It was getting dark, so I thought that while Dawang and Laifu were sleeping, I need to go back to the small shop to get some household supplies for the family to use tomorrow.
~省略
Google自動翻訳~W。中国語の自動翻訳より、英語自動翻訳の方が正確。
この動画を毎日視聴していると中国語はすべて漢字で表音するのだと感心した。それはそれで簡素,論理的で解りやすい。動画のシーンに漢字表現がされることが多いので翻訳機能を使わなくても何となく話題の進行具合が解る。まれに発音が日本語の言葉と同じ時がある。「あなたおカネ持っていませんね」と中国語と日本語は同じ発音をしているように聞こえる。
中国⇒美国。これ以外に表音表現はない
日本⇒米国(べいこく)=アメリカ。米国という表音文字は今はほどんど使用しない。
もっともアメリカとだけいって、カナダや南米諸国ではなくUSAを指している。
アメリカ人への蔑称である。中南米の伝統的な反政府運動は支配層がアメリカよりなので反米闘争になりやすく、この方面の書物を読んだことのある日本人はグリンゴ=アメリカ人はだれでも知っている。
日本では昔、アメ公という言い方もあった。鬼畜米英は戦時中。
>主題と全く違う方向に話題がそれて行っているのを承知でさらにこの件を掘り下げる。
第9回 アメリカはなぜ「美しい国」なのか | ふしぎな中国語――日本語からその謎を解く | 橋本陽介 | 連載 | 考える人 | 新潮社
W。予備知識。
黒船、列島来航以前(北米は南北戦争~市民戦争を自称し米教科書的には南北戦争とは云わない~)による対外進出中断があった。)に列強(英、仏、オランダ)は中国を植民地化するために中国本土に進出した(インドシナ経由)。
****
引用
「日本語の「米国」は、「アメリカ」を音訳した「亜米利加」の「米」の部分を抜き出したもの。「メ」が「米」の字であてられたわけだ。
>中国でももともとは「米」の字が使用されていたらしい。
@日本にはそれが伝わってきたのである。
1860年をさかいに、中国では「美」の字が使用されることが多くなったという。
W。第2次アヘン戦争と呼ばれる。
「フランス」も、もともとは中国でも「仏蘭西」のように、「仏」の字が使用されていたが、やはり1860年ころをさかいに「法」の字が使用されることが多くなるという。つまり、日本のほうが古い表記が生き残っているのである。
W。なぜなんだ?⇒古い表現は縁辺部に残って、中心部は新しい表現に変わった。
エマニュエルトッドによればアングロサクソン的核家族形態が最も古い家族形態だという。ブリテン島は辺境だった
**
なぜ中国のほうは変わってしまったのか
上海語(北京中国語と上海語は大きく~昔は通じないほど~違うらしい)や北方の方言(この時代、北京語は標準語になっていなかったのか?そもそも標準語をこしらえたのは中央集権国民国家形成期の統一的な教育政策によるもの)では「米」の字はmiと発音していた。それよりは、北方方言のmei、あるいは上海語でmeと発音する「美」の字のほうが、アメリカの「メ」の音に発音が近くなる。
1860年ころから、中国語の翻訳語の基準が上海に移ったために表記法が変わり、それが現在の日中の違いにも反映されているということだ。
W。租界、華やかな頃。聖書の翻訳も上海(海外に開けた港と内陸航路の長江がある。)
>W。ユーラシア大陸に接近してくる北米人(アメリカ人)が自分たちをアメリカ(中南米を差し置いて)と自称していた。
@いずれにしてもアメリカを日本語では米国。日本人の主食のコメ(米)。米は食える。反俗日記ではできるだけ米国と書くことにしているのはそのせいだ。
最も表音上のことでコメとは全く関係がなく、中国伝来の<米国>という表音文字が伝来しただけで日本語の「米国」は、「アメリカ」を音訳した「亜米利加」の「米」の部分を抜き出したもの。という説明は正確に言えば間違っている。なぜなら伝来元の中国では米国とだけ表現した。漢字だらけの中国で「亜米利加」なんて表現できるわけがない。日本では中国伝来の米国以後、当て字をした。中国語は当て字なしで米国⇒美国と変化した。
>ちなみに英語などをカタカナ表音表現なしに簡単に取り込めるのは表音文字、ハングルである。
中国では美国。
@何とも皮肉なことよ。美しい、とは向か関係だが。
**
中国でももともとは「米」の字が使用されていたらしい。日本にはそれが伝わってきたのである。⇒W。周辺部に古い表現が残った。バカより阿呆(中国南方に語源)が新しい表現だった!
