いを自然にするものは極少数派。もっとも自分も活動の都合上、そういう術が身についたまでだ。しかしその経験がなければ助け合いはできない。思っていることと行動することの間には大きな溝がある。所詮、井戸端会議の話題、噂話、におわる。
自分はここぞというときは徹底して行動する。このスタイルでなければ効果がなかった経験を未だにひきづってきた。
女性たちは対象に近づくが徹底しなけれならないケースに遭遇すると立ち止まり遠巻きにしている。突出して動けば恥をかくこともある。コレも嫌がっているのじゃないかな。自分もなぜこんなに生き恥さらさなければならないのだと、よく思ったが、目先のことが大切なので突き切ってきた。いったん前に出ると引き返せないのだ。
近所の世話好きは使える手段はありそうなものなのに、自分の都合のいいように現実を解釈できる、特技があるようだ。
見守りケアの人がいなくなってあたりが急に静かになった。見守りケアの人の直ぐ近くで大声でいつもふたりで大声で井戸端会議みたいなことをしていたのにいなくなってぴたりとやんだ。
一体あれは何だったのだろうか?
見守りケアの人は嫌がっていた。出入りする自分も嫌だった。
見守りケアの人は日中ドアを開けっぱなしにする癖~自宅で屋内作業をする自営業を営んでいた風習が残っていた~があったので、話声は余計に堪えた。可哀そうに思って閉めたほうが良いよ、というと相手が気付くのでなどとって自分からはドアを閉めることはなかった。出入りする自分も立ち話している人たちに気兼ねしいない時を見計らって訪問したり、介護宅から外に出ることも度々だった。
こういう状態だったので以下に書くことに無理はないと自分では思っている。
他人が他人に煎れ込む状態に
近所付き合いのバランスが崩れた逸脱観から生まれた、寂しく生活している老人のある種、本能的な嫉妬が動機なのでは?
言い換えると、自分と見守りケアの人の交流や毎日、朝晩のヘルパーさんたちの煩雑な出入りは<ケ>であるべき通常のの近所づきあいからの逸脱である<ケガレ>であったのか?
その<ケガレ>を打ち消すためには見守りケアの人のドアの直ぐ近くで大声でおしゃべりをする、エモーショナルな行為があったとしか思われない。
だからいなくなれば、その用が足りたのでぴたりとやんだ。
とにかく、見守りケアの人を含めて噂や<人目>をきにする。
ただし、この人は自分の立場(地域の活動をやってきた)を守ることを異常に気にする!名誉欲が人よりも強いのだろう。自治会町内会の役員の常連にはこのタイプが多い!
したがって、役員が偉そうにしているとか、プライバシーを監視されているような気がする、近所付き合いが面倒だ、とかの理由で若い人は入ってこない。
わたしも来る前に散々この手のうわさをネット記事で読んだ。
結局、中途半端極まりないボランティア、啓蒙啓発活動参加で長年やらせているから、こういう耳年増、現実適応できない過剰な自信のある人物が育つ。実践活動で役立つ訓練を受ける機会がない。自治会活動も各々のマニュアル通りにやっているだけだ。
ネット情報などと離れたところにいる人ばかりだから仕方がない。いまだに新聞、テレビ情報の世界だから、そのいみで殆どうのみにしているので私よりも情報通。自分たちの活動が無関係な周りからどう総評されているのか、知らないのではないか。
あまりにも長い年月が経つと、同じような傾向の人が残り、独特の環境が生まれる。
>集合住宅の交流の在り方が変わったことも原因だろう。
入居者の高齢化に対して自治会活動の合理化が悪い方に作用している。
コレはもっと若い世代の入居率が多い時に効果を発揮するもので、安否確認に至っているスーパー高齢化状況では孤独死、放置死の逆作用。お互いの助け合いも蔑ろになり、やっているものがやたらに目立つ。わたしでさえ症状に進行に対する介護が必要になって、目立って行動しなけらばならない機会が増え、生き恥さらしている感を意識しだした。
>以前は普段の掃除などは自分たちでやっていた。そのときに近所同士の情報交換、交流ができたが、掃除する人を二人来てもらうようになって、その場がなくなった。
@近所の古株は掃除は自分たちでやった方が良い、という意見を堅持していた。⇒正しい!
