反俗日記

多方面のジャンルについて探求する。

「美しい国、日本」⇒1960年安保以来、【駐留軍を同盟軍に変える】というイジマシイ努力してきた。日米の今後の基礎体力の推移も「アメリカが世界唯一の超大国だった時代は終わりを告げた」のは事実であっても、 アメリカの凋落よりも日本の凋落のほうは急カーブであれば、そのつけは国民が被る。

 前回はハンスカロッサ著作集から「狂った世界」を引用した。偶々、枕元に開いたページを読んでいくと、ウクライナロシア戦争はウオッカ戦争ではないかという想いが突然、頭をよぎった。そのような次元を考えなければ分からない一面がある。

超重要な政治(軍事)意思決定がトップ指導者たちの一部に集中した場合、状況に相応しくない判断が個々人の属性によって下されることが過去にあった。しかし、その時点では周囲が反対し修正させる余地がなかった。

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1)2012年、安部普三はどのような党内力関係から自民党総裁選出されたか?

    A=国会議員。B=地方票

A+B
1、石破   199票(34+165)
2、安部   141票(54+87)
3、石原   96票 (58+38
4、(町村)   34票 (町村+林=地方票10票)
5、 林    27票 (同上)

 

 ハ、決選投票(国会議員のみ)

1、安部 108票
2、石破 89票  曰く「一般党員と国会議員の意識の差」
2)総裁選までの安部の動向
2012年9月15日ー側近たちと総裁選の支持母体となる勉強会設立
8月29日ー盟友、麻生太郎、自重を即す
9月13日麻生派高村派支持を表明
9月17日ー2位狙い。石破との連携を模索しながらも、石原も加えた三つ巴情勢。
>安部と親しい石原陣営と連携。
     
    安部支持議員の中核(側近)
甘利明経産相、塩崎、官、中川秀直上げ潮派+お友達。
W。既に第1回投票の国会議員票の安部+石原は過半数を制している。
石破は第一回投票で過半数を制するほか勝ち目はなく、それは5候補乱立では絶対に無理だった。
国会議員票1位の石原と安部の立場が逆転したのは、地方票であるが、石原は地方支持層のネットワークが弱い。
従って、第一回総裁選において、石原連携を前提にすれば、このとき既に2位、安部候補の総裁選出は決定済みだった。
*決選投票での逆転勝利は1956年自民党第二代総裁選以来。党員党友投票導入後、初めて。
1位岸信介、2位石橋湛山→決選投票で石橋総裁が選出されたが、数ヵ月後、風邪をこじらせ体調不良であっさり辞任して、岸信介総裁、首相へ。1960年安保改訂を迎える。
 
安部の党内支持基盤は必ずしも磐石ではないが、他に結集軸がない。
 
自民党各候補の顔ぶれから、党内政治傾向は大同小異とわかる。
でなければ、あのような憲法草案は起草されない。硬直は甚だしい。
 
自民党の中核国会議員は民主党政権交代時の敗勢の中で当選した利権など強固な支持基盤の議員たちであった。
表面的には全体の政治的座標軸が移動したかに思えるが、そうではなく巨大事案によって加速された面はあるが、長く続いた政治状況の継続である
 現在の政治状況は急に始まった事ではない。
 
民主党政権交代はモラトリアム期であり、それ以前の小泉時代の政治風潮が、大震災原発事故、経済停滞によって、加速されて復活した。
*この総裁選全般の特徴は自民党地方政治勢力の存在が今後の党の支持基盤の焦点に浮かび上がってくるということである。
特に安部と石原の帰趨が決したのは地方票だった。
安部氏が今までの自民党政治の傾向の中にドップリと浸かっていることは「美しく国へ」の余計な国家主義ナショナリズムを切り取った政策部分をみてもはっきりと解る。
安部政権は地方の自民党支持基盤に利益供与をしていく。
 
 アベノミクスとはバブル破綻から雇用なき景気上昇で復活した欧米経済事情を背景にした、日本内外マネー経済へのカンフル剤及び、旧来の地方支持層へのカネのばら撒きである。このままいけば、強力な内外上層への資産移転が発生する。
結果、日本経済後退の趨勢を推進するものである。この点に関する安部氏の基本政策は、海外進出企業からの資本収支増をあてするしかない(美しい国への記述のみでは)が、資金の日本還流は条件的に制約される。
(現状の国際収支の黒字は資本収支の黒字による。貿易収支の赤字は言われているような、円安による資源エネルギー価格の上昇だけではなく中間財輸入に依存するようになっている、当たり前の経済構造の発展段階に日本産業構造が立ち至っていることが大きい(韓国や台湾の製造業の海外の中間財輸入のサプライチェーン導入をまねる)。
勿論、今後資源エネルギー価格の高騰の趨勢は不変である。
 また従来から指摘されている高付加価値商品は少なく、後発との市場競争に晒され、利潤率の低下傾向歯止めが掛かっていない
安部のような国内に閉塞感を充満させる基本政治方向では、産業構造、経済環境にも悪影響を与える
なお、この点では韓国の交易条件の悪化は日本を上回り、この様な経済環境の変化を政治家が日本に排外している側面は見逃せない。だからといって韓国政府が日本を挑発しているだけとは全く想わない。お互い様である。であれば日本は自重できる立場である。安部のような政治傾向は不必要な政治摩擦を発生させる
 