****************
****************
説明文。引用。
「暗くなってきたので、ダワン(W。大王)とライフ(W。来福))が寝ている間に小さな店に戻って、明日家族が使う日用品を買わなければならないと思った. 予期せず、ダワンとライフはエンジンが始動するのを聞いてすぐに彼らを襲った.暗くてずっと外にいるわけにはいかないので、一緒に小さなお店に連れて行かなければなりません。
W。山の中腹の自宅から小さな商店が立ち並ぶ街までそんなに距離は離れていないと思う。
ダワン(大王)という巨大なアラスカン・マラミュート - Wikipedia
は自宅と自分たちの経営する街の商店との間をお使いに行き来できる。その様子がダワン主人公の動画の売れ筋だった。昔のテレビ番組、子供のお使い、とよく似ている。巨大犬が肩にお使いの品の入ったバックを巻き付けて遠方に用を足しに行く道中を撮影している。寄り道して池で泳ぐことが多い。もともとそりを引く使役犬なので用事を言いつけられて達成する本能があるようだ。本能なのか寝そべっていてもバックを巻き付けれれるとすぐ立ち上がって、目的地に行こうとする。片田舎だからできるのだが、仕事をさせている飼い方は素晴らしい。
雲南省宝山の山間部では夕日が山陰に沈むと辺りは一気に真っ暗になる。山間部の道路の映像が頻繁に映し出されるが街灯が設置されているようには見えない。運転には細心の注意が必要で巨大犬ダワンを荷台に乗せて連れていきたくないという気持ちもわかる。
W。女性たちの表情を見るとヤラセ動画ではない日常生活の一端を垣間見ることができて一編のショートストーリーになっている。
大王は車に乗るのが大好き犬。黙って置き去りにしたら、ダワンたちはどう反応するだろうか、という遊び心もあった。
この人の動画を最初に見たとき、オート三輪車の荷台から運転台に覆いかぶさるようにしている巨大な犬にビックリした。一瞬、化け物に見えた。
アラスカ、マミュート半島でそり犬として現地人が使用していた犬種だけあってドライブ感覚に血沸き肉躍るのか。
その巨大さから
チベタン・マスティフ - Wikipedia体高66cm、体重64~82kgの雑種犬かなとおもったが、
容貌から調べてアラスカンマラミュート犬(ハスキーよりも一回り大きい。そしておそらくもっと穏やか)とわかった。
それにしても大王はこの犬種でも最大級の大きさである。体高81cm。前足の周径70cm。体重100kg越え。豚程度の大きさがある。リードをつけていても走り出すと大人の力では全く制御不能。車を引っ張るレベルの力がある。性格はおっとり。悠然としている。やんちゃ。頑固なところある。この動画にもあるように<ウッー>と低く短いうなり声を発すると、なかなかいうことを聞いてくれない。水浴びが大好き。お使いの途中で勝手に洗濯場に使う小さな池に入って泳いでくる。
上手く躾けられていると思う。こんな巨大な犬は一端ルートを外れると手が付けられないようになる。
****
この人の本編のYou Tube動画は登録者数940万人。
村の日常生活と地元料理がメインの題材。コメントは8割英語圏2割中国。動画のタッチに日本的な素人ぽい私事のつくりはない。カラッとした話題作り。動画は牧歌的でユーモラスに進行する。
*******
Dianxi Xiaoge - Wikipedia滇西小哥;
「2020 年には、彼女はSina Weibo、YouTube、Douyin、Facebookを含むすべてのプラットフォームで約 1,600 万人のチャンネル登録者を抱えており、彼女の動画はそれぞれ約 2,000 万回再生されていました.」⇒W。中国ではWebコンテンツを有効に活用するためのプロダクションがあるらしく、そこに所属したことで視聴者数が一気に上がったらしい。