@入居間もなく、班長や住宅全体の金集めの任についた自分は事情がよくわからず、手間暇かけない合理主義の意見に賛成したが、途中でコレは拙い、と気づいたころは、規約は修正された後だった。
>修正された規約を読み込むと、本来の任が異質の町内会と自治会の金銭の出所を一緒に自治会費として徴収すること~~同一徴収は仕方がないとしても記述の仕方はもっと組織の違いを明らかにすべきだが、集合住宅の共益金の徴収が核となる自治会の構成員が町内会の活動に自動的に参加しなければならない、と明記している。町内会活動参加は任意、コレは民主政の初歩的原理。初歩的なことに関心がない人とは話し合いにならない、とおもった。面子、都合への拘りが崩れたら役員の任はしんどく成るのはわかる。~~。
>自治会長、町内会長の任が公選ではなく、本人の辞任の申し出がない限り継続する
など怪しい文言があふれていたが、
@会議の場で反対すると、私と同じ理屈っぽい人との論争になるので、ひいた。
共通の立ち位置のない人と論争は時間がかかる。
@会計帳簿のつけ方は複雑すぎる(複式簿記)と問題にしたが、一斉に反論された。
@あり得ない!たかが120~130軒の帳簿をつけるのに、1件につき3~4か所きにゅうする。大きな不正が起こるのは同一人物が長く金銭管理を担当するからだ。
見守りケアをしている現状を差しさわりのない程度に公開し協力を仰ぐ、と心がけても~~社会的な介護をやっていることは自覚しているので~~、こちらから話しかけなければならないのでいつしか、億劫になった。
わたしだけの情報だけでなく見守り介護の人の意見も公平に必要ということも考えていた。ここまで考えて、集合住宅の茶話会に出席しない、と結論付けた。出かけると知人たちに愚痴をこぼすことになり、不公平になる。介護する者が介護されている、と考えていた。
認知症は頭の老衰。介護するものされるもの人格は対等だ。
仕事ととしてやっているものは金銭の対価がある、ボランティアは介護しているつもりでも介護されている、ことに気づかない。
私は介護されていた!
介護されていたから、介護が解けて今、悩む。
>以上後で編集した記述を土台にしてもやはりこの際、書いておかなけれなならない。
>人の命や大切なものがかかっていた。
@そもそも大事に至っている人に対する中途半端なかかわりで同じ階の救える二人を放置したのを目の当たりにしている、と自分は見ているが本人たちにその意識は全くない。
なぜ部屋の中に入れない状態を放置し焼死させてしまったのか?そんなに苦労しなくても方法あった(自分たちでできると思ってもやり始めたもできない場合がある、他に助けを求めることも必要)のに中に入れずどうしようもなかった、などと最後までいっていた。
>突然、やり始めたのだから、できないて当然だった。
>結局、状況を楽観視したがる庶民にある癖、当時の自分も含めて無知が災いした。
そして集合住宅の総意は介護拒否の認知症の本人のせいにしているが、
そもそも責任能力の怪しい段階に達している者は一方的に助けられる対象でその術があるものが行使しないことを無責任という。ドアの合いかぎを手に入れることが、介護につなげるキーポイントなのは普通にわかることで閑のある大人なら普通にできることだ。
ケースその2。
糖尿病が悪化し足がはれ上がって買い物にも行けない状態なのに、買い物の用は足してあげるが、病院に入れてあげられなかった。
判断ミス違うかな?そんな日々が続いた挙句、ある日部屋を覗くと心臓麻痺で死体になっていた。
自分のやり方は素人診断でも様子を観察し、血圧体温を測定し、緊急に医者に見せるか判断してきた。
この状況は第一発見者で警察の取り調べを受けたという美談として吹聴されている。
もっとも、見守り介護のひとを担当するヘルパーさんには39度の発熱がある、と入浴中やってきて大騒ぎした人がいた。いても役に立たないと判断し帰ってもらって、コロナを疑って一斉に窓を開けて計測すると平熱だった。ヘルパー責任者の心配してやってきた。次の日、勤務時間外の早朝ドアを開けるとそこにいて、いきなり体温計が壊れているという。
便秘を自分なら勤務時間の30本で治せるごとき振る舞いをして本人を落ち着かせることを最優先に、薬を買ってきたり時間をかけてどうにかしよとする私のやり方を頭ごなしに否定し、結局退散した。
この人である。勤務時間中、ドアにカギを掛けるのは。
勤務時間も自分の都合であわせて、1Hも誤差のある時がある。
邪魔をしたいけないので時間を外そうにも著中バッティングする。
ヘルパーさんに「なぜカギを掛けるのか」と本気で詰め寄ったのは、この人である。
この時は悪条件が重なって私の勘違いだった。
見守り介護の人を目の前に、本当に悪いことをした、と今でも悔やんでいる。
彼女はその夜、外に出て近所家を訪ねて保護された。今でもつらい!