 何処がおかしいか「美しい国へ」を参考資料を基に、立体的に読み込めば、解る。そのような考え方を政治家個人が抱くのは自由であるが、最高政治責任者としてふさわしくないというのが眼目である。)
 
*安部は「美しい国へ」の中で叔父、岸信介を強く意識しているが、この著書全体を貫く積極的要素は国家主義偏狭ナショナリズムでしかなく、時代錯誤も甚だしい。
保守論壇で嫌というほど練り上げられた論法を駆使しているから、一見するともっともと感じる人は多いと想う。
 
>「日本の支配層における反米は非常に逆説めいて、反米をやればやるほど実は従米になっていく。」
美しい国へ」の文化論の部分は、より解りやすくなる。ここは中西の執筆部分だと想う。
戦前も基本的にそのような方向にあった。←中国戦線を拡大すればするほど、資源エネルギー獲得とそのための国際通貨の必要から米国やイギリス、オランダのアジア植民地との貿易の重要性(依存度といってもいい)が増していった。
 基本的な視点として小沢一郎の「日本改造計画」の延長線上の【普通の国】論(湾岸戦争における認識の一致を後に引用する)を国家主義的偏狭民族主義に取りまとめたモノ、と見ており本人たちに抗米感覚はないに等しく、アメリカ的な歴史文化に特殊日本を無理矢理対置した拒絶に留まっている。
 
>それはもう少しで愛国党赤尾敏星条旗、日の丸並列路線に近づく。
次のような決め付けはやりたくないが、親米右翼そのものである。(右だの左だの区分けは本質的に日本で成立せず、どうでもいいが)
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美しい国へ」は2006年文春文庫発行。
小泉政権官房長官として自民党総裁選の最有力候補とみなされ、実際に首相に就任する直前に発刊された。
 
 前書きから、拉致事件にタッチした時のリアルな状況報告は同一の文体であり掴みとしては非常に上手く機能しすぎており、その後の文体の分析からも安部普三、本人の執筆した部分は一言半句ないものと想定する。(この部分は日ごろ文章を書きなれたものが大幅に介入して仕上げたものと想定している。多分、文春側の編集者)
 本人執筆部分と他の部分の文体の違いが明白な小沢一郎日本改造計画」と読み比べると、はっきりとわかる。
 ちなみに小沢は<まえがき>の最期にはっきりと次のように明記している。
「本書をまとめるにあたっては、大勢の各方面の専門家の方々から2年間に渡って協力をいただいた。」
 これが書籍を責任を持って世に問う、知識に弁えのある人間の立場である。
 
 2006年度版の<あとがき>部分は安部直筆であろう。
非常に素朴な文体であるが、小沢一郎のような断りは書きされていない。
それでは本人が執筆したことになる。
情報、知識分野の根幹の大切なものに注意が向いていない、蔑にしている、といわねばならない。
 
 ただ彼は読書、芸術文化ジャンルにも不断から接する習慣があることは「美しい国へ」から読み取れる。
 
  第1章、私の原点 サブタイトル  ーたじろがず、批判覚悟で臨むー
チャーチルは若いころから、優れた伝統と文化を持つ大英帝国の力を維持するには、国民生活の安定が不可欠だと考え、安全保障と社会保障充実を唱えてきた。
安全保障と社会保障ー実はコレこそが政治家としての私のテーマなのである」
W。安部はチャーチルが保守党と自由党(経済学者ケインズも所属)をいったり来たりしていた経歴を紹介している。
 
 だが、安部さん。19世紀と20世紀初頭の世界覇権を握っていた英国と日本のでは余りにも歴史と地政学的位置が違い過ぎます。
 
 また、チャーチル首相は戦争が終わって早速、罷免されているのは、英国民の政治意識が戦争屋はもうイラナイ戦後復興は別の人でという、民主的合理主義の基づいているからだとみるがー。
 その昔、イングランドは王様をオランダやドイツからトレードしている。
ウィディペギア引用。
チャーチルは1944年10月にドイツとの戦争が終結次第、解散総選挙を行うと宣言していた
労働党も1944年の党大会で戦争終結後の総選挙では、挙国一致内閣を解消して野党として戦うことを決定していた。
 