動画の編集は本人と妹の二人がメインといっているが、日本の動画によくあるどこか素人っぽさが抜けない有名動画と次元の違う編集力があり、たまには第3者の援助もあるのではないか、と疑う。とにかく洗練されたセンスが溢れている。プロだ。この動画を見ると<量から質への転化>という言葉を連想する。13億人も人がいたら、キャッチアップすれば質に転化する。優秀な人材が出現する。20世紀の最後尾までの中国は一種の実験国家をやっていた。<規模の経済>もある。米国にも当てはまった。登録者数940万人は<規模の経済>の寄与するところが大きい。高スパイラルが生まれる。
それともともと中華文明は世界的な発明品を生み出してきた。世界的な文明発祥の地でいま、「大国」として生き残っているのは中国だけだ。漢民族はモンゴルや満州族の数百年にわたる支配にもかかわらず、営々と自らの生活圏と習俗を維持し続け、他民族支配者を自らの領域に引き込んだ。
よくよく考えてみると戦後の日本人の勝者米国に対する態度も同じだった。しかし、東アジア政策においていつもの躓きに入った。
中国は半植民地状態になった時も西欧に輸出する商品は多かった。優れた汎用品を生み出す伝統があった。
中国統治者の歴史は専制国家史においてはっきりその傾向が出ている。専制の覇権が周辺にのびきったときに、その崩壊が始まった。言い換えると中国の歴史に十字軍遠征とか、アラブのヨーロッパ制覇、モンゴル帝国、新大陸発見などに機動的な覇権領域の拡張はなかった。今の共産党権力になって初めて世界規模の進出が実現した。
原動力は国内の消費文化の欲求でありその循環機構を内外に求めたことにあり拡張した連鎖の維持は困難になってきている。
台湾と尖閣は中国本土の腹を突くような地政学的位置にある。しかもいわくつきの経過で課題はストップされてきた。中国当局はウクライナの戦況をじっと見つめている。朝鮮戦争に大軍を出した経験もある。東アジアの戦乱状況から利益を引き出すのは地政学的優位になる米国であり、たとえ戦争が起こっても大きな不利益はない。むしろプレゼンスは高まる。
いつも指摘しているようにソ連と中国の経済面での分かれ目は民需重視、民生品重視でいくか、従来の重化学工業重視の改革からいくかの違い。端的に言えば農業分野での改革開放で庶民の市場に農産物を出していくことが一番手っ取り早い、経済改革の戦略だった。欧米のアドバイザーの言うことを真に受け過ぎた。イワンのばか。ロシア人は人が好過ぎる。夢を現実化しようとする。嵌れば素晴らしいが、夢想の多いロシア的愛国主義はろくな結果を生み出さず、対抗者を増やした。
過渡期社会論というのも改革開放時のソ連は詰めていなかった。
独裁権力を握ったものはこれが必要。レーニンは革命中のバルト海地方への潜伏期間に「国家と革命」を現した。この著書は革命後の国家の消滅まで大胆に論じ現下の社会主義社会ではない過渡期社会における独裁権力をブルジョア独裁~日本はおしゃべりな独裁国家~と対比して示し、世界革命の必要から(具体的にはヨーロッパ連続革命)先進各国の統治形態を具体的に分類しリアルな運動の推進の仕方を示したものだ。スターリンはロシア一国で社会主義社会が建設できるという非現実的な定式を出した。であれば過渡期社会論は必要ではなく、世界戦争にまぎれた他国の軍事制圧でも良いとなる。東欧圏はこう位置づけられた。国内の改革は据え置かれた。外に背負う荷物が多すぎた。
対独ブレストリトウスク条約まで領土などを後退させるという判断をしたレーニンに反対派は多く出た。戦線と民衆の具体的な状態が決断の決め手だった。ウクライナはこの時、ロシアから切り離されウクライナ内の反革命親ドイツ勢力の手に渡った。
