「あの何日かに出会った心地ようものといえば、それはホテルのボーイであった。彼は手紙を持ってきてそれは私の朗読会で履くはずの靴をもっていって磨いてくれることになった。
一目見れば利口な自制心に富んだ北イタリア人だと解る、私は彼の国の言葉に通じていることを示すと、彼は親しげに打ち解けて彼の故郷のみじめさを細々と話し、ファシスト政権の没落が迫っていることを、まるで必然のことのように冷静に語った。
国家社会主義については彼は言及しなかった。私がドイツ人であるために、気を利かせたのだろう。
私も礼儀に報いようと、世界中から賞賛されている首領ムッソリーニも大変気の毒なことになったねと述べると「あまりにも専制者です。あまりにもあまりにも~」とだけいった。しかし彼の言葉は正しくはなかった。ムッソリーニはヒトラーと手を組んで以来、もはや専制者ではなかったからである。
同じ廊下の別室に、若い親衛隊の将校たちが泊まっていたが、ボーイはこの将校たちのことをまるで行儀の悪い学童のように寛大に話して聞かせてくれた。
「彼らは毎晩のように珍しくなったワインを何本も明け、酔っ払って見境もなく総統のことをののしり、奴は精神病だと決めつけイタリア人である自分の前で少しも気を引き締めようとしないんです、多分彼らはボーイにはわからないと思ってのことでしょうがね、自分は決して密告者ではありませんから、彼らは心配する必要はないんですがね」
というのだった。実際に彼は密航者には見えなかった。
だから彼が手紙の宛名から私の名前を知っていることもかえって私を安心させた。
そのイタリア的響きを、彼は大変喜び、自分はボローニャのちかくの街で生まれ育ったけれども、教わった専制の一人がちょうど同じつづりの名前で「とても立派な方でしたよ」とイタリア語で付け加えた。
彼が行った後、再び物思いに囚われそうになったが、ともかくも講演のために着替えを始めた。
無思慮な若い将校たちが酔っ払っていったことは確かに大した意味はない。
しかしそれを聴いたボーイに一人が密告者だったとしたら、彼の命にかかわることになりかねない。
それに彼らの恨みも、実をいうと全ての国家権力が彼らのグループの手に移行していない、という不満だけからきているのかもしれない。
それにしても酒精が、帝国崩壊にどれほど重要な貢献をしているかということである。
混じりっ気のない生粋の権力陶酔は、総統だけのものである。彼はそれ以外の陶酔を必要とはしない。
しかし当の上層部の者たち、将校団の大多数は、アルコールの助けを借りなければ、自分たちの自尊心や勝利への確信を昂揚したり、あるいは良心をマヒさせることはできないのだ。
戦場では、将校や兵士たちが血を流し、飢え、凍えている。
しかしそうして戦っている銃後では広く国内全体に、アルコール中毒が蔓延している。
アルコール常飲者は、知性も義務感も著しく劣化しているのに、重要な決定がそういう連中によって下されているのである。