その日からしばらく経って、大きな音の鳴る発信タグをつけた財布紛失事故が起こった。
それまでつけていたスマホアプリの発信タグから強力なメタル電池のものに替え、何度も紛失の度に反応させ、財布を見つけているので安心していた。最も彼女の財布の置き場所はタンスの衣類下着の下がせいぜいのところで、本当に見つからないようなこみいったところは一度もなかった。
それなのに発信タグは無反応、家探しはもちろんベランダ、郵便ポストなどどこにもなかった。タグは押し入れの布団の下に財布があっても音が聞こえる
財布がなくなるまでの時間帯は約48時間内とわかっているので自治会長と二人で防犯カメラのPCモニターを入念に確認し彼女が外に出た形跡がないのも確認した。
しばらく日にちが経って、突然、財布がいつもの置き場所にあった。
いろんなことがあった。
症状の進行に対処できない自分の問題もある。
後悔の挙句、焼死事件のような究極の状態まで介護すべきだった、頭の中で肯定することもあった。
お前はボロボロになること、死ぬことを怖がっていたのか、と。
それはなかった。
自分の世界、という最も大事にしているものを失うことを嫌がった。
自分の時間の集中と見守り介護の時間を両立させてきたが、症状に進行とともにぴったりと張り付く時間を長くとる必要性は解っていた。そうすると自分の世界はかけていく。
その段取りはできていたので引っ越せばよかったと今にして思う。
引っ越しができるとわかった日は見守り介護に人を眼科に連れて行った帰りのポストに入っていた通知だった。一瞬、困ったことになったと思った。締切日の前日にようやく書類を提出した。その日、彼女の家の相続人から渡されていた財産処分の書類を処分するため印鑑証明を代理でとる日でもあった。私は彼女に代わって書類の手続きをした。もちろん、ケアマネは関係ない、できないというので役所の関係者と話し合った結果、そうした方が良いというアドバイスをもらった。自分の引っ越しの方は断りの電話を入れた。
その眼科に今度は私が通うことになった。
介護放棄をするつもりはなかったので泊まり込みをするつもりだった。
引っ越しの部屋が、2Fではなくもっと上の空き部屋だったら、やっていたかもしれない。最もそこに移って別な活動をするつもりもあったが、調べて自分のやることはないと思った。
自分自身のわがままだもあるが運命に翻弄されている。
の世界ようだ。
東京にいたときの正月のTVで見たときは次々と訪れる人生の岐路にいつも決まって悪い結果が待っている道を選ぶ主人公に震え上がる想いがした。
主人公の最後は天王寺に至る坂の途中にある一心寺の縁の下。
見守り介護の人の夫や両親の骨ここに眠っており、毎年通知が来る。
墓のないものが多少のカネを払って、大きな仏像に骨を刷り込んでもらうという。
見守り介護の人の母と夫の位牌を一心寺にもっていったらいい、といつも入ってくれていたヘルパーさんは言うが、わたしは徹底した無神論者。身近に置くことに不都合ない、むしろ意味が出てくる。グループホームにいる本人との信義を守る。位牌がここにあるのもめぐり逢いを貴重にしたい。事あるごとに心と体の問題は気にかけてきた無神論者は心と信義を大切にする。
今回の機会にも自分の無神論と葛藤し点検している。
位牌、遺影、死に装束を捨てたら自分の無神論は成り立たないのだ。ここに安置することを力にする。
ケースは続く。
身寄りのない認知症の人に役所経由で介護をつけたという自治会は言うが、
その高齢女性はヘルパーさんは入っていたが4月上旬のある日、ものすごいエアコンの爆音が続く日々の最中突然死した。自分は見守り介護の人の入所日が近づいて体制づくりに忙しく、上の階の酒癖の悪い<手間のかかる人>に文句をつける手間を省くために、近所の家で寝泊まりしほとぼりを覚ますことにした。後で想うに苦情を言いに行ったら死なずに死んだかもしれない。このケースも近所の人たちの介護事情所につなげる間の放置に問題があったとみる。
隣の水漏れ事故も結局、修理したのは自分だった。被害者は原因が分かっている、自治会も来て騒ぎ、自分は素通りした。87歳の老婆に有料の修理屋しか処置できないのに、なぜ呼んであげない。大事な時は一歩踏みこんだ対応が必要。この修理で金を払うといってきかないのでもらったが、その行為にがっかりした。部品の代金はもらう、しかし修理代をもらうと侮辱されたような気になる。よその家のパラボナアンテナ修理して「ありがとう」の一言で終わらせる女性を尊敬した。この女性が糖尿病を悪化させ突然死した女性であった。結局、家族と古い慣習に閉じこもるものが生き残り、それ以外のものが出て行ったり、死んでいく。コレがこの集合住宅の傾向であった。