 チャーチルは日本の降伏までは挙国一致内閣を続けるべきであると主張したが、労働党はそれを拒否した
 
 ドイツが降伏したことで労働党から解散総選挙すべきとの声が強まった。
総選挙の結果は労働党394議席、保守党213議席自由党12議席という労働党の大勝に終わった。」 
 
 安部氏の「美しい国へ」の根幹部分に民主主義に不可欠な合理主義的判断を国民に即する側面が乏しく、その部分がほとんど情緒的価値観に置き換えられている。
 それで安部の使用する用語で言えば、日本という国柄が上手くやっていけるのかどうか、いや、うまくやっていけたのかどうか振り返ってみることも情緒主義の歴史観で逐一、否定しまくっている。
(この部分に割かれた分量は相当なものである)
 
 それが「美しい国へ」の根幹部分を形成しており、本人曰く、戦う政治家、といことで、他に政策的に前向きで目ぼしいものは全く見当たらない。
教育再生のための公教育に学校序列を明確にするクーポン券制度などは、ただでさえ崩壊著しい地域社会の破壊に直結するものである。
 社会保障政策の歴史は戦争政策と共にあった面があるが、アメリカ流のグローバル、スタンダードの席巻する現在では両立しない。
過剰な戦争意識の醸成は社会保障の切捨て、と軍拡の同時進行に至る他無い。
一部の企業、一部のものが富んで大半の国民が貧しくなるとにしか結果しない。
それがグローバル資本制、マネー経済の特質である。
 
 首相復活と共に完全版の発行があるらしいが、中身の修正はないらしいから無視する。
・まえがき☆
 ・はじめに
 ・第1章 わたしの原点
 ・第2章 自立する国家
 ・第3章 ナショナリズムとはなにか
 ・第4章 日米同盟の構図
 ・第5章 日本とアジアそして中国
 ・第6章 少子国家の未来
 ・第7章 教育の再生
 ・増補 最終章 新しい国へ☆
なお、この著書の実質的な執筆者陣は次の各氏とみなしている
中西輝政、*西岡力、*八木秀次、*島田洋一、*伊藤哲夫と共に安倍晋三のブレーン「五人組」
ウィキペディア当該箇所の引用
>>2006年春以降は五人組の一人伊藤哲夫と安倍政権に向けた政権構想の推敲を重ね、
>>また安倍が自民党総裁選直前の7月にアメリカの『フォーリン・アフェアーズ』誌に寄稿を予定していた論文は、中西と安倍の対話をまとめたものを「五人組」で読み合わせしたものだが、諸事情により掲載は見送られた。」
       
 安部氏の著書の重要項目を捻じ曲げずに、キチンと挙げていくが、大衆向けの啓蒙、政治宣伝の色が濃過ぎて(大衆意識に迎合している部分が大きい)、限界があり、これらの各氏の政治傾向について立ち入って検討する必要がある。
 
 この5人の中で最大の論客は中西輝政であり、頻繁に登場する日米欧の文明論的比較や政治哲学めいた部分は彼の主張であろう。
それでも政治理論書として小沢一郎日本改造計画」と純粋に比較した場合、一回りも二周りも「改造計画」の方が内容緻密で意義深いものである。安部の書は政治宣伝のパンフレットの内容を豊富化したようなもので、政治理論としての独創性がまるでみあたらない。
現時点で安部のような類のことを発する人は世の中にはいて捨てるほど降り積もって、醗酵し、腐臭を放っている。
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・はじめに
・第1章 わたしの原点
・第2章 自立する国家
・第3章 ナショナリズムとはなにか
・第4章 日米同盟の構図
・第5章 日本とアジアそして中国
・第6章 少子国家の未来
・第7章 教育の再生
・増補 最終章 新しい国へ☆
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    ・第1章 わたしの原点
できるだけキチンと再現するつもりである。
 
現在の自民党の政治家は政局派と政策派という分け方ができるが、政策中心の人が多くなっている。
安部氏はそれらとは別に<戦う政治家>と<戦わない政治家>という区別をする
 
戦う政治家→ヒットラーとの緩和政策を進めるチャンバレンに対して、与党の保守党の席からスピーク、フォーイングランド(英国のために語れ)という声が飛んだ。
上記の上書きとしてー。
古今東西の政治家で、最も決断力に富んでいたのはチャーチル→軍備増強こそがナチスを押さえられると早くから訴えていた。(W注1)。どこかの隣の国と勘違いされては困るなぁ~。事実、歴史を短絡した発言が海外の公式の場であったらしい。
 直ぐファシズム云々をもちだす人たちの対極だが、同じような歴史短絡の感覚が一国の首相にあれば、当然、余計な摩擦が発生する。
戦後、西ドイツの軍備と日本戦後の歴史を比較検討する部分でも、あいまいな説明が目に付き、なんとなくムード的な理解がされるようになってしまっている。
 今日的意義のある物凄く大事な両国のリアルな戦後史の比較部分である。
そこがアイマイで例によって西ドイツは憲法を22回も変えている、などというところを落としどころにしている。
 手前勝手ないいとこ取りは常道手段である。
 