プーチンはこういう捨て身の守るべきものがある大胆さ、柔軟性、究極にある英雄主義、個人主義を嫌う。ロシアという共同政治幻想が絶対である。当然、キリストにも応援を頼まなければ足りなくなる。それで欧米グローバリストに勝てるのか。
結局、この戦いは第1次世界大戦型の帝国主義同士の戦争になっている。いやむしろあの時よりも対立しあう両者の色分けははっきりしている。しかしその本質は経済利害の対立にある。新帝国主義の拡張と息詰まりが、対抗物を生み出したことは最近の中東の歴史で証明されている。その構図が発展し世界規模の対抗物を生み出した。グローバル資本制における富の偏在の加速化は外に拡張の場を求めるので、外に急速経済発展と競争者と対抗物を生み、中心部の脱落者、脱落途上者が余計に生まれる。コロナパンデミックによる経済損失にも打撃を受けたことが戦争促進要因になっている。米国はとんでもない財政出動をしインフレ要因を作っている。その後、民主党政権が追い打ちをかけるように大型予算を組んだ。ここが戦争の火元になっている。
韓国の朴大統領時代もなんだかんだ言っても「維新革命」期を一種の過渡期社会として位置づけていた。のちに開発独裁という見方も出てきた。民衆レベルの民主民族解放の力が独裁と長期長期間の渡って生死をかけてぶつかり分断国家における独特の民主主義社会を作り出した。こういう経過を見ると結果論ではなくて南の労働党と人民に忖度した北朝鮮の南進は間違いだった。ウクライナ内のロシアに忖度したプーチン勢力は
冷戦体制下の敗戦後日本はGHQ占領の力で米国仕様の国に仕立て上げればそれでよいので、本質的に韓国的な民衆の力づくの民主闘争の必要がなかった。一般民にとって民主政は自然現象のごとくだった。であれば日本の経済ポテンシャルが止まれば日本支配層は力づくで自らの分け前を維持拡張しようとし、海外に資産逃避しながら、愛国と戦争の危機を呼号し住民をラチ内に飼育しようとする。民衆は戦後的法制擁護と、議会圏の勢力増減に集中するしか対抗する術がなくなる。足りなものは何か?以上の筋道で解る。啓蒙には大きな限界がある。
独裁権力以降どういう目標をもって社会経済を立て直していくか~独裁が出現するのは社会が荒廃しているということなので~というところに過渡期社会論の意味があった。社会主義者、共産主義者としてのまっとうな議論である。スターリン主義体制が社会民主主義体制に転化する社会的経済的構成要素は社会レベルでも国家行政レベルでもないので議会的な権力配分と経済内容を社会民主主義政策に代替えできるというのはあくまでも願望に過ぎない。
願望からうまれた社会は混乱し、国有財産の窃盗が横行した。その延長が強権ポピュリズム、プーチンの登場だった。ここぞというときの政治暴力行使を躊躇ったものは、最後に戦争に訴えるしか方途がなくなる。
*****
もしこの動画が彼女たち二人の作品だったら、映像作家レベルの才能である。
>もっとも自分は本編にあまり関心がない。
@日常生活や地元料理といっても所詮、<ハレ>の部分だけ抽出しているにすぎない。
@たとえば、中華大鍋で料理している火力は<マキ>。片田舎ではプロパンガスは使わないのか、使えないのか。マキが豊富にあるなら燃料代はかからないが。おばあちゃんが大きな木の皮をはぎに行って燃料にしている動画あることから、プロパンガスは使っていないようだが、よくわからない。ここまでの大規模登録者があれば、それだけ実生活と動画の内容に関しての謎は深まる。
@電気水道はあるが、祖父母、両親、妹、本人のごみ処理はどうしているのか。排泄は?