車いす生活になった隣人が夜中に転倒したとき、同行者と起こしに行ったことを吹聴していたが、車いす独居なれば転倒は当たり前。以前、バイクに乗って汚物まみれの転倒者を助けに行くのを仕事にしていた自分に、そういわれても答えようがなく感心して見せるしかなかった。
グループホームにボランティア体験をしたというが、老健施設のグループホームのはずだ。そもそも、有料老人ホームと特養、老健の区別もご存じないので詳しく説明した。まして、見守りケアの人の入所したところにボランティアはありえない、とおもう。
認知症も全部一色、区別はなく生半可な知識で良しとしているから自分の守備範囲以外の余計なことは、考える必要がない、という根がシンプルにできている存在。
>見守りケアのひととの関係でこれまで配慮してきたが、この機会にけじめをつける。
無展望に時間の経過に任せていれば大変なことになる、と焼死事件から考えるようになった。
大きな方向性として訪問介護などの関係者との連携を大事にするようになり、連携を解ってくれないときは(そこに同席しているのにあからさまに無視する行動の出られると神経を逆なでされたように感じた~ある種の人はそういう行動によく出る~偶に感情的になったが、自分が引くようにしていた。開き直って生きてきたものが相手を立てる、という慣れないことをしていた。
年月が経って、あきらめない自分の姿に多少は解ってくれる輪が広がったと感じるようになった。
ただし、自分のようなタイプの人間に遭遇する機会のない人には最後まで理解してもらえなかったとおもう。
@が、自分の資質として納得のいくほど守ってあげられたのか、その条件があったのかと。
@できたのにできなかったことも多すぎる!
@日常ケアは相手の状態に影響を受けるので自分の世界を維持するのは難しい。
>一番いいと今になって思うのは、事業所を介さない認知症の介護者同士の横のつながり、だと思う。
自分は悩みを聞いてもらえる相手がいなかった。頭の中であれこれ考えたり空回りすることで挫折と再起を切り返した。このような環境が見守りケアの人に良いはずはなかったが見守りケアの人を手を差し伸べてくれたることが実に多かった!
>認知症が進んでいたけれど、素晴らしい人だった!
>良すぎたから、自分を責め後悔ばかりしか浮かんでこない。
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>直近で、4,21以降続く悩みから肩の力の抜けるような感じがした。
>和歌山毒物カレー事件の死刑囚の再審請求のYOU TUBEを見たとき。
>それも保険金詐欺傷害事件の内容に立ち入った関係者の発言にある魑魅魍魎としか言いようのない世界に遭遇したとき。
@たいていの人間は、情報を得れば得るほど、綺麗ごと、型にはまった世界にそれを抽象化する。学校の教育やマスコミ報道はそのためにあるようなものだ。こんな魑魅魍魎の世界もある、しかしそれでいいのだ!という結論には絶対にもっていかせないように情報内に仕組んでいる。でも現実はそうはなっていない。魑魅魍魎の世界が広がっている。多くの人は(市民社の多数派)そんな世界から離れた世界で生活労働できている。
@動画で語られている検事や判決は、度重なる保険金詐欺傷害事件において毒婦を実証しカレーなべにヒ素をいれるぐらいは平気でする、というストーリーに対して実行者本人が死刑囚はその直接の実行者ではない、との実証している。
自分は見守りケアの人に
>できてもやってあげられなかったこと、
>やれる資質も条件もなかったことを
>グチャグチャに頭の中で混同し、思い描いて悩んでいる。
@過ぎ去った事実を事実として実在させて、その中で泥まみれになっていない。
@自分を美化しようとしている。
@型にはめようとしている。
@だから、大塩平八郎の墓前に佇んでやり切ったと動揺する自分を納得させたい、達成感を得たかったのだ。
>架空の物語を作り上げて悩みから解放されようとしたのだから、効果がなかったのは当たり前だ!