 筆者たちの顔ぶれの検討から、戦後のリアルな西ドイツ史を視野に入れているものはいない。
>さらに湾岸戦争のくだりは小沢一郎の「日本改造計画」のモチベーションと瓜二つである。
 
このとき、安部は父、安部晋太郎の秘書を務めており、議員になったのは1993年であった。
若い安部氏は当時の自民党に漂う空気を共有していたのかもしれない。
 
 今日のアベ路線の基本方向を振り返ってみると、小沢一郎の「日本改造計画」の<普通の国>を原点として、小沢一郎小泉純一郎→安部普三という国家機構の改革の系譜が浮かび上がってくる。
そういうもので我々多数の国民の生活労働環境が改善されるとは想わない
国滅びて山河あり、ではなく、今日のグローバル資本制の下では、先進国では国とそこに密集する支配層はキッチリと増殖、存続しても、
多数の国民生活が衰退する条件が整い過ぎている。
>三人の顔ぶれを眺めて、彼等の直近の動向を勘案すると、感慨深いものがある。
>いかにプラザ合意前後以降、世間を騒がせたトップ政治家に長期的な見通しがないか、解ろうというものである。
>この項の最期にW注1に言及すると、今日将来の日本に<自立した国家>を求めるのは、間違っている。
先般のEU加盟が民衆蜂起のモチベーションになったウクライナ情勢を見ても、語の真の意味での自立した国家などを掲げる大間違いが解る。
 
>自立でなく自律である。
日本語の意味としても大きく違っていると想う。<自立>などという幼児期に相応しい言葉が堂々と政治用語として流通する現状を不思議に想わない政治感覚を疑う。こんな政治用語を用いると、いくところにいけば、キチンとした説明を求められるのではないか。
日本は属国というのも怪しげ定義である。日本は従属していても、覇権を求める国家の側面がある。
 
  「美しい国へ」の愛読者の弁
「これは戦後の歴史から、日本という国を日本国民の手に取り戻す戦いであります」
こんな見解に燃え滾りるひともいれば、何をいいたいのか解らない、という人も多い。
自分は後者である。論理的に意味不明。
ハッキリしていることが一つだけある。
外国の多数の人にも説明しても何が何だかわからないような歴史観には無理があるということだ。
それから事実の積み重ねであり、実証性のある歴史と歴史物語を混同してはいけない。
 
間違った戦争指導をしたものが国民に手によって裁かれるのは、古代ギリシアアテナイ民主政の時代からの原則であった。
1940年代のイタリアでは実際にそうなったし、また、ファシズム台頭の政治基盤となった王政復活禁止条項がある。
 西ドイツ憲法にも、ナチス復活させず、東側に対抗する積極的条項が明示されている。
 
 日本の憲法の第9条は1条~8条までの天皇制の権限規定条項とのバランスを取って設けられた側面も強く、安部氏等の言う日本を二度と列強に歯向かわせないためのモノという認識だけが正当なモノでないことは明々白々である。
 
 どんな日本の事情を知らない政治的愚物でも、天皇制と日本軍隊日本社会の直結が、民主的合理主義と真反対の無謀な戦争を引き起こしたことが理解できるというものであり、そのことを認識すれば、天皇制の権限の明記に対する、強力な対抗措置を選択するのは当たり前である。
それが9条である
民主政と「戦争的事態」を両立できない日本と日本国民は普通の国にならない、残念ながら、なれない。2022年付け加えた記事。韓国は徴兵制と長い民主化闘争を並列させてきたが、日本社会はそれができないだろう。なぜなのか?日本社会は硬直性が強い。柔構造に乏しい。
 
この項目の安部氏の主張の特徴。
【既に命で償った人たちに対して手を合わせることなど禁じていない】
【つまり諸判決を受け入れたのであって、東京裁判そのものを受け入れたわけではない】
【判決と定められた刑について受諾して、今後、国際的に異議を申し立てない】
【服役中の国民を自国の判断で釈放できるという国際法上の慣例を放棄する事によって国際社会に復帰したのだ】
   何処に向かって言い訳をしているのか。
 そこに行きたければいけばいいではないか。何の気兼ねがあろうか。
 