>日本の高度経済成長時代の片田舎の村の風景よりもどの家も構えががっちりしているのも不思議だ。生活するのに汲々としている感が漂っていない。もともと中国の雲南省の片田舎にもあった歴史的な地力を証明しているのか、今の中国の力が雲南の出稼ぎ片田舎にも波及しているのか。自給自足度が高いので出稼ぎ収入は余剰金に回る。若者は村になないが子供はいる。両親が出稼ぎに行っているからだ。
@それも含めた田舎暮らしのはずだ。<ハレ>はひとときだが、<ケ>が日常。
しかしながら、世界的なWEBの力はそういう区別を吹き飛ばす威力がある、というのも事実。
それでも彼女~名誉の類に事欠かないのに~~は動画で見る限り周囲から有名人扱いを全くされていない。人口14億の中国ではいろんな人がいろんな方向を見て暮らして居る。
@地元料理の作り方を見ているととにかく手際が良くプロ級の腕前。工作を難なくこなし手先がものすごく器用。要領もいい。頭もすっきりしている。地元一流料理人で十分通用する。
しかし、完璧すぎて面白くない。TV番組と同じでどうにでも編集できる。今のはカット!撮り直し、と。
日本の衛星放送の番組なんか編集しまくり感動の安売りと、ひねくれる方なので白けてくる。
地上波は長い間見たことがない。あんなことやって、いって、この人たちはいったいいくらもらっているのか、と。そこに関心が向かいだしたら留まるところを知らない。対価をもらえばそれなりのやり方がある。
外国のキャンプ動画もよく見るがアペンジーの動画はあんな感じ。あまりにも手際よく事が進んでいく。
カット割りの技術は高級映像作家レベルにみえる。しかも作為性を感じさせず自然体を毎回維持できる。特異な才能である。
******
映画などの制作の際に、脚本に沿って区切りをつけ、アングルや構図などを撮影前に決めること。
******
今回アップした動画はその象徴みたいな作品で、後からじっくり考えると筋書が予めあるようでないような不思議な感覚にとらわれる。
いや、各シーンを物語の展開から切り離し個別に検討すると筋書は予めあった、と。韓流ドラマに筋書があっても即興で変わるものがある。それが不思議な臨場感を呼ぶ。アペンジーのダワン動画はコレに当てはまる。動物が相手なので、その場合筋書を作るのが大切。
↓
ダワンとライフに気づかれないように用心してオート三輪で出発した自宅のシーンから次のシーン。
先を行くアペンジーのオート三輪を追いかけているダワンとライフは後姿が映っている。⇒このシーンはだれが撮影したのか?
①カメラを定位置において自動撮影したのか?
②自宅前の階段で別れたはずの妹が追いかけてきて予め筋書通りに撮影したのか。
③本人と妹以外の第三者がいて撮影したのか?
アペンジーは追いかけてきた犬に気づいて車を止めて自宅に送り返そうと、ダワンを荷台に乗せ走り出すと携帯電話で妹呼び出し、途中で停止して犬を下車させ連れて帰るようにいう。このシーンの直前、荷台が一瞬垣間見えたが、ダワンの姿は映し出されていなかった。3回ほど見たがいずれも荷台は空にしか見えなかった。巨大犬なので荷台が一瞬映れば伏せていても露出する。
次のシーンで家に向かう道を走るオート三輪側のアングルから自宅からダワンを迎えに来走ってくる妹が映し出されている。
停車し荷台のダワンに二人係で降りるように説得するが低いうなり声をあげて断固拒否する。この時の妹の顔は本当にダワンに怒っているように見えた。
アペンジーは決断した。そのまま荷台に乗せて、町に買い物に行く。
ダワンを乗せたドライブの最後のシーンは真っ暗になった、町の自営する商店に到着したオート三輪。⇒誰が撮影したのか?
①ダワンを自宅に連れて帰れなかった妹なのか?
②×自営する店にいる父親なのか?その可能性は低い。今まで見た動画で父親が撮影を実行しているらしいシーンはなかった。父親は常に撮影される側だった。となれば撮影者は妹OR第三者ということになる。
>以上から、結論的に言えば、ダワンドライブ物語は映像作家アペンジーと妹あるいは第三者のドライブ大好き犬、アペンジー大好き犬、ダワンの本能と自然の成り行きも計算し尽くした傑作だったと。創作と自然の成り行きが入り混じったなかなかできない動画である。
地元の日常生活風景や料理の題材が主なのだから、人目を惹く奇抜なシーンがあるわけでもない、しゃべりはシーンの短い説明程度で動画に文字を簡潔に張り付けるだけ。
>映像に語らせるという慌てず騒がずの高度な技法を身に着けている。
となれば、映像作家としての技術と主演する本人の立ち振る舞い(独特の毅然としたスタイルを崩さない)で登録者数940万人の大人数を引き付けている、という他ない。
日本映画の巨匠クラスに例えると成瀬巳喜男 - Wikipediaタッチである。
そういうことで、犬好きの自分は大王の動画を一日一回は、見ることにしている。
それでもすごいと感心する。カラッとしてベトベト愛情露出、が抑制されている。飼い犬との距離感の取り方が第三者にちょうど良い。