>有りのままの世界の中では、そんな観念作業の居場所はない、見守りケアに意味づけは要らなかったがそれなしにはできなかった。いかに人生を全うするか、それが最初からのテーマだったから、挫折しそうになると絶えず、意味づけをしていた。
>最後の時期、自分の衰えから実生活で失敗するようになって以降、もうどうでもよくなってお互い様、とやっとケアできるようになった。しかしその時期が別れの時だった。自分の衰えよりも見守りケアの人の衰えが早すぎた。迷子になったり、自分の部屋意識がなくなり、バラ色の故郷の想い出語りが大半を占めるようになっていた。結局、最大のケアは自分の生活拠点を移して存在感で安心させるしかない、と感じていた。コレは自分の世界の大部分を放棄することになる。自分はそこに踏み切れなかった。
@しかし、不思議な感覚だ。
>ロシアウクライナ戦争の悲惨な情報を得て、自分の今の悩みなんてそれを想うと、大したことがない、というあるYOU TUBERの感想には何ら心を揺り動かされないのに、あの死刑囚夫妻の保険金獲得詐欺事件の魑魅魍魎の世界に安心する。
事実は小説よりも奇なり、なのか。
世の中の現実を直視すれば、白黒はっきりしないファジー、魑魅魍魎、あるいはグレー、もっと進めば黒い世界が広がっている。
ここで林健治さんさんが証言していることは有りのままの悪の世界である。しかしそれが、介護経験を抽象化するときに、できるのにやれたこと、条件や資質がなくやれなかったことを混同し自分を美化したり、感傷的になったり、不必要に悩んだりする今の有り様を矯正してくれる。
私がこの記事の中で指摘した身の回りの事故のケースの数々も、事実は有りのままだが、問題は具体的な事実をその人の立場で抽象化するときに、価値観の違いというフィルターを通しているわけで、この点において見方は色々ある。
交流し意見をすり合わさなければ、解らない。
しかし、すぐ隣での毎度の大声での話し合いは、見守り介護の人がいなくなってぴたりとやんだ。
彼女らはお別れの品を持って帰り、私の介護とヘルパーさんのでいりは終わり、喧しくやっていた井戸端会議は止んだ。もちろんその背景にも詳しく言及したつもりだ。
反俗日記の役割は、こういう事実を掘り下げて記事にすることだ。それは文学の領域を含む。
大から小まで一人の異様な個性が動き回ることによって周囲がかき乱されることがまれにある。「いしん」の創出者もこの部類。以後の大阪は、一人の男の出現に翻弄された。文学の世界では谷崎潤一郎がその異様な世界を描いている(子供の世界だけれど~反俗日記収録済み)。
小の人物に目の前で遭遇し短期間一緒に生活したときにびっくりした。頭が良い(IQが高い)、向こう意気が強烈、エネルギッシュ、このうっとうしいやつを黙らせ動きを止めるためにはぶん殴るしかないと思ったほど不快極まりない男だった。林健治は当時あっていれば自分にとって、この手のひとだったろう。
再審請求の際、必要な林健治の検面調書に行方はわからない。
ますみがヒ素を飲ませたという調書には署名していないというが、判決文は真逆、保険金詐欺などの罪で6年の懲役で出所しているのが事実。1審2審の弁護団は国選だった。
@今日ある女性が今の動揺を燕の巣の旅立ち症候群とか言った。最初は何を言っているかわからなかったので聞き返したが、
@悪いけど現実を無視したたとえ話で安心できる人はそれで良いが、自分は現実を知りすぎている。
@見守りケアの人はスクラップ置き場に収容されたのだ。コレがあからさまな現実。
生身の人間がスクラップ置き場に収容されたらどうなるか、
じぶんはグループホーム入りが決まってから施設入りを伏せて「これからは生きるってことが仕事だよ」と繰り返し言ったが、その言葉を信用していなかった。
>知っているから悩む。在宅中にできたことがあった、と。
>自分のこれからの生き方、の課題でもある。
>世界は広いけど、実に狭い!コレが今の自分の現実。
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>なお。和歌山毒物カレー事件のネット上の情報はほぼすべて収集した。
>時を経て冷静に証拠を吟味すると、判決理由の根幹が崩れきた。
>死刑囚は冤罪である。
@素朴な疑問。
ヒ素を使った保険金詐欺で多額の収入を得て発覚しないままこの地区の豪邸で過ごしてきた「知能犯」が1000人は毒殺できる量のヒ素をカレーに混入させ、なおかつヒ素を入れてきた紙コップを混入後、無造作にカレーなべ付近のビニールゴミ袋捨てるだろうか?
@普通に考えると後先全く無視した発作的極まりない犯行である。
>ここから先はかけない。憶測になる。
@この真の<状況証拠>を覆すためには死刑囚がヒ素を身近なものに服毒させ保険金詐欺を繰り返した異常人物に描き上げる必要があったが、
>各種の荒っぽく乱暴な保険金詐欺を繰り返し実行してきたのは、夫と周りの知人たち悪党たちであり、保険の外交員の経験もあり看護学校出身の妻は知恵袋的共犯者だった。
2021年、和歌山地裁で再審請求が認められた。
反俗日記で、収集した情報を自分なりに再構成し記事にするつもりだ。