 第2章、自立する国家の結語は靖国への言及で終えているのは象徴的である
 
 次の第三章のナショナリズムの最終記述は特攻隊である。
 
 天皇タペストリー論もあってなかなか話題豊富である。
「日本の歴史は天皇を縦糸として綴られた巨大なタペストリーだ。」
>一見、なかなかしゃれた表現に思えるが、縦糸が天皇であるというトンでもない記述である。
 
第3章 ナショナリズムとはなにか
 安部さんの趣味を聴いて編集専門家が長々と記述してようで、かなり散漫になっている。
どういう論調なのか示すサブタイトルだけ記す。
 
「日本が輝いた時~東京オリンピック~」→「三丁目の夕日」とかいう映画が取り上げられている。物の時代であった高度経済成長から、心の時代への転換を匂わせている
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 第三章ナショナリズムとは何か?
     天皇は日本歴史のタペストリーの縦糸論
前回記事の最後尾に配したカールシュミットの民主主義=同一性と比較してみるのも一考。
『選挙権がより多数の人間に次第に広く流腑して与えられる時、それは、国家と国民の同一性を実現する努力の一つの徴候である。
その基礎には、同一性を実現するものとして承認するための前提についての一定の考え方がある。
そのことはまた論理的には全ての民主主義の論拠が一連の同一性の上に基づいているという根本思想を、少しも変えるものではない。
 
 この一連の同一性には、(W。ここからが凄いことになってくる
治者と被治者との、支配者と被支配者との同一性、国家の権威の主体と客体との同一性、国民と議会における国民代表との同一性、国家とその時々に投票する国民との同一性、国家と法律との同一性、
最後に、量的なもの【数量的多数、または全員一致)と質的なもの(法律の正しさ)との同一性、である。』
 
>W。「美しい国へ」 シュミット的同一性の狂気にまでは至たらないが、
>同一性への強力な巻き込み、強要は一貫している。
天皇はズット<象徴>だった』
日本の歴史は天皇を縦糸にして織られて巨大なタペストリーだ。
ケチ付けではない。表現はキザでもっともらしいが、こういういい加減、粗雑な政治感覚は理解しがたい。
この歴史観は得意な日本文化史であり、首相が公私混同すれば日本史の教科書は書き換える必要がある、と考え実行するのが自然である。
 
  W。憲法第1条。天皇象徴規定にも飽き足らない様子
 安部氏等に憲法第1条に対して、わだかまりが生まれる事情は、丸山真男、等も日本国憲法制定過程において、9条よりもむしろ、1条の主権在民規定に驚いたことからも類推する必要がある。
敗戦直後の平和にひとまず安心する空気が当時にはあった。一方、帝国憲法の習俗化は国民の身に染みていた。だから主権が国民にあると謳われたとき違和感を感じたのだ。もっとも米語のPEAPLEと国民nationは意味が違う。米語の民の精神に該当する日本語は草莽が近い。草莽には能動的な意味が含まれる。
戦後生まれの我々には(戦前戦後の歴史を継承の観点で見る教育を受けていないから、第1条を天皇象徴宣言と同時に、リアルな主権在民宣言と観る政治感覚はないからである。
 
安部氏等に有って、我々にない。紛れもない事実である。
 
だから、安部氏等は第1条に天皇元首規定を入れ、それにリンクさせて<公共の優先>を自由権に必ず対置する。基本的人権条項まで剥ぎ取っている
コレに対してリアルな政治感覚として、反応できない、想像できない弱点を抱えている。
日本政府案では)
天皇統治権を総攬行使する、という明治憲法の基本を継ごうとした。
 
しかしGHQはそれを許さなかった。
結局GHQ案を呑まないと天皇制そのものが存続できなくなるという危機感から象徴天皇制を受け入れることとした。
W。天皇制という政治用語を連発している意図はわかる
当時の人は天皇制といわず、【国体】という用語を使用していたのである
美しい国へ」の国体という政治用語を使用すると反発を受ける、という政治感覚から、あえて天皇制としたのだろう。
>実際に自民党憲法草案2005年度版→2012年度版では次のような第1条の変化が見られる。
2012年度版は「美しい国へ」の思考パターンに沿ったものと考える。
2012年度版自民党憲法改正草案、
第1条 (天皇
 第一条
天皇は、日本国の元首であり
日本国及び日本国民統合の象徴であって、W?the symbol of the state and unity of peaple(直訳国と人民統合の象徴。従って日本語としては日本国民統合の象徴でOK
その地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく。
 
2005年度版自民党憲法草案
第1章 天皇 
 第1条(天皇
天皇は、日本国の象徴であり、
日本国民統合の象徴であって
この地位は、主権の存する日本国民の総意に基づく
    
現行憲法第一条
天皇は、日本国の象徴であり、
日本国民統合の象徴であつて
この地位は、主権の存する日本国民の総意に基く
 
 W。ナショナリズムとは何か、の最後は【特攻隊<論>
   【公】の言葉と【私】の感情
本当に当時の彼等のリアルな実存に寄り添えているのか。大いに疑問に想う。
たくさんいいたいことはあるが、云うべきではない。アベ等には自重が足りない
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・第6章 少子国家の未来→少子高齢化対策は、家族の大切さの強調など抽象論に終始し、全く具体策なし。
ほぼ容認(放置)とも受け取れ、財界などの移民導入まで踏み込み込めるはずはなく、対抗策としての企業海外進出による財政寄与に留まっている(資本収支増)。
>唯一、コレはと思ったのは、健康寿命と平均寿命は違う。大体6~7年の差があるという、指摘。
具体的な対応策として、脳出血発症直後の救急医療体制の整備を提案している。救急処置の状態によって、その後の状態は左右される。
国防と社会保障が政治家としてのに大テーマというだけあって、非常にリアルでよい視点だと思う。
・第6章 少子国家の未来にしても、実情を知るだけに、政治家として、自分の専門分野で、いい加減なことをいえなかった、とも受け取れる。
 
・第7章 教育の再生
ここで展開されているフリードマンによって提唱された公教育へのクーポン券制度導入は選択によって各学校を序列化して今唯一残っている、学校区による地域共同性を破壊する。
地域のコミュニュケーションの希薄化は家庭単位で、日本国民多数を地上数メートに漂う風船状態にする。
アングロサクソン的社会構造は山ばっかりの人口密集、地の果て列島日本に馴染まない。
 
  美しい国へ」の全体像を総括すると、
マスコミ宣伝、教育によって、日本国民を政治的に浮遊化させ、政府が上から愛国主義で「集約」していく。
>安部政権の眼目は憲法⇔軍事、教育などの政治的上部構造の改変につきる。
>具体的な諸政策面では今までの自民党保守政治(官僚に政策マル投げ)の枠内に留まる。
 従って、これはイデオロギーや軍事の改変に限定されたものであって、多数の国民の生活状態の改善に寄与するものでは無い。むしろその逆方向の政治である。
まだ政権は1年半程度であり、今後、結果は具体的にキチンと現れる。
 
 アベノミクスは日本の政策当局としては選択肢は極めて限られている中で、動くとすれば、他に方法が無い、所まで追い詰められていた結果の政策選択であった。(官僚関連の報告書を読めば、この辺の事情は実に良くわかる)
 アベノミクスのインフレ政策によって、今まで生活必需品を中心に諸物価の値上がりの既定事実の中で、4月からの庶民の実感として消費税の5%→8%は、実質的に9~10%程度になる。業態によっては便乗値上げもあった。4月値上げに向けたレジなどの機能チェンジ以前にアベノミクスで生活必需品は値上がりしている。
安部政権になってから時間給は軒並み値上げされているようだが、全部、価格に転嫁されて、結果的に物価上昇によって庶民生活締め付けている。
 インフレには各種あり、低経済成長への対応策として、当局が意図的にインフレを引き起こすなどというのは邪道もいいところである。
 結局、欧米の経済危機という外部環境はいずれ改善したわけだから、以前の日銀政策の修正程度でよかった。
政策当局が動いた分だけ庶民生活を締め上げた。コレがアベノミクスの結論である。
もっとも、資金流入アメリカは助かった。
 
下請け中小零細の下方企業群では、淘汰、系列化がさらに進行する。
地元商店街などはいよいよホールアウト状態に近づいている。
 
 ちなみに、アメリ中南部のウォールマートの女性従業員の週休は200ドルとか。州によって労働規制など労働環境が大きく違う。コレだったら、仕事を掛け持ちしなければ生活できない。
それで政治に希望を託すとすれば、政治はどうのような方向に動くか、解りきったことだ。
昔から繰り返されてきたことで、製品輸出資本輸出あるいは、海外からカネを引っ張ってくることしかない。
 
当然、これまで駆け込み需要による景気浮揚も想定されたわけで、その分のマイナス、予算関連のマイナス、消費需要の低迷などを勘案すると、またまた外需頼みの経済状態になるが、交易条件の悪化、内外にわたる産業構造の変化(サプライチェーン化)は円安によってさらに深化するはずだから、これからが安部政権の本性が国民の前に晒される。
 
 今までのマスコミ発の騒ぎはなんだったのだろう、ということになる。
極端に言えば、株価上昇で外国投機筋が大儲けしただに終わり、巷で排外主義勢力が台頭し、国会の政権反対勢力が弱くになった、だけだ。
要するに政治過程に対するの反国民的な荒らし行為だけにおわった。
 こうした状況だからこそ、橋下大阪市長の又してもの任期途中の辞任、再出馬というあり得ない事態がある
 
そうすると、次に飛び出してくる、常套手段として、対中関係の揉め事に放火し、衆目をそらそうという衝動が生まれる。
様々な場面を想定できる。
中台揉め事激化=恒常化、尖閣北朝鮮ミサイル発射、砲撃などの軍事突出。
 
 対韓は台中包囲網結成ということで、アメリカに釘を刺されているようなので動かさない。
安部首相のイジマシイ靖国参拝を見てもそれは良くわかる。
沖縄県知事海兵隊辺野古移転承認を靖国の英霊たちに報告したかった、という『真っ直ぐな』心境だったのしょう。ーおそらく。
日本政府の巨大出費で米軍に新たな基地を造って差し上げるということで、特攻隊の死は無駄でなかった(W。一体なんだったのだろうか?)。
>この辺の自分には解りにくい『真っ直ぐな心境』を「美しい国へ」ー第4章日米同盟の構図ーの検討で点検してみたい。
 先回りして言えば、次のような日米関係の見方があるようだ
 
なぜ日米同盟が必要か
1960年安保以来、【駐留軍を同盟軍に変える】→【日本が独立を勝ち取る】というイジマシイ努力してきた
 要は日米安保において双務性を果たすことによって米側から一人前として信頼を「勝ち取る」という論理構造があるようだ。
このいじましい努力の一環としての米海兵隊への辺野古建設と読み込める
それで沖縄県知事OK直後の、米側から禁止されているにも拘らず、止むに止まれじ、靖国英霊参拝いうことだろうか。
 
 こういう『真っ直ぐな』心根は利用される余地はないだろうか?
日米の今後の基礎体力の推移もアメリカが世界唯一の超大国だった時代は終わりを告げた」ー中西輝政ーのは事実であるにしても、
@アメリカの凋落よりも日本の凋落のほうは急カーブであるとすれば、こういった一人前戦略=言うところの自立は背伸び過剰にならないか。
@そしてその背伸び過剰のつけは国民が被る、だけで日米にまたがる日本支配層は食い逃げ状態を維持できるとすれば、言い換えると第2次世界大戦のときのような支配層の一部の没落することがなく、逆に肥え太るとすれば、
@我々はどうしらいいのだろうか?
 
愚直は『美しい国』では通用しても、外交ではただの愚か者ではないのか?
もっとも、戦略的な選択肢の巾は極端に狭まっているリアルな国際関係がある。
ただ株価の推移は先進国がカネをばら撒いているわけだから、こうした実体経済の動向=庶民生活とはほとんど関係がない。
そもそも、日経平均7000円→14000円は民主野田政権投げ出し→安部政権誕生時期さえ予想できれば、インフレ政策採用不可避の予想から、想定された。
 
 最近アメリカがウクライナ、台湾など世界中で激しく動き回っているようだが、要はバブル崩壊後の景気浮揚は企業収益の史上最大の増加⇔高失業率による更なる格差拡大という国内状況を前提条件に、再びバブル崩壊前の世界中からモノカネを自国に集中させる必要に迫られいる結果と見る
あそこまで金融主導の経済構造ではバブル経済は体質化しており、結果、その前提条件となる世界覇権の再構築の衝動は増大する一方であり、只今実行中。
そうしなければオバマ民主党政権は立ち行かなくなっている。
 
第5章日本とアジアそして中国
『日中は政経分離の原則でできるだけ早く力の間に政経分離の原則を確立する必要がある』
 
W。政経分離は従来の安定的な自民党路線であって、今の安部路線とは違っているようだ
アーミテージ戦略の方向に引っ張られる原因は安部の原理論である国家主義の視点にある。
米軍事戦略主導によって、東アジアに設定された危機対処の方向で軍事バランスのみに追い求めると、必然的に米世界戦略の術中にすっぽりとはまっていく。
 
 自らの理想の政治家像をチャーチルに求めていることとから、対独融和戦略のチェンバレン首相を引き継いだチャーチルの対独強硬路線に対して台頭する中国戦略を二重写しにしている可能性もある。
W。旧版の「美しい国へ」の刊行2006年から余りにも年月が経過した。
完全版でも改訂はしていないが、現状の本音は次のようなものであろう。
アメリカの戦略が変われば、【もはや日本の選択肢はないだろう】から、中国をいかに封じ込めるかに転換せざるえない。
中西輝政
  「迫りくる日中冷戦の時代 ー日本は大義の旗を掲げよー」  PHP2012年刊
「いま、アジアを舞台に新たな冷戦が始まろうとしている。冷戦の次の主役は中国だ。
アメリカが世界唯一の超大国だった時代は終わりを告げたのである。
急速な経済成長を遂げ、アジア太平洋への露骨な膨張政策をとる中国をいかに封じ込めるか? 
米軍の対中国海空戦闘配置ー連動する自衛隊のダイナミック戦略
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安部政権の総選挙の真相は、拙速過大なアベノミクスの破綻にアリ、個人消費停滞と消費税増税延期を口実に、今後の庶民生活の急速な悪化を見越して、デマ宣伝を武器に先行的に襲いかかり、ねじ伏せようとする暴挙。 - 反俗日記

W.混乱した記事。

この時の想いは、小泉郵政改革選挙の手法を使った民主党政権没落後、衆議院圧倒的多数派のアベ自公政権の任期半ばでの突然の総選挙という事態は日本の議院内閣制における解散権の悪用であるとの素朴な怒りであった。

圧倒的な多数派政権であれば、任期半ばで信を問う必要はなく、腰を落ち着けて政権運営当たることこそが、消費税増税、消費の冷え込みに対する通常の政治姿勢のはずなのにアブノーマルなアベノミクスの宣伝と抱き合わせてアベのいう自分の土俵での戦いすり替えている。こういうトリッキーな国政選挙に打って出たのは小泉郵政改革が最初だった。

 そしてまた圧勝すれば政権基盤は盤石になり、民主党政権に上り詰めた野党勢力にとどめを刺すことができる。事実、民主党は消滅した。

それを長々と理屈で記事にしているから何を言っているのかわからないようになっている。

 戦前の政友会、民政党時代の政党政治の本を読んだ時も、こういう政権党に都合のいい時期に解散に打って出ることがかかれていた。しかも当時の野党は上手くやられた、ぐらいに認識しかなかく自分たちもその手法を利用した同じ穴の狢だった。結果的にこういう泥仕合のような政党政治がやむに已まれぬ内外情勢と相まって、国民が旧来の政党政治の枠組みから軍部の強力政治への期待を育んだ。この時代の国政選挙の投票権は成人男性一人に対して2票であり、選挙区も大きく当選者も多数出る。そのことも手伝って買収が横行した。

調べてみなければわからないが、いま世界中で解散特権を利用して政権党に有利な政局を作って国政選挙を挙行できる民主政の国はないと思う。法律でできないようになっている、とおもう。

ワイマール憲法社会民主党に譲歩した「民主的」な条項(企業経営への労働団体の参加+社会主義への道)を補填するために大統領の指揮権に特権を与えた特殊条項があり、それをナチス党が利用しヒットラーとその党の独裁体制を短期間で合法的に作り上げた。

 消費税増税のスケジュールは民主党政権時代に決定されており、安倍政権はそれを履行するだけだったが2年間延長とアベノミクス宣伝と抱き合わせで国政選挙をやれば、任期はさらに4年延長できる。

 しかし、消費税増税は確かに国民消費を冷え込ませ、物価を挙げる要因だが、執行猶予したり減税してもその後の一定のスパンで見れば日本経済の活性化には繋がらないことは専門家であれば承知の事実だし、選挙民のかなりの部分は察知している。適切な政策が見つからないジレンマがある。

日本経済はその基礎的経済要素にふさわしいところに歴史的に回帰している、コレが正解なのだとおもう。日本には日本の限界があった。

こんな時は運にも見放される。動けば昔感覚なので裏目が出る。

 戦前の工業生産値はイタリアよりも下位だったが、ワシントン会議で割り当てられた戦艦建造割合は、英米に次ぎ仏と同列で民需と軍需は歪に逆転した国だった。アジアへの拡張主義はその意味からも日本の経済の歴史そのものだった。戦後の経済発展の道筋では逆の様相になっていたが、軍需増大に手を染めようとする途上である。そしてその時代には各々ふさわしい理由が付いている。

いろんな時代の政治や軍事と混ぜて歴史を云々する人がいるが、資本主義経済は歴史的趨勢には逆らえないことが特製である。

それだからこそ日本支配層の本音は多くの国民に歴史回帰の負荷をしわ寄せし、自分たちだけは足抜けしようとしている自民党の戦略、戦術を遠い眼で見ると結局ここに行きつく。それまでの成長の時代の自民党は中曽根時代のプラザ合意受諾で終わってバブル崩壊以降、自民党は紆余曲折の末、上記の戦略が底流になった。そういう流れの中で、統一教会自民党への浸透があった。利益共同体に囲い込んでいざというときに手足となってつかえる支持者が経済停滞や政治競争で少なく成れば、公明党という宗教丸抱えの政党の集票力に補填させるしかないが、それでも個々の議員は間に合わないようになって、政治行動主義に徹する熱狂宗教と利用関係を持つしかなくなる。政権維持のためなら手段を択ばないのは、今の自民党の本性から言えば当たり前だ。